国民同胞巻頭言

第647号

執筆者 題名
山内 健生 政治的愚行を正した「安倍談話」
- 改めて「いまだ道遠し」の現実を思ふ -
合宿運営委員長
伊藤 俊介
信ずるところを力強く伝へて行かう!
- 第60回全国学生青年合宿教室(富士)開催さる -
合宿教室のあらまし
走り書きの感想文から(抄)(かな遣ひママ)
合宿詠草抄

 8月14日、「戦後70年」に関する安倍晋三首相の談話が発表された。翌朝の朝日新聞は、案の定といふべきか、載ってゐた識者の九割方は批判してゐた。極めつきは「何のために出したのか」と題する社説で、「この談話は出す必要がなかった。いや、出すべきではなかった。改めて強くそう思う」と書かれてゐた。

 その理由は「日本政府の歴史認識として定着してきた戦後50年の村山談話の最大の特徴は、かつての日本の行為を侵略だと認め、その反省とアジアの諸国民へのおわびを、率直に語ったことだ。/一方、安倍談話で…」は、「村山談話の内容から明らかに後退している」からであった。

 私に言はわせれば、後退どころではない。安倍談話には、「あの戦争に何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と明確に記されてゐた。この箇所について社説は「確かに、国民の中にはいつまでわび続ければよいのかという感情がある。他方、中国や韓国が謝罪を求め続けることにもわけがある」としてゐた。「謝罪を求め続けることにもわけがある」とは、よくぞ言ったものだ。

 朝日の紙面には今回の「安倍談話」とともに「村山談話」の全文も載ってゐた。なぜ朝日は、かくも村山談話を評価するのか。それは村山談話の「生みの親」は実質、朝日と言ってもいいからだらう。ここで私が朝日に拘(こだは)る理由は何か。それは夏休み明けの少なからぬ全国の教室で、この社説は教材に化けただらうと思ふからである。若者の新聞離れが指摘されて久しくとも、中学生、高校生は教材プリントを通して新聞に触れてゐる。それも朝日の紙面に触れてゐる。高校教師時代に多く目にしたのは、プリント化された朝日の紙面だったからだ(教員の「朝日信仰」は根強く、多分その「慰安婦の嘘報」の真相も届いてはゐないだらう)。

 村山談話とは如何なる代物だったのか、その発出の経緯について大略振り返るのも無駄ではあるまい。

 「戦後50年」(平成7年)を前にした平成5年あたりから、マス・メディアの多くが「戦後50年には国会で戦争謝罪決議をなすべし」と言ひ出した。朝日はその急先鋒だった。かねて社会党も似た考へだった(それに対して謝罪決議反対の運動が展開され、署名は500万名を超えた)。結局、「謝罪」の文言が入らない「歴史を教訓に」云々の〝不満足〟な国会決議が平成7年6月、衆院でのみ採択された。出席議員が半数の中での多数決といふ異例づくめであった(衆院議長は社会党出身の土井たか子氏)。

 この時期、自民党の分裂もあって、政権は七会派与党の連立だった。間もなくして、政権復帰を狙ふ自民党が社会党の村山富市委員長を首班にかつぐといふ裏技で自社連立の内閣が誕生した。その結果、同年8月15日に出されたのが村山談話であった。「謝罪なき国会決議」を〝不十分〟とする社会党イデオロギーが、「戦後50年」の首相談話となって陽の目をみたのである。そこには繰り返されたメディアの謝罪決議キャンペーンの後押しがあった(かうした主張は「他者を非難攻撃する以上に自らを責めがちな日本人の国民性」に受容されやすい面があった)。

 国家関係は国交開始の条件を約束して調印した条約を根拠に展開される。拠り所はそれ以上でもそれ以下でもない。前記のやうに朝日は「中国や韓国が謝罪を求め続けることにもわけがある」などと臆面もなく書いてゐたが、日華平和条約・日中平和友好条約、日韓基本条約を見よと言ひたい。世を惑はすにも程がある。

 村山談話は発する必要の全くなかった政治的愚行の最たるものだった。それを使嗾した朝日は、この期に及んで猶も「日本政府の歴史認識として定着してきた戦後50年の村山談話」などと真に恐ろしき評言を連ねてゐる。

 安倍談話によって、村山談話にノーが突きつけられた。しかし、これを以て能事終れりとなるはずもなく、混迷、国威失墜、自虐の20年から抜け出す糸口に過ぎない。計器に譬へればマイナスに大きく振れてゐた針がやうやくゼロに戻っただけである。総理の靖国神社参拝さへままならぬ現実に、「いまだ道遠し」を思ふばかりである。

(拓殖大学日本文化研究所客員教授)

