国民同胞巻頭言

第612号

執筆者 題名
澤部 壽孫 今のままでは「尖閣」は守れない
- 「明治」に学び、本来の国家観と歴史観を取り戻さう -
岸本 弘 夜久正雄著『古事記のいのち』を読む(1)
- なつかしい『古事記』の道しるべ -
日本戦略研究フォーラム副会長
小田村四郎
(日本戦略研究フォーラム季報・第53号から)
三党の憲法草案、改正案を読み解く(続)
- 自民党・たちあがれ日本・みんなの党 -
原川 猛雄 <新刊紹介>
「日本国民の立場に立つ唯一の歴史教科書」
- 市販本『最新日本史』(明成社)のお薦め -
平成24年 慰霊祭厳修さる

 中国の尖閣諸島への侵略意図はいよいよ明白となったが、石原都知事の「都有地化」構想に、政府は本来は国の仕事だとばかりに慌てて「国有地化」した。しかしながら「平穏かつ安定的な維持管理」と称して、船だまりや観測施設構築などの具体的施策は採らないとしてゐる。軋轢を恐れた、その場しのぎの対処に終始するやり方では付け込まれるだけであって、強い憤りと不安を覚える。「北方領土」や「竹島」の現状を見るまでもなく、こんなことで尖閣諸島を守れるのか、深く憂慮される。

 中国の脅威に対抗するためには日米同盟の強化が急務であるのに、普天間移設でも、オスプレイ配備でも、国民の信を失った政府は、日米同盟の弱体化を図ってゐるとしか思へない。どうしてこのやうな情けない国に成り果てたのだらうか。

 明治の指導者達は明治天皇を中心に徹底して日本古来の国柄を学び、その基盤の上に世界が驚嘆した偉大な明治をつくりあげた。それに対して戦後の日本は、占領軍が使嗾した「偽りの国家観と歴史観」を盲目的に信じて現在に至ってゐる。即ち敗戦後、占領軍は日本人を骨抜きにすることを意図して、日本国憲法や教育基本法の制定、国語の「革命」(漢字を制限し歴史的仮名遣ひの変更)、東京裁判等を行った。戦前の歴史は悪であるとの観念を国民に植ゑ付けるために徹底した検閲と言論統制を行った。古事記や万葉集の真精神は教室から遠ざけられ、祝祭日は本来の意味を失ひ、唱歌からは国を思はせる言葉は消された。国に誇りを持たないやうに仕向けられたのである。

 この占領政策を日教組と進歩的文化人(明治以降西洋文化に圧倒され日本の文化伝統を軽視した知識人の流れ)が推し進め、さらにはマスメディアが積極的に協力した。

 昭和27年にサンフランシスコ講和条約が締結され、7年間の占領が終了した時はこの占領政策を見直す機会であった。

 昭和天皇は二首の御歌をお詠みになり国の真の独立を期待された。

   風さゆるみ冬は過ぎてまちにまちし八重桜咲く春となりけり

   国の春と今こそはなれ霜こほる冬にたへこし民のちからに(昭和27年)

 独立(主権回復)のよろこびと国民への揺るぎない信頼が伝はってくる大御歌であるが、昭和天皇の御意志は悲しいことに当時の政財界の要人達には伝はらず、絶好の機会を逃し、その状態は現在まで続いてゐる。

 明治初年の西欧文化流入以降続く思想的混迷は、占領政策によってさらに深まり、日本の文化伝統を軽視する風潮あるいは自分の国を悪しざまに罵る自虐史観は全国津々浦々および各界(政界、官界、財界、教育界等々)に浸透してしまった。かくして日本人本来の精神は消滅したやうに見えたがさうではなかった。

 東日本大震災で大津波が襲ったとき、幾多の名もない人達が身を捨てて他人を救ひ、被災者達がお互ひに助け合ひ励まし合ふ姿は、世界の人々に大きな感銘を与へた。さらに大震災の五日後に、テレビ放映された今上陛下のお言葉や被災地を行幸啓になった両陛下の神々しいお姿を拝し、私達は日本人の心の拠り所がどこにあるのかを知ることが出来た。

