国民同胞巻頭言

第657号

執筆者 題名
澤部 壽孫 「共産党と選挙協力をする」民進党の無責任
- 日本を「悪魔」の手に委ねてはならない! -
  「伊勢志摩サミット」の開催に先立ち、神宮を表敬したG7首脳らの記帳
山内 健生 被爆都市・広島に染み込んでゐる「戦後思想」(上)
- なぜ「平和」の語が頻用されるのか -
柴田 悌輔 今こそ「独立の気概」を!
- 福澤諭吉が説いた「精神の自立」 -
著作紹介
伊藤哲夫著  税別800円
「磐」の上に立てられた国
- 「歴史・伝統」に基づく国家、そして憲法 -

日本政策研究センター 刊

 海洋進出を目論む中国の国際法をも無視した強引な行動は近年エスカレートするばかりであるが、近々の7月10日(日)に投票日を迎へる参院選は、日本の将来を決める極めて重要な選挙である。

 オバマ米国大統領の「米国は世界の警察官にならない」との二度に渉る発言に見られるやうに米国の退潮は年々明らかになってゐる。それを尻目に中国は、南シナ海のみならず、わが尖閣諸島周辺海域に連日入り込み、先月16日には情報収集艦と見られる軍艦が鹿児島県・口(くちの)永良部島(えらぶじま)の領海を侵犯した。我が国を取り巻く安全保障環境は激変してゐて、これまで日米安全保障条約に依存し、万一の時には米軍が守ってくれるであらうと安心し切ってきたが、本気になって安全保障のあり方を考へなければならない時期を迎へてゐる(さらに米国大統領予備選の経緯を見ても、米国世論の内向き志向は一層はっきりしてゐる。これも懸念事項だ)。

 かうした厳しい国際情勢の推移に鑑みて、昨年秋、やうやく集団的自衛権の限定的容認等を内容とする平和安全法制が国会を通った。遅きに失した感はあるが「抑止力の強化」であって半歩の前進であった。ところが民主党(当時)、共産党、社民党、生活の党はこぞって「戦争法」案のレッテルを貼ってこれに猛反対したことは記憶に新しい。主要なメディアも反対論に与した。無責任の極みといふべきであったが、さらに今度の参院選では安倍内閣に打撃を与へるべく民進党は、その延長上にこともあらうに「戦争法」廃止で共産党と組み、社民党、生活の党を加へた「野党連合」を以て一人区32の全てで選挙協力をしてゐる。野党第一党の民進党が、主義主張の全く異なる国柄否定の革命政党・共産党と選挙で共闘するといふのは、常軌を逸した判断であって、譬へて言へば、ファウストが人生のあらゆる哀歓を体験させるとの交換条件で「悪魔」メフィストに自分の魂を売り渡したやうなものであった。

 今回の参院選で野党連合が失敗すれば、民進党はいよいよ旧社会党の道を辿り衰退するだらうが、万が一にも野党連合が成功することになれば、憲法改正の望みは絶たれ、日本再建の方途は根底から脅かされることになる。それは中国の意のままに迎合的なかつての民主党政権再来への道となるからである。民主党政権の三年余りで国政外交の停滞を目にしたばかりだが、今度は共産党が一枚絡むから一層程度が悪くなるだらう。集団的自衛権の否定は日米安保体制の動揺をもたらし中国の思ふ壷だらう。そもそも共産党は日米安保条約を認めてゐないし、そればかりか、終局的には天皇制の廃止を意図するイデオロギー政党である。ところがその辺がぼかされて、アベノミクスの失敗を叫ぶ声高な民進党の声はマスメディアから聞えてくるが、民進・共産両党の「野合」を指摘する声が少ないのが気がかりである。

 民進党は盛んにアベノミクスを批判する。しかし、民主党政権(平成22年~24年)と安倍現政権(平成25年~27年)を比較すると実績に雲泥の相違のあることが歴然となる。例へば①国民総所得は民主党政権の3兆円の伸びに対して現政権では36兆円、②就業者数は10万人減から105万人増、③税収は15兆円増の57兆6千億円、④国債発行額は10兆円減の34兆1千億円に改善等々となる。

 民主党から民進党に改名しても無責任体質は何ら変らない。共産党と組んだことでさらに明確になった。参院選の最中、英国での国民投票でEU離脱派が多数を占めた。世界同時株安と通貨不安の広がりが懸念される状況となったが、この非常事態に民進党政権で対処することが不可能であることは立証済みである。