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 第60回全国学生青年合宿教室が、8月29日から9月1日まで、富士山のふもと、静岡県御殿場市の「国立中央青少年交流の家」にて115名の参加者を得て開催された。

 初日の合宿導入講義「よりよく生きるために―『教育勅語を思ひ出さう』―」では、山口秀範先生によって、我が国の「国訓」とも言ふべき教育勅語が示され、「教育勅語ならびに三種の神器と五箇条の御誓文」を昭和天皇の少年期の教育の根幹とした杉浦重剛の帝王教育が紹介された。初めて教育勅語を読んだ方も多かったはずで、新鮮な驚きだったのではないか。

 2日目には、招聘講師である長谷川三千子先生による「三種の神器の謎を解こう!」の御講義があった。古事記と日本書紀に描かれた我が国の神話の世界を、三種の神器の一つである「鏡」の存在を鍵に説かれ、歴史や小説あるいは昔話や教典とは異なる「神話」といふものの重要性をご教示頂いた。また先生が、神話から連綿と続く皇統を戴く我が国のすごさについて知って欲しいと訴へかけられたのが印象的であった。

 2日目の午後の青山直幸先生による短歌創作導入講義では、東日本大震災被災者の心の叫びとも言へる歌や、被災地を思はれる皇后陛下の御歌が紹介された「短歌とは〝人生表現のよるべ〟である」とのお言葉は、聞く者の胸に深く刻まれたことだらう。御講義に続く短歌創作を兼た「秩父宮記念公園」散策(野外研修)は、雨模様の中、晴れ間に恵れたことは幸ひだった。

 2日目の夜の國武忠彦先生による古典講義「古典は楽しい―小林秀雄『本居宣長』」では、山櫻と古典を愛した本居宣長が語られ、「心法」を練りつつ古典への信を新たに学問を行った江戸期の学者の姿を通して、科学的の名の下に心の動きを見ようとしない現代思想の歪みを小林秀雄は指摘してゐたとのご教示があった。現代の学問が何を見失ってゐるのかを気づかせるお話であった。

 3日目の、小柳志乃夫先生による「御製に仰ぐ天皇のお心と日本の国柄」の講義では、櫻町天皇から今上陛下までの御製を通して、一貫して国安かれ、民安かれとお祈りになって来られた歴代の天皇の御心を仰がれた。また、「君民互ひにその楽しみを楽しむ」〝偕楽〟といふ言葉こそが、我が国の皇室と国民の在り方を的確に表してゐるとご指摘になった。「国柄」といふものが身近に感じられたのではなからうか。

 3日目の午後には、前日の野外研修の折に詠まれた短歌について折田豊生先生による創作短歌全体批評があり、続く班別相互批評では二時間半近い時間を掛けて、自分の感動を正確に表現するとはどのやうなことなのかを体験することとなった。

 3日目の夜には、小田村初男先生による講話「『花燃ゆ』と小田村伊之助」をお聞きし、さらに寶邉矢太郎先生による慰霊祭説明に耳を傾け、心を整へて参加者一同は慰霊祭に臨んだのであった。

 以上、合宿のおほよそをご紹介したが、登壇された先生方の伝へる力とその根底にある信じる思ひの強さと深さに、今回あらためて強く心を動かされた。私自身、社会に出てから様々なセミナーや講演会などに参加したが、国文研の合宿での先生方の御講義の熱気に勝るものは皆無であり、こんなにも熱意のこもった御講義が受けられる場はこの合宿でしか有り得ないと断言出来る。そして、その熱意は「己が信じる大切なことを、我が国の将来を担ふ若者にどうしても伝へたい」といふ深い思ひからであることは言ふまでもない。この信じる力と伝へたいといふ思ひの強さ、まさに「Man to Man」の力の強さを信じ、我々は日々学び、生きて行かねばならないと、今回の合宿で再確認させられた。

 最後に、今回の合宿に当っては諸準備をはじめ万事至らぬ点があったところ、全国の諸先生・先輩ならびに会員各位のお力添へをいただき開催することが出来た。心から御礼申し上げる次第である。

(FTIコンサルティング日本支社代表)

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   開会式(第1日目)

 福岡大学聴講生の小林拓海君の開会宣言で合宿教室は幕を開けた。主催者を代表して今林賢郁理事長は「戦争には何ら関りのない、私たちの子や孫、その先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を背負はせてならない云々の安倍首相の戦後70年談話を20歳代、30歳代の若者の多くが評価する一方で、〝8月15日〟が何の日かを知らない若者も多いといふ世論調査をどう見たらいいのか。自分らの世代、ひいては自分だけ良ければいいと考へてゐることの現れだとしたら寒心に堪へない。この合宿では、日常から一歩踏み出して、国のことに思ひを馳せ心を働かせて、何かを摑んで欲しい」と挨拶した。次いで伊藤俊介合宿運営委員長は「日本人としての自分自身を知らないが故に、他の文化に対し自信を持てないでゐるのではないか。国の伝統と日本人の生きてきた姿を学び、自分を見つめ直す切っ掛けとして欲しい」と呼びかけた。