 近代文学史に名を残す女流作家・樋口一葉は、無名時代の明治26年(日清戦争の前年)の『塵中日記』(12月2日)に、「外にはするどきわしの爪(ロシアのこと)あり、獅子の牙(清国のこと)あり。印度、埃及の前例を聞きても、身うちふるひ、たましひわなゝかるゝを…」と書き、列強に併呑されたインドやエジプトの轍を日本は踏んではならないと切歯扼腕、「さても恥かしきは女子の身なれど」と記して、

   吹きかへす秋のゝ風にをみなへしひとりはもれぬものにぞ有ける

 (厳しい国際情勢下にあっては、女性だからと言って国権が蹂躙される局面を傍観するわけにはいかない)と結んでゐる。一葉は22歳だった。

 儒仏中心の大陸文明が流入した607世紀、西欧文明が流入した明治期にも匹敵する重大時期であると思はれる今日、戦後思想からの脱却を図り、豊かな日本語と美しい日本の文化・伝統を一人一人の胸によみがへらせて、明治の若き女性の気概を取り戻したいと切望するものである。

(本会副理事長、元日商岩井(株))

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     1、はじめに

 今年は和銅五年(西暦712年)に『古事記』が撰録されてから1300年に当るといふことで、『古事記』に関連した書籍の出版も多く、雑誌にも『古事記』のことが多く取り上げられてゐる。斯く云ふ私も、昨年たまたま -1300年に当ることなど念頭にないまま- 『朗読のための古訓古事記』なる一書を刊行することとなり、自分の拙い一書も『古事記』ブームの中でご注目いただける機会に遭遇したことは有難いことであった。

 ただ、『古事記』に関する多くの記事や情報に接する中で、【自分の心の中にある『古事記』】が、ともすればどこかに押し流されさうな思ひがして、自分にとっての【なつかしい『古事記』の道しるべ】としての『古事記のいのち』を繙きたくなった。

 この夜久正雄先生の『古事記のいのち』の初版が国文研叢書No.1として刊行されたのは昭和41年のことであるから、既に今から46年前のことになる。夜久先生も4年前に数へ94歳でお亡くなりになってゐる。

 夜久先生は旧制一高から東京帝国大学文学部国文科にお進みになり、卒業後は亜細亜大学で長く教鞭をお取りになり、名誉教授であられた。また戦前は日本学生協会、戦後は社団法人 国民文化研究会の先頭に立たれて、学生・青年の育成に生涯を捧げられた方でもあった。

 先生の温厚なお人柄は私どもにとって忘れることのできないものであるが、それは、先の大戦で戦陣に斃れられた方々の手記 -国文研叢書『いのちささげて』正・続- を見ても、当時から特別に親しみを持たれた先輩であられたやうである。

 さうした夜久先生の人生姿勢そのものの中に、『古事記』が生きてゐたと言へるのかもしれない。

     2、「はしがき」と「あとがき」から

 今回は「はしがき」と「あとがき」を中心に見てゆきたいと思ふが、まづ「はしがき」の書き出しはかうである。

 《私がはじめて『古事記』を読んだのは、旧制高校の一、二年の頃でしたから、それから今日までかれこれ30年にもなります。ですからその間何回くらゐ『古事記』を読んだか数へ切れません。弱い自分の心を力づけるために折にふれては『古事記』を開きました。山の頂上で、海辺の砂浜で、汽車の窓辺で、船の上で、ひとり家の中で、友人との輪読で、朗誦したり黙読したり、考へこんだり語り合ったり、言はば『古事記』との長いつきあひでした》

 そして著者は「あとがき」の中で輪読体験に関して、《私はこの輪読会で古典を読むといふことの根本態度の一つを学びました。それは古典そのものを読みに読んで、その中から自然に見えて来るものを信ずる、といふ態度です》(傍点筆者)とも述べてをられる。

