国民同胞巻頭言

第636号

執筆者 題名
廣木 寧 わが国の「詩と哲学」の奪回を!
- 第59回全国学生青年合宿教室(淡路)開催さる -
  合宿教室のあらまし
走り書きの感想文から(抄)
合宿詠草抄

 9月5日から8日まで兵庫県南あわじ市にある淡路青少年交流の家≠ノおいて標記の合宿教室が開催された。学生青年社会人109名の参加者が、九つの講義、講話に聴き入り、そのそれぞれの直後の班別研修において11の班に分れて、講師が提起した問題を、膝を突き合せて語り合った。

 今回の招聘講師は京都大学名誉教授の中西輝政先生で、演題は「『日本を取り戻す』とはどういうことか」であった。先生は「取り戻す」べきものとして、「領土」、「歴史」、「自立(主権、独立)」の三つを挙げられたが、その中心は「歴史」であった。

 現今、いや戦後69年間に「歴史」といふ言葉がどのやうに用ひられたか。「歴史」とは、往時の大戦の敗戦国たるわが国の政治現実が反映したものであった。だが、本来の「歴史」とは、私たちの生きる源泉である。死んで帰って行く、なつかしい場所である。言ひ換へると、日本人の「詩と哲学」の湛(たた)へられたところである。

 戦後の日本人はこの生きる証(あかし)が充満してゐる「歴史」を奪はれてゐるのだ。本来の「歴史」に代って、虚偽の汚辱にまみれた歴史が「歴史」の場所に居(ゑ)坐(すわ)ってゐる。だから、中西先生は「『歴史』を取り戻」さなくてはならぬと言はれたのである。

 初日の武田有朋氏の合宿導入講義「明治の先人の生き方」では、明治大正昭和三代にわたる政治家、後藤新平が採りあげられた。後藤晩年(大正15年─69歳)の講演の中の、「この言葉(政治は力なり)の流行するところ、国を挙げて低級劣悪なる物質力崇拝の風潮に走らせた」といふ文が引かれたが、これは、物質文明の崇拝は「詩」は生まぬ、といふ日本人の「哲学」による生きた認識である。

 2日目の朝の岸本弘氏の古典講義「万葉の『ますらを』たち」はまさしくわが日本人の「詩と哲学」の開展であった。古来、和歌は日本人の「詩」である。万葉集に収められた防人の歌―「今日よりは顧みなくて大君の醜(しこ)の御楯(みたて)と出で立つ我は」は、日本人の「哲学」の正しき示現である。

 3日目の朝の小柳左門氏の講義「明治天皇の大御心を仰ぐ」において採りあげられた明治天皇の維新元年の宸翰(しん かん)の中に「天下億兆一人も其(その)処(ところ)を得ざる時は、皆朕(ちん)が罪なれば…」とあるのは、正(まさ)しくわが国の国柄(くにがら)の美しき姿そのものである。

 わが国の国柄はわが国の歴史がはぐくみ育てて来たものである。その国柄を、歴史を全く別にする欧米であれ、中韓であれ、そこに生れた見方考へ方で解釈することには大いに無理がある。だが、欧米の政治思想に則(のっと)ったわが国人の、自国の国柄への侮蔑はやまぬ。これも「歴史」が奪はれた証左である。

 中西先生のご講義に触れたいことは多いが、紙数の関係で今一つ。白洲次郎氏は被占領期にGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)と烈しく交渉した人物だが、吉田茂外務大臣とともに日本国憲法の英文原案を、武威をもって示され受け取りを強要され、屈辱を味はった人である。その白洲氏が晩年、戦後日本の経済的成功をわが目で見て、日本国憲法を認めた。白洲氏はこの時、「歴史」を奪はれたのだ。これを中西先生は豊かさの悲劇≠ニ言はれた。国も人も貧しき時は滅びない。人は貧しきを恐れて豊けきを恐れない。

 3日目夜の慰霊祭も忘れられない。合宿教室の開催地は連年、山のふもとであったが、今年は海そばの合宿地なので、祭場は例年と異なり吹上浜(ふきあげはま)といふ浜辺に設けられた。前日の雨天と打って変って満月に近い月が天に皓皓と照ってゐる中、波音を聞きながら、和歌朗詠も降神の儀も献饌(けんせん)の儀も御製拜誦も祭文(さいもん)奏上も「海ゆかば」斉唱も玉串奉奠(たまぐしほうてん)も撤饌(てっせん)の儀も昇神の儀も、執り行はれた。