     合宿導入講義
   「よりよく生きるために -『教育勅語』を思ひ出さう-」

   (株)寺子屋モデル代表取締役社長  山口 秀範先生

 「古今の名家に『家訓』があるやうに、我が国にはかつて『国訓』と呼べるものがあった。それは『教育勅語』で、明治23年から昭和23年まで、日本人がよりよく生きるための指針となってゐた」と講義を始められ、教育勅語を学ぶ格好の手引きとして、大正3年、当時満13歳の皇太子裕仁親王(のちの昭和天皇)と五人のご学友に、杉浦重剛が「倫理」を授業した記録『倫理御進講草案』を紹介された。そして「父母に孝に」「朋友相信じ」「徳器を成就し」などの勅語の文章についての杉浦重剛の魅力あふれた授業を再現するべく解説を加へられた。

 「倫理を御進講するに当って杉浦重剛は、①三種の神器と天壌無窮の神勅への理解②五箇条の御誓文を将来の標準とする③教育勅語を深く学ぶといふ三大方針を立てて皇太子のご人格形成に多大の影響を及ぼした」と語り、昭和21年年頭の「新日本建設に関する詔書」に触れられた。詔書の冒頭には「明治天皇明治ノ初国是トシテ五箇条ノ御誓文ヲ下シ給ヘリ」とあり、その後に御誓文の五箇条全文が引用されてゐる。「この趣旨は、昭和天皇が占領下の国民に『自信を失ふな。わが国は輝かしい歴史を持ってゐるのだよ』と諭されたものだと思ふ。しかもこの勅語には聖徳太子の十七条憲法のご精神が反映してゐる」と1400年もの前から続く国柄にも言及された。

 最後に「よりよく生きようするには、縦につながる日本の精神の中に求めることが大切だ」と結ばれた。

   講義(第2日目)

   「三種の神器の謎を解かう!」
     埼玉大学名誉教授  長谷川 三千子先生

 先生はまづ「神話」に関して次のやうに説明された。「歴史は史料に即して確かめることが出来なければならないが、神話はそれが出来ない」。小説との違ひについては「小説はある一人の作者が創作するもので神話には作者はゐない。ゐるとすれば民族全体である」。さらに「昔話や伝説は神話と似てはゐるが、昔話には色々なエピソードは語られてゐても、神話のやうにこの世の秩序がどのやうにして形成されたかは語られてゐない」。聖典や教典との差違については「旧約聖書を神話といふ人もゐるが、教義の書であるからその内容を疑ふ信者はゐない。神話は我々を縛るものではなく、その内容を自由に楽しむことが出来る」。

 続いて『古事記』と『日本書紀』の伝へる神話の特色と共通点について、「両書とも大筋では同じ物語になってゐて漢字が使はれてゐるが、『古事記』は日本語の音を漢字を使って表し、『日本書紀』は中国語としての漢字(漢文)で書かれてゐる」。そして、この両書の内容をどう読んでいったらいいいのかについて、高森明勅氏(神道学者)の「どのような部分にも、全体を貫くテーマは響き渡ってゐる」旨の言葉を引用され、日本の神話のテーマは何かについて具体的に『古事記』の文章に触れながら説明された。

 「西洋の神は宇宙が創造される以前から存在し永遠に存在してゆくが、日本の神々は次々に生成して〝並(みな)独(ひとり)神(がみ)と成り坐して身を隠したまひき〟と『古事記』は伝へてゐる。その冒頭に〝天地初めて発けし時〟とあるやうに、天と地といった空間的な区別があって、それがいかにして統合されてゆくかが大事なテーマである。天照大神は自らの御孫に〝三種の神器〟を授けて地上に送り出されたが、それらの神器がいかなる意味を担ってゐるのか」と述べられて、勾玉と鏡が登場する天の石屋戸の物語のくだりを説明された。剣については、高天原を追はれた須佐之男命が大蛇を退治しその中から取り出して、天照大神に献上されたものであるが、「このことは天と地の統合、和解が成立したことを意味してゐる」と話された。

 特に鏡については「天照大神は〝これの鏡は、専ら我が御魂として、吾が前を拝(いつ)くが如拝(ごと)き奉(まつ)れ〟と言はれたが、わが身を見る度に、いつも天照大神のお顔を思ひ浮かべ、清明で正しいことを正しいとされた厳かな大神の御心を仰ぎつつ、日々を過すべしとの意味合ひがある」と説かれた。わが国の神話は皇室の最も大切な「原核」を映し出し、表現してゐると話されて講義を終へられた。

