国民同胞巻頭言

第623号

執筆者 題名
合宿運営委員長
廣木 寧
歴史に学ぶ- 日本人としての「詩と哲学」の奪回を-
(第58回全国学生青年合宿教室開催さる)
  合宿教室のあらまし
走り書きの感想文から(抄)
合宿詠草抄

 第58回全国学生青年合宿教室は、8月22日から25日までの3泊4日の日程で、神奈川県厚木市の“七沢自然ふれあいセンター”において開催された。

 “歴史に日本の再生を学ばう”の呼び掛けに応へて、全国各地から集った142名の学生、社会人は、「講義と班別研修」、「短歌創作と相互批評」に集注して取り組んだ。

          ○

 歴史に学ぶとはどういふことか、と聞かれると多くの日本人ははたと当惑するのではなからうか。明治35年(1902)生れの小林秀雄は、みづからが受けた学校教育をふりかへって、歴史は「諳記物」であったと語ってゐる。そして、諳記物としての歴史教育は現在も続いてゐる。

 大正6年(1917)のロシア革命の影響で共産主義思想が現実味のあるものと錯覚されて歴史に階級といふ新奇なものが登場し、さらに昭和20年の大東亜戦争の敗北と7年に及ぶアメリカ軍の占領統治によって、祖国日本への憎悪と反撥が諳記物としての歴史に加味された。

 幕末に生れた、例へば森外や夏目漱石にも、その一世代前の、例へば吉田松陰にも、およそ考へられない、実に無味かつ殺伐残忍な歴史″が近代日本に流入して来たのである。僕らとその子供たちを育ててゐる現代の教育はさういふ歴史によってゐる。

 “全国学生青年合宿教室”は昭和31年にはじまったが、国民文化研究会(以下国文研)の初代理事長であった小田村寅二郎先生をはじめとした国文研創立メンバーの諸先生方は、戦前戦中の若き時に、諳記物の歴史でもなく階級史観の歴史でもなく、(況や国家を悪と見ることもなく)、歴史を学ばれた方々であった。

 戦敗国日本の「思想的無秩序」(第一回学生青年合宿教室の記録集『混迷の時代に指標を求めて』の中の小田村先生のお言葉)- それは日本人としての歴史の喪失を意味したが、- の只中に、学生青年を野放しにしてはならぬと、往時の先生たちは「学生青年合宿教室」をはじめられたのである。

 さういふ合宿教室の初心をおもふにつけ、戦後生れの学生青年に往時の先生方のやうな緊張した生はない。むしろその弛緩の生が学生青年を苦しめてゐる。歴史に学ぶとは、時代はいつも若き魂を必要としてゐるといふことを痛感することでもある。しかし、戦後の若者は、偽りの「平和を愛する諸国民の公正と信義」(日本国憲法前文)を信頼するよう、新たな体制の裡に組み込まれて、現実の苛烈な競争場裡の国際社会を知らさぬといふ意図のもとに作られたヴェールの中に身を置かされてゐるのだ。だが、そのことを当人はそれと知らない。歴史を喪失してゐるからである。僕もかつてはそのやうな学生であった。

 歴史に学ぶとは、本会創立メンバーのお一人である山田輝彦先生(元福岡教育大学教授)のお言葉を借りれば、それは日本人としての「詩と哲学」を味識し、生の喜びを知ることであり、国文研の学術思想運動の主目的は日本人としての「詩と哲学の奪回」なのである。(『国民同胞』創刊号〈昭和36年11月号〉)

          ○

 今次の合宿では、2日目の朝に、5度目のご登壇になる日本政策研究センター代表の伊藤哲夫先生から「近隣諸国の動向と日本国のありやう」と題してご講義頂いた。ご講義は、本会会員による講義(本号2頁以降参照)と相俟って、参加者一同を日本人の「詩と哲学」へと深く導いていった。それは祖国日本への信をとり戻すことでもあった。

 厚木の七沢の山ふところを下りた僕らは、それぞれの地に帰って、「詩と哲学」の場を展開するばかりである。

((株)寺子屋モデル 役員)

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     開会式(第1日目)

 合宿教室は京都大学1年安永知生君の開会宣言で幕を開けた。国歌斉唱に続いて、「戦時・平時を問はず祖国日本のために尊い命を捧げられたすべての祖先のみ霊」へ黙祷が捧げられた。次いで主催者を代表して今林賢郁国文研副理事長が「敗戦後遺症を克服して生き生きとした日本を取り戻すために、国民一人一人、とりわけ若い学生青年の心の中に国を思ふ心を蘇らせたい。それが合宿教室を続けてゐる私共の願ひです」と述べた。来賓の宮台功厚木市副市長から「激励のお言葉」を頂戴した後、参加学生を代表して東京大学大学院一年の高木悠君が「班員、講師、さらには先人の言葉に耳を傾け、しっかり取り組んでいきませう」と呼びかけた。さらに廣木寧合宿運営委員長は「ここで学ぶ歴史は暗記物ではない。先人の言葉に学び、その魂に触れる歴史だ。歴史の大海は皆さんを溺れさせず、伸び伸びと泳がさうと待ち構へてゐる。楽しく学んでほしい」と語りかけた。

