国民同胞巻頭言

第628号

執筆者 題名
磯貝 保博 「首相 靖国参拝」の見出しに心が躍った!
- 中韓の干渉を呼び込むマスコミの不見識 -
  ◇平成25年にお詠みになったお歌から
澤部 壽孫 平成26年年頭及び最近ご発表の御製、御歌を拝誦して
小田村 四郎 安倍政権一年の回顧と展望
新春詠草抄

 安倍晋三首相は第二次内閣発足1年となる昨年12月26日、靖国神社を参拝した。前号の本紙『国民同胞』(1月10日発行)で上村和男理事長が“総理の靖国神社参拝を切望す”と題して巻頭言を書かれたが、原稿締めきり日の関係で「切望す」となったものである。翌日の産経新聞一面に「首相 靖国参拝」との大きな白ヌキの活字を見て私は心が躍るやうな気持ちで首相発言の全文を読んだ。

 「本日、靖国神社に参拝をいたしました。日本のため尊い命を犠牲にされたご英霊に対し尊崇の念を表し、そして、御霊安らかなれと手を合わせてまいりました」と首相は両手を握り締め、しっかりと語る姿が写真にあった。

 首相は第一次安倍政権時代(平成18年)、歴代自民党首相の中で初めて「戦後レジームからの脱却」が必要だと明言して、憲法改正や教育制度改革を正面から主張した。しかし、その志は体調不良で退任を余儀なくされ生かされなかった。また、靖国神社の参拝を見送ったことについては、かねて「痛恨の極み」と表明してゐただけに、今回は期するところがあったのであらう。

 しかし、この参拝に対して、わが国の新聞・テレビの多くは、首相の真摯な気持を素直に受取らず、「国益を損ねる行動だ」とか「日本を世界から孤立させる」と、明らかに「参拝反対」を前提として論評をした。さらには、中国国営新華社通信は英語版で「安倍氏の一年にわたる右翼国粋主義の政策の絶頂だ」、韓国メディアも「韓日関係のさらなる悪化は必至」などと報道した。かうした謂れなき非難報道は世界各国に日本に対する嫌悪感を増さうとする外交的思惑あってのことであることは明らかだ。加へて米国も近隣諸国との緊張を悪化させるやうな行動で「失望している」と懸念を表明した。オバマ民主党政権は中国・韓国との関係を念頭においたのだらうが、日米安全保障条約を結んでゐる友好国である日本に対してはもっと慎重であって欲しかった。

 一方、産経新聞の社説「主張」には「靖国神社には、幕末以降の戦死者ら246万余の霊がまつられている。国や故郷、家族を守るために尊い命を犠牲にした人たちだ。その靖国神社に参拝することは、国を守る観点からも必要不可欠な行為である」と日本人としてまた、首相として当然な行動であると支持してゐた。まったく同感であった。

 かつて私もマスコミの世界で働いてゐた人間として、報道は自由であるべきとは思ふが、グローバル化した今日の報道は国益を損ねるものになりかねないことに心すべきと考へてゐる。中国や韓国の当局者は事あるごとに日本のマスコミ論調をチェックしてゐると思はねばならない。

 参拝をめぐる議論で云々されるのが所謂東京裁判の判決で処刑された戦争指導者としての「A級戦犯」が合祀されてゐることである。

 東京裁判が勝者の復讐裁判であり、日本弱体化を狙った政治裁判であることを見抜いたインドのパール判事はその判決文の中で「戦勝国が戦敗国の指導者を捕えて、自分らに戦争を仕掛けたことは犯罪であると称し、彼らを処刑しようとするのは歴史の針を数世紀逆戻りさせる非文明的行為である」と述べた。裁判の根拠とされた「極東国際軍事裁判所条例」自体が米国統合参謀本部の命令によってマッカーサー司令官が定めた行政命令で、厳密な意味での「法」ではなかった。

 日本は無謀な侵略戦争を引起し、多くの人々を死に追ひやったとする米国占領政策の宣伝効果は戦後70年にならうとする今日も生き続けてゐる。19世紀初頭からの西欧列強によるアジア侵略の歴史に目を塞ぎながら、自国の戦争だけは許さないとする歪んだ歴史観の持ち主が多すぎる。特にマスコミの中に多すぎる。

 本会の恒例事業である「合宿教室」では、まづ開会式で「戦時・平時を問はず祖国日本のために尊い命を捧げられたすべての祖先のみ霊」へ黙祷を捧げてゐる。先人のみ霊に対する憶念の心を持つことは今日に生きる国民の一人として必要不可欠なことと考へるからである。このことは古今東西の常識でもあらう。

 引続き今年も首相が靖国神社に参拝されるやう願はずにをられない。

(本会副理事長、元 講談社)

ページトップ  

     御製(天皇陛下のお歌)