   短歌創作導入講義
     三菱地所(株)専門調査役 青山 直幸先生

 まづ「日本人は、古代から短歌を歌ひ交すことによって、心を磨き、情意を育んで来た。短歌は心を豊にする〝人生表現のよるべ〟である」と述べられた。続いて、東日本大震災で被災した人々の短歌を紹介され、「未曾有の被災体験と亡くなった大切な方々への鎮魂の思ひや叫びが赤裸々に表現されてゐる」と語られた。そして、復興に立ち上がった人々の思ひに心を寄せて詠まれた皇后陛下の御歌「今ひとたび立ちあがりゆく村むらよ失せたるものの面影の上に」を拝誦された。

 次に、短歌創作の基本姿勢として、「詠まうとする対象に焦点を絞って、正確に心に感ずるままに詠むことが肝要」と説き、一首一文、字余り・字足らず、連作等について例示しながら、わかり易く説明された。

 さらに「写実」の好例として、橘曙覧が銀山で働く鉱夫達の姿をリアルに詠んだ連作や、明治43年、潜水訓練中に殉職した潜水艦の佐久間艇長以下14名を詠んだ与謝野晶子の鎮魂歌を紹介して、「感じたことを正確に詠まう」と説かれた。

   野外研修(短歌創作)

 短歌創作を兼た野外研修は、御殿場の地にご縁のあった大正天皇第二皇子の秩父宮雍仁(やすひと)親王殿下(昭和28年薨去)のご別邸跡地である「秩父宮記念公園」で行はれた。この公園は、昭和16年9月から約10年間、秩父宮両殿下がお過しになったご別邸を、勢津子妃殿下が平成7年8月に薨去された際のご遺言により御殿場市にご遺贈され、その後整備して平成15年に開園した。

 小雨が時折降る中、地元のガイドの案内で園内を巡り、その後、思ひ思ひに散策しながら、短歌の創作に打ち込んだ。園内には、茅葺のご別邸が残されてゐて、宮様が大東亜戦争終結(昭和20年8月15日)の玉音放送をお聴きになったといふお部屋なども公開されてゐた。近くには防空壕もあって、緊迫した当時の様子を察することとなり、宮様のお気持ちをお偲びすることにもなった。

     古典講義
   「古典は楽しい小林秀雄『本居宣長』」

     昭和音楽大学名誉教授 國武 忠彦先生

 「小林秀雄は、多様で複雑な人間を、科学的な客観的な分析的方法で捉へようとする現代思想から抜け出すことは容易ではないと言った。感動と観察を切り離す不自然な事はしないとも言った」と講義を始められた。「古典は、ある時代にあったがままで長生きするのではない、私たちが読んで回復しようと努力しなければ甦(よみがへ)らない」と語られた。

 次に、宣長の物まなびの力は「楽しむ」にあった。大好きな桜に真向ふやうに対象と完全に融合することにあった。「楽しむ」力は、『論語』の一般的な解釈まで文句をつけてゐると説かれた。また、「江戸時代の中江藤樹、契沖、荻生徂徠、賀茂真淵たちは学問界の豪傑だと小林秀雄は言ったが、彼らが取り組んだことは、〝古典への信を新たにする〟ことで、宣長は『源氏物語』に〝物のあはれ〟を発見し、『古事記』を甦らせた」と言はれ、「古典の完璧な価値を信じ、新たな感動を付与した」と力説された。「伊藤仁斎は、『論語』『孟子』を沈潜反復して読み、孔孟の咳払(せきばら)ひを聞き、心の底を見た。宣長は契沖によって〝目ガサメタ〟。古言は、当時の人々の古意と離すことが出来ない。古歌や古書に当時のあったがままの姿を直(ぢか)にみなければならない」と語られた。

 最後に「和歌も物語も〝アハレノ一言ニ帰ス〟といふ。〝あはれ〟とは、〝ああ〟といふ感動の言葉である。感ずるとは〝動(うごく)也〟、すなはち感動である。〝ああ〟とゆれ動く人の心の発見である。小林秀雄は〝知る事と感じる事が同じであるやうな全的認識〟を説いた」と述べられた。