 差し迫った参院選の結果は、憲法改正が出来るか否かを占ふ試金石となる。間違っても野党連合が現有議席の50議席から54議席に増えて非改選議席を含め81議席となるやうな事態は避けなければならない。改憲発議を阻止するために必要な議席を確保することになるからである。今回の参院選の結果が日本の将来を左右するといふ所以はここにある。日本の文化・伝統を根絶しようとして強制された憲法を一日も早く改正する地歩を固める選挙としなければならない。

(元日商岩井(株))

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 わが国では6回目となる「伊勢志摩サミット」(5月26日から27日)の開催に先立ち、26日午前、神宮内宮(皇大神宮)を表敬したG7各国首脳らは、その際の印象を次のやうに記帳してゐる(神宮司庁のホームページから。仮名遣ひママ)。

アメリカ バラク・オバマ大統領
It is a great honor to visit this sacred place, which has brought comfort and peace to generations.
May the people of the world be inspired to live together in harmony and understanding.
(仮訳)幾世にもわたり、癒しと安寧をもたらしてきた神聖なこの地を訪れることができ、非常に光栄に思います。世界中の人々が平和に、理解しあって共生できるようお祈りいたします。

フランス フランソワ・オランド大統領
Dans ce haut lieu de spiritualié, où le Japon prend sa source, s'expriment les valeurs d'harmonie, de respect et de paix.
(仮訳)日本の源であり、調和、尊重、そして平和という価値観をもたらす、精神の崇高なる場所にて。

ドイツ アンゲラ・メルケル首相
Im tiefen Respekt vor der engen Verbindung des japanischen Volkes mit seiner reichen Natur, die in diesem Schrein ihren Ausdruck findet.
Mögen Deutschland und Japan Hand in Hand dazu beitragen, die natürlichen Lebensgrundlagen unseres Planeten zu sichern.
(仮訳)ここ伊勢神宮に象徴される日本国民の豊かな自然との密接な結びつきに深い敬意を表します。
ドイツと日本が手を取り合い、地球上の自然の生存基盤の保全に貢献していくことを願います。

イギリス デービッド・キャメロン首相
It is a great pleasure to visit this place of peace, tranquility and natural beauty as we gather in Ise Shima for Japan's G7, and to pay my respects as Prime Minister of the United Kingdom at the Ise Jingu.
(仮訳)日本でのG7のために伊勢志摩に集うに際し、平和と静謐、美しい自然のこの地を訪れ、英国首相として伊勢神宮で敬意を払うことを大変嬉しく思います。

イタリア マッテオ・レンツィ首相
Grazie per la straordinaria accoglienza in questo luogo carico di storia e di suggestione. Che sia di buon auspicio per il Giappone che ci ospita e per tutti noi per costruire con piu' vigore le condizioni della crescita economica e della giustizia sociale, mantenendo viva la dignita' dell'uomo.
(仮訳)このような歴史に満ち示唆に富む場所ですばらしい歓待をいただきましてありがとうございます。主催国である日本と我々全員が、人間の尊厳を保ちながら、経済成長及び社会正義のための諸条件をより力強く構築できることを祈念します。

カナダ ジャスティン・トルドー首相
Que l'harmonie de Ise Jingu renforce notre engagement à bâtir un avenir empreint de paix et de prosperité.
Let the harmony of Ise Jingu reflect our desire to build a prosperous and peaceful future.
(仮訳)伊勢神宮の調和に、繁栄と平和の未来を創るという我々の願いが映し出されますように。

EU ドナルド・トゥスク欧州理事会議長
A place of peace and reflection. And a deep insight into Japan. Thank you!
(仮訳)静謐と思索の場。そして日本についての深い洞察。どうもありがとう!

EU ジャン=クロード・ユンカー欧州委員会委員長
Je m'incline devant les traditions qui furent et les performances qui sont.
(仮訳)この地で目の当たりにした伝統と儀礼に敬意を表す。

伊勢志摩サミットに伴うG7神宮表敬について
各首脳には、神宮の凛(りん)とした空気に触れ、日本の精神文化を直(じか)に感じていただいたことは、たいへん意義深いと存じます。

 また、御神前では首脳各位が御垣内(みかきうち)に進まれ、我が国の伝統にそった形で表敬いただいたことに対して深甚なる敬意を表します。

 これを機会に「自然」「平和」「祈り」が調和している日本の文化が、国際平和と発展に一層貢献できることを願います。

平成28年5月26日
神宮大宮司 鷹司 尚武

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 「オバマ米大統領は27日夕、広島市の平和記念公園を訪れ、原爆死没者慰霊碑に献花した」

