国民同胞巻頭言

第660号

執筆者 題名
合宿運営委員長 小柳 志乃夫 〝富士の麓で日本を学ぶ〟
- 第61回全国学生青年合宿教室(東日本)開催さる -
  合宿教室(東日本)のあらまし
走り書きの感想文から(抄)(かな遣ひママ)

 8月の「合宿教室(西日本)」に引き続き、標記の合宿教室が、9月2日より5日まで、静岡県御殿場市の「国立中央青少年交流の家」において開催された(参加者69名)。各講師の力のこもった講義・講話を受講し、また、参加者全員の創作短歌の班別相互批評によって、いつもながらの本会合宿教室に特有の参加者間の心の交流が展開されたのは、ありがたいことであった。

 合宿企画では、目下の我が国を取り巻く時代の問題を正しく把握するとともに、日本に連綿として伝へられた国がらに先人の言葉を通して直に触れることを企図した。

 伊藤哲朗氏による合宿導入講義では、内閣危機管理監としてのご経験を踏まへ、日本を取り巻く危機の解説とともに、危機時の判断において求められるものは、日本とはどういふ国であり、どこに国民の総意があるかに対する信念であって、その為には国家観と歴史観を養ふ生きた学問が大切であると説かれた。対外危機を正視しない戦後日本の風潮はまだ根強いが、招聘講師の石平先生は、中国の歴史を丁寧に辿りつつ、自己を宗主国とし周辺諸国を朝貢国とする華夷秩序の実現が常にその国家目的にあったことを指摘され、この華夷秩序を破壊したのが他ならぬ明治日本であって、この点で中国にとって日本は許しがたい存在であり、日本が平和を維持するためには中国の華夷秩序に入るといふ選択肢はなく、憲法九条の改正が戦略的に大きな意味を持つことを力説された。

 前田秀一郎氏による古典講義では、聖徳太子を取り上げ、人間のもつ弱さや醜さを直視しつつそれを乗り越える「和」の実現を願はれた太子のご思想を憲法17条の原文及び先行研究を踏まへて語られた。日本は「和」の国である。リオ五輪での日本男子400メートルリレーの活躍に対する外国選手の評が、日本チームにおける「和」と「信」を称へたものだった、といふお話も興味深かった。「和」の国がらは皇室と国民の間に深く生き続けてゐる。今林賢郁理事長のご講義は、国民の上を願はれる天皇のお心を、今上天皇のお言葉、昭和天皇の終戦時の御聖断、明治天皇・孝明天皇の御宸翰、さらには神武天皇の大詔―国民を「おほみたから」と呼ばれた―に遡り、歴史事実を丹念に解き明かされた。心を寄せ合ふといふ「和」の姿は、さらに家庭生活に、はたまた自然や物に対する接し方にも広く日本人の生き方に息づいてきた。須田清文氏の短歌導入講義では、香淳皇后の「やつがしら絵巻」連作40首を参加者全員で声を出して読み味はったが、そこに示された皇后さまの迷鳥に対する深いお心づかひには強い感銘を受けた。慰霊祭の説明の中で原川猛雄氏が紹介された戦歿者追悼の両陛下の御製・御歌、或いは「公と私の矛盾に身を挺して生きた」防人や幕末の志士や戦歿学徒の歌も、そこにこもる悲しみは作者の人に寄せる思ひの深さと一つである。

 我々はさういふ日本に生まれたのである。その日本が今、中韓との歴史戦に、また朝日新聞などの戦後思想宣伝に挟撃を受け、祖先との絆を断たれつつある。武澤陽介氏の講話では祖国を失った西洋の音楽家たちの悲しみをその名曲を紹介しつつ語ってくれた。その後、夜のしじまに厳修された慰霊祭は日本人として祖先との絆を確かめる時となった。

 合宿を締めくくられた國武忠彦氏の講話は、「思ふ」といふ、我々自身のありのままの心をみつめつついかに生くべきかを工夫する道を示していただいた。それはこの合宿で出会った和歌と学問の道であり、日本人として学ぶべき道でもある。

 今回の合宿は天候に恵まれ、富士山の宝永火口登山では雄大な景色を満喫し、朝夕の富士山の姿を仰ぐことができた。富士を背にした朝の集ひでは岸本弘氏から記紀万葉の名歌を紹介していただいた。澄んだお声に紹介された名歌の高いしらべも忘れがたいものがある。富士山は単なる山ではない。海外との船旅の近代においては「日本への回帰」の象徴的存在でもあった。その山麓で日本を学んだ日々を忘れまい。

 唯一残念なことはもっと多くの学生青年に参加して欲しかったといふことである。故小田村寅二郎先生が仰ったマンツーマン運動の原点に立ち返って、会員諸兄姉とともに一人の友を求める一歩を進めたい。

(IBJL東芝リース(株))

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開会式(第1日目)