 吹上浜の対岸は、われら国民文化研究会のはじまりである「一高昭信会」と「信和会」を創始され、聖徳太子研究に生涯を捧げられた黒上正一郎先生の故郷徳島である。先生が「ふるさとの鳴門(なると)の海のはやしほに生(お)ひしわかめを君にささげむ」と歌はれた、その「鳴門の海」の波の、浜を洗ふ音が聞え続けてゐた。

 淡路を離れて10日余りが過ぎた。わが国の「詩と哲学」の奪回を参加者が継続してくれることを望むばかりである。(9月20日)

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   開会式(第1日目)

 福岡大学経済学部3年の岡部智哉君の開会宣言で合宿教室は幕を開けた。国歌斉唱に続き、「平時戦時を問はず祖国日本のために尊い命を捧げられた全ての祖先のみ霊」に黙祷が捧げられた。主催者代表挨拶で今林賢郁理事長は「日本は長い歴史を持つ国であり、日本人は四季の自然の中で細やかな心遣ひを育んできた。自分の国の歴史と伝統に自信を持ち、堂々と逞(たくま)しく日本人として生きるにはどうすべきかを考へる契機になれば有難い。また現在の国内外の諸問題に対し、他人事ではなく自分の目で見て感じて自身の事として考へる力を身につけてほしい」と述べた。次いで廣木寧合宿運営委員長は「哲学とはその民族に最もふさはしい生き方を示すもの。それが素晴らしければ素晴らしいほどそれは詩となり、日本であれば歌となる。この合宿で、まさに自分自身に語られてゐると思へるやうな言葉や文章に出会って欲しい」と語りかけた。

   合宿導入講義

 「明治の先人の生き方 ―後藤新平の足跡に学ぶ―」
          NTT西日本 武田有朋先生

 冒頭で、学生時代に台湾を訪れた体験を紹介し、台湾近代化の礎を築いた後藤新平の足跡を辿ることで、合宿のテーマ「先人の詩と哲学に生きるあかしを見出さう」といふことを考へてみたいと述べられた。

 後藤新平が大きな業績を残し得たのは、彼独特の『生物学の原理』といふ理念であった。これは、医師としての経歴を持つ彼ならではのもので、生物の進化と同様に長い年月を経て培はれてきた慣習には相応の意味があるのだから、その慣習を尊重しながら実情に合ふ方策を考へるといふことであったと語られた。そして、後藤新平の言葉に触れ、晩年目指した「政治の倫理化」といふ運動について、大正末期、物質力崇拝に陥った社会において精神主義とのバランスを取り戻すことを強く訴へた後藤は、我が国における政治の理想像は「聖徳太子の御治蹟である」と指摘してゐることを紹介された。

 また、後藤新平が繰り返し述べてゐる「皇恩・国恩」といふ言葉から、今上陛下の御製を紹介しながら、国民が心の拠りどころとして陛下を戴けることのありがたさについて、自らの所感を述べ、学生に、天皇の御存在について、ぜひ班員とじっくり語りあってほしいと語られた。

   講義(第2日目)

 「万葉の「ますらを」たち ―人麿と防人(さきもり)の歌をめぐって―」
          元富山県立富山工業高校教諭 岸本弘先生

 合宿の地・淡路島にふさはしい題材として『万葉集』の人麿と防人の歌から語り始め、今回のタイトルは夜久正雄先生の『短歌のあゆみ』の中にある文章のサブタイトルをそのまま拝借したものだと語られた。

     淡路の野(ぬ)島の埼の浜風に妹(いも)が結べる紐吹き返す

を含む柿本人麿の羇旅(きりょ)八首を声高らかに読み上げながら、鹿持雅澄(かもちまさずみ)の評言などを紹介された。そして人麿に遅れること5、60年、同じ瀬戸内を西下した一群の青年達がゐたとして、「防人の歌」を紹介され、自身にとっても忘れがたい、

     忘らむと野(ぬ)ゆき山ゆき我来れど我が父母は忘れせぬかも

の一首について語られた。そして防人の歌について書かれた黒上正一郎先生の〈あるがまゝの人生を戦ひ生くる悲喜の情意である〉云々のお言葉に、詠み人の心をしみじみと偲ばれた。また夜久先生が青年時代に書かれた〈心にかへりみながら、「かへりみず」とうたひ出しながら…防人たちの目は筑紫に向いてゐた〉の一文の意味するところを、その歌にたどり、防人の別れの心を追痛(いた)みて歌った「大伴家持の長歌」を朗々と暗誦して講義を閉ぢられた。

   短歌創作導入講義

     元(株)アルバック 北濱 道先生

 初めに藤原敏行の「秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」を取り上げ、「千百年ほど前の歌だが、作者が感じた一瞬の風の音≠、こちらも聞くやうだ。言葉がよく選ばれた歌は作者の心のゆらぎを伝へる力がある」と指摘された。この歌を例として短歌の作り方を、「57577の31音で詠む」「一首一文で詠む」「心に言葉が一致するまで推敲する」「相手にわかるやうに詠む」等々を説明された。