     講義(第3日目)
   「御製に仰ぐ天皇のお心と日本の国柄」

      興銀リース(株)執行役員 小柳 志乃夫先生

 初めに、「歴史の連続性への認識」が危うくなってゐるとの福田恆存先生のお言葉を紹介され、125代に及ぶ「歴代天皇の歴史」の図表を掲げて、連綿たる御系譜に意を向けるべきと語られた。次いで江戸時代の櫻町天皇から今上天皇に至る歴代御製を取り上げて、時代毎に国家的試練の内容は区々(まちまち)なものの、「国安かれ、民安かれ」と一心に神々に祈られるお心が一貫してゐることを指摘された。それは、光格天皇の後櫻町上皇あてのお手紙の「身の欲なく天下万民をのみ慈悲仁恵(じんけい)に存(ぞん)候(さふらふ)事、人君なるものの第一のおしへ」といふお言葉の通りであり、中でも列強が開国を迫って国論が分裂した幕末の孝明天皇の悲痛な祈りと、身を顧みず国民を守らんとされた昭和天皇の終戦時のお心とを御製にたどられた。

 また、わが国の皇室と国民の関係に相応しい言葉として「民と偕に楽しむ」といふ孟子の言葉を吉田松陰の『講孟余話』から引いて紹介され、明治天皇の「國民(くにたみ)の業(わざ)にいそしむ世の中を見るにまされる楽(たのしみ)はなし」、昭和天皇の終戦直後の皇居勤労奉仕者を詠まれた「をちこちの民のまゐ来てうれしくぞ宮居(みや ゐ)のうちに今日もまたあふ」などの御製をエピソードを交へて紹介され、「この天皇と国民との共感の世界こそ日本の国柄である」と語られた。

 最後に、神事と共に皇室が大事にされた和歌の世界、所謂「しきしまの道」について、明治天皇の御製を手掛かりにしてたどられ、それが「まごころをうたひあげたる言葉」や「言葉の上にあふれる人の心のまこと」をかけがへのないものとみる道であり、それはまた、「おもふことうちつけにいふ」「すなほなるをさな心」に通ずるものであることを説かれた。そして、歴代天皇のお歌に拝される世界は、神に向って祈られるまごころと照応するものであることを示され、講義を結ばれた。

   学生発表
     日本大学法学部3年 名和 長高君

 昨年から参加してゐる國武忠彦先生のご指導の小林秀雄著『本居宣長』の読書会において感じ学んだことについて語った。「歴史とは、ただ出来事を調べるものではなく、出来事を経験した人間の精神や思想を残された言葉によって、自らの心に思ひ出すことだといふことを学んだ」と語った。

   会員発表
     (株)ロゼッタ 髙木 雅史氏

 初めて参加した合宿の短歌相互批評の際、「年上の大先輩が一年生の私に対して、真剣に付き合ってくださった姿勢が強く印象に残った」と述べ、「真剣に付き合ふとは、短歌の作り手の気持ちにより添はうとすることだと思ふが、この体験が寮生活でも役立った」と学生時代の寮生活を振り返った。「社会人となって10年が経った現在も、この付き合ひが続いてゐて苦しい時の支へになってゐる」と語り、「合宿で心底からつき合へる友を見つけ下さい」と語った。

   短歌全体批評
     国民文化研究会参与  折田 豊生先生

 冒頭、「昨夜、『歌稿』(全参加者の短歌が各人一首以上印刷されて綴じ込まれた冊子)を交響曲を聴く思ひで読んだ。夫々の素材について多くの人が様々な思ひを詠んでをり、多くの目で見ることの事実確認の多様さと確かさに改めて気づかされた。この『歌稿』は、他の人の歌と自分の歌を比べて、独りでも相互批評ができる最良のテキストである」と述べられた。

 参加者全員に配布された「歌稿」の中から幾つかを取り上げながら、思ひを正確に伝へるためにはどのやうな表現が適切か等々、添削例を示し、「再度自ら推敲し自分自身を見詰め直してほしい」と語られた。最後に「相互批評の要点は作者の思ひをよく聴くことであり、この後の班別相互批評では互ひに知恵を出し合って、作者の気持ちに添ふ表現に近付けていくとき、互ひの心が自づと一つに溶け合ふ瞬間が訪れると思ふ。そのやうな素晴らしい交流の時間となることを願ってゐる」と結ばれた。

   講話
   「『花燃ゆ』と小田村伊之助」

     元皇宮警察本部長  小田村 初男先生

 NHKで放映中の大河ドラマ『花燃ゆ』に登場する小田村伊之助について、至誠の人といはれる生き方を紹介された。「伊之助は、安政の大獄で江戸へ送られることになった吉田松陰から『孟子』の〝至誠にして動かざる者未だ之れあらざるなり〟を験してくるとの言葉を託され、以後の松下村塾を任された。そして明治維新後、群馬県令となり、教育と産業振興に尽力し、名県令と讃へられてゐる。特に欧化思想に侵され真の教育がなされてゐないことに憂慮し、道徳の教科書『修身説約』全10巻を編纂発行した。これは全国のベストセラーになった」と語られた。