   あんずの里
 赤き萼の反りつつ咲ける白き花のあんず愛でつつ妹と歩みぬ

   大山ロイヤルホテルにて
 大山を果たてに望む窓近く体かはしつついはつばめ飛ぶ

   水俣を訪れて
患ひの元知れずして病みをりし人らの苦しみいかばかりなりし

   皇居にて二首
 年毎に東京の空暖かく紅葉赤く暮れに残れり
 被災地の冬の暮らしはいかならむ陽の暖かき東京にゐて

   〇第64回全国植樹祭〈鳥取県〉
 大山の遠くそびゆる会場に人らと集ひて苗植ゑにけり

   〇第68回国民体育大会〈東京都〉
 車椅子の人とならびて炬火を持つ人走り行く日暮れの会場

   〇第33回全国豊かな海づくり大会〈熊本県〉
 あまたなる人の患ひのもととなりし海にむかひて魚放ちけり

     皇后陛下御歌

   打ち水
 花槐花なき枝葉そよぎいで水打ちし庭に風立ち来たる

   遠野
 何処にか流れのあらむ尋ね来し遠野静かに水の音する

   演奏会
 左手なるピアノの音色耳朶にありて灯ともしそめし町を帰りぬ

◇ 平成26年歌会始 お題「静」

     御製
 慰霊碑の先に広がる水俣の海青くして静かなりけり

     皇后陛下御歌
 み遷りの近き宮居に仕ふると瞳静かに娘は言ひて発つ
          (御製・御歌は宮内庁のホームページによる)

ページトップ

 穏やかに晴れた元旦の朝、新聞に掲載された年頭御発表の御製5首及び皇后両陛下の御歌三首を拝誦することが出来たことは何物にも代へがたい喜びである。

 御製を拝誦して、国を一身に背負ひ、ひたすら国と国民の安寧を祈られるお心にふれ、自分の苦しみ、悲しみが溶けていった。自然を愛でられる豊かなお心に我が心は清められ、人の世に生きる喜びが湧いてくる。また、災害や病気に苦しむ人々にお寄せになる慈しみ深いお心には、励まされ人生に立ち向ふ勇気が湧いて来る。日本人として生れ、今生きてゐる幸を思はずにはゐられない。御製をしみじみと味はひ、お心の一端でも理解しようと努めることは国民の踏むべき道であると思ひ、拙い感想を述べさせていただくものである。

   御製
     あんずの里
   赤き萼の反りつつ咲ける白き花のあんず愛でつつ妹と歩みぬ

 天皇・皇后両陛下は、4月15日〜16日に御旅行のため長野県を御訪問になった。これまでの御静養は、御用邸で過されることが多かったが、「特定の季節・地域でしか見られない風景などをゆっくり楽しむ旅行をしていただきたい」(宮内庁)との趣旨で、両陛下のご希望に沿って今回のご訪問が決められたといふ。江戸時代からあんずの里として有名な千曲市にお入りになった両陛下は、「あんずの里スケッチパーク」をご訪問になった。

 この歌をよんで清らかな澄みきった心を感じない人はゐないであらう。

 「萼」とは花の最も外側に生ずる器官で、葉の変形したものであり、蕾を守る役目をする。一般には緑色である。植物図鑑を開いて初めて知ったことだが、あんずの萼の色は赤である。赤色の萼が反り返るやうにして白い花びらをつつんで咲いてゐるのを、透き通る御眼差しで細部までご覧になり、それをお心に留められ、お詠みになった。

 両陛下が、一面に咲いてゐる真白いあんずの花の美しさに感嘆されながら、歩まれてゐるお姿が目に浮ぶ。ご多忙な日々をお過しになるなかのつかの間の御安らぎであらうと思はれ、ほっとさせられる御歌である。

 自然であれ、人であれ、歌を詠む対象物をじっと見つめて、感じたありのままを正確に表現するのは実に難しいことである。開花中のあんずの花をこれ程細やかに正確に見て、美しい日本語で表現することは誰にでも出来ることではない。

 「反りつつ咲ける」の「つつ」には、一瞬も止まることのない大自然の営みに溶け込んでをられるお姿が感じられ、「愛でつつ」の「つつ」には、その自然を慈しんでをられる御心が息づいてゐるやうである。

 この御歌は67677の33音となってゐる。一句めの「赤き萼の」と三句めの「白き花の」は字余りである。然し声に出して読めばよく分ることだが、「赤き萼の」の「の」及び「白き花の」の「の」を省いて、「赤き萼反りつつ咲ける白き花あんず愛でつつ」とすれば5757の定型音にはなるが、「萼」と「花」で歌が途切れてしまひ、一首三文となり、全体を流れるやうには歌へない。文字がない時代から音で意志の疎通を行って来た私達の祖先は音調を大切にして歌を詠んで来た。