     合宿導入講義

 「再生すべき『日本』とは何か  -「武士道」を通して考へる- 」
                   東洋紡(株) 庭本秀一郎先生

 冒頭で、「歴史に日本の再生を学ばう」と参加を呼びかけて来たが、その「再生すべき日本」は、どこにあるのか、それは先人の言葉に感応する私たちの心の中にあると強く述べられ、まづ新渡戸稲造の著書である『武士道』について語られた。

 ドイツ留学時代の新渡戸が、ベルギー人教授から、学校で宗教を教へずしてどうして道徳教育を授け得るのかとの質問に答へられなかったことが『武士道』著述の動機となったことを、講師自身が学生の頃米国に留学し、「神道は邪教だから改宗した方が良い」と言はれて自身の宗教について初めて意識した経験と重ね合せながら説き始められた。

 『武士道』に掲げられてゐる徳目は、私達の価値観の中にも生きてゐるとして、その要となる価値である「忠義」が命をかけて実行されたことを吉田松陰『講孟箚記』からの一節を抄出して説かれた。「君に事へて遇はざる時は、諫死するも可なり、幽囚するも可なり、飢餓するも可なり。是等の事に遇へば、其の身は功業も名誉も無き如くなれども、人臣の道を失はず、永く後世の模範となり、必ず其の風を観感して興起する者あり」。自らの社会経験を拠り所に松陰の言葉に近づかうとした過程を語られた。

 最後に、先人の言葉を自分のこととして受け止め、考へ、感じとつていくことの大切さを訴へて講義を締めくくられた。

     講義(第2日目)「近隣諸国の動向と日本国のありやう」

       日本政策研究センター代表  政治アナリスト 伊藤哲夫先生

 先生はまづ、中国の動向から始められた。「中国公船による領海侵犯が繰り返されてゐる。中国の『尖閣は我が物』といふ主張はウソで固められたもので、根拠がない。しかし恥かしげもなく国際社会に繰返し言ひ続けてゐる。中国が主張する『尖閣諸島は台湾に付属する島だ』とする主張は、カイロ宣言やポツダム宣言に照らしても根拠ない」。

 次に韓国の動きに触れられ、その「反日」一色の暴走は常軌を逸してゐて理解を超えてゐると指摘された。戦前の法律に基づいた「徴用」が日本の左翼用語である「強制連行」と同義語に使はれてゐること、戦前から戦後にかけのて財産請求権の処理が13年間に渡る交渉でまとまり、日本からの経済協力資金が韓国の経済発展の基盤になったこと等々を事実に即して説明された。

 そして中韓両国の筋の通らない主張はどこから出てくるのかを次のやうに述べられた。「中国には“正史”といふ考へ方があって、一つの王朝・権力者が革命によって倒されると倒した側は自分に都合の良い歴史をつくる。現政権から見た『正しい歴史認識』、それはいはばイデオロギーとも言へるが、中国共産党政権による『大躍進』や『文化大革命』『天安門事件』への評価、『南京大虐殺30万人』といふ数字の決め方にも現れてゐる。すべてが政治となってゐる。そこには極端な権力闘争の連続と『自分達が世界の中心なんだ』とする“中華思想”がある。一方、韓国には勢力の強い方にすり寄り、日本を野蛮国だと見下す“事大主義”がある。中韓とも、近代国際法に基づく公正な秩序を尊重する観念が未発達で、歴史を貫く一貫した考へ方が存在しない」。

 その後、先生は中韓とは国の本質を異にする日本の文化的な奥深さ、公正さを知ってほしいと、明治初期の文明開化時に於ける思想の混乱に触れ、明治の先達が如何にして本来の日本の国柄に戻したかを「五箇条の御誓文」と「教育勅語」を読みながら説かれた。そして、国家の中心が何なのか、何を大切にしていかねばならぬかといふ基本軸を把持し続けた官僚・井上毅が果した思想的な役割について触れ講義を終へられた。

     短歌創作導入講義

       大阪湾広域臨海環境整備センター  久米秀俊先生

 最初に、東日本大震災の折、教師をしてゐた息子を亡くした母親の悲しみ、児童を守れなかったであらう息子の無念を思ひやる母親の気持ちが偲ばれる連作短歌を紹介しながら、「短歌を通して、時間、空間を超えて切実な体験や真摯な思ひを知ることができる」と語られた。次に明治時代の正岡子規が「歌よみに与ふる書」の中でとりあげた紀貫之と源実朝の短歌への批評を紹介され、「子規は、技巧的な巧みさ比べをするやうな短歌ではなく、源実朝の『八大竜王雨やめたまへ』と祈る歌に見られる嘘偽りのない真率な心情のこもった短歌を好んで、それを目指した」と話された。