 次に、この合宿教室が学びの道筋とする「心の交流」の原点ともいふべき黒上正一郎先生と梅木紹男先生の友情を、その逸話と歌に偲ばれた。また、大学時代にお世話になった弓立忠弘先輩(5月に55歳で逝去)、社会人になってからも交流を深めてゐた大日方学兄(4月に49歳で逝去)の歌に、その人柄を偲ばれた。

 そして、『短歌のすすめ』から、有限の命を何か永遠のものにつなぎたいといふ気持ちが短歌といふ形式に生命を吹き込む、本当にまごころを詠んだ歌は必ず人の心に響いてくると説かれた。

   野外研修(短歌創作─「渦潮」見学)

  短歌創作をかねての「渦潮」見学のため、参加者は貸切バスに分乗して福良(ふくら)港に向った。多くの観光客で賑ふ埠頭で遊覧船に乗り換へた参加者は、瀬戸内の小島の間を進む船からの眺めに見とれながら「鳴門の渦潮」へと近づき、潮の満ち干が織りなす天然自然のエネルギーの神秘と大きさに目を瞠(みは)った。時をり降る小雨がここち良く感じられる一時間余の「船旅」であったが、多くの歌が詠まれ提出された。

   講義
 「『日本を取り戻す』とはどういうことか」
          京都大学名誉教授 中西輝政先生

 「日本を取り戻す」といふ言ひ方は安倍 政権のキーワードでもあるが今日お話しする意味合ひはそれとはまったく異なる。もう少し大きな文脈でお話したい―と講義の冒頭で述べられ、以下の三点を指摘された。

 第1は「日本の領土を取り戻す」といふことで、日本といふ国の問題を論ずる上で領土といふ事柄は常に意識しておく必要がある。しかもその領土は侵された儘になってゐる。或ひは現在進行形で侵されつつあると話され、たとへ秋にプーチン大統領が来日しても北方領土は返還はしない。韓国に不法占拠された竹島は従軍慰安婦問題の裏に隠されてしまってゐる。さらに今一番大事にしなければならないのは尖閣諸島で、沖縄を含めこの周辺をいかに守りきるかが領土問題の最重要課題であると指摘された。

 第2は「奪はれた日本の歴史を取り戻す」といふことで、昭和27年にサンフランシスコ講和条約が発効し、その後昭和47年に沖縄返還協定が締結された経緯を踏まへつつ尖閣諸島が沖縄県の一部であり、日本の主権下にある領土であると説かれた。中国が条約の締結国でないにも拘らず尖閣諸島は日本の領土ではないと言ひ出してゐることに触れられ、日本の国土を守るといふことは日本の歴史を取り戻すことと背中合はせであることを強調された。そして、日本人の一人一人が、とくに若い人々が本来あるべき歴史認識を持つことが日本を守ることに繋がると説かれた。

 第3は「日本の自主・主権・独立を取り戻す」といふことで、現在の日本国憲法が占領軍によってどの様な形で押し付けられたかを当時の吉田茂外務大臣の側近で通訳をしてゐた白洲次郎氏が「斯の如くしてこの敗戦最露出の憲法案は成る『今に見ていろ』と云ふ気持抑へ切れずひそかに涙す」と手記に記した事実に触れられ、その白洲氏にして後の経済的繁栄から憲法観を変えた。「豊かさの悲劇」といふほかはないが、憲法は国の主権そのものであり核心的価値でもあるから、我々は一日も早く自主憲法を取り戻さなければならないと述べられた。

 最後に、大東亜戦争に至る幾つかの段階を説明され、内政の混乱を避け国家意思を統一して行くことの重要性を指摘され講義を終へられた。

   講義(第3日目)

 「明治天皇の大御心を仰ぐ」
          特定医療法人・原土井病院院長 小柳左門先生

 最初に、「私達のこの国で、神話の昔から受けつがれたかけがへのないもの、それが皇室の御存在であると思ふ。しかもただ続いてきたのではなく、代々の天皇様が並々ならぬ思ひで国民の平安を祈られた御努力と、それを無言のうちに感得した国民の真心とのふれあひによる賜物であらう」と語られた。

 明治天皇は、幕末から王政復古に至る激動の歴史のなかで、先代の孝明天皇の突然の崩御により、若くして皇位を継承された。朝政一新の始めに、五箇条の御誓文を神前に誓はれた日、国を背負ふべき臣下に対して自ら宸翰(お手紙)をお与へになったが、その内容たるや国民の運命を一身に背負はんとする御覚悟に満ち、「君たるの道を損ふことなきやうにと祈られる切々たる大御心を伝へてゐる」と語られた。