 陛下はこの道を歩んでをられると畏くも拝察する。

     大山ロイヤルホテルにて
   大山を果たてに望む窓近く体かはしつついはつばめ飛ぶ

 天皇・皇后両陛下は、鳥取県で開催された第六十四回全国植樹祭への御臨席および地方事情御聴取のため昨年5月25日から27日まで鳥取県に行幸啓になった。26日、米子市伯耆町の大山ロイヤルホテルで、第64回全国植樹祭レセプションにご出席になったが、その折の御歌である。

 「大山」は、鳥取県にある標高1729メートルの火山で独立峰でもある。鳥取県西部の旧国名・伯耆国の名称を冠して伯耆大山、また角盤山とも呼ばれる。古来より日本四大名山に数へられてゐて、日本百名山の一つである。

 「イハツバメ」はわれわれが普段目にするツバメより翼や尾が短く、腰が白い。全長は約14センチで九州以北の山地や市街地に飛来するが、九州では越冬するものもゐる。観光地のホテル、町のビル、橋の下などに巣をつくり、集団で繁殖する。ジュルッ、チュビッなどと濁った声でさへづり、飛びながら、濁った声を交へて、複雑に早口で長く続ける、と野鳥写真図鑑には記されてゐる。陛下は鳥類にもお詳しいのである。

 陛下の御眼差しは、「果たて」(視界の果て)に聳ゆる大山から「窓近く」へと移り、さらには小鳥(「いはつばめ」)に注がれる。最後は「いはつばめ」の一瞬の素早い動きを御心に留められ、それを「体かはしつつ」とお詠みになった。

 昭和天皇が占領時代の昭和24年に長の雲仙岳でお詠みになった「高原にみやまきりしま美しくむらがりさきて小鳥とぶなり」のお歌と合せて拝誦したい。短歌を詠むことによって心を養ってきた私達の祖先の伝統は皇室に着実に引き継がれてゐるのである。

     水俣を訪れて
   患ひの元知れずして病みをりし人らの苦しみいかばかりなりし

 天皇皇后両陛下は、熊本県で開催された「第33回全国豊かな海づくり大会」への御臨席、併せて地方事情御視察のため、10月26日から28日まで熊本県に行幸啓になった。10月27日、水俣市の「水俣病犠牲者慰霊の碑」に御供花になり、水俣病資料館で語り部の話に耳を傾けられた。

 水俣病は、日本の化学工業会社が水俣湾に流した廃液を体内に取り込んだ魚介類を食した人々が患った病気であり、 世界的にも「ミナマタ」の名で知られ、水銀汚染による公害病の恐ろしさを世に知らしめた。昭和31年に熊本県水俣市で発生が確認されたので、水俣病と呼ばれるが、水銀中毒であることは確かであったが、その原因物質は容易に確定されなかった。メチル水銀化合物と公式に断定されたのは、昭和43年9月であった。

 水俣病はメチル水銀による中毒性中枢神経疾患であり、その主要な症状としては、四肢 末端優位の感覚障害、運動失調、求心性視野狭窄、聴力障害、平衡機能障害、言語 障害、振戦(手足の震へ)等がある。水俣病患者は2万03万人とも推定されるが、患者の多くは、他人にこの病気を知られることを恐れて水俣病であることを隠して来た。水俣病と公的に認定された患者数は二千六百余人に過ぎない。水俣病の名を付与されている地域は、水俣市周辺と新潟県阿賀野川流域だけである。

 平易なお言葉で詠まれてゐるが、御歌に込められてゐる御悲しみと患者の苦しみにお寄せになるお心は余りにも深い。12年経って病気の原因は判明したが、その間原因が分らないまま病気を患った人々の苦しみを「いかばかりなりし(いかばかりであったらう)」とお述べになった悲痛なお言葉に胸をえぐられる思ひがする。国民の苦しみは天皇陛下の御苦しみでもある。

     皇居にて二首
   年毎に東京の空暖かく紅葉赤く暮れに残れり

 年を経る度に暖かくなり、いつもは年の暮れには散ってゐる紅葉が赤色のまま今年は残ってゐる。下の句は美しさの中に寂しさが感じられるが、上の句の「年毎に東京の空暖かく」には年々暖かくなる東京の空に、大自然の営みの歯車の狂ひを、ご案じになる心が感じられはっとさせられる。「一葉落ちて天下の秋を知る」といふが、陛下の御眼差しは東京の空から世界へと向けられ、さらには宇宙を見据ゑてをられるやうである。朝夕に国と国民の安寧を神にお祈りになってゐるまさに陛下ならではの御歌と畏くも拝察する。

   被災地の冬の暮らしはいかならむ陽の暖かき東京にゐて

 昨年の暮れに北海道や東北地方、日本海に面した地域は大雪に見舞はれたが、東京周辺には雪が降らなかった。陛下は、暖かい東京から被災地をお偲びになり、厳しい冬に遭遇してゐる被災者達はどのやうに暮してゐるのであらうかと案じられる。