   慰霊祭

 斎行に先立ち元山口県立高校教諭寶邉矢太郎先生から、慰霊祭斎行の趣旨と祭儀の手順が説明された。慰霊祭の趣旨について、「この祭儀は慰霊祭といふ一つの儀式を通して私達の心をととのへ、平時戦時を問はず国のために尊いいのちを捧げられた全ての祖先のみ霊をお迎へし、その方々が後の世の人に遺されたお気持ちをお偲びし、私達もまた受け継いでゆきたいとの思ひをこめた祭儀である」と説かれた。

 慰霊祭は祓(はらへ)詞(ことば)に代へて山口秀範常務理事による三井甲之の「ますらをの悲しきいのちつみかさねつみかさねまもる大和島根を」の朗詠に始まり、小柳雄平会員による御製拝誦、池松伸典会員による祭文奏上とつづき、次いで参加者一同で「海ゆかば」を奉唱した。

   合宿をかへりみて(第4日目)

 今林賢郁理事長は、初日の導入講義から、長谷川三千子先生の御講義、短歌創作、古典講義、御製を仰ぐ講義までの全日程を振り返った。「そこに共通するものは、この日本といふ国は一体どういふ国なのか?といふ問ひかけではなかったか。各人においては反発もあったかも知れない。そこを学びの出発点にして欲しい。ただし、知識だけではなく、自分の身に浸み入るやうな勉強をして貰いたいと強く思ふ。自分自身の言葉で語れる学問に取り組もうではないか。かうした勉強を続けることによって〝自信〟といふものが生れてくる。この自信はこの日本の国に愛着を持つことと同じことである」と切々と語りかけた。

 また、「今年年頭の感想で今上陛下がおっしゃったやうに、近現代史、特に満州事変以後の日本の歴史を学んで欲しい。〝謝罪〟などといふことを跳ね返すやうに歴史を自分自身のこととして学んで欲しい」と語り、「〝自立〟すること、自分の足で立つといふ自信を作り上げよう。その意思と気概が大事で、この合宿が皆様の心に少しでも届いたものであれば、ありがたい」と言葉を結んだ。

   全体感想自由発表

 この合宿で学んだことは何か、気づかされたことは何か。これからどう学ぼうとしてゐるか。率直な感想が途切れることなく、次々に発表された。

 「初参加で緊張したが、皆に溶け込め大変勉強になった」「長谷川三千子先生の神話の話に感動した。これからも学んで行きたい」「御製を通して、天皇のご存在の意義を知った」「人に寄り添ひ、おほらかで、素朴な宣長の心を垣間見た」「短歌の相互批評で一人一人の歌を皆で考へ、心を通はせ合ふ体験が出来た」「国や歴史について学び、日本人としての幸せの根底は何かを感じた」「熱意ある講義を通して、古典に触れる共感の力を学んだ」「祖父や先達から学び、日本をもっと深く知りたい」「御製を通して民の喜びを喜びとする、君民一体の国柄を学び、日々の仕事に真剣に取り組むことがそれに繋がることを学んだ」「戦後、見失ったものに改めて気づかされた、是非この体験を世に広げて行きたい」「十七条憲法から教育勅語へとつながる縦の流れとそれを生かす横の関係を学んだ」「友とのつながりを続けたい」「古典が歩み寄ってくるやうな、輪読をしてみたい」…。

   閉会式

 開会の時から続いてゐた雨雲がやうやく晴れゆく中、閉会式は始まった。主催者を代表して澤部壽孫副理事長が「友と共に心を働かせながら学問を重ねて、真っ直ぐに生きて行って欲しい」と挨拶し、続いて伊藤合宿運営委員長は「自分から何かを発信し周りの人から意見をもらふことが、自分の姿を写す鏡となる」と前向きに生きようではないかと訴へた。参加学生を代表してニューヨーク大学アブダビ校教養学部二年の鈴木茉莉菜さんは「大学で日本のことを悪く言はれても反論出来なくて悔しかった。日本の歴史や思想を正しく身に付けて、自分が選んだ道を進みたい」と決意を語った。最後に皇學館大学文学部2年の江崎義訓君が声高らかな閉会宣言を行って、第60回全国学生青年合宿教室の全日程を終了した。

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   我が国の根本を学んだ   立命館大学 法2  O・T
 この合宿で、日本の文化、脈々と受け継がれてきた御皇室の民を思ふ心を感じさせていただいた。大日本国の国体とはまさにここに現れてゐるのだ。建国から現在まで貫き通す根本を学ばせてもらふ良い機会であつた。印象に残つたのは、國武忠彦先生のご講義である。先生の小林秀雄先生を思ふ心、愛とも言ふべきその語り口に引き込まれた。小林秀雄先生は名前しか知らず、読んだことはなかつたが、是非とも学んでみたいと思ふ。また、短歌など先人の受け継いできた文化を後世へ語り継げるやうに自らたしなむ機会をつくりたい。