 合宿教室は京都産業大学経営学部2年舩岡龍一君の開会宣言で幕を開けた。主催者を代表して澤部壽孫副理事長は「この合宿では現代の学生生活に欠けてゐる、心を寄せ合ふ体験をすることになる。それは人間生活の基本だからだ。班別研修では心が通ひ合ふ喜びを感じて欲しいし、輪読では一人では読めなかったことが理解できる体験を、また御製や短歌を通しては歴史の中に生きる祖先の心を継承してゐる喜びを感じてほしい」と述べた。   小柳志乃夫合宿運営委員長は「この合宿では知識よりも心を動かす体験をしてほしい。人生にとって知識は枝葉で感性が幹を成す。感動が幹を作り、しっかりした幹があって葉が繁ってゆく世界を我々は願ってゐる。一人の友、ひとつの大切な言葉をこの合宿でぜひ得てほしい」と語り掛けた。

合宿導入講義

   「我が国を取り巻く危機と学生青年諸君に期待するもの」
       東京大学客員教授  元内閣危機管理監 伊藤 哲朗氏

 はじめに、ビートルズの「イマジン」の一節、「宗教も国家も無い世界を理想とする歌詞」を紹介し、「宗教も国家も無い世界とはどんな世界なのか。なぜこの世に宗教や国家はあるのか。この現実を見つめることが大切である」と問ひ掛けた。

 ついで、我が国を取り巻く危機の数々が紹介され、「東日本大震災の後、日本列島が地震多発期に入ってゐるのにほとんどの国民が何も対策をとってゐない。さらに中国の東シナ海や南シナ海での動きが我が国にとって極めて危機的であるのに、国民の関心が低い」と不断に備へることの重要性が説かれた。そして、「危機の発生に当って対処するリーダーには、即時に方針を決定する勇気が必要であり、その決断には、国民の理解が必要である。そのためにもリーダーには国民にとって何が最善かといふ国家観とこれを裏打ちする歴史観が不可欠だ」と述べた。

 これを身につけるためにも吉田松陰先生の「皇国の皇国たる所以、人倫の人倫たる所以、夷狄の悪(にく)むべき所以」及び聖徳太子の「背私向公」の教へに学ぶことが重要だと説いた。最後に、「そのためには自分の頭で考へることが大事で、付和雷同しないで勇気を持って自分の意見が言へるやうな本当の学問に励んでほしい」と語った。

講義(第2日目)

   「中国の覇権戦略と日本の課題」
       評論家  石 平先生

 先生は、中国の覇権主義の全容について歴史を回顧しつつ話された。

 初めに「孔子、孟子の活躍した春秋戦国時代はまだ中国がなかった。秦の始皇帝の統一によって、中国が成立した」と述べられた。そして、「その後、易姓革命による盛衰興亡や他民族統治などの長い歴史の中で、中国が文明の中心の華であり、周辺諸国を未開で野蛮であるとみる華夷秩序の思想が確立した。宗主国と朝貢国の関係である。大陸を統一しても、周辺国を抑へないと王朝が長続きしないことから、王朝は易姓革命で交代しても華夷秩序を維持することでは一貫してゐる」と語られた。

 続けて「アヘン戦争の敗北は中国近代化の始まりであると同時に華夷秩序の崩壊の始まりであった。日清戦争後の講和条約で『朝鮮の独立』が書き込まれたことは華夷秩序の崩壊を意味してゐる。その屈辱を晴らし、華夷秩序の再建といふことが、現在の習近平共産党政権にも引き継がれてゐる。『中華民族の偉大なる復興』をスローガンとするのも、アヘン戦争以降の屈辱を晴らすといふ意味も込められてゐる。そのための取り組みが、経済力の向上と軍事力の強化といふことである。アジアインフラ投資銀行AIIBの設立もその一環である」と歴史的な視野から近年の対外政策を説かれた。

 さらに「南シナ海の軍事拠点化や尖閣諸島を狙ふのも、貿易路を押さへて日本の生命線を危うくし反抗できなくするといふ意図がある。虚構の南京30万虐殺を喧伝するのも、華夷秩序を崩壊させた日本への恨みも込められてゐる」とされた。

 最後に、「中国の歴史に根差した華夷秩序再興のための覇権主義に、日本が対処するには、憲法改正といふことが大きな課題がある。憲法の掲げる平和主義を守ることと、実際に平和を守ることとは全く違ふ。日本人のための日本人による憲法改正が大きな課題だ」と講義を結ばれた。

短歌創作導入講義

   東京ホワイト歯科  事務長 須田 清文氏

 <短歌創作をかねた野外研修を前に、短歌に取り組む心得を説いた。/p>

 合宿必携書『短歌のすすめ』の著者の夜久正雄先生が「今日われわれが歌をつくる場合の直接の模範になる」と言はれた香淳皇后の「やつがしら絵巻」連作40首を紹介し、「初めて短歌をつくる人はもちろんのこと、長年短歌創作を続けてをられる方もこの御歌を拝誦して初心に帰ってみませう」と、参加者全員で40首を音読した。一首宛一息に音読することで「一首一文の原則」の重要性が示され、表記する際も一行で書くのが基本であると語った。