 「被災地の冬の暮らしはいかならむ」と端的な御表現に慈しみ深い陛下のお心がこもってゐて、「陽の暖かき東京にゐて」との結びの句に誠実な御人格が余すところなく表現されてゐる。

 3年前の3月11日に発生した東日本大震災の5日後に、右往左往して何も対策を講じ得なかった政府に代って、陛下は異例のメッセージをテレビにて国民にお伝へになり、被災者を励まされ、国民に被災者への支援を訴へられた。爾来、幾たびも被災地をご訪問になり、折あるごとに、被災者を励まし続けて来てをられる。

 2年前の御歌(仙台市仮設住宅を見舞ふ)「禍受けて仮設住居に住む人の冬の厳しさいかにとぞ思ふ」及び3年前の御歌(仮設住宅の人々を思ひて)「被災地に寒き日のまた巡り来ぬ心にかかる仮住まひの人」と合せて拝誦したい。

     第64回全国植樹祭(鳥取県)
   大山の遠くそびゆる会場に人らと集ひて苗植ゑにけり

 天皇皇后両陛下ご臨席のもと、テーマを「感じよう森のめぐみと緑の豊かさ」とした第64回全国植樹祭は、5月26日に米子市南部町の「とっとり花回廊」で約4890人が参加して行はれた。快晴に恵まれた青空のもと、天皇陛下は「赤松」、「スダジヒ」、「小楢」を、皇后陛下は「山法師」、「上溝桜」、「朴木」をそれぞれお手植ゑになった。また、天皇陛下には「山桜」と「栗」の種を、皇后陛下には「いろはもみぢ」と「山柿」の種をそれぞれお手蒔きになった。

 御歌の上の句三句には、大山を仰ぐ米子の豊かな自然への礼賛のお気持ちをお詠みになり、下の句二句には米子の人々と共に植樹をなさったお喜びを、「苗植ゑにけり」と活き活きと詠みあげられた。

 因みに全国植樹祭は、戦後の復興に向けた国土緑化事業の振興を目指し、昭和25年から行はれてゐる。

     第68回国民体育大会(東京都)
   車椅子の人とならびて炬火を持つ人走り行く日暮れの会場

 天皇・皇后両陛下ご臨席のもと、第68回国民体育大会の総合開会式は9月28日、調布市の味の素スタジアムで行はれた。

 陛下は、例年、御前を日の丸の小旗を振りながら行進して行く47都道府県の各選手団に、御手を振りながら、お応へになる。その折の御歌である。

 車椅子を駆る若者と炬火を持つ若者が並走しながら日暮れの調布会場を通り過ぎて行くのをご覧になってお詠みになった。並走する二人の若者に揺るぎない信頼を寄せられ、未来を託されるお心を拝しまつるのである。

     第33回全国豊かな海づくり大会(熊本県)
   あまたなる人の患ひのもととなりし海にむかひて魚放ちけり

 天皇皇后両陛下は、熊本県立劇場で開かれた第33回全国豊かな海づくり大会の式典に臨まれた。今大会は「育もう 生命かがやく 故郷の海」を主題とし、全国から約1700人が出席した。両陛下から地元の漁業関係者に、ノリ、クルマエビ、マダヒ、ヒラメが手渡された。多くの人々の病気のもととなった水俣湾は環境庁の調査によって安全が確認され、現在では漁が行はれてゐる。水俣市の「エコパーク水俣」で放流行事が行はれ、ヒラメ・カサゴの稚魚を御放流になった折の御歌である。

 「多くの人々に不治の病ひをもたらした水俣の海、その海に向かって、稚魚を放流したことよ」の意。「魚放ちけり」との結句に陛下の万感の御思ひが込められてゐる。

 尚、全国植樹祭、国民体育大会および全国豊かな海づくり大会の御製は、毎年主催した都道府県の庁宛に終了した後に伝達されてゐる。

     皇后陛下御歌
 天皇陛下に寄り添ひ55年の長きにわたり喜びも悲しみも共になさってゐる皇后陛下ならではのおやさしいお心が美しく歌はれてゐる。

     打ち水
   花槐花なき枝葉そよぎいで水打ちし庭に風立ち来たる

 花槐は春に花を咲かせる木であるが、御所のお庭にも植ゑられてゐるといふ。
 「猛暑の続く夏の日に突然涼しい風がそよぎ、花の散り終った花槐の枝葉を揺らせながら、打ち水をした庭を渡って行った」の意。

