国民同胞巻頭言

第671号

執筆者 題名
武澤 陽介 〝日本の心に触れる〟体験の詰まった合宿
- 第62回全国学生青年合宿教室開催さる -
  合宿教室のあらまし
走り書きの感想文から(抄)
合宿詠草抄

 第62回全国学生青年合宿教室は、8月11日から13日まで、福岡市東区香椎浜の「さわやかトレーニングセンター福岡」で開催された。

 本合宿のテーマは「日本の心に触れる」である。各地から集まった83名の参加者は、2泊3日ながら濃密な日程の中、長年にわたって研鑽を積まれた講師陣の講義を聴き、また班別での研修を行ひ、そして短歌を創作するなどして有意義な学びの経験を得た。日本とはどのやうな国なのか、真の日本人とは何か、その根本に立ち返った学びであった。

 初日の飯島隆史先生の合宿導入講義は、「学問と人生―小林秀雄に学ぶ―」といふ演題で行はれた。ご自身が学生時代に合宿に参加されるきっかけとなった小林秀雄の読書体験を紹介された講義は、真の学問とは何か、人生とは何かといふ我々が直面する課題に一つのヒントを与へるものであった。講義の中で取り上げられた、学問は「才能」の有無に関係なく長年怠らず励むことが肝要であるといふ本居宣長の「うひ山ぶみ」の文章は印象的であった。

 続く小柳左門先生による古典講義「国の目覚めと万葉集」では、今回の合宿地である香椎を舞台に、かつて祖先が立ち向った国難である白村江の戦ひの敗戦から、我が国が国防に目覚め、やがて国政が統一されていく歴史の大きな流れが、和歌や記紀の文章とともに紹介された。スクリーンに映された美しい写真と先人の命の宿った数々の言葉は、参加者に大きな感動を与へた。

 2日目朝の内海勝彦先生による「聖徳太子の言葉に触れて」の講義では、先生が長年にわたり黒上正一郎先生の御著書『聖徳太子の信仰思想と日本文化創業』を通して学ばれた太子の御思想が紹介された。先生は「物とその苦楽を同じうす」といふ言葉とともに併せて昭和天皇が70歳になられた時の御製を取り上げられ、そこに歴代天皇に一貫するものがあることを説かれた。太子の御思想に触れたこの講義については、合宿日程最後の感想自由発表で、多くの学生が印象に残ったものとして発言してをり、嬉しい限りであった。

 続く池松伸典先生による短歌創作導入講義では、妻の陣痛に慌てる夫の短歌や、若い母親が子育ての日常を詠んだ連作短歌が紹介された。これらの素朴で、ありのままの心が詠まれた歌を通して、自らを飾らずに率直に思ひを詠むことが短歌の基本であるとの指摘は、短歌創作の意欲を参加者に掻き立てるものとなった。

 その後、参加者はバスで宗像大社に移動し、昇殿参拝をしたのち、神職のご案内で、古(いにしへ)の祭祀が今も行はれる「高宮祭場(たかみやさいじよう)」を拝し、多くの国宝や文化財が展示されてゐる「神宝館」を見学した。世界遺産登録で話題となってゐる宗像大社での野外研修は、幸ひ天候にも恵まれて、古くから大切に紡(つむが)れてきた歴史に触れる貴重な機会となった。

 2日目の夜は、山内健生先生の講義「日本の『国柄』―私たちの文化―」であった。伊勢神宮の式年遷宮や宮中祭祀など、連綿と続く我が国の伝統が多く取り上げられ、また、先の東日本大震災の際に発せられた今上陛下のお言葉が紹介されて、日本の「国柄」が明らかにされていった。民俗学者の柳田國男が「農業政策学」で述べた〝国家は「現在」の国民のみで構成されるのではなく、「死し去りたる我々の祖先」も、「将来生じ出づべき我々の子孫」も国民なのである〟との一節には、我々が「国のいのち」を今後も守り、受け継いでいかなければならないといふ強い使命に改めて気付かされた。

 3日目の朝は、前日の野外研修の際に詠まれた参加者の短歌について、今村武人先生による創作短歌全体批評があり、その後2時間の班別相互批評が行はれた。講義の感想や野外研修でのこと、日常の思ひ等々を正確に表現することの難しさと大切さを学ぶ貴重な時間となった。

 日本の心に触れる体験の詰まった今年の合宿教室は、以上のやうな内容であった。この感動の光を友らとともに次の仲間へと広げていくため、また新たな学びを始めていきたいと意を新たにしてゐる。

(作曲家・上野学園高等学校、上野学園大学講師)

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開会式(第1日目)