   日本を学ぶ場をやっと見つけた   京都産業大学 経営1  F・R
 誰の紹介というわけでもなく不安な気持ちで御殿場まで来ましたが、導入講義や講義の後の班別研修で気持ちがほぐれ同じ班の班員たちと仲良くなれたのがとても嬉しいことでした。実際、今の大学生活では、祖国日本について語り合うということもなく、今回の合宿は、その場をやっと見つけたという心持です。関西の勉強会にも誘って頂いて、これからも日本のことや自分の生き方等をじっくり考えてゆきたいと思います。また、今回初めて短歌を詠み、感動を素直に表現することがいかに難しいかを実感しつつ詠み終えた後の嬉しさと清々しさを素晴らしいことだと思いました。

   心に息づく「古典」を求めたい   佐賀大学 文化教育2  F・A
 神話というものがどこか自分とかけ離れたフィクションのようなものだと感じていましたが、少し自分の意識が変わったように思います。本居宣長は自分の人生を、古事記に捧げられました。私も先人がそれほどまでに感銘を受けた神話を知りたいと思うようになりました。本居宣長にとって、自身の基軸となり心をつかんで離さない「古典」とは神話そのものだったと感じました。また國武忠彦先生が小林秀雄について語られるお姿を見て、国武先生にとって小林秀雄は、お心の中で息づく「古典」なのだと感じました。私も、自分の心に息づく「古典」を求め、より多くの本を読み学んでいきたいと思いました。

   和歌の奥深さにのめりこみそう   埼玉大学 経済3  S・Y
 初参加でしたが、全ての講義で共通していた、「すなほなる心」を重視することへの熱意が日本の精神の伝統であることがよく分かりました。日本の不完全さを愛する心が古事記にも表れていて、学びたいと思いました。和歌にも初めて深く触れましたが、その奥深さにのめりこみそうです。班の友との交流を通して感じたことは、心の師を持つことによって人生の方向性が定まるということです。目標があれば自ずと志も定まり、学問は生きた学びになるのだろうと思います。同時に師から学べるのは、知識ではなく、その人の考え方、姿勢、心構えという何事にも通じる生き方の指針だと思います。

   国のあり方を多く考えた   九州産業大学 経済3  Y・K
 一番強く印象に残ったことは人の探求心や好奇心に年齢や始める時期と言うのは関係ないということです。講義で演壇に立たれる先生たちの熱意を感じました。普段の日常では考えたりすることがあまりない日本という国やそのあり方をこの3泊4日の合宿で多く考え、共感しました。特に面白かったのは短歌創作の時間です。小学生の時に作って以来、ふれる機会もなかったので不安でしたが、短歌導入講義でしっかりと作る際のアドバイスをいただいたので、よい短歌を作ることができました。班別短歌相互批評で班員の皆さんに自分の短歌を批評してもらいさらによい短歌が出来ました。

   短歌相互批評でまごころを交した   早稲田大学 政経四  K・H
 率直に良かったと思ふことは、短歌相互批評を通じて、班友とまごころを交しあへたと心から思ったことである。私が表現したいことを私と共に悩み、私が表現できず伝へられない想ひを理解しようと努めてくれる姿に大変感動した。合宿の間のみの付き合ひで留めるのではなく、今後もつきあひを続けたいと思った。さう思へたのは今回の合宿が初めてである。山口秀範先生の講義で「本当の友、心からの友を求めよ」と力強く話されてゐたが、そのきっかけを今回の合宿でつかめたと思ふ。

   心に残った長谷川三千子先生の講義   中村学園大学 流通科学2  U・R
 一番心に残った講義は長谷川三千子先生の「三種の神器の謎を解こう」でした。三種の神器は私の今までの認識では神話に出て来るもの、天皇のそばにあるものというだけでした。しかし、先生のお話を聴いて、三種の神器がどういう意味をもって今も存在しているのかと考えると、先生がおっしゃった神話に生きる民族という言葉がより深く感じられました。

   正確な知識を身に付けたい   ニューヨーク大学 アブダビ校2  S・M
 今回の合宿は、海外での大学生活を一年経ての参加なので今までとは違う心構えで臨みました。自分が国際的な場所に身をおくと決めた以上、自分の国に対して正確な知識を身に付けないといけない、その為には自分から進んでその様な知識を得られるような場所を探し求めなければならないという事です。私にとっては、その場所の一つが国文研の合宿なのだと思います。日本人が古代から守り続けて来た文化や価値観、また日本という国の国民として生まれて来た事のありがたさを改めて知る事が出来、とても幸せに思います。そして一番の収穫だと思った事は、国際的な社会に身をおいている者として、今、自分が、日本人として身に付けなければいけないことが何かというと、まず日本人としての軸を築くという事と、素直なまごころを持って、正しい知識を自分から求め続けるという事なのだと感じた事でした。