     遠野
   何処にか流れのあらむ尋ね来し遠野静かに水の音する

 両陛下は昨年7月に東日本大震災に伴ふ被災地御見舞ひのため岩手県の遠野市、大船渡市、陸前高田市をご訪問になった7月4日、遠野市にお入りになった両陛下は、復興状況等を御聴取になり、続いて応急仮設住宅をお見舞ひになった。その折の御歌である。
 「尋ねて来た遠野の静けさのなかにかすかに水の流れる音が聞えてくる、何処か近くに川が流れてゐる」の意。

     演奏会
   左手なるピアノの音色耳朶にありて灯ともしそめし町を帰りぬ

 皇后陛下は11月10日、東京・新宿区で、脳出血で右半身の自由がきかなくなって以来「左手のピアニスト」として知られる舘野泉氏(77歳)の演奏会を鑑賞された。その折の御歌である
 「左手のみで演奏された美しいピアノの音色、耳朶に残ってゐるその音色にひたりながら、帰路についてゐるとくれなずむ街には灯がともり始めてゐる」の意。

     歌会始 お題「静」

 歌会始における天皇陛下の些かのみじろぎもない威厳のある御姿勢と厳しい御顔をテレビ中継で拝し、短歌に真摯に向き合ってをられる御日常を垣間見る気がした。

       御製
     慰霊碑の先に広がる水俣の海青くして静かなりけり

 天皇・皇后両陛下は、昨年10月27日に「第33回全国豊かな海づくり大会0くまもと0」への御臨席の後、水俣市を初めて御訪問になり、「水俣病慰霊の碑」に白菊を手向けられた。「水俣病慰霊の碑」には昨年5月1日現在で375名が祀られてゐる。

 「慰霊碑の先には、水俣の青々とした海が、何事もなかったかのやうに静かに広がってゐる」の意である。翌日の熊本の地元紙の報道によれば、予定にはなかったが、陛下の強い御要望で、水俣病の患者たちと懇談され、患者の多くが他人に知られるのを恐れて病気を隠してきた実態等をお聞きになったといふ。

 天皇陛下は、以下のやうな異例の長い感想をお述べになった。

「本当にお気持ち、察するにあま りあると思っています」「様々な思いをこめてこの年まで過していらしたことに深く思いをいたしています」「やはり真実に生きるといふことができる社会をみんなで作っていきたいものだと改めて思いました。今後の日本が、自分が正しくあることができる社会になっていく、そうなればと思っています。みながその方に向って進んでいけることを願っています」

 水俣について、年頭御発表のお歌を一首、全国豊かな海づくり大会で一首、さらに歌会始で一首と三首の御製をお詠みになった、陛下が不治の病ひを患ってゐる人々にどれほどお心を痛めてをられるのであらうかが拝察される。

 陛下のお言葉にこめられた真意を正確に理解して、陛下のお心に沿ふべく二度と同じ公害を繰り返さないことが私達国民の務めであると思ふ。

     皇后陛下御歌
   み遷りの近き宮居に仕ふると瞳静かに娘は言ひて発つ

 20年に一度、社殿をはじめ神にささげる神宝、装束類のすべてを造り替へ、一新する神宮の式年遷宮は数へて62回目で、10月に古式ゆかしく厳修された。10月2日には皇大神宮(内宮)で、5日には豊受大神宮(外宮)で、ご神体を新宮にお遷しする「遷御の儀」が執り行はれた。

 この1300年来の御遷宮に際して、陛下のお姉君、池田厚子祭主に代って、ご長女の黒田清子様が臨時祭主として神職を率ゐて奉仕された。遷御の儀に先立ち、両陛下に、伊勢へ参りますとご挨拶される黒田清子様を皇后陛下は「瞳静かに」とお詠みになり、「言ひて発つ」とお詠みになった。祭主の重いお務めを担ふべく伊勢へと歩を進める「わが娘」に寄せる皇后陛下のお心は「わが娘」とひとつだったのではなからうか。黒田清子様の澄んだ御眼差しとご挨拶をお聞きになる両陛下のお姿が目に浮んで来る。

 尚、ご神体が遷られるのは午後八時で、白い絹垣に囲まれたご神体は闇の中を神職らの手で厳かに新宮へと奉遷された。七世紀末から繰り返されて来た「日本の総氏神」の遷御の儀は事なく終ったのであった。

 陛下は皇居の神嘉殿南庭にて「遷御の儀」に合はせ御遥拝になった。

          ○

 執筆に当って目を通した熊本の新聞には全く敬語を使ってゐないものがあって、読むに耐へなかった。高貴なものを意図的に貶めやうとする野卑な風潮がここまで進んでゐるのかと慄然とさせられた。

 (宮内庁のホームページ、『祖国と青年』誌および「神社新報」紙を参照させて頂きました。紙上を借りて厚く御礼申し上げます)。

(本会副理事長 元日商岩井)