 「我々が目指す『しきしまの道』としての短歌は『日本の文化の中核をなすもの』である」として、香淳皇后の御画集『錦芳集』に書かれてゐる皇后の絵の先生である前田青邨画伯の「やつがしら絵巻」の説明が紹介され、再度全員で40首を音読した。「日常の素朴な感動を自分の心を見つめて正確に表現していくことが大切である」と説いた。

野外研修(短歌創作)

 今回の御殿場合宿では天候に恵まれ連日霊峰富士を仰ぎ見ることができた。時には頂が、或いは中腹が白雲に覆はれることはあったが稜線の美しい富士山を朝夕に目にした。

 短歌の創作をかねた富士登山では5合目でバスを降りて、礫岩の山道を6合目の宝永火口まで登った。この時期としては珍しい晴天とのことで、駿河湾まで遠望することができた。参加者は巨大な火口を見ながら、遙か眼下を遠くに望みながら、各々どう短歌に詠むべきか思ひを凝らした。帰路のバスの中でも三十一文字に整へようと指を折る姿がみられた。

古典講義

   「聖徳太子の憲法17条を読む」
        公益社団法人山梨科学アカデミー会長  前田 秀一郎氏

 まづ「聖徳太子の憲法17条を読んで、太子を御偲びすると同時にわが国の文化への理解を深めよう」と前置きして講義は始まった。

 「太子は、第一条に『和』を国家統治の根本方針として掲げられた。そして、『和』を実現するための方途を17条の全てに具体的に示してをられる。これら条章には現実の人間の弱さや醜さを具体的に描写されながら、それを許容されるのではなく、人々と共に超克して、和を実現しようとの強い御意志が込められてゐる」と太子のみ心を偲んだ。

 「第2条では、太子は和の実現は三寶への帰依なくしてはあり得ないと述べられる。『三寶に歸せずんば、何を以てか枉(まが)れるを直(ただ)さむ』との御言葉には強い御信念が込められてゐる。第3条の『詔(みことのり)を承(うけたまは)りては必ず謹め』といふ御言葉は、専制君主制における権力国家思想を表現されたものではない。この条では、〝君臣間の和に基づき君臣が慈しみをもって民に接してこそ、四時(しいじ)順行し、萬氣(ばんき)通ふことを得る〟といふわが国統治の根本方針を述べられたのである」と語った。

 次いで、他の条章にも適宜触れた後、詩人・浅野晃氏の「告別」と題する老いた祖父が遺される孫へ呼び掛けた作品を引用し、「太子の願はれた和の国は未だに実現したとは言へないが、私共一人一人がこの詩のやうに暖かな情意で結ばれた家族の和の実現に努めることによって、和の国日本の実現に近づくことができるのではないか」と述べた。

講義(第3日目)

   「日本の国がら」
       国民文化研究会理事長  今林 賢郁氏

 冒頭で「これからお話することは『日本の国がら』はかうあって欲しいといふことではなく、かうであったといふ『事実』についてある」と強調して講義は始まった。

 辞書に基づき「国がら」(国柄)、「国体」の語義を紹介した後、英語のconstitution(憲法)には国柄や国体の意味があるとして「国柄が書き込まれて初めて国家の根本法となる。日本国憲法も大日本帝国憲法も『第1章天皇』となってゐる。天皇を抜きにして憲法も日本の歴史も分らないといふことになる」として、今上天皇から、昭和天皇、明治天皇、孝明天皇と幕末期まで遡って「天皇と国民」の関係がどうであったかを具体的に語った。そして、「いつの時代にあっても、み位を襲がれた天皇は厳しい内省のお心を持ち続けられながら、常に国平(たい)らかなれ、民安(やす)らかなれの祈りを続けられ、国難ともなれば御自らのいのちを投げ出される。このやうな方が天皇であり、わが父祖たちはそのお言葉や御行動を見て、天皇を敬ひ忠誠を尽してきた。慈愛と忠誠、これが国柄の中核だった。この姿が二千年以上にわたって続いてきた事実は世界の奇跡と言っていい」と説いた。

 さらに、江戸幕府の朝廷への干渉、監視の中で、どのやうなお心持ちで幕府に対峙されたかを七人の天皇のお歌に触れた後、太古に遡って「神武天皇即位建都の大詔」を紹介し、初代の神武天皇から今日に至るまで、歴代天皇は国民を「大御(おほ み)宝(たから)」として常に大切にされて来たことを述べ、かうした事実への認識を深めることは現在に生きる国民の務めではないかと語った。