       ○

 右は伊勢志摩サミット(5月26日~27日)閉会後、広島市に歩を進めたオバマ米国大統領に関する翌朝の産経新聞の書き出しである。各紙も似たやうに筆を起してゐたはずで、これだけのたった40余字の中に、実は占領統治から来る巧妙なる「仕掛け」が隠されてゐる?と言ったら驚かれるかも知れない。

 大統領の訪問に先立って、4月11日には、G7外相会合で広島市を訪れたゐた各国外相が「原爆資料館」を訪れ、「原爆死没者慰霊碑」に献花した。そして米国のケリー国務長官の提案で急遽、「原爆ドーム」も見学したと翌日の産経新聞にはあった。調べるまでもなく、このニュースを伝へる他紙の紙面も似たり寄ったりだったであらう。当然のやうに原爆の二文字が繰り返されてゐるが、これで良いのだらうか?。原子爆弾による惨禍ではなく、原子爆弾の投下による惨禍ではなかったのか。

 もとより米国大統領や各国外相の広島来訪が無意味だといふつもりはない。被爆の惨状を想ひ描いてもらふための切っ掛として大きな意味がある。しかし、広島でのオバマ演説やG7外相会合「広島宣言」を以て「核なき世界」への道筋が開かれたとは、とても思はれない。「核なき世界」を希求することは尊いとしても、それによって「核抑止力の確保」といふ国際社会の現実から来る要請を忘れてはならない。ロシア・中国、そして北朝鮮の「核」を間近にする日本が枕を高くしてゐられるのは、有効性を問ふ声が一部にあるにしても、ともかくも米国の核の傘の下(もと)にあるからである。この現実を踏まへた上で、日々、より確かな安全保障のあり方を考へるべきであらう。

 かうした点については稿を改めたいが、この度の「オバマ大統領による献花」に触発されて旧稿(拓大日本文化研究所『日本文化』第10号所載)が甦ったので、改稿しつつ本稿では、右に「?」と疑問を呈した事柄を中心に、広島に染み込んでゐる「戦後思想」について考へてみたい。

   慰霊碑は慰霊碑ではなかった!?

 来日外国人が近年急増し今年は2千5百万人を超えるのではないかと言はれてゐる。広島市の「原爆資料館」を訪ねる外国人の数も年々増えて、「平成27年度は前年度から約10万4千500人増の33万8千891人で過去最多となった」と報じられた(4月21日、産経)。当然のやうにメディアに頻出する「原爆資料館」であるが、その正しい呼称は「広島平和記念資料館」である。昭和30年8月の開館当初からの正式な名称である。と言ふことは、ここでは「原爆」=「平和記念」といふこになるが、広島では「平和記念」の語句が頻用されてゐる。

 8月6日の慰霊式典は、正しくは「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」と言ひ、略して「平和記念式典」と呼ぶ。市の文書にも「平和記念式典」と添へ書きがなされてゐて、新聞やテレビは専ら「平和記念式典」と報じてゐる。以前、「広島平和記念資料館」(原爆資料館)で買ひ求めた『図録 ヒロシマを世界に』(以下『図録』と略記)では「平和記念式典」がメーンの書き方になってゐる。新聞のテレビ番組欄では単に「広島平和記念式典」となってゐる(ちなみに長崎市の場合は「原爆資料館」であり「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」である。テレビの番組欄も「長崎平和祈念式典」となってゐる)。

 8月6日の式典では市長と遺族代表の手によって毎年、新たな「原爆死没者」の名簿が「原爆慰霊碑」に奉納される。そして冒頭に掲げた新聞記事のやうに「オバマ米大統領は…原爆死没者慰霊碑に献花した」といふやうな報道がなされる。参列者の視線の先に立つ「原爆死没者慰霊碑」(原爆慰霊碑)であるが、これがまた正式の呼び名ではない。例の、原爆を投下した者の存在を曖昧にしてゐるとかねてから批判されて来た「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」(広島大学・雑賀忠義教授の撰文と揮毫)との文字が刻まれてゐる碑は、昭和27年8月6日に除幕されたものだが、その正しい名称は「広島平和都市記念碑」である。『図録』に載ってゐる埴輪を模した碑の写真には「原爆死没者慰霊碑(公式名・広島平和都市記念碑)」との文字がゴチックで太く添へられてゐる。

 原爆資料館ならざる平和記念資料館にも少々、考へさせられるが、それ以上に「平和都市記念碑」とは、どうしたことだらうか。慰霊ための碑と思ふからこそ、そこに毎年、新たな名簿が納められても、遺族も参列者も違和感を覚えないのではないのか。広島を訪れた人達が花を供へ線香を手向け合掌してゐるのも慰霊碑だと思へばこそであらう。その祈りの対象とされてゐる碑が「平和都市記念碑」といふのでは、何か悪い冗談を聞かされてゐる感じがして仕様がない。なぜ慰霊碑でなく「公式名・広島平和都市記念碑」となってゐるのか。