 合宿教室は横浜国立大学理工学部2年渡辺幹成君の開会宣言で幕を開けた。今林賢郁国文研理事長は開会の挨拶で、「物事に取り組む時に自分の目で見て、自分の心で感じて、自分の頭で考へると、その経験の積み重ねで国も個人も次第に独立なり自立の意思といふものが蓄積され育ってくるものと思ふ。そして次第に存在感を示すやうになり、他人からも他国からも信頼され敬意を持たれるやうになる。その点今のわが国は、極めて覚束なく心許ない。アメリカの占領政策は日本人の精神をズタズタにしたが、戦後72年、独立回復から65年を経て未だにそれを脱却できないとすれば、これは私ども日本人の問題だ。一刻も早く独立、自立の意思を取り戻さなければならない。縁あって集まった仲間と、堂々と、そして率直に話し合ってもらひたい」と述べた。

 次いで武澤陽介合宿運営委員長は「この合宿ではひとつでも沢山の〝日本の心〟に触れて下さい。自分の意見を主張するのではなく人の話をよく聞くことに心を留めて欲しい」と呼び掛けた。

合宿導入講義 「学問と人生 ―小林秀雄に学ぶ―」
       埼玉県庁企業立地課 飯島隆史氏

 43年前、学生時代に参加したこの合宿教室で「小林秀雄」に初めて出会った。その時の演題が「信ずることと知ること」であった。小林秀雄は講義の冒頭で超能力者ユリ・ゲラーの壊れた時計を動かすといふテレビの実験の話をした。さういふ「不思議」に対する知識人達の「不思議」を「不思議」として扱ふことの出来ない態度は、小林さんにとっては面白くないものだった。次にベルグソンのエピソードに移って、小林さんはある夫人が、戦場で亡くなる夫の姿を、同時刻に夢の中でまざまざと見たといふことを紹介した。「精神感応」「テレパシー」のことを語ったのだ。つまりは「合理主義」では説明出来ない話をされた。

 また、小林さん自身、母上の魂が「火の玉」となって現れたことを『感想』に書いてゐる。「これも「合理主義」では到底説き明せない事柄である。小林さんの『無常といふ事』には、小林さんの痛切な歴史体験を紹介されてゐる。本当に歴史を「思ひ出す」といふことは「合理主義」の考へからは出て来ないのではないか。ベルグソンの話は夫婦間のことであり、小林さん自身のそれは親と子の話である。「歴史的体験」でも同様で、魂と魂の触れ合ひが必要なのである。

 小林秀雄の著作に江戸後期の国学者・本居宣長について述べた『本居宣長』があるが、宣長は「うひ山ぶみ」の中で、「学問」は「ただ年月長く倦ずおこたらずして、はげみつとむるぞ肝要」と指摘してゐる。「真の学問」とは、現代の「合理主義」的ものではなく、真に心が震へるやうに「感動」することから生れると思ってゐる。

古典講義 「国の目覚めと萬葉集」
       社会医療法人原土井病院院長 小柳左門氏

 今回の合宿地であるここ筑紫は古くから外国との交流の玄関口であり、『古事記』や『日本書紀』『万葉集』の舞台となった。古代史の中で、7世紀後半、朝鮮半島の白村江での戦ひは国家の運命をゆるがすきっかけとなった。唐と新羅の連合軍によって滅ぼされた百済の遺民は、救ひをわが国に求め、斉明天皇は自ら大船団を率ゐ、瀬戸内海を渡って遠く筑紫を目指された。その途中、愛媛の海岸で額田王が詠んだのが「塾田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今はこぎいでな」の大らかで勇壮な名歌である。

 しかし斉明天皇は筑紫の朝倉の宮で崩御。悲しみの中で大軍は白村江を目指したが、たちまち敗戦。これを指揮した天智天皇は敗戦の大きな痛手により、対馬や筑紫から瀬戸内海にかけて築城し、防人を置いて国防を充実させ、都を近江に遷した。「遠(とほ)の朝廷(みかど)」とよばれた大宰府が外交防衛の枢要な機関となり、都から派遣された官人(大伴旅人や山上憶良ら)によって『万葉集』を代表する名歌が生まれた。

 天智天皇崩御の後、壬申の乱を経て天武天皇による国家の統一が図られ、その詔によって国の精神的根幹をなす神話の筆録と歴史の記述、すなはち『古事記』『日本書紀』の編纂が始まった。また漢字の音訓を使って大和言葉(国語)で和歌を表記した『万葉集』は先人の努力によるものであり、それによって私たちは古代の人々の心を知ることができる。『万葉集』でもことに心を打つ「防人の歌」を数多く採用したのは大伴家持である。