 続いて、子規の短歌革新の志に魅かれて弟子入りした伊藤左千夫が師の正岡子規と遣り取りした短歌を紹介され、「子規の病床の苦しみに左千夫が心を寄せ、左千夫の病弱の子供の看病の苦労に子規が心を寄せる広やかな心の交流の世界を感じらる」と、短歌を詠み交はすことによって、生涯の友や師を得ることができるのではないかと述べられた。

 最後に、題材、用語など短歌の作り方の基本をいくつか説明され、感動のありのままを言葉にして欲しいと講義を結ばれた。

     野外研修

 短歌創作をかねて参加者はバスに分乗して関東総鎮護の大山阿夫利神社(下社)に向った。崇神天皇の御代に創建されたと伝へられる式内社で、江戸時代から多くの参詣者を集めてゐる由緒ある古社である。

     古典講義

 「身を修むるを以て本と為す - 先人に習ふ生き方- 」
       (株)寺子屋モデル代表取締役 山口秀範先生

 冒頭、合宿教室のテーマでもある「先人の言葉に学ぶ」といふことの楽しさ、大切さについて伝へたいと仰有って講義を始められた。『論語』の一節「学びて時に之を習ふ…」を挙げられ、「ここに『学ぶ』ことの喜びが第一に説かれてゐる。『学ぶ』とはすなはち歴史上の立派な人物に『真似る』ことに通ずる」と述べられ、その実践者として、江戸時代の中江藤樹が、『大学』に記された古代の聖人の学問に対する姿勢に憧れ、それに習って学問の道に進み、遂には「近江聖人」とまで称される大学者となったことを紹介された。さらに、同じく江戸時代の熊沢蕃山が若き日に「学問の師」を求めてゐた折、後に師事する藤樹を知ることとなった際の逸話(旅人が馬上に忘れた二百両をそっくりそのまま持ち主に届けた馬子が藤樹の教へを仰いでゐた話を耳にして、藤樹先生こそ求める師だ!…)を紹介された。蕃山が藤樹に出会ふといふ「人の縁」に触れて、「このやうな出会ひが、ここで学んでゐる学生諸君にまさに明日起るやも知れない。

 その出会ひの機縁は各々の求める心の真剣さにかかってゐる」と述べられた。

 最後に、若い学生諸君に対し、「自分探しではなく、藤樹や蕃山のやうに、良き師を求めて、歴史上の偉人の生き方にお手本を見出し、それを真似ることが大切なのではないか」、また蕃山が学問の基本姿勢とした「一人の日本人として学ぶ」といふことも感じて欲しいと語られた。

     講義(第3日目)「古事記- 神武天皇- 」        昭和音楽大学名誉教授 國武忠彦先生

 初めに「日本人は天皇について教へられなさ過ぎたが、歴史の中で考へて初めて分ってくるのが天皇であり、古事記を読まずして天皇は分からない」と話されて、『古事記』の神と天皇の系譜の話に入られた。

 高御産巣日神の「ムスとは成り出でるもののことであり、不思議や驚きが日本の神様である。何と自然で身近で分りやすい神様だらうか」と述べられた。次に天孫降臨・国譲り・御東征に触れるなかで、「言向けやはす」について「日本の平定は言葉でこちらに向けさせる。征伐ではなく、道理を正して相手を帰服させていったことを意味する言葉だらう」と述べられ、また「ウシハク」と「シラス」について「なぜ言葉を分けたかが日本を知る鍵である」と指摘され、「ウシハクが自分の占有物とする占領する意味であるのに対し、シラスとは、知ること、即ち国土国民の心、魂を我が物として認識することであり、実際に現地に行って見て知って精通するやうな意味合ひで、天皇様のやうな公平無私のお立場に立つことによってのみ可能になるのではないでせうか」。また『日本書紀』の「天壌無窮の神勅」を示され「日本を日本たらしめてゐる根本の言葉であり、日本人はこれによつて天皇様をお守りして来た」と述べられた。

 さらに「知るとは心に味はって国民の心を己の内部に再生する、対象と一体となって分ることである。天皇様は常にそれをなさってをられ、国民はその天皇様を仰ぎ戴くこの国に生れた喜びを感じ、この方のためなら命を捧げてもいいと思って来た。これが国の元首であり、象徴である。天皇は現憲法の第一条に書かれてはゐるが、果してさういふ所まで私たちの認識は深まってゐるでせうか」と問ひかけられた。

     学生発表

       国学院大学大学院文学研究科2年  相澤 守
 初めて参加した合宿教室で、昭和天皇の終戦時の御製を知り、自分の身はどうならうと、国や国民を守らうとされる切実な御心に大変感動したといふ体験を語った。