   「祈念」と「記念」は全く違ふ

 念のため、「祈念」と「記念」の語義について、手元の『広辞苑』『大辞林』『新潮国語辞典』その他で見比べてみた。祈念とは「(神仏に)祈り目的の達成を念じること」「祈願すること」「いのり」といふことだし、記念は「過去のことを後日の思ひ出の種に残しておくこと」「過ぎ去った物事を思ひ起すこと」「かたみ」となる。

 従って「平和祈念」ならば、平和であらんことを、「争ひの無き世」の実現を人事を超えて神仏に祈るといふことになるだらう。その意味で「原爆死没者慰霊式典並びに平和祈念式」といふのは、死没者のみ霊よ安らかなれとお祈りし平和を切に祈願するといふことだから、人の心の自然な動きに即してゐるといっていい。ここでの焦点は被爆の事実に絞られてゐるし、それを踏まへつつ平和でありたいと今日もこれからも祈り続けるといふ意味合ひになるからである。

 しかし、「平和記念」とは過去の「平和」を忘れずに思ひ起すこととなるから、「平和記念式典」となると、「8月6日の被爆」の事実が「平和」と直列的に置かれることになる。被爆を想起する際の心理的プロセスとしては、まづ「平和」(「空襲の恐怖と危険性」の消滅)を思ひ浮かべ、そのフィルターを通して被爆に辿り着くことになる。しかも、ここでの平和は無条件で良い事とされてゐるから、平和記念式典の語意から類推して行くと、原爆の投下は「戦争の終結」(平和の到来)を早めるためのものだったとする米国側の口振りに似て来ざるを得ない。その「平和の到来」を忘れることのないやうに思ひ起すための式典が平和記念式典となってしまふ。

 現在、広島には平成14年8月に開館した「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」がある。長崎にも翌年7月オープンの「国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館」がある。ことさらに「平和」の二文字を附した感するが、平和の語を多用することで、いつとはなしに、その好ましき「平和」のフェルターと通して、「戦ひ」の時代を見るやうになり、フェルターの向うを現在と異質の時代と突き放し、そこに生きざるを得なかった先人の労苦に思ひが及ばなくなってゐるのではなからうか。「平和記念式典」の文字をにらんでゐるとついそのやうなことを考へてしまふ。

   平和記念式典執行の「論理」

 原爆投下当時、翌8月7日に声明を発したトルーマン米国大統領は、その中で次のやうに述べてゐた。

   われわれは今や、日本国内のどんな都市の機能でも、さらにあますところなく迅速かつ完全に抹殺する準備を整えつつある。われわれは日本中のドックといわず、工場といわず、交通網といわず吹きとばすだろうし、疑いもなく日本の戦争遂行の能力を根こそぎ粉砕するだろう。(中央公論社『日本の歴史』25)

 「平和」は「日本の戦争遂行能力の粉砕」によって到来したのであった。その前段階で数多の死没者が出たわけだが、その結果、招来された「平和」を全面肯定し、そこに今日の起点を見い出すのが平和記念式典を裏で支へる論理である。従って、そこでは間違っても「日本の戦争遂行能力」の一翼を担って傷つき斃れた同胞へ思ひが及ぶことはないし、恒例の式典で発表される市長の平和宣言なるものが、被爆死者追悼の言葉はあるものの、慰霊よりも大向うの請けを狙った政治的パフォーマンスに力点が置かれてしまふのも理の必然だらう。言葉は不適切かも知れないが被爆者を踏み台にして、いかに自分が「平和」を熱烈に希求してゐるかを強調するところに平和宣言の目的があるやうに思はれてならないのだ。従って、とんでもない文言が平和宣言に盛り込まれてしまふ。

 やや古いことになるが平成3年の8月6日に発せられた宣言には「日本はかつての植民地支配や戦争で、アジア・太平洋地域の人々に、大きな苦しみと悲しみを与えた。私たちは、そのことを申し訳なく思う」などとあった。どこで何を言はうとも全く市長の自由であるが、それなればこそ時と処を考へて発言する責任を負はなければならない。少なくとも八月六日の式典において「慰霊碑」の前で発する宣言の内容としては場所柄を弁へない非常識の一言に尽きるものであった。この非常識がその後も数年続いた。もともと「平和記念式典」は、慰霊ではなく「平和」に焦点が当られてはゐるのだから仕方がないにしても、度が過ぎた一節で、朝日新聞などが当時、繰り返し鼓吹してゐた論説に影響された所行といふ他はなかった。