会員発表

   (株)テレビ西日本東京支社  穴井 宏明氏

 社会人12年目となるが「今でも学生時代に読んだ小林秀雄氏の『美を求める心』が心の中で生きてゐる」と語り、その文章を紹介した。また大学1年生の夏の合宿教室で「可愛いいんじゃねぇんだな、めんこいなんだな」と表現された長内俊平先生のお話から、「言葉の姿」といふものを感じる体験をしたことを述べた。

 社会人となり「わかるわからないの世界」で生きていく中で、小林秀雄氏の「立派な芸術といふものは、正しく、豊かに感ずる事を、人々に何時も教へてゐるものなのです」といふ文章を信じて、これからも豊かに美しく感ずる心を育てるやう学んでいきたいと語った。

創作短歌全体批評

   国民文化研究会副理事長  澤部 壽孫氏

 まづ「短歌創作は、感じたことをありのままに表現すること、そのために最も適切で正確な言葉を見つけることが基本である」と述べ、参加者が詠んだ歌を取り上げ、その短歌の一語一語をたどりながら最も適切な言葉を見つけ出す作業を具体的に示した。独りよがりの作者一人にしか分らなかった歌が、少し表現が直されることで全員に通じるものになり、参加者は深い感銘を覚えたやうだった。直される一首を自分の歌のやうに一同が感じながら耳を傾ける時、講義室には得も言はれない一体感と喜びが満ちたのであった。私達の祖先が、短歌によって意思を伝へ、心を通はせ合って生きて来たといふ事実の一端が示された感じだった。

 この直後に行はれる班別での短歌相互批評について、「作者がどのやうな気持ちでその歌を詠んだのかを知らうとする努力が大切であり、もし分りにくい表現であったら、正確なものとなるやうに言葉を探し合ふことに努めてほしい」と語った。

講話

   「祖国と音楽」
       上野学園高校音楽科講師  作曲家 武澤 陽介氏

 苦難の歴史を歩むポーランド国民の心の中に流れるショパンの音楽や、ロシアの圧政の中で祖国の自然を音楽にし続けたシベリウスの「フィンランディア」、そしてチェコ人にとってのスメタナの「我が祖国」について紹介し、音楽作品とそれを愛する祖国の人々との悲しくも美しい関係が語られた。

 チェロ奏者ヨー・ヨー・マの〝音楽は、作曲者、演奏者、聴衆の三つが揃って一つの作品となる〟といふ言葉や、岡倉天心が『茶の本』で述べてゐる〝傑作は人の心を強く惹き付けて、ついには人が実際にその作品の一部分となる〟といふ言葉を引用しつつ、「作品は、関った全ての人々の思ひと現代の自分、今後関るであらう未来の無数の人たち、その全てがその一部なのだと思ふ。この合宿教室での学びの中で、多くの無数の優れた先人の思ひに触れ、祖国の一部である自分といふものを強く自覚して、その思ひを次の世代にバトンパスしていきたい」と語った。

慰霊祭

 慰霊祭に先立って、原川猛雄会員(元神奈川県立小田原高校教諭)から「この祭儀は慰霊祭といふ一つの儀式を通して私達の心をととのへ、平時戦時を問はず国のために尊いいのちを捧げられた全ての祖先のみ霊をお迎へし、その方々が後の世の人に遺されたお気持ちをお偲びし、私達もまた受け継いでゆきたいとの思ひを込めて営まれるものである」とその趣旨が説かれた。

 慰霊祭は祓(はらへ)詞(ことば)に代へて澤部壽孫副理事長による「ますらをの悲しきいのちつみかさねつみかさねまもる大和島根を」(三井甲之詠)の朗詠に始まり、北濱道会員(元(株)アルパック)による「御製拝誦」、池松伸典会員(若築建設(株))による「祭文奏上」とつづき、次いで参加者一同で「海ゆかば」を奉唱した。

若き友らに語りかける言葉 (第4日目)

   「思ふこと」
       昭和音楽大学名誉教授  國武 忠彦氏

 まづ恩師の小柳陽太郎先生の「わが国の文化や伝統や学ぶとは、古典と歴史に学ぶことである」とのお言葉が紹介された。そして「この合宿では、古典や歴史、国が直面してゐる問題を思ひ、心を働かせた。これは、今までにない体験ではなかったでせうか」と語り掛け、「和歌も『こころに思ふことをよむ』ことであった。人間とは、『思ふ』ものであることを、歌の創作で意識的に自覚させられたのではないだらうか」と振り返った。

 若き日の井上毅(こはし)が、先輩の横井小楠に学問とは何かと問ふと、「思ふ」ことだとの答へだった。「それは学んだことを、自らに思ひみること。思って得る智慧である。学問とは知ることではなく、臨機応変に現実の問題に対応できるこころの工夫・活用である」。そして「古い〝大和魂〟(大和心)といふ言葉にも、知識の収集ではなく生活の智慧、生きた常識に重きが置かれてゐた。わが国を取りまく課題は多いが、私たちは、積極的に智慧を働かせてこれに応へて生きていかなければならない」と語った。