ページトップ  

 安倍内閣発足後一年を経過した。保守陣営待望の政権の発足であった。この一年間の政権の歩みは概ね順調であったと云ってよい。

 先づ、安倍首相が最も重視したのがデフレ脱却による経済再建であった。20年に及ぶ長期のデフレによる経済停滞により、国民の士気は沈滞し、我が国の国際的地位も著しく低下した。首相はこれを打破すべく先づ日銀総裁を更迭し、その後継として意中の黒田東彦氏を任命し、大胆な金融緩和策を実行した。同時に大型の補正予算と翌年度予算等を編成し財政面から景気振興を図った。その結果、従来の極端な円高は是正され(78円から100円超へ)、株価も大幅に高騰した(8,000円台から一15,000円台へ)。企業収益も漸次改善し、何よりも日本社会の空気に希望を持った明るさが戻って来た。あとは賃金上昇から消費拡大につながれば、念願の経済の好循環、成長経済路線への回帰が期待される。

 安倍首相が経済問題を最重視したことは正しい選択であったと云ってよい。これによって、国民の支持率は大幅に上り、今後の政策運営を容易にしたと云へよう。首相は今後も経済を最重視すると明言してゐる。

 外交、安全保障面に於てもめざましい活動であった。首相は米国はもとよりASEAN10ヶ国をはじめインド、中東、ロシア、欧州、さらにはアフリカをも歴訪し、首脳外交の実を挙げた。中韓両国を除き他の世界各国との関係は以前から良好であったが、首相は各国首脳と直接会談することによりさらに関係を緊密化し、我が国の利益を増進することにも注力した。この地球儀外交は今後も展開されるであらう。

 安全保障面に於ても顕著な実績を挙げた。臨時国会で以前からの懸案であった国家安全保障会議(日本版NSC)法を成立させ、そのキーマンとなる国家安保局長に元外務次官の谷内正太郎氏を任命した。同時に特定秘密保護法を成立させ、国家に不可欠の秘密保護法制整備の第一歩を築いた。また年末には国家安全保障戦略を策定し、「防衛計画の大綱」及び「中期防衛力整備計画」の改正を実行した。

 特筆すべきは内閣法制局長官を更迭し、後任に意中の元駐仏大使小松一郎氏を任命したことである。従来から自衛権解釈をめぐって、内閣法制局が癌だと言はれながら、その人事に手を付ける内閣は存在しなかった。言はば難攻不落の法制官僚の牙城となってゐたのである。然るに安倍首相は敢然としてこの慣習に挑み、この人事を断行した。勿論、後述する集団的自衛権行使容認の布石であるが、一国の宰相としての権威を示した人事であった。

 歴史問題は非常に難題であるため首相は慎重に対応してゐる。しかし八月の全国戦没者追悼式の式辞の中で、細川内閣以来続いて来た自虐的謝罪部分を削除した。これも特筆すべきことで、村山談話是正の布石になるものと期待してゐる。

 また年末には内閣発足一年を期して靖国神社参拝を決行し公約を果した。これに対し中韓両国が相変らず非難を繰返してゐることは予想通りであったが、同盟国たる米国までが同調し、失望感を表明したのには呆れる他ない。オバマ第二期政権の対中韓軟弱姿勢には警戒が必要である。

 どこの国でも祖国のために一命を捧げた護国の英霊に感謝し奉慰顕彰の誠を捧げるのは責任者の当然の責務である。安倍首相は日本国の首相としてその責務を果したにすぎない。これはあくまでも我が国の国内問題であって他国に、例へば中国国家主席や韓国大統領に参拝を要求したものではない。一国の主権地域に於て外国から干渉をを受けることなく自由に行動できることを一国の「独立」といふ。独立国家の内政に干渉を許されないことは国際法の大原則である。国連憲章にも各国との条約にも明記してある。それ故に不当な中韓両国の非難に対しては「内政干渉を許さない」と一言すれば済むことであり、米国に対しても同様である。不思議なことは我が国内に於て対外関係を理由に首相の靖国参拝を批判する論調が少なくないことである。このやうな風潮は断じて排除しなければならない。

          ◇

 さて、今後の展望に移らう。

 先づ、経済については、4月の消費税増税の影響、春闘における賃上げ状況等を勘案しつつ慎重に動向を探るであらう。またこの1月に当面の成長戦略を決定するとともに、税制緩和策についても検討してゐるので、関連法案が通常国会で審議されるものと思はれる。

 順調に推移すれば経済成長と景気の好循環は達成されるであらう。残された問題として原発の再稼働がある。3年前の津波事故の結果、我が国の原発はすべて停止し一基も動いてゐない。その結果、エネルギー源は化石燃料に依存せざるを得なくなり、毎年約4兆円に近い国富の海外流失を招き、経常収支の黒字まで確保が懸念されるに至った。その上電気料金の引上げにより産業の競争力に打撃を与へてゐる。元は民主党政権(特に菅内閣)の失政によるが、安倍政権は速やかにこれを是正し、原子力規制委を督励して原発の再稼働を実現しなければならない。