 米国同時多発テロ事件の翌年の平成14年には、テロへの米国の軍事対応を批判してゐた。しかし、いくら「平和」願望から反米色を滲ませたとしても、平和記念式典の平和宣言である限りは「日本の戦争遂行能力を粉砕する」ことで実現した「平和」に疑問を呈することはない。即ち、ポツダム宣言に基づく「日本国軍隊の完全なる武装解除」といふ被占領時の非常措置を制度化して日本の自立を妨げてゐる「日本国憲法」(米国を主体とする占領軍GHQが起草)に疑義を申し立てる気遣ひはさらさらなかった。米国製憲法を拠りどころに、米国政府を批判するとは駄々っ子のやうであった。

 昨年の平和宣言にも「各国の為政者には…日本国憲法の平和主義が示す真の平和への道筋を世界に広めることが求められます」云々とあった。

   「平和」が頻用頻出する理由

 略しては「平和記念式典」とは言ひながらも、8月6日の式典の正式名称が「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」であることはせめてもの救ひである。しかしながら平和祈念式と平和記念式典の二枚看板はやはり異常といふ他はない。譬へていへば、それぞれが逆方向に蹴け出さうとしてゐる二頭立の馬車のやうなものである。同じ馬車に乗ってはゐても、乗客(参列遺族)と馭者(ぎよしや)(市長)の懐ひは天と地ほどにも乖離してゐる。

 前述したやうに、毎夏、死没者名簿が奉納される碑が、恐らく慰霊碑としてのみ認識されてゐるその碑が、公式には「広島平和都市記念碑」と呼ばれるものだといふのだから、恐るべき喰ひ違ひではなからうか。これではまるで被爆死没者は「平和都市」到来の礎になったといはんばかりであるが、「祈念」と「記念」をめぐる擦れ違ひが生み出した笑ふに笑へない悲喜劇である。

 平和記念資料館、平和都市記念碑、平和記念式典と見てきて、それらを含む地域一帯をさらに「平和記念公園」と呼ぶ。なぜ、かくも「平和記念」の四文字が頻出するのだらうか。さらに「平和大通り」「平和大橋」「西平和大橋」、さらには「ひろしま国際平和マラソン」もある。この「平和」頻出の疑問は前出の『図録』を繙くことで、氷解した。実は戦後の広島市は「平和記念都市」の大看板を掲げて復興が本格化してゐたのだった。『図録』を参照しつつ、さらに若干、調べてみたことを加へて記すと大概、次のやうなことであった。

 昭和24年5月10日、衆議院本会議は満場一致で、広島市を「平和記念都市」とする記念都市建設法案を可決してゐる(長崎市は「国際文化都市」として建設するとした)。参議院でもすぐに可決されたのだが、この法律は一地方公共団体にのみ適用される特別法のため憲法第九十五条の規定によって、公布の前に住民投票による同意が必要であった。

 そこでわが国初の住民投票が同年7月7日に実施されてゐる。『図録』には「広島平和記念都市建設法―一人もれなく投票だ‼―平和の象徴 郷土の建設」と投票を呼びかける市選管のポスターの写真や無蓋トラックの荷台の上から投票参加を叫ぶ人達の写真が収められてゐる。

 投票の結果、71,852票の賛成(投票率6割5分、賛成率9割1分弱)を得て、8月6日に予定通り公布されてゐる(ちなみに長崎市でも7月7日に投票が行はれ、79,220票の賛成〈投票率七割三分強、賛成率九割八分〉であった)。

 人的に物的に壊滅的な被害を蒙った広島市を一日も早く復興させるために特別法の制定が企図されたのは時宜にかなった措置だっただらう。制定までにはGHQ(連合国総司令部)や国会に対する関係者からの「積極的な働きかけ」があった旨を『図録』は記してゐる。被占領下でのことであれば、他の何によりGHQの諒解が重要なことだったに違ひない。主権喪失の被占領期はGHQのゴーサインが無ければ国会とて動けなかったのだから。

 ともかくも、この法律によって特別な財政援助が実施され、軍用地等の国有財産の無償払下げが可能になった。「同法に支えられて、平和記念公園や百メートル道路、橋梁、公営住宅などの都市基盤が整備された」(『図録』)のである。被爆都市・広島は〈恒久の平和を誠実に実現しようとする理想の象徴〉として建設するといふ平和記念都市建設法によって、「平和記念都市」といふ大きな網を被せられたのである。「平和祈念式」と「平和記念式典」とが表裏する混迷の根は、ここらあたりにあると見て間違ひあるまい。