全体感想自由発表

 感想文執筆を前に、胸中に湧き来る思ひが次々に発表された。

 「国家の危機にあってはリーダーに歴史観・国家観が不可欠だといふことを学んだ」「歴史的視点から行動する中国の国家戦略を知った」「歴史と伝統を考へることは憲法を考へることにつながると思った」「日本人として誇りを持って生きていきたい」「〝和して同ぜず〟といふことの大切さが本当に分った」「〝和〟はスローガンではなく太子の御体験から生れた言葉だといふことを学んだ」「明治維新の際の〝天下億兆一人(いち にん)も其処(そのところ)を得ざる時は、皆朕が罪なれば…〟といふ明治天皇のお言葉に心が動いた」「皇室の下にある幸せを実感した」「古典に触れてこんなに美しい言葉があったのかと驚いた」「『古事記』の百年前に国家の歴史があったことを知った」「班別の短歌相互批評で、素直な気持ちで語り合ふことは凄いことだと思った。〝和〟といふものを実感した」「初めて歌をつくったが、相互批評で作者の思ひを深く知って良かった」…。

閉会式

 式に先立ち「日本国憲法」がGHQ(連合国軍総司令部)スタッフによって一週間で起草された「日本抑止」のためのものだったといふ史実を物語るビデオを鑑賞した。閉会式では主催者を代表して山内健生常務理事は「ここでの講義や短歌創作を通して、〝大事なことは目には見えない。心で感じなくては分らない〟といふことを学んだと思ふ。そこから新たに沢山のことが見えて来たと思ふ。ここでの学びを出発点にお互ひ励んでいきませう」と語った。続いて小柳志乃夫合宿運営委員長は合宿を振り返りながら「全体感想自由発表の中で、班別研修において『素直な気持ちで語り合った時に、和を感じた』とのとの発言があった。この合宿で大切なものを掴んでもらへたと有難かった。皆さんのご協力に感謝したい」と述べた。最後に早稲田大学政治経済学部2年若島元暉君の閉会宣言を以て「合宿教室(東日本)」の全日程は終了した。

(文責・編集部)

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   日本の国柄についての理解がより深まった
       福岡教育大学 科目等履修生 T・M

 今回の合宿で日本の国がらについてより深めることができた。今林理事長の講義を受けて「明治維新の宸翰」と孝明天皇の将軍家茂へのご宸翰には初めてふれたように思う。孝明天皇は、国民のこと、国家の危機を一身に受け止められている。そのご姿勢を心から貫くことは容易ではない。普通の民なら自分のエゴがどうしても見え隠れしてしまうものだ。

 明治天皇は「朕自身骨を労し心志を苦しめ……」と言われ、孝明天皇は、家茂とともに困難を乗り越えようとされるお言葉を残されている。自分が身を砕かれる決意、共に歩もうとされる覚悟をお示しになられていた。リーダーとしてのあるべき姿を陛下御自身が示されていると感じた。この皇室の存在のもと、今日日本人として生きていることは有難い。

   目を開かされる思ひがした
       東京大学大学院 理学系研究科2年 Y・T

 石平先生の御講義では現在の中国の覇権戦略について中国の歴史がどういふものであったかといふ面から分りやすく説明していただいた。特に中国が歴史を通して周邊の民族を征服しないと安定しない国家だったといふ指摘には目を開かされる思ひがした。その上で、日本の課題として軍事の面と経済の面をあげてをられたが、経済の面は強く意識することがなかったので、教へていただき大変勉強になった。

   日本人の精神を学び「いろかへぬ」努力を続けたい
       佐賀大学 経3年 R・K

 今回の合宿では、講義の中で紹介された昭和天皇の御製を心に刻みたいと思いました。

   ふりつもるみ雪にたへていろかへぬ松ぞををしき人もかくあれ

 占領政策によって、日本人の精神や先人とのつながりが絶たれた戦後の時代に生まれた私は、御製の「ををしき松」のように、これからも「日本人の精神」や「誇りある歴史・文化」を学び続け「いろかへぬ」努力をしていきたいとおもいます。四日間ありがとうございました。

   思ったことは周りの人に広めつたえねばならない
       横浜国立大学 工1年 M・W

 私がいろいろな分野の物事や人を知り自分の視野やコミュニティーを広げたいと思っていたところ、祖父に強くすすめられ興味を持てたので参加しました。

 この合宿に参加して最も感じたのは、事実や知識を得て、それについて自分が思うことがあれば周りの人に広め、伝えていかなければならないということです。この合宿に参加した各々がただ単に講義を受け「素晴らしい講義だった。私はこのようなところに感動した」や、講義の題材となった人物や出来事に「こんなことを考えるのはすごい。そういったことがあったのか、何とかしなければ」と自分の中で感じたり班別研修で発表したりするのではなく、この合宿に参加していない人にどのようにして伝えるかが重要であると思いました。孔子も聖徳太子も我々が学んでいる人は私には皆同じに見える。なぜならそういった人たちもそれより昔の人から学び心動かされたことを自分の言葉や周りにわかりやすい言葉で伝えているだけであるからです。自らが聖徳太子になり周りも聖徳太子にしていかなければならないのです。この合宿に参加してよかったです。