 国の宝である記紀万葉が遺されたのは、国の命に目覚めた先人のお蔭であった。

講義(第2日目)「聖徳太子の言葉に触れて―黒上正一郎著『聖徳太子の信仰思想と日本文化創業』をしるべに―」
       (株)IHIエアロスペース 内海 勝彦氏

 今年春に文科省が出した現行の「聖徳太子」の表記を「厩戸王(うまやのどおう)(聖徳太子)」に変更するといふ中学校次期学習指導要領改定案は、日本人の記憶の歴史を絶たうとするものであった。日本の国作りと日本人の精神的支柱となってきた太子の御思想を遺された言葉に拠りながら辿ることが本当の歴史教育ではないか(ここで太子に関する系図と年譜が示され、太子の思想について「三経義疏」の一節や「片岡山のみ歌」等に触れながら具体的に講述)。

 『勝鬘経義疏』の「聲は以て意を傅へ、書は以て声を傅ふ」では経典に向ふ太子のお姿が想ひ浮ぶ。『維摩経義疏』の「国家の事業を煩と為す。但(ただ)大悲息むことなく、志益物(やくもつ)を存す」からは、内政改革や外交などの外に現れる事績に究極の価値を求めることなく、太子が国民の教化救済を第一に念じられてゐたことが偲ばれる。また同経典に「悲能(よ)く苦を抜く」といふ言葉があるが、平成27年5月に天皇、皇后両陛下がパラオ国ペリリュー島へ慰霊の旅をされた際のお姿が髣髴と浮んでくる。両陛下の国民一人一人に寄り添はれるお心が、戦後を生きてきた人々の苦難の人生を包み込みその苦しみを癒された。ここには太子の「悲能く苦を抜く」のご教示そのままの精神世界がある。

 さらに「世間(せけん)虚(こ)假(け)唯佛(ゆいぶつ)是眞(ぜしん)」について、12年前に若くして癌で亡くなった同学の友は病ひの宣告をされた時に、「〝世間虚假唯佛是眞〟と唱へつゝ進行癌と闘ひをるなり」「愚かなる我にしあれど聖王の御言葉誦(ず)しつゝ生きてゆきたし」と、この太子のお言葉を歌に詠んだ。

 この太子のお言葉には、世の中はむなしいとそこから逃げるのではなく、その世間にどっぷりと浸(つ)かりながらも、その中で真心を尽さうとされる積極的な意思が感じられる。それは、太子が現実人生の中で常に国民の教化救済を願はれて苦闘されたお姿に通じるものだ。太子は国民皆が、欠陥ある自分であることに目覚めて、互ひに心を通はせ合って生きてゆける精神世界を目指されてゐて、日本の国を〝真心の幸(さきは)ふ国″にしたいと願はれてゐたと思ふ。

短歌創作導入講義
       若築建設(株)東京支店 池松伸典氏

 短歌は自分の思ひを素直に言葉に表現することが基本である。国文研の「東京短歌の会」では日々の暮しの中で感じたことを詠んだ歌が発表されてゐる。率直に詠まれた歌は表現の巧拙は別として他者に伝はる。 明治天皇の御製に「おもふことうちつけにいふ幼子の言葉はやがて歌にぞありける」とあるが、このやうなお歌に触れると日々の生活の中でだんだんと忘れてしまってゐた自分の「まごころ」「まこと」を見つめ直すことの大切さに気づかされる。

 合宿教室必携書『短歌のすすめ』には著者の夜久正雄、山田輝彦両先生の思ひがどの頁にも込められてゐる。合宿教室で続けられてきた短歌創作の意義と「短歌が学問の中心となる」との言葉の意味を深く味はってほしい。現代は、さらに「生活が豊かになる一方で、「心情・感情の洗練」がますます蔑(ないがし)ろにされてゐるのではないか。「人の心のまこと」とはどういふものなのか。

 ここに日々成長するわが子を詠んだ若い母親の歌がある。「手のひらを洗ふがごとくばしゃばしゃと手を擦り合はせて水と遊べり」「〝帰るよ〟の声に一度離れるも駆け戻り跳ぶ水たまりの中」。この短歌からは吾子の具体的情景の描写を通して母親のまなざし、愛し子に注ぐ溢れるばかりの愛情が伝はってくる。

 小林秀雄の『美を求める心』に「画家が花を見るのは好奇心からではない。花への愛情です。愛情ですから平凡な菫(すみれ)花だと解りきつてゐる花を見て、見厭きないのです」と書かれているが、右の母親の歌を読むとこの小林秀雄さんの言葉もなるほどと感じられてくる。自分の感じたことを飾らずに詠むように努めて欲しい。

野外研修(宗像大社参拝と短歌創作)