 広島市の復興再建といふ眼前の課題には平和記念都市建設法は大きな力にはなっただらうが、しかし〝平和都市記念碑の立つ平和記念公園内にある平和記念資料館の中で被爆資料が展示されてゐる〟といふ倒錯した現実を生み出してゐる。広島をめぐっては「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」との碑文が批判されるが、問題はそれだけではなくもっと深刻で根は深いのだ。少なくとも「平和祈念公園」とならなければならないし、「被爆死没者名簿」「被爆資料館」「被爆ドーム」とならなければ筋が通らない。被爆となって初めて、原子爆弾投下の主体と客体がはっきりするのだ。

(拓殖大学日本文化研究所客員教授)

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   厳しい現実を先づ認識せよ

 国際情勢が嶮しくなってきてゐる。年明け早々にはイランとサウディアラビアが国交を断絶した。昨年7月の「イラン核合意」が引き金になった事は間違ひない。もともと両国はイスラム教と言っても、「シーア派」イランと「スンニ派」サウディは歴史的に根深い宗教対立を抱へてゐて、さらには政治的にも反目してゐた。さうしたところに、国際的な監視のもとで平和目的に限ってイランの核開発を容認するとした「核合意」がなされた。イランに譲歩しすぎだと受け止めたサウディが核武装するのも時間の問題だらう。

 シリアとIS(「イスラム国」)を中心とする戦乱の拡大は、シリアからの大量の難民を発生させた。その難民の処遇を巡って、EU各国の世論は分裂し始めてゐる。それに先立つギリシャの経済危機、ロシアのクリミア併合、加へるにスコットランドの連合王国(英国)からの離脱の動き等々が、EUの解体までをも予感させる。

 中国が南シナ海の多くの島嶼を軍事基地化する事で、東南アジア諸国は不安を募せてゐる。アメリカ大統領選の予備選挙では、共和党の大統領候補として、トランプ氏がほぼ指名を確実にした。この事はアメリカ世論の変質を明らかに示してゐる。オバマ大統領の弱腰と相俟つて、これからアメリカの覇權力は急速に衰へていくだらう。パワーバランスに敏感なロシア、中国は、その隙を衝いて自国の権益の拡張に躍起になってゐる。

 かうした国際情勢の中で、日本はどのやうにして「国の独立」を守り抜くべきなのだらうか。アメリカ世論の変質は、日本の安全保障にとって、当面する深刻な課題である。戦後日本の「平和」とは、所詮アメリカの「庇護」のもとでしか、享受できないものであった。今、多くの日本人はその厳しい現実を先づ認識すべきではないのか。

 先日書店に立ち寄つた時に、混乱した世界情勢に関して、実に多くの解説書が本棚に並んでゐた。しかし、他人事のやうに、書物を捲(めく)って購入する人々の心理を、深く忖度するには、私は悲観論者であり過ぎるやうだ。多くの人々の明るい楽観的な表情を目にして、私は些か情ない気分に陥ってゐた。

   我が国は本当に「独立国」といへるのか

 書店の本棚に群がる日本人の心に、「国の独立」への不安が起きて当然と思ふのだが、現実は少しばかり違ふやうである。「独立と安全」とは、「諸国民の公正と信義」を信じてさへゐれば、自づから与へられるものと、多くの日本人は本気で信じてゐるのだらうか。本紙の3月号1頁に、自らの生存と安全を他国に委ねるとする「憲法前文」や、非武装を謳ふ「第九条」を最大級に讃へる現行の教科書が紹介されてゐた。いま猶、空論を弄する教育がなされてゐるのかと、厳しく嶮しい国際環境を思ふと薄ら寒くなった。

 そこで私は「独立」の意味を考へてみたくなり、改めて福澤諭吉の著書『学問のすすめ』を繙いてみた。

 『学問のすすめ』初編(明治5年刊)にある次の一節は、「独立」の語義を、かつて私に簡潔に教へてくれた。

 

〝自由独立の事は、人の一身に在るのみならず一国の上にもあることなり。(中略)道のためにはイギリス、アメリカの軍艦をも恐れず、国の恥辱とありては日本国中の人民一人も残らず命を棄てて国の威光を落さざるこそ、一国の自由独立と申すべきなり。〟
そして第3編(明治6年)では、更に次のやうに述べる。