       福岡大学経済学部四年 西脇悠平
 大学の勉強会、福大寺子屋塾での勉強を通して知った宮本邦彦警部と野村望東尼を紹介し、自らも二人のやうに誰かのために行動できる日本人になりたいとの決意を述べた。

       大阪大学経済学部四年 岩井中 健
 就職活動の際、「生活の安定」を第一に考へてゐたが、吉田松陰先生の生き方を知り、「自分がどう社会に貢献できるか」を考へることの重要性に気づいたと語った。

     会員発表

       合宿運営副委員長 北濱 道
 戦前昭和10年代、当時の形骸化した学風を正すべく学園の正常化に力を尽され、戦時中に亡くなられた人達の手紙や歌、日記等を収めた『いのちささげて 正・続 』(国文研叢書19・20)を紹介した。この本に収録されてゐる方々が、「友達と心が通ひ合ふ世界を求めながらも、それをなかなか実感できない苦しみを打ち明けられてをり、そこに心が動かされた」と語り、特に心魅かれたといふ若野秀穂さんの連作短歌を紹介し、感想を述べた。

     創作短歌歌全体批評

       羽後信用金庫石脇支店  須田清文先生
 班別での相互批評を前にして、必携書『短歌のすすめ』から相互批評の注意点として、自分が高い立場に立っての批評は避けるべきこと、思ひつきの批評は避けること、作者の表現を忠実に守ることの3点を挙げられた。続いて、参加者の短歌を何点かとりあげ、正確な表現に字句をなほされ、他人に分るやうにするためにはどうするか、取り組まれた。

 相互批評は、短歌を直すのではなく、あくまで詠者の心に添ってより適切な言葉をさがすことであると述べられた。

 最後に合宿に寄せられた国文研会員の方々の歌を紹介し、明治天皇御製「たのしみ」(明治40年)、「かへりごと待つぞたのしきつみためしことのはぐさを人にみせつつ」を紹介され、「歴史に日本の再生を学ばう 先人の言葉に学ぶ 」との本合宿のテーマとも関連づけて短歌相互批評の大切さを繰り返し述べられた。

     講話

 「憲法改正について」
       国民文化研究会名誉会長  元拓殖大学総長 小田村四郎先生

 日本国憲法は、占領軍が起草して、占領軍が日本に強制したものであると述べられ、「内容的に見ても、全く憲法の名に値しない代物である。憲法は国家と不可分であるにも拘らず、日本国憲法には国家が存在しない。典型的には、第九条で、国家の基本的な要素である国防、軍隊を否定してゐる」と根本的な疑念を示された。

 「帝国憲法は、大変柔軟性のある憲法であり、美濃部達吉博士も佐々木惣一博士も改正する必要なしとの意見であった」と、およそ学校では教えられていない事実を示された後、日本国憲法制定史の真実と、帝国憲法の真実の二点を、国民が知ることが、憲法改正のために是非とも必要なことであると痛感してゐると述べられた。

     慰霊祭

 齋行に先立って、元山口県立高校教諭の寶邉矢太郎先生が、慰霊祭齋行の趣旨と祭儀の手順を説明された。開会式の初めに「戦時・平時を問はず祖国日本のために尊い命を捧げられたすべての祖先のみ霊」へ1分間の黙祷を捧げたことに触れて、「慰霊祭といふ一つの形を通して私たちの心をととのへ、国のために尊い命を捧げられたすべての祖先のみ霊をお祭りの庭にお迎へし、海の幸山の幸をお供へして、おもてなしをすること」であると説かれ、「その方々が後の世に託し遺されたお気持ちをお偲びし、私たちもまた受け継いで行かうとの思ひをこめてお祭りをしたい」と言葉を重ねられた。またみ霊に対する所作として、「最敬礼」「低頭」「二拝二拍手一拝」等の仕方を具体的に示され、神社にお参りの際も実行されたいと促された。

 慰霊祭は宿舎から徒歩五分ほどの屋外に、国文研会員によって設へられた齋庭で厳修された。祓詞に代へて山口秀範常務理事による、三井甲之詠の「ますらをの悲しきいのちつみかさねつみかさねまもる大和島根を」の朗詠に始り、地元・神奈川県の元小学校長岩越豊雄先生による御製拝誦、澤部壽孫副理事長による祭詞奏上と続き、次いで参加者一同で「海ゆかば」を奉唱した。私たちの祖先が古から、山川草木を亡き人をお祭りしてきたそのままに古式ゆかしく、夜のしじまのなかで、祭儀は厳修された。