 短歌創作導入講義聴講の後、短歌創作を兼ねて参加者は、バスで宗像(むな かた)大社(福岡県宗像市)へと向った。

 宗像大社では、まづ昇殿参拝の後、神官の案内で、「高宮祭場(たかみやさいじよう)」を拝して、神宝館を見学した。

 高宮祭場は、天照大御神の御子神の三柱の女神が高天原から降った「降臨の地」と伝へられる所で、神籬(ひもろぎ)(神霊の憑依(ひようい)する樹木)を依代(よりしろ)とし、社殿が建てられる以前の古い祭祀(庭上祭祀)を継承する全国でも稀な祈りの場である。神話に連なる祭場は生ひ茂る木々に囲まれて木漏れ日の中に聖なる佇まひを見せてゐた。参加者はそれぞれの思ひを込めて静かに拝礼してゐた。

 神宝館では、宗像大社に長年伝承されてきた重要文化財などが収蔵展示されてゐて、ことに九州本土から海上遙か60キロの沖ノ島(宗像大社沖津宮(おきつぐう)の鎮座地)出土の「八万点の国宝」が交代展示されてゐる。数々の歴史的な展示品に、参加者は時の過ぎるのを忘れるほどだった。

講義 「日本の『国柄』―私たちの文化―」
       元拓殖大学日本文化研究所客員教授 山内健生氏

 「日本国憲法」は被占領といふ非常時に日本の弱体化を企図するGHQ(連合国総司令部)によって起草されたものだが、小・中・高で繰り返される「憲法学習」では平和憲法などとむしろ好ましいものとされてゐる。GHQによる「中毒作用」intoxicationが未だに利いてゐる感じで、自分の国の歴史の歴史が見えなくなってゐる。例へば憲法前文にある「他国に自国の安全を託す」旨の一節は批判されることがあるが、もっと問題なのは「われらはこれに反する一切の法令及び詔勅を排除する」との文面である。わが国の歴史的な特性(国柄)を全否定してゐる。

 柳田国男は国民とは「現在の国民」だけではなく「祖先」も「子孫」も国民だと言った。チェスタトンは「伝統とは選挙権の時間的拡大だ」と言った。現在の国民が選挙に参加できない先人に思ひを馳せながら選挙権を行使するといふことだが、「憲法学習」では、歴史(先人)との繋がりが全く無視されてゐる。

 さうした「憲法学習」にも関らず国民生活が秩序立って営まれてゐるのは歴史の恩恵といふ他はない。東日本大震災から5日後(平成23年3月16日)、夜七時のニュースで流された「陛下のおことば」がどれだけ人々に安心感を与へたかは計り知れないものがあった(ここで「陛下のおことば」を拝読しつつ紹介)。

 125代の今上陛下は、民を「大(おほ)御(み)宝(たから)」とされた初代・神武天皇のご精神を追慕されて毎年4月3日に神武天皇祭を厳修されるほか、1月7日の昭和天皇祭をはじめ、例へば反正天皇1600年祭(平成22年2月13日)のやうに百年毎の霊祭も営まれてゐる。これは世界史的にも例のない連綿たる「大御心」の連続といふ「国柄」を示すもので、そのもとにあって国民は互ひに他者を尊ぶ生き方を実践してゐる。

 東日本大震災の際、治安が乱れず暴動が発生しなかったと外国メディアは驚いたが、日本人には当然のことだった。他者の気持を大事にするから、使ふ人の立場に立って作られる日本製の電化製品や自動車は故障が少ないのだ。かうしたことが一朝一夕で生れるはずもなく、まさに歴史的な「国柄」の現れである。

 伊勢の神宮では七世紀末から20年ごとに新宮を造営することを62回も繰り返し今日に至ってゐる。

 伊勢では「古い形のお宮がいつも新しい姿で立ってゐる」。最先端の術を駆使した世界一高い東京スカイツリーの建設は大地の霊を鎮める古くからの地鎮祭から始まった。外国人は「新旧の不思議な共存」と言ったが、日本人には不思議ではない。「新旧の共存」も「国柄」を示すものでもし、「旧」がなくなれば〝日本〟ではなくなるのだ。

 今日、午後参拝した宗像大社は高天原から降った三女神をお祀りしてゐる。降臨の地「高宮祭場(たかみやさいじよう)」も拝した。三女神の降臨は八世紀初めに記録された記紀神話に出てくるから、その祭祀の歴史はもっと古いことになる。五度の来日経験を持つ人類学者レヴィ=ストロースは「西洋では、何世紀も昔から、神話と歴史を区別するように努力して来た」が、「日本の魅力の一つは、神話も歴史もごく身近のものだという感じすること」だと言った。われわれは宗像大社で神話と歴史の生きた連続性を目の当りにした。かうした神話に連なる遺蹟は国内にいくらでもある。