〝「独立の気力なき者は、国を思ふこと深切ならず」。独立とは、自分にて自分の身を支配し、他に依りすがる心なきを言ふ。〟

 これほど見事な「独立」の定義は他にないだらう。そして現在の日本は、この「独立」の定義から、見事なほど完璧に逸脱してゐる。アメリカ世論が、むき出しの「利己主義」に成りつつある今、アメリカの軍事力に「依りすぎ」てゐた日本の「独立」は、これからは誰が支へるのだらうか。尖閣諸島の帰属について、中国から理不尽な横槍が入り始めた頃に、次のやうな疑問が提示された。

  「中國が尖閣諸島を占領した場合、アメリカは日米安全保障條約に基いて、日本を軍事的に援助してくれるだらうか」

 こんな感覚が、「独立国家」日本国民の意識と言へるのだらうか。福澤諭吉が生きてゐたら、「ふざけるな」と即座に叱りとばした事だらう。「天は自ら助くる者を助く」なのである。

 中国が尖閣諸島を攻めたら、日本は自前の軍事力で、中国を追ひ払ふ。これが独立国として当然の態度である。軍事的緊張が続いた後に、初めて同盟国アメリカが條約に基いて、日本に有利に事を運ぶ段取りをする。それが安全保障条約の「国際社会」に於けるルールの筈である。

 日本人は余りにも永い間、自国の安全をアメリカの軍事力に依存し過ぎてきた。私たちはその事に自戒の念を持つと共に、「独立とは、他に依りすがる心なきを言ふ」といふ「気概」だけは、持ちたいものである。

   依りすがる心なき「精神の自立」を

 「気概」だけで独立が守れるのかとの疑問は当然出されるだらう。確かに福澤諭吉の「独立」の定義を、現実のものにしようとする時には、その反作用は当然予測される。冒頭に述べたやうな国際情勢の混乱する中で、日本が一国でかうした意味での「独立心」を以て自立を図らうとする事を許すほど国際社會は甘くはない。

 ひとつの例を思ひ出した。7、8年も以前の事になるが、グルジア(今では英語読みで「ジョージア」)のサーカシビリ大統領は、状況判斷を間違へて、自国の領土であるコーカサス地方と南オセチアをロシアに掠め取られた。原因は多く考へられる。だが私には「独立の気概」だけが先走った事と、NATOとの集団安全保障と、アメリカの軍事的援助への、サーカシビリ大統領の過度の期待が、大きな原因ではなかったかと考へてゐる。この事変の際、全ての状況を「見切って」、軍事介入に踏み切ったロシアのプーチン大統領の決断に、私は畏れと共に畏敬の念さへ抱いた。

 中国の指導部が、このプーチンの果敢な決断に学習しない筈がない。中国にとって、東シナ海、南シナ海の完全なる掌握は、まさに「核心的利益」の筈である。だからこそフィリピン、ヴェトナムの反発には顧慮などしない。尖閣諸島に関しても、日本が軍事行動に踏み切らないと判断すれば、次の狙ひは沖縄になる。中国は先づ沖縄が自治政府になる事に、全精力を傾注するに違ひない。現在の沖縄の「官民」の情勢なら、両手を挙げて中国になびくかも知れない。そして行きつく先は沖縄の独立である。これで東も南もシナ海は、まさに中国の内海になる。このシナリオは日本が第二のグルジアになる事を意味する。

 今年11月のアメリカ大統領選挙の結果がどうならうと、アメリカ世論が他国同士の紛争に軍事介入する事など、容認する筈もない。今こそ私たち日本人は、「アメリカに依りすがらない」、「精神の自立」を本気になって考へ意識する事が求められてゐる。

   「精神の自立」とは

 福澤諭吉に倣ふなら、「独立の気概」とは「精神の自立」から生れる。福澤は明治の初期に、未だ「国民」の言葉の意味さへ知らぬ庶民たちに向って、この『学問のすすめ』といふ著書を著した。国民を啓蒙し、精神の自立を促し、強い知力と意志力を持つに至らせる。それが福澤の意図であったと思はれるが、日本人は今こそ、福澤の意図に応へるべきではないだらうか。

 プーチンの軍事的英断を学習するのは、中国の指導部と限った事ではあるまい。外交とは所詮、利害得失の権衡を図る事である。中国の覇權を牽制するには、「民主主義的価値観」などは何の役にも立たないだらう。「力には力」、「利に報いるには利」の戦略こそが必要である。さうした戦略を考へる事こそが、「エリート」と呼ばれる国家指導者層の人たちの責務ではないのか。私はさう考へるのである。

((株)柴田 代表取締役)

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 本書で繰り返し説かれてゐることは、「国民の統合」や「国家の秩序」は一朝一夕で実現するものではなく、明治の成文憲法の制定に当って先人達が「国民の統合」を念頭に如何に真剣かつ真摯に取り組んだかといふことである。現今の日本国憲法下の憲法論議が国家を語ることを避けて「国民の権利」を多く語りたがる恣意性についても鋭く指摘されてゐる。