     講義(第四日目)「思想の国柄  - 国民文化研究会の道統をたどる- 」

       中島法律事務所弁護士  中島繁樹先生

 国民文化研究会の前理事長、小田村寅二郎先生が若いころに体験された学問の内容をたどりながら、日本の思想の特徴がどこにあるかについて話をすすめて行かれた。

 小田村先生が昭和8年、第一高等学校に入学し当時の学内サークル「昭信会」で学ばれたことは、聖徳太子のご思想と明治天皇のご思想だった。「聖徳太子の哀愍教化の思想と憲法17条の思想は、今日まで伝へられてきた日本人の特徴的な思考の様相を示すものであり、憲法17条のうちの第1条(和を以て貴しと為す)、第3条(詔を承りては必ず謹め)、第10条(共に是れ凡夫のみ)は、特に日本人にとって大切な思考の原点であらう」と述べられ、明治22年に明治天皇が制定された大日本帝国憲法も、推古朝以来の国柄の伝統を引き継ぐものであったと、「祖宗の遺烈を受け萬世一系の帝位を践み、臣民の康福を増進しその懿徳良能を発達せしめむことを願ひ、ここに大憲を制定す」との憲法発布の上諭を示された。

 昭和16年、「一高昭信会」出身のわが国文研の先輩達は、聖徳太子憲法の「共に是れ凡夫」の思想に裏付けられて、人間の不完全性といふ厳粛悲痛な事実認識に到達してゐた。「その先輩達は、戦争は不完全の人間が全力を傾けて遂行するものだから、すべからく戦争は短期であるべきであるとして、戦時下、高唱されてゐた『長期戦論』の誤謬を真正面から批判することになった」と、時代思潮の本質的問題点を剔出した「国文研の道統」を説かれた。

全体感想自由発表

 胸中の思ひを率直に語らうと登壇して語る参加者の言葉は、四日間の研修の確かな手応へと、今後への決意に充ち満ちてゐた。

 「国を思ふ同年代の人と話ができて嬉しかった」「日本人の思ひをたどらうとした班別討論が勉強になった」「武士道に興味を持った。日常生活で、礼儀・名誉・忠義を尽す場面は多く存在してゐると感じた。かういふ気持を持つことが日本の再生につながる」「大学や会社の理念に誇りを持つなど再生すべき日本は自分の中にあると思った」「憲法問題に関心がない同級生には、自分で勉強して芯となる言葉で語っていくことが第一歩と気づいた」「情緒が豊かになるので短歌を詠み続けていきませう」「吉田松陰の義を正して利を計らずといふ言葉が胸に迫った」「自分の世界が広がる合宿だった。慰霊祭を経験して日本のために命を捧げた人に忠義を捧げたい」「地方にゐるが全国の人と切磋琢磨していきたい」「人生と学問は繋ってゐる。人生を左右する言葉に出会ひなさいといふ言葉が心に残ってゐる」…。

     閉会式

 国歌斉唱の後、主催者を代表して磯貝保博国文研副理事長は「合宿教室で学んだことを深め、日本人としての自覚を高めて行って欲しいと思ふ」と述べた。続いて参加学生を代表して立命館大学2年藤新朋大君が「歴史を通して歴史上の人物と繋がり、歴史を共有する仲間と繋がり得ることを学んだ。これからも共に歴史を学んで行きませう」と、これからの意気込みを語った。最後に廣木寧運営委員長が登壇し「皆さんは歴史に日本の再生を学ぶとはどのやうなものかを学んだことと思ふ。日本の歴史には汚名を着せられたまま亡くなった方々がたくさんをられる。その人達の、どうか日本の汚名を晴らしてくれ、日本人の正しい姿を後世に伝へてくれ、さう言ふ声が先生方の諸講義から、あるいはレジメの中から聞えてきたのではないですか」と語りかけた。そして福岡大学2年岡部智哉君が閉会を宣言して、第58回全国学生青年合宿教室の全日程は終了した。

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(かな遣ひママ)

   日本の国柄を伝える教師になりたい
       九州産業大学 経三 緒方雄樹

今回の合宿は中学・高校の教師を目指す自分にとって非常に有意義なものとなった。特に印象に残っているのが、中島繁樹先生の御講義の資料の中に「日本の“国柄”にふさはしい“人柄”が現代教育の中に欠落してきてゐるやうに見うけられる」とある一文を見て、私は、国史や公民科の授業の中でこの国柄を生徒に伝えられるような教師になりたいと思った。この合宿を終えた後も、古典を読んだり、短歌を読んだりして勉強に励みたいと思う。

   求めていたものがこの合宿にあった
       大阪大学 経四 谷村 遼

自分がまさに求めていたものがこの合宿にありました。海外で自分に自信を持つには、自分のルーツ、つまり日本人としての誇りを持つことが必要だと考えていました。合宿中に御講義をして頂いた先生方は勿論、班別研修で共に議論した仲間に本当に感謝の念で一杯です。この経験を活かすため関西に戻ってからもできる限り勉強会に参加して知識を深め自分の行動に反映させて生きたいと思います。短歌をよむ合宿で日本の良さが分るのかどうか疑っていた自分ではありますが、今非常に晴れやかな気持ちでいっぱいです。