 神話と歴史が繋がってゐるのもわが国の特質「国柄」である。

 かれこれ見てくると歴史的特性(国柄)に背を向けた「憲法=憲法学習」には慄然たるものを覚える。

創作短歌全体批評(第3日目)
       熊本県立第二高等学校教諭 今村武人氏

 一般的に「批評」といふと、他人の意見や作品を高みに立って一方的に評価を下すことのやうに理解されるが、この短歌相互批評においては、さうした態度は厳に慎まなければならない。短歌創作に取り組んだ人はすべて、わづかな時間の中で、自分の心を見つめ、言葉を選び、指を折りながらも精一杯の努力を傾けて歌を作られたと思ふ。高みからの批評にはそれへの共感がないと思ふからである。そこで相互批評の際は、作者がどういふ思ひで歌を詠んだのか、歌を作ったときの感動や心情などをよく聞き、その作者の気持ちに寄り添ってほしい、そして作者と一緒になって最もふさはしい表現を考へて、適切な言葉に直して行くやう心掛けてほしい。

 短歌は、歴史的仮名遣ひを用ゐて文語体で表現することが必要である。口語体では、特に助動詞や助詞の使用にかなりの制限があり文法的に表現の幅が広がらない。さらに私たちが歴史的仮名遣ひや文語体を学ぶことで古典がより身近のものになり、祖先との言葉(命)のつながりを深めることができるからである。

 (その後、前夜刷り上がって全員に配られた「歌稿」に拠りながら、宗像大社参拝のときの歌や、班別研修のことを詠んだ歌など、実際に参加者の作った歌に則して批評の実例が示された)。

合宿をかへりみて
       今林 賢郁 国文研理事長

 初日の合宿導入講義から最終日の短歌相互批評まで、様々なことが語られ話されたが、ふり返ってどのやうに感じられてをられるだらうか。この合宿で取り上げられた詩や文章(古典)は大変難しかったかとも思ふが書かれてゐることがおぼろげながらでも分ったり、先人の思ひを感じることができたのではないか。千数百年前に書かれた文章を現代に生きる我々がその気になれば読むことができるといふことは有難いことであり、世界でも稀有なことである。

 「国力」とは通常軍事力や政治力、外交力のことを言ふが、二千年来の連綿と続いてきた歴史があり、先人の生き方や価値観が書かれた古典を現代に生きる我々がいつでも読むことができるといふこと、これこそ「国力」であると言っていい。さういふ「国力」を持つ国に生れて生きてゐることを自覚し自信を持たうではないか。開会式で我国の現状を見ると一刻も早く国民一人一人が自立と独立の気概を取り戻さなければならないと述べたが、そのための糸口はこの2泊3日の合宿研修で掴んだのではないか。後はこれからの皆さん一人一人の心構へにかかってゐる。

全体感想自由発表

(閉会式を前にして、参加者が次々に壇上に立ち、3日間の研修で感じた思ひを率直に述べた)

「聖徳太子の『憍(きよう)は悪の中の極』といふ言葉に触れて、自分の人生姿勢や人への思ひの在り方に気付かされた」「万葉集を味はふ講義を聞いて、額田王や防人の歌に情景が浮かんできて、心を動かされた」「日本の国柄に触れた講義を聞いて、歴代天皇が持たれてゐた大御心をもっと勉強したいと思った」「班別研修は、『相手を打ち負かすディベート』とは違ってゐた。人の言葉に真剣に耳を傾け、自らも心を開いて語ろうと努める体験が新鮮だった」「短歌の相互批評では、自分が思ひを語り、他の班員がかうなんじゃないかと言ってくれて、歌ができていく感じが良かった」「国家の安全保障問題に重ね合はせて、自分たちの国に信を持つ。それには、どのやうな国で生きてゐるのかをよく知り、一人一人が日本人としての魂をよみがへらせていくことが大切だと思った」等々…

閉会式

 主催者を代表して山口秀範国文研常務理事は、「この合宿に参加して心に動いたこと、気付いたことを一つでも二つでも大事にしていただきたい。そして、学校や職場に戻って少しでも大きなもの確かなものにしていただきたい。『物と苦楽を同じうす』といふ聖徳太子の言葉がある。私たちはともすれば独り善がりになったり物が分った気になることもあるが、自分だけの世界に閉ぢこもるのではなく、各地にある勉強の場にも参加して友達や仲間に思ひを伝へていただきたい」と述べた。

 続いて、竹澤陽介運営委員長は、「開会式で日本の心に触れる体験をしていただきたいと述べた。合宿が終れば、また日常の生活に戻ることになるが、この合宿で得られた体験や感動の光を大切にしていただきたい」と語った。そして、大阪大学基礎工学部3年守田壮輝君の閉会宣言で合宿教室は幕を閉ぢた。

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(かな遣ひママ)

   憲法は過去を内包している  福岡大学 経2年 T・N

 合宿期間中一番興味がひかれた講義は山内健生先生の「日本の国柄について」です。「憲法は未来ではなく過去である」という言葉に対して衝撃を受けました。私は憲法というものは理想にむかって行動するための指針のようなものだと思っていました。しかし実際は過去を内包するものだと知り、憲法に対する見方が変わりました。チェコの作家であるミラン・クンデラさんの言葉である「国民の消し方」を見てアイデンティティーの重要さを認識しました。ここで思ったのはユダヤ人が民族を失わなかったのは、旧約聖書という本のおかげかなと思いました。