   歴史、伝統、文化を学ぶ意図を学んだ
       鹿児島大学 歯1年 Y・Y

 私が今回の合宿で学んだことや心に残ったことの一つ目は、自分の国の歴史、伝統、文化を学ぶ意図だ。私は今まで、歴史を学んではいたが明確な意図があるわけでなく何故歴史を学ばねばならないのかが疑問であった。しかし、伊藤哲朗先生のご講義を聞いて歴史を学ぶことによって育まれる価値観や歴史観があらゆる価値判断の基準になることを知り感銘を受けた。特に緊急時における優先順位の決め方や危機管理の目的を達成するためには国民の総意でなければいけなく、その時のための価値観だといふ話は将来医療系に行き人の命を預かる身として気が引き締まる心地がした。

 二つ目は他国の歴史や価値観を学ぶことの重要性だ。私達はどうしても自分自身の国の価値観で他国を捉えがちである。私もそうであったため中国の行動が不可解であった。しかし石平先生の御講義を聞き、中国の行動の意味が理解できた。

   班別研修で新しい視点が身についた
       早稲田大学 政経2年 G・W

 知り合いがほとんどいない中での初参加で始めこそ不安で正直四日は長いなあと思っていました。しかし、いざ始まってみると、私と同じ班の方々の多くも同じような境遇だったようで、開会式での、お互いに心を開き気持ちをさらけだそうというお話もあり、すぐに打ち解け、最初のような不安は少なくなりました。班別研修では各々感じた事、考えたことをぶっつけあいました。同じ話を聴いていても全く自分と異なる考え(感想)が多いのを知りおもしろくそういった方々と意見を交わしあっていったことで、だんだんと自分に新しい視点が身についていっていることを実感できました。生まれて初めてての和歌づくりでは全体批評や班別相互批評を通して自分の和歌の原型がほとんどなくなりましたが、出来上がってみるととても気持ちの良いものでした。終わりに近づくにつれて名残惜しくなり、終わってみればあっというまの合宿でしたが、参加して心から良かったと思います。

   短歌相互批評で自分の本心に気づいた
       福岡大学 科目等履修生 T・K

 今回の合宿で和歌の素晴らしさをあらためて知ることが出来ました。合宿ではふれた和歌をゆっくり味はふことが出来ます。日頃、和歌を詠まうと思ひ、作らうとしてもなかな詠めませんが、素晴らしい和歌を味はった合宿では詠むことができました。そしてその和歌を友等と相互批評し合ふことは、相手の心を深く知り、また自分の心と異なるところを確認することで、自分の本心に気付く体験をしました。自分の心と友の心に気付く体験ができるのはここだけであらうと思ひます。

   自信を持って臨んだ今年の短歌創作だったが
       早稲田大学 教1年 Y・S

 高校2年の阿蘇合宿以来、4年の月日が流れ、自分自身の人生で受験やさまざまな失敗、経験などを経て、今年の短歌創作には自信を持って臨みました。そして一昨日、短歌が完成したときの手応へたるや何とも言へないものがありまして、これは高く評価されるだらうと勝手に思ってをりました。しかしながら澤部壽孫先生に表現上の注意を受けて、自分の実力はまだまだだと実感しました。来年も参加することに決めてゐるので、そのときまでに今回見つかった課題を克服します。

   「決断を先延ばしにしない」を実践したい
       長崎大学 教4年 H・F

 伊藤哲朗先生の「付和雷同しないこと」「行動のための決断を先延ばししないこと」といふお言葉が私の生き方をあるべき方向に導いて下さったと考へました。私は今まで、自分の思ひといふものを大切にせず、他の人の意見に流されてしまふことが多くありました。自分の言動に責任が持てず、決断をいつまでも出来ず、結果的に自分の意志で行動することが出来てゐませんでした。伊藤先生が具体例を挙げながらお話をして下さったので、自分の至らない部分がしっかりと見え、これからは小さなことでも大きなことでも決断をし、行動に移していく訓練を実生活の中で実践します。