 「暁のねざめしづかに思ふかなわがまつりごといかがあらむと」とのお歌に示されたやうに、朝夕に内省され、国民のために心を砕かれる大御心は、あまたの御製に表はれてゐる。民を慈しみたまふ御製が数多くあるなかで、ことに心を打つのは日露戦争での御製である。「国の存亡をかけた戦に、その御心痛はひとかたならず、国の安泰とともに世界の和平を一心に祈られた」と指摘された。前線の兵士を思って夜も遅くまで寝られず、極めて質素な日々を送られ、大御心は戦場には立たぬ銃後の国民にも及んでゐたことを御製にたどられた。そして戦陣に斃れた兵士の慰霊とともに、敵方にも敬意を示されたその慈愛の大御心は、永遠に光を放ってゐると述べられた。

   学生発表

         福岡大学経済学部4年 小林拓海君
福岡大学で「福大寺子屋塾」といふ勉強会に参加してゐる体験を語った。輪読の教材となってゐる平泉澄先生の『少年日本史』の一節「大東亜戦争」の箇所を読み上げ、黒木博司海軍少佐に感銘を受けて当時の青年の心を知ったと語った。そして、愛国の至誠があれば国を守ることができることを学んだと語った。

         拓殖大学政経学部3年 大貫大樹君
 大学の先生に誘はれて昨年の厚木合宿に参加した。新鮮なものばかりで勉強になった。とくに三日目の慰霊祭に参列して胸を打たれ感動して次回も参加したいといふ気持ちになった。「心の眼」を持つことの大切さを授業で学んだが、この感覚は心の眼の基礎になると思ふ。この感覚を忘れないやうに心の眼を持てるやうになりたいと語った。

   会員発表

         (株)寺子屋モデル専任講師 横畑雄基氏
 『古事記」編纂から1300余年、関連する数多の図書が刊行されてきたが、多くは語句解説に偏ってゐる。夜久正雄先生が昭和41年に著された『古事記のいのち』(国文研叢書bP)に「(『古事記』に)一貫してあらはれてゐるものは、日本といふ国家の建設に没頭し、国家の統一に心を砕いた人々の理想」であるとの一節があるが、惹きつけられた言葉であった。『古事記』に触れる時、知的解釈に留まり偏ること無く、数々の苦難を乗り超えて国家の建設と統一がなされたことを伝へんとした先人の心に耳を傾ける読み方をしてみたいと、日頃の読書体験を披瀝した。

   短歌全体批評

         三菱地所(株)都市開発二部専門調査役 青山直幸先生
 短歌創作は、「感動を正確に、素直に表現すること」が基本であるが、「うまい歌を詠んでやらう」などと欲≠出すと、概括的な不正確な表現の歌になりがちであると指摘され、「このあと予定されてゐる班別の短歌相互批評では、まづ作者の気持ちを思ひやり、どういふに感動したのかといふ点に心を寄せ、その感動をどういふ言葉を使ったら読む人に正確に伝はるかを班員でよく話し合ひ、整へてゆく共同作業となるやう努めてほしい」と述べられた。

 続いて、参加者の短歌を例に、一つ一つの言葉を具体的に指摘しながら直していかれた。直された歌について、檀上から直接作者に「お気持ちに添った表現になりましたか」と問ひかけられるなど一体感のあるなごやかな一時となった。

 最後に、国文研会員の歌をいくつか紹介され、青森市の長内俊平氏が合宿に寄せられたの短歌の中にあった「よき友を得て帰りませ」といふ言葉をよく胸に留めて欲しいと結ばれた。

   講話

 「国を守るといふこと」
          昭和音楽大学名誉教授 國武忠彦先生

 若い社会学者の「戦争が起っても逃げ出すつもりの若者が増えて好ましいことだと思ふ」
との発言に触れ、尖閣周辺では日夜海上保安庁の巡視船が警戒し、自衛隊員は不測の事態に備へて「身をもって国民の負託こたへる」と誓ひ、任務に命をかけてゐる。七十年前、日米が死闘を繰り返したペリリュー島では遺骨が今なほ眠ってゐる。誰が国を守るのか。かつて小林秀雄は「銃をとらねばならぬ時が来たら、喜んで国の為に死ぬであらう」と語った。学問とは、この覚悟と連なるものだ。自らのこととして思ふことから、責任感が生れるのではないかと語られた。