   陛下は歴史の伝承者であると感じた  福岡教育大学 教3年 M・T

 今回の合宿において最も感銘を受けたのは山内健生先生の講義で、中でも今上陛下の東日本大震災でのメッセージです。国民のすみずみまで心をかけられる陛下のお姿に大変感動しました。また陛下が歴代天皇のおまつりをしていらっしゃることも初めて知り、陛下が歴史の伝承者であると感じました。そのもとで今歴史が断絶されている現状は許せないことだと感じつつ、この日本人の「らしさ」をどのようによみがえらせるのかという事を考えると、私は聖徳太子と明治天皇が思われました。日本には大変な時代、日本の国柄がわからなくなったときに日本とはこういう国だと示された先人がいらっしゃる。今の我々はその方々から学ぶことで今の世をきりひらけられると思ひました。

   大変新鮮で勉強になった  広島修道大学 法4年 S・T

 普段私が参加している講演や合宿は、憲法改正や大東亜戦争などのテーマを扱ったものも多く、それはそれで身になるものなのですが、今回のこの合宿ではあまりそのような一見取っつきやすいものは少なく、むしろ「学問とは」「万葉集」「聖徳太子と仏教」「国柄」といったイデオロギーではなく、人間の心や国といったものに直接関わるようなテーマが多く、自分にとっても新しく触れるものばかりで、大変新鮮で勉強になりました。

   日本全体がまひさせられている  佐賀大学 文化教育4年 A・F

 今回の合宿で特に心に残ったのは、山内健生先生の講義で言われた「日本全体がまひさせられているような状態」との言葉です。北朝鮮と米国間での事態が緊迫化する中で日本国内では政府をおとしめる声や批判が行われています。国民が戦う相手が、日本に脅威を及ぼす他国ではなく、国内の政府にすり替えられている。この状況を生み出している原因は何かと思うと、私は日本に根付いた自虐史観、自国への不信感だと思います。我々国民がまっとうな日本人として目覚めることがあって初めて我々は国家を守ることができると思います。日本人としての目覚めは、先人の思想のこもった古典、受け継いできた文化、独立を守り継いできた歴史を自分自身に甦らせることです。連綿と続くそれらに気づくこと、そして自分自身の生き方に現すこと、それが今を生きる自分たちに求められているものだと感じます。戦後改革とその結晶である憲法にむしばまれている精神を古典(日本)への感動から力強く払拭していく心が大切だと思いました。

   自分の未熟さに気付かされた  長崎大学 環境科学1年 Y・N

 今回の合宿で今上天皇のお言葉や御製などを見聞きし、天皇陛下が国民を思う心はいつまでも変わらず、本当に感動しました。この合宿では自分の未熟さに改めて気付かされ、新たなことを多く学び、難しい内容は多かったですが、とても成長できました。これからも先人や天皇、先生方などのお話や言葉をたくさん聞き、知りたいと思いました。

 聖徳太子の十七条憲法の十条は前にも聞いたことはありましたが、以前よりは少し気持ちが分かった気がします。まだ至らない所がほとんどですが、言葉を心に留めて生活し、常に自分の生き方を省みたいと思います。

   理解を深めることができた  大阪大学 基礎工学3年 S・M

 講義では小林秀雄さんや聖徳太子など、私一人では難解で手もつけられないような内容を丁寧な解説とともに説かれ、知識量の少ない私でもなんとか文章を読みまた考えることが出来ました。また、講義の後に行われた班別研修では他の参加者の意見や考え方も聞くことができ、より一層理解を深めることができました。

   時間が足りなかった短歌の相互批評  京都産業大学 経営3年 R・F

 私は毎年のことですが、歌を詠むことを楽しみにしており、今回は初めて宗像大社を参拝することができ、新しい経験を基に多くの和歌を詠むことができました。そしていつも楽しみにしている和歌の相互批評では時間の足りないくらい語り合うことができ、また班の仲間と心が通じ合うことができたと思っています。他の講義の後の班別研修でも班の仲間達と率直な意見をぶつけ合うことができたと感じています。

   改めて感じた大御心の有り難さ  皇學館大学 神道学専攻科1年 N・N

 特に山内健生先生の講義での天皇陛下の大御心についてが一番強く心に残っています。歴代の天皇様が国民を思ってこられた大御心は本当に有難いものでその有難さを改めて感じました。