   短歌を詠んで祖先とのつながりを感じた
       立命館大学 法3年 T・O

 今回の合宿は、私にとって、「短歌に触れて来た合宿」と言っても良いと思ふ。近頃は若者でも日本を大切に思ふ方もおおくなってゐるさうだが、日本の文化やその精神にまで気持ちのある人は余り見かけない。結果、私自身も大してそのやうな機会もない中、この国民文化研究会の合宿は和歌の精神を体感する重要な機会でもあると思って参加した。今回の合宿でも万葉集や神話、御製、幕末志士の歌など、どの講義でも歌が紹介され、17条憲法や天皇陛下のお言葉なども取り上げられる中、その「一貫性」を強く感じた。「千数百年も前の人の想ひが歌を通して理解できるのはすごいことだと思はないか」と講師が問はれてゐたが、私はそれと同時に、「先人が詠み、想ひを伝へてきたものと同じ方法で自らの想ひを表現できる」ことに感動する。私のやうな拙い歌でも、何か先人と一つに連なってゐる、一つの同じ土台の上で言葉を交はしてゐるやうな気持がしてくる。「ただの言葉」ではない。「生きた想ひ」に変って感じられたやうな気がした。

   本当に友ができた嬉しい合宿
       京都産業大学 経営2年 R・F

 はじめのオリエンテーションでおっしゃられてゐたことですが、「和」といふものがこの合宿のテーマでした。初日の合宿導入講義は非常にわかりやすく具体例を用ゐて説明して下さいました。そしてその後の、班別研修では初めて出会った友らと話し合ひ、今私達に求められてゐるものが、国家観と歴史観であり、リーダーシップでありました。次の日には、石平先生が「中国の覇権戦略」についてお話しされました。現在の日本の危機や私達が今為すべきことについて認識をあらためました。その後、富士山に登り、友と心を通はせながら、短歌を作成しました。次の日の短歌全体批評、そして班別短歌相互批評では、澤部壽孫先生も交へての批評会となりました。この時、確かに班員達と心を通はすことが出来たと思ひました。合宿最後の班別研修では語りあふ時間が足りないまでとなり、本当に友ができた嬉しい合宿でした。

   日本人の感性の素晴らしさに気づいた
       國學院大学 栃木短大1年 R・S

 この合宿は、父が夏休みの間、私の知らぬ間にハガキを出していて、この合宿が、どんなもので、何をするのかも分からずに参加しました。古典が苦手な私は、最初のうち、皆さんについてゆくことができず、話を聞いているだけでした。古典のどこがそんなに面白いのだろうと思っていました。ですが、みなさんの話を聞いてゆくうちに、今までは読んで訳をするだけだったのが、昔の人の思いをより深く奥の奥まで知ることができ、日本人の感性はすごいと思うようになりました。日本の昔の人の思いや日本のすばらしさに、改めて気づかされる3泊4日間でした。日本人で良かったなと思うと同時に、もっと皆さんと古典を読んでみたいです。この合宿に申し込んでくれた父と、古典が面白いと思わせてくださった女子班の皆さんに感謝します。

   私と古典をつなぐ何かが生まれた
       長崎大学 教2年 M・S

 今回様々な古典の文章に触れて「ああ、古典は、日本はこんなに美しいのだなと本当に思いました。今まで古典を学ぶ際、作者の意図を読み取ろうとするあまり上辺の意味ばかりに目がいってしまい、本当に「偲ぶ」、「心を寄せる」という経験ができませんでした。どれも小説を読んでいる自分とはへだたったもののようだと感じていたのです。しかし、今回の合宿で、先人の思いに感動し、講師の方々のお話を聞き、そして班別の中で先人の思い(短歌相互批評では詠み手の方の思い)に心を寄せることを通じて、まだ細く頼りないかもしれないけれど、私と古典(先人の方々の思い)をつなぐ何かが確かに生まれたように感じました。自分たちなりに御製の謹解や17条の憲法を読みといたとき、短歌相互批評でぴたりと自分の思いにあてはまった歌ができてそれを見直したときには、ほっと息をつくことしかできなくなりました。

   「心動かされた」言葉
       長崎大学 教2年 M・T

 私が今回の合宿を通して、特に「心動かされた」言葉は「歌はこころのありのままをよむもの。こころのうごくところにしたがってよむ、とにかく『思ふ』ことがなにもかもの元である」という國武忠彦先生のお話の中で出てきた言葉です。今日からは、ここで得た「心動かされた体験」を自分の言葉で素直にサークルの同士に伝えていきたい。伝えずにはおられないと思いました。

   貴重な体験をした
       元私立中学高校副校長 T・N

 前々からこの合宿に参加してみたいと思っていました。今回知り合いもいないのに思い切って参加して良かったです。初めての短歌の創作に自信がまったくありませんでした。先輩方のユーモアあふれるなごやかな雰囲気をつくってもらったお陰でへたくそながら思いをアウトプットできたのではないかと感謝しております。

   日本のことをもっと学びたい
       (株)まるぶん T・N

 この度の合宿では様々な貴重な体験をさせて頂きました。講義、講話、富士登山、慰霊祭と全てが初体験でとても心に響きました。すべてが初体験ということもありまして班別研修等ではただ皆さんの話をきいていることだけしかできませんでした。又、日本の歴史や文化、短歌の創作等、学力不足も相まって、あたかも自分が「外国から来た」そんなきもちにさえなってしまいました。しかし私も日本人です。この合宿での体験を通して、今まで日本という国について何も知らなかった事がとても恥ずかしくなりました。これからは日本人として日本の事をもっと学び歴史や文化を大切にしてゆきたいと感じました。