          ◇

 第二の安全保障問題では、自衛権解釈修正の問題がある。従来政府(内閣法制局)は、憲法は自衛権を否定してゐないが、それは他国から直接武力攻撃があった場合に限られ、従って、自国が攻撃されないのに他国を支援して武力行使を行ふ集団的自衛権の行使は認められない、また他国の武力行使に対する後方支援活動であっても、当該武力行使と一体化する場合はこれも認められない、として来た。なほ、元法制局長官阪田雅裕氏は『文芸春秋』(24年10月号)での西修氏との対談で「ポイントは(日)自衛隊は違憲ではない。(月)海外での武力行使はできない。この二点に尽きる」と述べてゐるが、これも憲法に明文があるわけではなく、一法制官僚の解釈にすぎない。このため海外へ派遣される自衛官は任務遂行のための武器使用さへ許されず苦労を強ひられてゐる(公海上の護衛艦の武力行使も認められないのだらうか?)。

 しかしこのやうな自衛権解釈は国際常識と全く相反してゐる。国連憲章51条は、個別的自衛権も集団的自衛権も国家固有の権利(inherent right=内在する、生来具有する権利の意。「フランス語では drait naturel=自然権となってゐる」)で、両者に全て差を設けてゐない。世界中で峻別してゐるのは日本の法制局だけである(なほ、「集団的自衛権」の用語は国連憲章で初めて用ゐられたが、同種の権利は不戦条約〈1928年〉締結に際し、英国や米国の集団の交換公文によって認められてゐた)。

 いづれにしてもこの解釈では日米同盟の共同行動も困難であるし、国際社会に於て発言力も持てない。安倍首相は夙にこの解釈の打破をめざし、第一次内閣で安保法制懇を組織し、有識者に検討させた。その結果の報告は平成19年10月に政府に提出されたが、安倍氏が既に辞任してをり、後任の福田首相は安保問題に全く関心がなく、蔵入れされたままとなってしまった。安倍首相は帰り咲くや法制懇の審議を再開し、さらに広い分野から検討されてゐる。そこでは集団的自衛権の行使容認のみならず、個別的自衛権の法制上の不備を是正して我が国の主権が侵害された場合直ちに自衛権が発動できるやうにするものと思はれる。これらは秋の臨時国会で審議されると見られるが、与党の公明党が反対してをり(みんなの党、日本維新の会は賛成)、これをいかに説得するかが一つの焦点とならう。

          ◇

 第3は教育改革及び歴史問題であり、これが最も困難な課題である。

 先づ教委制度の改革については概ね首長に最終権限を移す方向で検討されてゐる模様である。政治的中立性を確保できるかといふ異論があるが、それでは現在の自治体教委でそれが確保されてゐるか疑問がある。教組やそれに同調する一部マスコミの支配力、影響力が排除できてゐるだらうか。社会科教科書採択の現状を見ると極めて疑問である。寧ろ定期的に選挙の洗礼を受ける首長が責任を持つ方が望ましいと思ふ。

 問題は偏向教科書の是正である。中学校歴史教科書で採択の97%を反日自虐教科書が占めてゐる現状は異常といふ他ない。なぜこの種の教科書が検定をパスするのか。下村文科相は教科書検定基準を改正したが、悪名高き「近隣諸国条項」は削除されなかったらしい。今年は中学校教科書の検定が行はれる(検定結果の公表は来年)。その際、教科書調査官を督励して学習指導要領の趣旨に反するやうな教科書は排除するやうにして貰ひたい。

 その際直面するのが河野、村山談話の存在である。教科書会社、執筆者はこれを楯に抵抗するに違ひないし、何よりも中韓両国が強く反発するであらうし、米国もまたこれに同調する姿勢を示してゐる。それだけに首相としても慎重にならざるを得ない。教科書検定は純然たる内政事項であるが、両談話があるため内政干渉として一蹴するわけにもゆかない。しかし両談話を修正または破棄しない限り、我が国の名誉は回復されないし、教科書の正常化も困難である。これを断行できるのは安倍内閣、安倍首相しか存在しない。是非とも何らかの措置を期待して已まない。

          ◇

 最後に憲法改正については、今年はまだ機が熟せず、政党及び民間に於て憲法論議を活発化させることが急務と考へられる。

(本会名誉会長、元 拓殖大学総長)