   慰霊祭

 齋行に先立ち寶邉矢太郎先生(元山口県立高校教諭)から慰霊祭の趣旨と祭儀の手順が説明された。開会式の冒頭で「平時戦時を問はず祖国日本のために尊い命を捧げられた全ての祖先のみ霊」に黙祷が捧げられたが、「この慰霊祭は慰霊祭といふ一つの儀式を通して私たちの心をととのへ、国のために尊いいのちを捧げられたすべての祖先のみ霊をお迎へし、海の幸山の幸をお供へして、おもてなしをすること」であると説かれ、「その方々が後の世に遺されたお気持ちをお偲びし、私たちもまた受け継いでゆきたいとの思ひをこめてお祭りをしたい」と述べられた。また古式に則つた作法、即ち「最敬礼」「二拝二拍手一拝」等の仕方を具体的に示された。祭儀の中で奉唱される『万葉集』に由来する「海ゆかば」と、その作曲者である信時潔についても詳しく説明された。

 慰霊祭は宿舎から徒歩3、4分位ほどの浜辺(吹上浜(ふきあげはま))で厳修された。四方に竹を立て、しめなはで囲まれた齋庭は、見るもすがしく清められてあった。祓詞に代へて山口秀範常務理事(寺子屋モデル代表取締役社長)による、三井甲之詠の「ますらの悲しきいのちつみかさねつまかさねまもる大和島根を」の朗詠に始まり、磯貝保博参与(元講談社資料センター室長)による御製拝誦、澤部壽孫副理事長による祭文奏上と続き、次いで参加者一同で「海ゆかば」を奉唱した。私たちの祖先が古より自然を、亡き人のみ霊をお祀りしてきたそのみ心も仰ぎつつ古式ゆかしく行はれた。潮騒を耳に満天の星を仰ぐ中で厳かに営まれた。

   合宿をかへりみて(第4日目)

 今林賢郁理事長は、初日からの日程に添ひながら、合宿を振り返った。

 中西輝政先生の「『日本を取り戻す』とはどういうことか」の講義では、その価値がなくなれば日本が日本でなくなるやうな価値、日本人として日本国家として守るべき最終的な価値は何かが問はれたと述べ、「天皇様、皇室を国の中心に戴いてゐる日本の国柄」こそ守るべきものであって、「天皇は初代神武天皇から125代の今上天皇まで一度たりとも消えたことのないご存在である。わが国には皇室が前面に出られて国家の危機を乗り切ったといふ歴史がある。儒教仏教など外来文化受容摂取する方途を示された聖徳太子、植民地化の危機を克服すべく維新政治の中心に立たれた明治天皇、大東亜戦争期に太平への御聖断を下された昭和天皇。かくして日本国家の命脈が守られ日本が続いてゐるから、今の私やあなた達がゐる。陛下はいつも国家の平安と国民の幸せを祈り続けてをられる。天皇様のお気持ちを国民は仰いできた」と国柄の特質を改めて語った。

 最後に「合宿を契機に、ひとりひとりが自ら勉強して自分の言葉で日本に生れてきて良かったと、自信を持って言へるやうになっていただければこんなに有難いことはない」と実感を伴った学びの大切さを説いた。

   全体感想自由発表

 閉会を前にして、参加者は登壇して胸中の思ひを率直に述べた。

 「自分はよく勉強してゐたつもりだったが、まだまだ井の中の蛙だった」「中西輝政先生が『領土』『歴史』『自立』を取り戻さねばならないと言はれたことに感銘を受けた」「防人の歌を読んで、征く人の心情に思ひを寄せることができた」「ここで学んだことを学友に伝へて行きたい」「自分は教師を目指してゐるが、この合宿で学んだことを子供達に語りたい」等々。

 中には「心に残った明治天皇の御製を拝誦したい」と読み上げる者、班別研修の模様を「自分は話し下手だが、班員が一所懸命に聞かうとしてくれた」と紹介する者、「自分の歌を皆が心を一つにして添削してくれたことが最も心に残った」と短歌相互批評の体験を語る者など様々な感想が率直に発表された。

   閉会式

 国歌斉唱に続き、主催者を代表して挨拶した澤部壽孫副理事長は、学生時代の参加経験を回顧して、「〈忘らむと野ゆき山ゆき我来れど我が父母は忘れせぬかも〉との防人の歌に出会って、この歌には日本人のまごごろが表現されてゐるといふことをお聞きして、1000年を越える昔にこの歌を詠んだ若い作者を偲んだものだった。また招聘講師の小林秀雄先生は20歳代で志を立てないと遅い≠ニ仰有った。無責任な言論が蔓延る社会に出てたぢろがないために、自分の眼力を深める学問を続けて欲しい」と結んだ。参加学生代表の挨拶で立命館大学文学部3年の藤新朋大君は「大学では過去の事実を淡々と並べるだけで、生きた人物の心情に迫るやうな授業はないが、ここでは講義や班友と語らひを通じて歴史の息吹に触れた、この体験を今後生かしていきたい」と述べた。國學院大学神道文化学部2年の横川翔君の閉会宣言を以て合宿教室は閉ぢられ、日常での新たな取り組みが始まった。