   感銘を受けた「学び」「思ふ」「工夫」
       旭化成ホームズ(株) S・I

 石平先生の講演テーマに引きつけられて参加したいと思いました。

 ①石平先生の講義で参加する前から懐いていました「中国はなぜ日本国を侵略しようとしているのか」という疑問が明快に解決できました。②自分の思いを五七五七七の字数にまとめるおもしろさ、楽しさを知りました。③國武忠彦先生のお話で一番感銘を受けたのは「学び」「思ふ」「工夫」でした。「学ぶ」だけでは不十分である。しかしそれすらも自分には足りませんでした。「思ふ」は思索を自分の中で思いめぐらすこと。「工夫」は世のため人のために行動することと理解しました。

合宿詠草抄

   富士五合目バス登山   立命館大学 法3年 T・O
 白雲の上を歩める心地して今日のやまぶみ楽しかりけり

     京都産業大学 経営2年 R・F
 富士山の頂見据ゑいつの日か友らとのぼると我は決意す

     日本語教師 N・S
 鎮もれる宝永火口の底(そこひ)より雲湧き出でて我に迫り来

     福岡教育大学 科目等履修生 T・M
 やまびこの返るを願ひ「ヤッホー」と叫ぶも叶はずさみしかりけり

   創作短歌の相互批評   佐賀大学 経3年 R・K
 自らの心と向き合ひ思ふことを言葉に表す喜び感ず

     早稲田大学 政経2年 G・W
 我が歌にこもる思ひを友達と語ればさらに思ひ深まる

     全日本学生文化会議 N・K
 友どちの心の内を聞きたれば自づと笑みのこぼれくるかな

     長崎大学 教2年 M・T
 感じたることをそのまま我が歌に詠まむとの思ひ強く湧き来る

     (宗)太成殿本宮 T・T
 師と友らの助けを得つつ直したる我が歌よめば心晴るるも

   古典にふれて   長崎大学 教2年 M・S
 先人の思ひを継ぐは今生きる我らであると強く思ひぬ

     國學院大学 栃木短大1年 R・S
 書(ふみ)を読み友らと語れば祖先(みおや)らの心に我もつながる思ひす

     全日本学生文化会議 K・S
 今生きる我の心に生き生きとよみがへりくる十七条憲法

   合宿の日々   福岡大学 科目等履修生 T・K
 見わたせば真白に広がる雲海に龍の形の雲立ちのぼる

     全日本学文化会議 A・K
 君臣の信あればこそ国難を乗り越え来たれる歴史を学ぶ

     (株)まるぶん Y・N
 合宿に学びしことを糧にしてわが人生を生きてゆきなむ

「朝の集ひ」で唱和した歌

 毎朝、岸本弘会員(元富山県立富山工業高校教諭)によって名歌の紹介と解説がなされ、その後一同で唱和した。

○9月3日(土)朝

   弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと)

さねさし相模(さがむ)の小野( ぬ)にもゆる火の火中(ほなか)にたちて問ひしきみはも

○9月4日(日)朝

山部宿禰赤人(やまべのすくねあかひと)が不尽(ふじの)山(やま)を望(み)てよめる歌一首(ひとつ)また短歌(みじかうた)
天地(あめつち)の分かれし時ゆ神(かむ)さびて
高く貴き駿河(するが)なる不尽(ふじ)の高嶺(たかね)を天(あま)の原
振(ふ)り放(さ)け見れば渡る日の
影も隠(かく)ろひ照る月の

光も見えず白雲もい行きはばかり時じくぞ
雪は降りける語り継ぎ言ひつぎゆかむ不尽の高嶺は

反歌(かへしうた)
田児の浦ゆ打ち出て見れば真白くそ不尽の高嶺に雪は降りける

 

編集後記

 福岡での「合宿教室(西日本)」に続き、静岡・御殿場で開催の「合宿教室(東日本)」が終った。終了は新たな研鑚の出発でもあるが、西日本合宿に名古屋で学ぶ学生が、富士山の麓での合宿には九州の学生が、参加してゐる。「日本」を学んだ東日本合宿の一端も本号からお汲み取り下さい。

 「尖閣」を狙ふ共産中国の行動は露骨を極めてゐる。朝日新聞は、「主として政府関係者の発言を間接的に引用する場合を除いては、『中国公船等』の尖閣水域への立ち入りを報じない」(9/7付産経「正論」、佐瀨昌盛防大名誉教授)。戦後体制克服の第一歩の憲法改正には疑義を呈する。慰安婦「捏造」報道に関しては社長交代で国内ではお茶を濁したが、世界に広がる「捏造」報道はそのままだ。その朝日が連日6百万部刷られてゐる現実をどう見るか。
(山内)

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