   かけがえのない四日間となった   チャンネルAJER  S・K
 初めて参加させて頂きました。教育勅語や古事記、日本書紀、御製については浅い知識しかもちあわせていませんでしたので、先生方の熱意溢れる御講義でその深い意味を教えて頂き感謝に耐えません。学生の頃にこうした教育を受けていればと思いましたが、六十歳になって知り得た幸運も感じています。班別研修も得るところが多く、4日間が私の人生にとってかけがえのない思い出となりました。

   貴重な経験だった   福岡中小企業経営者協会  F・A
 これまで触れる機会さえなかったような素晴らしい講義を受講することが出来、貴重な経験をさせていただきました。特に印象深かったのは二つの講義です。山口秀範先生の導入講義で、先生の生き生きとした、そして熱い思いが溢れる講義に胸を打たれました。最後に声をふるわせながら「一生の友をつくれ」との言葉は、今自分にそう言える友がいるか、を考えさせられる重いものでした。もう一つは小柳志乃夫先生の御製についての講義です。御製を詠むのは初めてでしたが、いかに歴代の天皇陛下が民に寄り添い、民を思っていらっしゃるかが和歌から詠みとれ感激しました。

   新しい自分を発見した   (株)まるぶん  T・H
 予想以上に素晴らしい講師陣や講義の内容、参加した人らとの出会いと一緒の学びに、新しい自分を発見しました。初日から積極的に講義を聞き、友らと交流を図り、意見を出し合い成果を得ることが出来ました。私だけではなく、班の全員が熱心に取り組んでいたからだと感じました。この経験を今後の生き方や物事に取り組む姿勢に活かしていきたいと思います。

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     秩父宮記念公園   高校生  K・T
 公園のしだれ桜は堂々と枝を広げて美しく立つ

     国学院大学 大学院2  S・S
 富士山に向ひて立てる宮様の登山姿の銅像の見ゆ

     甲南大学 経済3  T・H
 静寂な防空壕に入りみて戦時の人に思ひをはせき

     九州工業大学 工3  T・M
 公園をめぐり歩めばなつかしき恩師に出会ひ心躍りぬ

     明星大学 教育4  E・M
 わづかでも富士を見むとてかすかなる雲のすき間に目をこらしゆく

     公益財団郷学研修所 安岡正篤記念館  S・M
 ひのき道を歩みて行けば茅葺の宮様お住居(すまひ)目に入る

     日本大学 法3  N・N
 宮様の開き給ひし窯(かま)はいま石にて閉ぢらるる主(あるじ)無くして

     合宿の日々   佐賀大学 聴講生  Y・K
 国のためよりよく生きむと吾もまた「教育勅語」を学びゆきたし

     中村学園大学職員  U・S
 鏡玉剣(かがみたまつるぎ)に込められし意味合ひを尋ねゆかむとの思ひおこりぬ

     広島大学 経済4  N・T
 いにしへの人を鏡にあらためて我が道探す富士の合宿

     福岡大学 経済4  F・J
 雲かかり富士のみ山は見えねども我の心は晴れわたりけり

     専修大学 経営4  A・K
 身を修め世に自らの足で立たむ揺らぐことなき桜の如く

     中村学園大学 流通科学2  K・H
 合宿で未知の世界の扉(と)の開き我が行く道に光射しけり

     S・T
 「ますらをの悲しきいのち」と朗詠(うた)響き胸に迫りて涙止まらず

     九州産業大学 商3  S・S
 雨上がり合宿地での最終日に友と別るる寂しさ覚ゆ

 

国民文化研究会「六十周年記念の集ひ」

【日時】11月7日(土)午後1~6時
【会場】ホテルグランドアーク半蔵門
電話 03(3288)0111

地下鉄「半蔵門駅」下車1番出口徒歩2分

 第1部 記念式典 〈参加費1万円〉
 ◇記念講演
 「弓なして明(あか)るこの国ならむ」 筑波大学名誉教授 竹本 忠雄先生
 「傳統の断絕について-再考・大正教養派と近代主義-」 東京大学名誉教授 小堀 桂一郎先生

 第二部 祝賀会

参加申込みは事務局まで

 

編集後記

 第60回の合宿教室が終了した。私が初めて参加したのは50年前の岡潔先生がお見えになった第10回だった。そこで政党政派の対立とは次元を異にするものがあることを学んだ。「歴史的日本」が存在することを実感した。それは「国柄」への明確な目覚めの第一歩だった。
(山内)

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