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 自分の目で見て考え抜かなければならない
          東京大学大学院 工学系2 菊池建人

 何気なく目にとまった小林秀雄先生の『学生との対話』で知った合宿教室に軽い気持ちで参加したが、参加してみて、日本という国は何を以って日本と言えるのだろうかということを考えさせられました。考えている中に、この問いの答えはつまるところ個々人の中にあるということです。「国家」の構成員それぞれの心の中に確かな手触りとして感じられる日本らしさ。それが日本という総体をなすのだと思います。「日本を取り戻す」ためにはなによりもまず「日本」について、自分の目で見て考え抜かなければならない。これまで他人の言論を見る度に意見を変え続けてきた自分を恥かしく思いました。まさに偶然とも言える出会いから始まった合宿教室でこの様な生き方の指針を得られたことに感謝しています。

 先人の歌に圧倒された
          皇學館大学 文1 江崎義訓

 今回の合宿のテーマは「先人の詩と哲学に生きるあかしを見出そう」ということで、万葉の防人から大東亜戦争で亡くなられた方々の和歌まで幅広い時代の和歌を知ったのですが、先人の率直かつ哲学性のある和歌に圧倒され、自らの小ささ、勉強の足りなさを痛感しました。また、明治天皇や今上陛下の御製に私たち国民は大きな慈愛の心を受けているということを感じ、涙が溢れてきました。

 陛下の御気持ちがとても綺麗だなと感じた
          福岡大学 経済4 小林拓海

 小柳左門先生の御講義で紹介された今上陛下が平成14年にお詠みになった「春」と題する御製「園児らとたいさんぼくを植ゑにけり地震ゆりし島の春深みつつ」が心に残りました。阪神淡路大震災の年に生まれた子等と、すくすくと伸びていくたいさんぼくを春深まるときにお植えになったという、その情景と陛下の御気持ちがとても綺麗だなと感じました。

 思想家・三井甲之は生きている
          國學院大学 神道文化2 横川翔

 高校時代から私淑している三井甲之先生のことを合宿の折々に講師の方々がお話になられるのを見て、ああ、まだ三井甲之といふ大思想家は生きているんだ」と深く感銘を受けた。死してなお語り継がれてゆくということほどの幸せはほかになかろうと思います。三井先生、黒上正一カ先生、これらの同信につながる諸先生の精神を継承しようとしている団体は日本全国探しても国文研ぐらいのものではないでしょうか。

 防人の歌、御製が印象に残った
          明星大学 情報4 岡松優

 今回3回目の合宿参加では、『万葉集』の防人の歌や天皇陛下のお歌がとても印象に残りました。防人の歌には素直な思いが表現されており、心に沁みわたりました。明治天皇の、「千万の民とともにも楽しむにます楽しみはあらじとぞおもふ」というお歌を聞いた時、国民の事を本当によく考えておられるのだな、大切になさっているのだなと感じました。また、各地を訪れそこに住む人々を思われるお歌を聞き素晴らしいと思いました。

 「恩」を心から感じ得た時に力が湧いてくるのだ
          福岡教育大学 教育四 前川大基

 今回の合宿を受けて、日本の先人たちは現状を受けとめてすべてのことに責任をとろうと努力してこられたのだと思いました。防人や後藤新平あるいは明治天皇にそのことが感じられました。ここまで責任を背負う理由は何かと考えた時、「恩」を強く感じているところにあるのではないかと思いました。後藤新平は「国民内閣論」の中で「恩」という言葉を多く使っており、明治天皇は「古列祖の盡させ給ひし跡を履み治蹟を勤めてこそ……」と述べられています。