   身近に感じた日本の神々
       福岡大学 経二 岡部智哉

今回の合宿は私にとって初めてのものでしたが、最も印象に残ったことは、神武天皇についての講義です。以前、宗教学を少しかじっていたので、天照大神や月読命と聞いて嬉しくなりました。日本人であるからなのだろうか、何度聞いても聞きあきず、非常に面白い内容でした。神様がいっていらっしゃいtなどの人間味のある言葉を使っていたと聞いてそれ程遠い存在ではないのかと多少思ってしまいました。

   先人の必死の思いに触れた
       熊本大学 法一 浅山弘明

今回の合宿中における講演会や班員との語らいの場を通じ、先人達が日本を守ろうとしてこられた必死な思いを知ることから逃げるということは非常に恥ずべき行為であったということを改めて痛感させれました。私はこれまで日本という国の現在置かれている状況に目を向けることも無く、危機に面しているのだとしても他の誰かがやってくれるからいいや、というような他力本願な考えを持っていたように思われます。しかし、今回、先人の心を知ることができ、そのような考えかしかもてないようでは先人達に大変失礼であり、日本もダメになってしまうのだと思いました。

   自分の考えを伝えることの難しさ
       福岡大学 商一 藤 武史

初めてこの合宿に参加して、自分が考えていることを伝える難しさを知りました。班別研修で班員の方々が自分の考えをしっかりと発言してゐるのを聞いてとても驚きました。講義では大学では聞けない古事記や憲法の話を多くの先生方がして下さったのは貴重な体験でした。大山に登山して初めて短歌をつくりましたが作ることの難しさを知りましたが上手に出来たので良かった。

   短歌は心を詠むものだと知った
       中央大学 文四 廣木摩理勢

「この合宿で学ぶ歴史は今まで学校で教わってきた歴史とは全く違います」との運営委員長の言葉の意味が四回目となった今年の合宿でようやく明瞭になりました。この合宿教室で行われる講義のほとんどが私の心に訴えてくるものでした。それにひきかえ学校での授業は私の頭に訴えるものだと気づきました。その典型的な例が和歌です。学校では、作り方や技巧など頭で理解できるようなことばかり教わり、それをどのように感じ、感動させられるかは全く教わりませんでした。

   日本について学びたくて参加した
       福岡大学 経一 田中京介

現在塾の講師をしていて、生徒達に礼儀、言葉遣い、靴の履き方などを教えたいと思ったことと「日本ってどんな国」という生徒達の質問に答え得るような勉強をしたいと思って参加しました。「真実と誠実をなくしては礼儀は茶番であり芝居である。」この合宿で心に響いた言葉です。一番印象に残った講義は武士道と天皇に関するものでした。命を犠牲にしてまで守り抜くものが昔の先人達にはあったというのが驚きでした。

   学びたかったものを見つけ胸が熱くなった
       拓殖大学 政経一 大貫大樹

本合宿で行われるような日本の伝統や文化、歴史を重点に置く授業は大学でも数少ない。私は講義を聞きながら「私が学びたかったものは正にこれだ」と感動し、胸が熱くなった。慰霊祭のように古からの日本の伝統を体感することが出来た事を嬉しく思う。慰霊祭は印象深く、和歌朗詠は目を閉じながら聞き入っていると、胸が熱くなり涙がこみ上げて来た。

   伝統文化の素晴らしさを改めて学んだ
       九州工業大学 工一 梶栗正大

今回この合宿に初めて参加させて頂き、改めて日本の伝統文化の素晴らしさを学ぶことができました。庭本先生の御講義を聞き、先人の方々が築き守りぬいてこられたからこそ、今の平和で繁栄した日本が存在することを実感しました。私達は日本人は先人方への感謝の気持ちを忘れることなく、先人方に恥じない日本を築いてゆかなければならないと強く感じました。

   自分自身がしっかりと学ぶことが重要だ
       専修大学 経営二 芦田和久

私は、外交問題、国防問題に興味と関心があるため、伊藤哲夫先生のお話はとても注意深く聴かせていただいた。中・韓両国の歴史認識に対する問題で私は両国に対する憤りとともに、この問題で揺れてしまう日本人の歴史に対する知識不足、自国に誇りを持てないなどの問題に対処するためには、私自身がしっかりと学び同じ学生に語りかけていくことが一番の方法なのだということを伊藤先生のお話で指針を得た。

   自分の力の無さを痛感した
       宮崎公立大学 人文一 田中亮佑

合宿に参加して正直、とても焦りました。意識の高い学生や会員のみなさんに囲まれて自分の力なさを痛感しました。また、違和感を感じたときも自分の知識不足で反論することができませんでした。しかし、自分の力の無さを知ることができたおかげでこれから勉強にはげみたいという志ができました。新たに出会った友と共に学び合って自分をさらに高めていきたいという決意ができました。