 2日目の宗像大社では拝殿での正式参拝ができた事がとても嬉しかった。神職の方々が時間の無い中丁寧な説明をしてくださり、とても分かりやすかった。

   短歌を詠むということ  宮崎大学 工3年 A・I

 僕は短歌について学びたいとは言ったものの、あまり短歌を詠むことが好きではなく、苦手に思っていました。

 しかし2日目の池松伸典先生の講義を受けて短歌は思ったままに書けばいいのだなと感じました。特に講義冒頭の三つの短歌には衝撃でした。日常の中でこんな風に短歌を詠むことが出来るのだなと感じました。3日目の今村武人先生による短歌批評で指摘されて、自分の気持ちが短歌に乗せきれていなかったのだなと感じました。またその後の相互批評で班の皆さんに様々な意見をもらい、自分の納得のいく一首になったのではないかなと思いました。

   聖徳太子の十七条憲法  長崎大学 教5年 H・F

 聖徳太子の十七条憲法に触れ、文章の意味を理解しただけではいけない、その教えが本当に大切なことだと深く心の底から理解したいと思いました。

 この合宿を通して「憍(きょう)は悪の極」という言葉が心の底から大切だと実感しました。この実感を忘れず何度も十七条憲法にぶつかっていき、日本人として自分や国民がどうあるべきかを示せるようになりたいと思います。

   充実した時間だった  福岡大学 経1年 H・M

 講師の方々からいただいた講義はどれもすばらしく心に残るものでありました。そのため講義以外の班別研修と短歌を作ることが私にとって重要な時間でした。意見を出し合うことで親睦を深める事が出来たり、友達や講師の方の助言のお陰でよりよい短歌を作り上げることが出来たと思います。友達と協力して理解を深めていくことの三日間ではありましたが、親睦を深め他大学の方々との交流も充実した時間でした。

   先人の精神を継承したい  國學院大學 大学院1年 D・O

 如何にして生きるべきなのかを改めて考える合宿であった。2日目、内海勝彦先生の御講義では、聖徳太子が万民(衆生(しゆじよう))の苦しみを受け止められて、その上で人々に慈愛を施される、その御精神について拝聴した。この御精神は、今上天皇に至る歴代天皇まで変わらぬ御精神である事は山内健生先生の御講義で強く感じられ、脈々とその御精神が継承されている事に改めて感動した。

 今回は三女神をお祀りする宗像大社を御参りした。神代より、「天皇を御護りする」という生き方が示されている。天皇の慈愛に感謝し神に倣い、また先人の生き方にも倣うために日々修養し、私自身も先人の精神を継承し、一つの「連続性」に連なる事が出来たならと思った。

   たくさんの先人の方々  長崎大学 教3年 Y・K

 講義ではうまく理解しきれない部分も多少ありましたが、今回の合宿で今まで伝わってきた歴史も無意識的な人間関係もそれを大事だと思って、信じて、伝えてきたたくさんの先人の方々がおられるということを実感しました。そしてそれをまた後世に伝えていくべきは自分たちなのだと強く思いました。「伝える」というのは簡単なことではありません。でもそれを怠ったら終わりなのだという危機感をより大きく感じました。

   日本っていいなと思った  長崎大学 教2年 M・O

 今回の合宿で聖徳太子について、和歌について、また国柄について学ぶ中で私は改めて日本っていいな日本人でよかったなあと思いました。私もひとりの日本人としてどうあるべきか改めて考えました。まずは「日本」について自分が正しく知ることではないかと感じます。

 講義の中で一番心に残っているのは聖徳太子の十七条憲法の十条です。一年前に十条にふれて、あらゆる場面でこの十条の言葉を思い返し自分を見つめようと思っていますが、そう簡単に出来ることではありませんでした。しかし今回改めて十条にふれ「人の違うを怒らざれ」が頭に残りました。簡単なことではないと思いますが改めて自分自身をふり返りたいなあと思いました。

   もっと先人から学びたい  長崎大学 教1年 M・K

 講義はとても良くて感動し心動かされることも何度もありましたが、とにかく私には難しく、班別研修で意見を求められたときに何も言えないことがしばしばありました。しかし同じ班の方々の意見や考えを聞く中で「この講義で言いたかったことはこういうことだったのか」と発見することも多くそれはとてもおもしろかったです。

 聖徳太子のことにしろ憲法のことにしろ日本のことにしろ私はまだまだ自分で考えて自分の意見を持つということができていなくて、それをまざまざと感じさせられました。確かに聖徳太子や憲法や日本のことは考えなくても生きてはいけるけれども日本人として生きていくことはできないのだと思いました。私は今回の合宿を通してもっと先人から学びより良く生きていきたいと思ったのでこれを機にもっと勉強していきます。

   日本人としての心の在り方を学んだ  日本生命 M・N

 当初は宗像大社への野外研修があるからという軽い気持ちで参加させていただきましたが、着いた当初は講義の内容、班別研修での意見交換等、気を抜くひまもなく参加したことを少し後悔していました。ただなかなか聞く機会のない講義内容や自分の思ったことを周りに伝えるという班別研修はとても素晴らしい体験だったと思います。