 本書の標題は、聖書マタイ伝が伝へる「磐(いは)の上に家を建てたる慧(さと)き人」はそれ故に激しい風雨に耐へ得たが、「沙(すな)に上に家を建てたる愚なる人」はそれ故に風雨に耐へ得ず「顚(たふれ)倒(たふれ)はなはだし」といふイエスの言葉から来てゐる。憲法についても同様に歴史伝統と深く関連して考へるべきことが強く示唆されてゐる。

 明治の先人達が、具体的には大木喬任、岩倉具視、元田永孚、井上毅らが西洋各国の法典を幅広く研究しつつ、自国の歴史と伝統、即ち「我(わが)建国の体」に則した憲法とするべく、「磐」の上に家を建てるがごとく慎重に事に当った経緯が、関連の資料とともに懇切に説かれてゐる。

 さらに明治新政府の招きに応じず民間にあった福澤諭吉の『帝室論』は名高いが、天賦人権論を紹介した中江兆民も「我建国の体」を認識してゐた一人だったのだ。兆民の言葉の一部を抄出してみる。

 「天子様は尊きが上にも尊くして、外に較べ物の有る訳のものではない。畢竟、天子様は政府方でも無く、国会や我々人民方でも無く、一国衆民の頭上に在々(あり あり)て、別に御位を占させ給ふて、神様も同様なり」

 かうした「天壌無窮の神勅」に連なるが如き歴史的で広汎なる国民的確信、即ち「磐」の上に、帝国憲法第一条「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」があるのではないかとの記述に、大いに教へられた。

 冒頭の「はじめに」に於いて、「国家の基本法といわれながら」、国家がほとんど語られない国家抜きの憲法論議の不徹底さが次のやうに批判されてゐる。

  「憲法が機能する前提には国家があり、その国家はまず領土と主権の保全確保が前提になるのは当然のこととして、国民が一つに統合されていること、安定した秩序が実現していることが不可欠の前提となる。この前提が整わなければ、その憲法がいかに条文として先進的な規定、あるいは見事な体系性をもつものであろうとも、恐らくまともに機能することはあり得ないのだ」

 拝読しながら、占領軍が起草した「日本国憲法」の下にある現在であっても、堅固なる歴史的な「磐」があればこそ秩序が保たれてゐるのだと何度も思った。この事実を見落してはならないと思った。「磐」の上で余りにも安穏としてゐるが故に、その歴史的恩恵の有り難さが今日の日本人には実感しがたくなってゐるのではないかとも感じられた。

 本書は著者が代表をお務めの日本政策研究センターの月刊情報誌『明日への選択』所載の評論七編を収載したものだが、各章各頁から「国民の統合」といふ根本的視点からも憲法は論議される必要があるとする著者の熱誠が伝はって来る好著で、多くの方にお薦めしたい。
(山内健生)

 

お知らせ

今秋の国文研皇居勤労奉仕の日程は10月24日(月)~27日(木)で、奉仕人員は35名の許可をいただきました。

 現在、参加者枠に4名の余裕があります。ご希望の方は国文研事務局へ8月15日(月)までにご連絡下さい。満員になり次第締切らせていただきます。

 

第61回全国学生青年合宿教室
 「日本」を学ばう! 日本の国柄と日本人の心を。

 (西日本)2泊3日  日時・8月19日(金)~21日(日)
 〝歴史に学ぶ現在をよりよく生きるために〟
本会会員による講義、班別討論、野外研修(香椎宮参拝)など
 於・福岡市 さわやかトレーニングセンター 福岡
   参加費  学生 12,000円
       社会人 25,000円

 (東日本)3泊4日   日時・9月2日(金)~5日(月)
 〝富士の麓で日本を学ぼう〟
 招聘講師  評論家 石 平先生   「中国の覇権戦略と日本の課題」
本会会員による講義、短歌創作、富士五合目(バス)登山など
 於・ 静岡県御殿場市  国立中央青少年交流の家
   参加費  学生 12,000円
       社会人 30,000円

 

編集後記

 内閣による憲法解釈の変更は「立憲主義」に反すると共産党も、共産党と組んだ民進党も主張する。憲法を守れと主張する。立憲主義が根拠とする憲法は占領軍が起草したものだった。当時、その事実を報道することは検閲で削られた。主権喪失の被占領期は「言論の自由」も「国防の自由」もなかった。このことを18歳有権者は知ってゐるのだらうか。否、大人達が忘れてはゐないだらうか。
(山内)

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