ページトップ  

   立山  千葉市 上村和男
立山の夕日に映えて雄々しくも立てる姿は今も変らず

       下関市 寶邉正久
越の友より『朗読のための古訓古事記』なる一本を賜る
古への調べのままに誦み継ぎて潤む思ひやけふのこの時

       久留米市 合原俊光
嵐去りし野道を行けば緑なす棚田の稲穂色づきにけり

       小矢部市 岸本 弘
   夫婦共に古稀を迎へて
戦火の火なかにいのちさづかりて共にななそぢをたどりけるかな
   皇居勤労奉仕・ご会釈を賜ふ
「大君は神にしませば」と歌ひたる人麿の歌をしみじみと思ふ
   皇居勤労奉仕・桔梗門   喜美
許し得て門をくぐれば足音の耳に残れる清しき音よ

       さいたま市 井原 稔
風寒く川面の波はさやげども遙かに見ゆる不二の嶺壮麗はし

       さいたま市 北崎伸一
龍馬往きしその山上の寒昴

       在イタリア 布瀬雅義
   通勤途上にて
東の空あかあかと染まりたり朝日のまさに出むとすれば
西方を見やれば白き雪覆ふアルプスの峰うす朱染まる

   皇居勤労奉仕  柳井市 寶邉矢太郎
新嘗のみまつりあすにひかへたる日にわれら奉仕つかまつるとは
垣根ごし賢所をあふぐ庭をきよめるその日秋陽こぼれきぬ
熊手もて砂地はしづかにかきいだし松の葉落葉ひろひてゆきぬ

       四街道市 豊増達夫
あらたまの年のはじめに改憲の重き岩戸を開かむと思ふ

       由利本荘市 須田清文
先人のたふときいのち偲びつつ新たなる日を生きむとぞ思ふ
わざはひをかうむりし人のいたづきを忘れず生きむ明日にむかひて

   昨年詠より  東京都 小柳志乃夫
染井吉野の白きを背にし薄紅の枝垂れ桜の花うるはしき
終戦の日の靖国のみやしろの夕べ静かに暮れゆきにけり
九十の父を祝ひて家族皆集ふ宴に歌響きけり

       北九州市 森田仁士
修験者の辿りし山路ライト持ち吾子と登りぬ初日めざして 雲間より出し初日に寒さ忘れ手袋脱ぎてシャッターを切る

       茅ヶ崎市 北濱 道
   皇居一般参賀(天皇誕生日)
まが受けし一人一人を思ひます大御心のあたたかきかな
大君は清き御声に良き年を祈りますとぞ述べ給ひける

       由利本荘市 真田博之
スティーブ・ジョブズの講演のこと
二年前出会ひし言葉を折にふれ思ひ出しつつ歩む現在かな

 お題「静」に寄せて

       佐世保市 朝永清之
   戦後の外地の日々を思ふ
混乱と辛苦の日々に静かなる憩ひのときはひとときもなく
彼の日々ゆ六十余年隔たりて心静かに偲べるはうれし

       八千代市 山本博資
   九月、出雲・稲佐の浜を訪れて
夏すぎて海辺静かなる稲佐の浜に神々迎へる秋の近づく
国原を「言向け和平し」静かなる「状」になしつる「国譲り」かな

       柏市 澤部壽孫
故郷の海静もりて澄みわたり水底に石輝くを見つ

       浦安市 小林 功
新嘗のみまつりすすむ宮の内ひちりきの音静かに流る
草も木もねむりにつきぬ静寂のみ祭りはろか秋の日ありき

       横浜市 亀井孝之
長和殿春秋の間の大障子の静かに開き御姿見えまつる

       府中市 磯貝保博
   十二月末、学生らと多磨霊園を巡る
いかならむ思ひありやと偲びつつ静かに立てる墓を巡りぬ

       小田原市 岩越豊雄
   ヘルシンキ・カンピ礼拝堂にて
大きなる樽の如きの木造りの礼拝堂の中こころ静まる

       鎌ヶ谷市 向後廣道
   那須御用邸側衛回想
とのゐ所に静かに時の流れきてカナカナ聞ゆる那須の朝明け

       川越市 奧冨修一
   淡路島、淳仁天皇陵にて
緑濃く木々は茂りて静もれる古きみささぎををろがみまつる

       宮若市 小野吉宣
   両陛下にならひ黙祷せし折に
いくさなく平成の世は静かにも四半世紀の時流れたり(終戦記念日)

       福岡市 小柳左門
おだやかに波はうちよせ静かなる因幡の浜に朝はあけゆく
うすみどり波静かなる朝明けの沖津はるかに漁船ゆく

       熊本県 折田豊生
ことしげき世にも静かにあらたまの年は明けにき力恵みて

 

 編集後記

 安倍総理の靖国参拝に対して朝日などが騒いでゐる。米国も「失望」を表明したと…。「靖国神社」は、国外からの雑音のなかった昭和59年当時と全く変ってゐない。翌年、鳴り物入りで参拝した中曽根首相が妙な配慮で取り止め、中韓の干渉を呼び込んだ。朝日がそれを使嗾した。
(山内)

ページトップ