 また学生の方達の熱心な態度、日本人として何かを学びたいという気持ちに圧倒されました。短歌を詠むということも億劫だとは思いましたが終わってみれば大変だけど楽しかったという思いです。

 この合宿で日本人としてまた人としての心の在り方を学べたように思います。できれば短歌を日々よみ続けられたらと考えております。日々の惰性に負けないようにこの合宿で得られたなにかを少しでも活かして生きていきたいと思います。

   日本の国柄  学校法人中村学園 A・H

 今回の合宿は改めて祖国の文化を見つめ直す良い機会になったと思います。小柳左門先生の講義で海外との交渉を通じて、危機感を感じ日本国としての目覚めを経験したとありましたが、現代でも同じことが言えると思います。現在まで日本が守ってきたものは何なのかを知る為にも先人達が残した言葉、詩を学び、日本の国柄というものを自分なりに言葉にできるようにしたいと思います。

   日本人としての自信を持つ  福岡中小企業経営者協会 H・N

 今林理事長の挨拶に「自分の目で見て」「自分の心で感じて」「自分の頭で考える」事を行動に起し、それを積み上げ継続していくことが、他国、他人から信頼され自立を生んでいくということのお話があった。これは日本国としてもそうだが、一人の社会人として大切なことだと心に留め今後務めていきたいと思いました。加えて何事にも言えることですが、自分だけやらなくても大丈夫ではなく、国民一人一人が日本人としての自尊心、自覚を持ち、日本人としての自信を持って行動することの大切さを感じました。

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       長崎大学 教2年 Y・T
     宗像大社参拝
姫神の祀らるる庭(高宮祭場(たかみやさいじょう))は静まりて木立にせみのさはやかに鳴く

       福岡教育大学 教3年 M・T
せみの音の二重(ふたへ)に三重(みへ)に響きけり語り合ひつつ歩む山路に

       皇學館大学 文4年 Y・E
古の神祀るさま偲びつつ千歳(ちとせ)古(ふ)りにし御鏡拝す(神宝館にて)

       筑波大学 大学院1年 S・Y
     中津宮、沖津宮の御分霊を祀る造営中の宮を拝す
神宮(伊勢神宮)の古宮(ふるみや)賜はり建て替ふる宮に惹かれて仰ぎ見奉る

       早稲田大学 教2年 Y・S
神様の御坐(おはしま)します祭場(まつりば)(高宮祭場)に来たれば胸の緊(し)まる心地す

       横浜国立大学 理工2年 M・W
     高宮祭場への道にて
木々のかほり身に浴(あ)み行けば思ひ出す友らと歩みし山の小道を

       E・N
厳かな祝詞(のりと)響きて正殿に額づく我に涼風(すずかぜ)の吹く

       中村学園大学 流通科学2年 E・A
宗像の女神守れる玄海の恵みを受けて育ちし我ら

       長崎大学 教2年 M・O
風が吹き葉は揺るるともでんと立つ楢(なら)の木のごと強くありたし

       太成殿本宮 T・T
高宮の庭にゆらめくこもれびは古代と今をつなぐ心地す

       西南学院大学 法2年 F・E
和(やは)らかな木洩れ日照らす参道は姫神降り立つ道にぞ見ゆる

       長崎大学 教3年 M・S
背を正し拝殿を吹く風受けて不思議に心さはやかになりぬ

       全日本学生文化会議 K・S
     合宿の日々
     小柳左門先生の古典講義
師の君の面(おも)輝きて萬葉の歌に命を吹き込まれけり
師の君のいと美しきとのたまへば我も美しと思はれにけり

       長崎大学 教1年 M・K
気のおけぬ夜のおしゃべり楽しくて気付けば時計は一時を回る

       福岡中小企業経営者協会 R・N
万葉集学びて知りたる先人の言葉に心動かされけり

       福岡中小企業経営者協会 H・N
     「学問と人生」の講義を聞きて
なまけずに励みつづくる大切さに今更ながらきづかされけり

 

 編集後記

 北のミサイル発射計画を受けての日米外交・防衛担当閣僚による安保協議委(2プラス2)に関連して、朝日新聞は「懸念されるのは、発信されたメッセージの力点が軍事、とりわけ自衛隊の役割拡大に傾斜していたことだ」などと論評した(8/19)。この期に及んで猶も「非武装」の空想に酔ってゐる。朝日よ!、先づは国際社会に広げた“慰安婦嘘報”の後始末をつけてからものを言へ!と言ひたい。

 今夏の合宿教室が閉幕。参加者感想文に改めて、我らの責務の重さを感じる。本号各頁を御精読下さい。
(山内)

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