   心に残った短歌創作
       明星大学 情報三 岡松 優

今回の合宿で良かったと思ったところは短歌創作でした。前回の合宿では知りもしない難しい言葉を使って格好良く作ろうとしていました。今回は大山散策に行った時には素直に自分の知っている言葉で表現しました。そして短歌全体批評の時間に須田清文先生に良い歌ですねと言われた時はとても嬉しく、また機会があれば短歌を創作したいと思いました。

   「原典」に触れることの重要性を学んだ
       京都大学 工一 安永知生

今まで自分の中で何か物足りない、腑に落ちない事柄があったが、合宿に参加して、それが何なのかを実感することが出来ました。それは、「原典」、「原著」を実際に自分の目で読み、自分で味わうことでした。講義の中で扱われる原典、原著は数に限りのある一部の物でしたが、教養のある先生方が選りすぐったものであったので、僕の魂に直接何かを訴えかけてくるようなものばかりでした。中には難解な文章も存在し、合宿中では解決できないものもあったが、それはそれで次の段階にゆける良い題材になると思います。

   日頃知り合うことの出来ない学生と話せた
       筑波大学 人文二 下村貴宏

この合宿に参加して良かったことは毎日の学生生活では知り合うことのできない様々な地方の大学生と親しくなれたことです。特に印象に残っているのは慰霊祭のあとの班別研修での久米さんと山岸さんの話です。自分は面白半分で体験してしまったので、国のために死んでいった人々や亡くなった身近な人々を思いながら真剣に取り組んでいた方々に本当にもうしわけないと思いました。この合宿では班別研修で学ぶことが多く勉強しなければならないことが沢山あると痛感しました。

   日本について語り合ふ貴重な体験をした
       熊本大学 教四 吉田 智

今回、初めてのこの合宿教室に参加させて頂き、率直に言って、驚かされることばかりでした。講義や班別研修を通して、同年代の若い世代の友人や先輩、先生方と日本の事についてこんなに考えたことは今までに無く、私にとってすごく貴重な体験でした。特に武士道についての御講義では、私がこれまで続けてきた剣道と深く通じるものを感じ、共感するとともに、このような類希に見る誇らしい文化を守らなければならないと強く思いました。

   日本の文化伝統を伝へてゆきたい
       九州工業大学 工二 高野真理

日本が技術大国であることから、伝統工芸など昔からある技術などを絶やしてはならないのではないかと漠然と考えている中でこの合宿に参加して、日本のことについて多くのことを学んでいるうちに、自分より年下の子たちや今から生まれてくる子たちに日本の伝統などを伝えて誇りを持ってもらいたいと思う気持が強くなりました。成人になる前の分岐点に立っていた自分にとって今回の合宿は多くのアドバイスをくれたと思います。

   心に残った和歌
       学習院大学 文二 富永曜子

沢山の講義の中で特に心に残ったことは和歌についてです。古事記の「しらす」という言葉から、日本人は言葉によって人を導き、言葉をとても大切にしてきたことが分かったことは、大学で国文学を学んでいるわたしにとってとても嬉しいことでした。日本人が昔から持ち続けた「言葉へのこだわり」を私も大切にしていきたいと強く思いました。国武先生が「揺れ動く心、ありのままの心を真心といふ」とおっしゃいましたが、真心を持って物事を見つめて一日一首詠んでいきたいと思います。

   大山散策で友の仲がちかくなった
       中村学園大学 栄養科学二 矢羽田 葵

一番心に残ってゐるのは大山散策です。草原に花が咲いてゐる中をゆったり歩くと考へてゐたのは間違ひで登山、否崖登りにも等しい石段が続きました。しかしこの大山散策で班の友人たちとの仲はぐっと近づいたやうに感じられ、また詠んだ和歌も笑ってしまふやうなものを作ったにも関らずともに考へていただき、美しいものができました。

   日本の神話を初めて学んだ
       キョーワ(有)渡邉由美子

国武忠彦先生の御講義は、古事記を学ばなければ天皇はわからないというお話から始まり神話と、現代が繋がるこんな国、民族は世界中探しても日本しかないという事を強く感じました。天皇陛下は日本国民の幸せを常に願い祈って下さっているそのお姿に、日本国民が一体となっていたという歴史をかさねてきた事を知り、しかも先人の方々が命がけでこの国を護って下さり今に至っているという事を深く受け止めました。

   「言葉の重要性」を学んだ
       MHD男塾&女塾 中村尚美

今回の研修で一番感じたことは「言葉の重要性」です。個人の考え、思い、情緒などすべてに直結するのが言葉であり、その言葉を特に大切にしてきたのが、先人の方々であった事を知りました。江戸時代に日本を訪れた外国人が一様に日本人の教養の高さ、人柄の素晴らしさに驚嘆していますが、それこそ言葉の土台がしっかりとあって、そこに込められた意味や思いを互いに理解できる素養があったのだと思います。この合宿で短歌に力を入れていることの意味が良く分りました。