 皇室の恩、先人の恩、日本の恩を心から感じ得た時に力が湧いてくるのだと思いました。この恩によってつながれていることは非常に温かく有難いことだと思います。

 自分も頑張らなければならないと
   身が引き締まる思いがした
          長崎大学 教育2 橋口佳生

 どの先生のご講義も感動的で、おもしろく、そして勉強になるものでした。なぜ、こんなにまで胸があつくなるのか、それはまさに先生方が先人の詩と哲学にあふれた歴史を語ってくださったからだと思ひます。中西輝政先生のご講義を拝聴して、これだけは、日本国家として守らなければならない価値は、皇室をいただいてゐる日本の国柄、民と天皇の心のつながりだと思ひました。小柳左門先生は、明治天皇のお歌を紹介されながら、その大御心を切実に語られました。明治天皇は常に国民を、思はれていたのだなといふことを、陛下の御歌を拝誦する中で感じました。ここに私は日本の国柄を感じたのです。中西先生は、国民一人一人が歴史観を取り戻すことが、今後の最重要課題だとおっしゃいました。私はもっと明治天皇について学び、お歌を偲ぶ中で、日本の国柄を感じていきたいと思ひます。ここに国家再建の志をたてる覚悟がうまれるのだと思ひます。自らが歴史観を取り戻すことで周りに感化を与へる人になりたいと思ひます。

 考えが深まった二つの事
          早稲田大学 政経3 北林裕教

 初参加の合宿で二つの事で考えが深まったと感じた。一つは、我々は歴史を奪われているということ、それを取り戻さなければならないということである。私は平成の生まれで、いわゆる戦後教育の中に生きてきた。それ故に、歴史を我々が失っている、奪われているという実感は非常に薄い。しかし、小柳左門先生のご講義「明治天皇の大御心を仰ぐ」の中で小柳先生が涙ながらに今上陛下の御製を紹介されるお姿を見て非常に衝撃的であるのと同時に感動した。先生のお姿に歴史を取り戻すとは、こういう姿を言うのではないかと強く感じた。同時に、私もそういった経験をしてみたいと思う。そのためには今より勉強が必要だと思うし、もっと人を深く偲んでいきたいと思う。

 二つ目は慰霊祭である。海の近くの慰霊祭は初めてであったが、潮騒が非常に印象的で、祭文奏上の際に先生が祭文を述べておられる間、潮騒の音が一際大きくなった様に感じられ、英霊がそこにおられる感じがした。

 先人の心と姿を伝えていける教師になりたい
          福岡教育大学 教育聴講 山本泰之

 印象に残ったことは国武忠彦先生がおっしゃられた「自分のこととして思う」との言葉です。現代の状況等を紹介された時、衝撃を受けると共に、自らにもあてはまることがあると思いました。このことをいかに考えるかと思った時、中西輝政先生が「大学時代に日本の価値や日本の精神についてこれだけはゆずれないというものを持ちなさい」と言われたことを思い出しました。

 私は教師を目指しています。教育界では佐世保の女子高校生の事件、柳川の校長が集団自衛権に反対署名をしたこと、大分の教職員組合が慰安婦のことを学ぶツアーをしていた事等あります。このような現場にあっても日本の精神、正しい歴史観、先人の心と姿を伝えていける自分でありたいと思います。そのためにも自分のことや日本のことを学び見つめていきたい。

 先人の心をもっと知りたい
          熊本県立大学 総合管理4 井上裕紀子

 一番身に沁みて感じたことは、日本人が、日本の国柄、心を取り戻すことです。ただし、合宿でこの話を聞く中で、自分はまだまだそういった意味での心がまず自分に足りていない、ということに気がつきました。しかしだからこそここで気づけたことをありがたく思い、もっともっともっと先人の方々が何を思って生きていたのかを学びたい、という思いに駆られました。

 先人がいたから日本があるのだと感じた
          西南学院大学 経済3 宮田麻央

 私は今まで日本に住んでいながらも、あたり前のように生きていて、日本に対する興味、関心が全くなかったし、少しも考えたことはありませんでした。この合宿を通して、こまかいことは言えませんが、大事なことは、先人がいたから日本があるのだと感じることができました。

 講義の中で一番心に残っているのは小柳左門先生の明治天皇の話でした。私は天皇に対する思いや関心もなく何をなさっているのかも正直分かっていませんでした。学校の教科書でもさらっとしか習っていないということもあると思いますが、今までの自分のイメージだった天皇の姿が百八十度変りました。明治天皇だったからこそ今私たちは生きているのではないかと思いました。

 日本は陛下の大きな愛で包まれている
          筑紫女学園大学 文3 山崎春佳

 合宿が始まってみると明治天皇、昭和天皇、今上天皇の国民を思うお姿に感銘を受け、今の日本が存在しうるのは、天皇陛下のおかげだと気付くことが出来ました。そして、日本は天皇陛下の大きな愛で包まれているのだと思いました。短歌創作では、相手に思いや感動を伝える難しさを痛感しました。その中で、感動に対し素直になること、ありのままを表現することの大切さを学ぶことができました。

 日本語を知らないことに気づいた
          AIE地域企業連合会 九州連携機構 斉藤拓馬

 この合宿において私自身が日本語を知らないということに強く気づかされました。短歌を詠む時、その時の感情、情景、状態をありのまま表現する言葉を思いつかない、知らないということにショックを受けました。相互批評の中で自分の拙い言葉を使い班のメンバーに、その時の思いを伝えより良い表現を考えていただき、何とか一つの短歌をつくることができましたが、自分の感じたことを一首にするのにこんなにも苦労するのかと思いました。転じて、日々の生活で自分が使っている言葉、表現も、もっとよく考えれば、相手によく伝わるものになるのではないかと思いました。

 心に刻みたい和歌と出会った
          日本青年協議会 椛島明実

 今回の合宿で、心に刻みたい和歌二首と出会いました。一首目は明治天皇のお歌(述懐)「照るにつけくもるにつけて思ふかなわが民草のうへはいかにと」。二首目は防人の歌「足柄の御坂に立ちて袖振らば家なる妹は清に見るかも」です。明治天皇御製の「照るにつけくもるにつけて」のご表現から民を肉親のごとく温かく思われているお心を感じました。防人の歌では夫を家で心配している妻の気持ちが「清」にと表現されていて、夫が励まされている思いが伝わってきました。この二首の和歌への思いがさらに深まったのが、黒上正一郎先生の「…そこに目にうかぶものはあるがままの人生に戦ひ生くる悲喜の情意である。」の御文章です。岸本弘先生は、この戦うというのは、武器を持って戦うというのではなく、人生の困難にたじろがずに生きることだと述べられましたが、深い感銘を受けました。

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     専修大学 経営3年 芦田和久
様々の波の寄合ひ渦を巻く姿雄々しき鳴門海峡

     福岡大学 経済4年 小林拓海
海峡に出来ては消える渦潮を父母連れてふたたび見たき

     福岡教育大学 教育4年 前川大基
東西ゆ流るる潮のぶつかりて白きしぶきの激しく立ちたり

     佐賀大学 文化教育2年 西山寛子
ごうごうと音を立てつつ荒波の渦巻き際立つ白波美し

     華泉書道会 坂本和代
音に聞く鳴門の渦の迫力に足はすくみて声を失ふ

     日本青年協議会 椛島明実
激しくも渦巻く海に大橋をかけし日本の技術を思ふ

     京都大学 工2年 安永知生
先人の技は自然と溶け合ひて海峡に建つ鳴門大橋

     福岡市 内山慶子
大自然の力の不思議さ思ひけり海の面(も)に渦巻く潮を眺めつつ

     東京大学 大学院2年 菊池建人
友と会ひ机囲みて宵ごとにいかに生きむと語り合ひけり

     中村学園大学 流通2年 高尾弥沙樹
師と友に我が歌の雑さを指摘され創作意欲の強く湧き出づ

     拓殖大学 政経2年 大貫大樹
温かき師のみ言葉に胸つまり嬉しさ余り一人涙す(学生発表を終へて)

     京都大学 大学院2年 渡邉大士
桜井の訣別(わかれ)を歌へばしみじみと武士の姿に心打たるる(朝の集ひにて)

     早稲田大学 政経3年 北林裕教
祭文を奏上したまふ折にしも潮騒の音の太くなりけり(慰霊祭にて)

     (株)ファミリーマート 金澤仁子
合宿に学びしみ国の美しき歴史を皆に伝へて生きむ

     宗教法人大成殿本営 高見澤玉江
我が祖父の心を継ぎて自ずから成すべきつとめを果さむと思ふ

     東京理科大学 理1年 切明航太
宿を出でて浜辺で遊ぶその時の海と空の青なんと美し

     中村学園大学 教育1年 太田鴻平
四日間共に過せし友達に感謝の気持ち強く湧き来る

 

 編集後記

 淡路での中西輝政先生のご講義を承けて廣木寧運営委員長は、戦後は「本来の歴史に代って、虚偽の汚辱にまみれた歴史≠ェ歴史の場所に居坐ってゐる」と端的に記す(1頁)。虚偽の歴史の根源はGHQが押しつけた「日本国憲法」にある。朝日など護憲を声高に叫ぶ言説に「敗戦の悲哀」が全く感じられないのは当然だらう。

 先月号の朝日報道に関して、他紙では「虚報」としてゐるところをなぜ本紙は「嘘報」としたのか。虚心なる語があるやうに「虚」には肯定的な含意もあるが、朝日の記事は一個人のウソを裏も取らずに繰り返し取上げた捏造報道であって、「嘘報」こそ相応しい。虚偽の歴史≠ナ眼が曇ってゐるからウソ話に飛び付き、今また自らその尻拭ひもできない醜態を晒してゐる。
(山内)

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