   正岡子規に会えた
       竹村 茜

講義を通じて正岡子規に出会うことが出来たのがとても嬉しく思います。正岡子規と伊藤左千夫の短歌を通じてのぶつかりあいそして交流に至るまでの流れと返歌詠み合う姿に友をおもう気持を歌に詠むという素晴らしさに改めて気づかされました。

   先人の言葉に学ぶことを知った
       平塚八幡宮 つるみね幼稚園 遠山和也

初めて合宿に参加して、先人の言葉に学ぶとは一体どんなことだろうかと思いました。講義を聞いていく中に、今まで私が学んできた歴史は自分の生活の中に反映されていない過去の事象であることに気付きました。しかしここでは先人の残した言葉にふれると、先人の思いや大切にしたい言葉が伝わってきました。現在の日本国の成り立ちも、その時代に生きた先人がいたからこそ今に至っていることを、先人達の意志を今合宿で感じる事が出来たのは貴重な体験でした。

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     福岡大学 経3  小林拓海
祖国を想ふ心を語る友達のありしを知りて我は嬉しき

     東京大学 大学院理学1  高木 悠
水の音を耳を澄まして聞きをればしばし暑さを忘るる心地す

     神奈川大学 法4  市川絢也
「大切な事は仕事」と自信持ち語れる人に我もなりたし(庭本秀一郎先生の御講義を聞きて)

     大阪大学 経4  岩井中 健
境内のしじまの中に遠くより雷の音かすかに聞ゆ

     専修大学 法4  奈良崎恵祐
武士道の精神に胸を打たれつつ日々に生かさんとしみじみ思ふ

     立命館大学 文2  藤新朋大
大山の名水を汲み戴けば我が心まで潤ひにけり

     追手門学院大学  社2  絹田 暁
良き友と再会できし合宿は時の流れの早く感じる

     大阪大学 経4  青野 遼
先人のことばたどれば奮ひ立つ我も知りたし大和の心を

     福岡大学 経2  田中貴大
この夏に出会ひし友と語りあひまた会へる日を望み別るる

     国学院大学 神道文化  上野竜太朗
神々に忠義を尽す日の本の大和男子を目指し進まむ

     アメリカンスクールインジャパン高校  スクィラチォティ茉莉菜
友達と互ひに胸の内語らへば心は近づき嬉しかりけり

     日本青年協議会  椛島明実
先人の言の葉しかと刻みゆき吾が生き方を定めゆきなむ

     三朋インターナショナル(株) 加藤祐子
新しき友と過せばひと時を学生時代に戻る心地す

     (株)まるぶん  猪狩武男
下りゆくケーブルカーの車窓より紅葉見ゆれば秋を感ずる

      元大日本インキ(株) 中塚 毅
阿夫利社に登り来たれば谷間より吹き来る風の心地よきか

     早稲田大・亜細亜大講師  永井鉄郎
老い若き隔てもあらず語りたる愛国の情をとはに忘れじ

     NTT東日本  平野耕治
先人の残されし文読み込んで心にとどめむ美しき言葉を

大山阿夫利神社(下社)参拝

     元富山県立富山工高教諭  岸本 弘
 若きらも老いもまじりて相模なる阿夫利み山路今登りゆく
 ひと坂を登ればまたもひと坂と果てしもなきに石段続く
 若きらも息の乱るるこの坂を汗ぬぐひつつ吾もたどるなり
 四年前互に声を掛け合ひて登りし友ら思へばなつかし

          ○

 山行きも果てたるひと日夕暮れて小雨の中に鐘ヶ嶽立つ

     国立都城病院名誉院長  福岡・原土井病院長 小柳左門
 国御岳杉の林に霧立ちて声うるはしく山鳥は鳴く
 登り来し阿夫利の社神さびて御山の杜に雲立ち渡る

 

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編集後記

 合宿の期間中、壇上には「歴史に日本の再生を学ばう- 先人の言葉に学ぶ- 」との文字が墨蹟も鮮やかに掲げられてゐた。諸講義のつど、「先人の言葉に学ぶ」ことの意味合ひを各自が胸に問ひ掛けながらの研修となった。それは本号に抄出掲載した感想文・短歌にも窺はれるところである。「先人の言葉」に心が震へるやうな体験こそが、「国民教育」の原点であり人格形成の第一歩であらう。校舎は鉄筋にならうとも「小学校から英語を!」などと言ってゐては教育の実質はお寒い限りだし、「日本の再生」は覚束ない。本号各頁から厚木での合宿教室の日々をご想像下さい。

(山内)

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