 そんな著者の『古事記』読書体験の中から、次に語られるのは著者の『古事記』観とも言へる。

 《私はただ、『古事記』を開いて、神々英雄の物語のことばに耳を傾けました。そこには人間のありのままの情意がいつはらずに表現されてあって、建国の神々英雄は、実人生に没頭して生き抜き、最期の一息まで戦ひ抜くといふふうです。恩愛の人生に随順して雄々しく生きる彼らの強靭な、現実的な生命力を、祖先の心として私は学びました》

 著者はその思ひを自ら噛みくだくやうにして、次のやうにも『古事記』とのつきあひを振り返へられるのである。

 《妙な言ひ方かも知れませんが、私は『古事記』から、人間の喜怒哀楽・悲喜明暗すなはち人間の情意といふものを学んだ、と言へます。(中略)ここに表現された日本人の情意が、日本人の思想や生活の根柢をなすものだと信じます》

     3、黒上先生と三井先生のこと

 かうした著者の歩みは「あとがき」の中にあらためて確認することができる。それは黒上正一郎・三井甲之との出会ひである(黒上先生は著者が一高、東大に進まれた頃すでにお亡くなりになってゐたので、著書を介しての出会ひといふことになる)。

 黒上正一郎著『聖徳太子の信仰思想と日本文化創業』並びに三井甲之著『明治天皇御集研究』について《私は、この両書にみちびかれ、そこに示された態度で『古事記』を読みはじめ、読みつづけて、今日に至ったものです》と回想される。

 そして黒上先生の御本からは、《我らの祖先の描きし神々英雄はすべて隠遁超脱の聖者ではなく、動乱の生に随順せし情意的人格である。(中略)神武天皇の久米の御歌に「みつくし久米の子らが」とうたはしゝ同胞愛とまた「うちてしやまむ」といふ征服の雄たけびは、又御兄君五瀬命が登美毘古が矢に当り給ひて、「賤奴が手を負ひてやいのちすぎなむ」とをたけびて神あがりましぬる御最期と共に動乱の生のかなしき緊張を示すものである。(中略)古事記に現はるゝ我が民族の生は外なる戦と内なる睦びの錯綜する明暗の交代である》の一節を、

 三井先生の御著書からは、《古事記に表現せられたる建国の事実と精神とは不断のたゝかひとはげしい動乱とであつてこの無常の現実生活を回避せざるが故に内心に悠久の信念を味ひ得たのである。(中略)正岡子規が『身の毛もよだつ』と評したのは、スサノヲノミコトの『青山を枯山なす泣き枯し、海河はことごとに泣きほす』号泣の生活をうつしたことばであつた》等の一節をご紹介になるのである。

 かうした黒上先生と三井先生のご表現は、そのまま夜久先生の「はしがき」の言葉に継承されてゐることを知るのである。

     4、明治天皇の御製

 本文に入って夜久先生は、その第1章「古事記への道」に、『古事記』のことをお詠みになられたと思はれる明治天皇の御製を九首掲げてをられる。これも三井先生の御思想の流れを汲むものであらう。その中から三首をご紹介しておきたい。

   くれ竹のよよに伝へてあふぐかなとほつみおやのみことのり文(書・明治43)

   石上ふるごとぶみは敷島のやまとことばのしをりなりけり(折にふれて・明治44)

   すなほにてをゝしきものは敷島のやまと詞のすがたなりけり(歌・明治39)

          ○

 以上述べて来たところに、【自分の心の中にある『古事記』】の系譜のあることを確認するのである。それは明治天皇の御製に表現されたものを素直に受け止め、正岡子規→三井甲之→黒上正一郎→夜久正雄と続く〈いのち〉の系譜に、ささやかなりとも自分もつながり得てゐると思ふよろこびでもある。

     5、スサノヲノミコト

 ここまで『古事記』の原文をほとんど紹介してゐないので、先ほどの三井先生の御著書の引用文に関連して、『古事記のいのち』の第二章「古事記の魅力」の中から、(4)「スサノヲノミコト」の一節の原文のみを書き出しておきたい。

 《故、各 依さし賜へる命の随 、知し看す中に、速須佐之男命、命さしたまへる国を知さずて、八拳須心前に至るまで、啼きいさちき。其の泣きたまふ状は、青山を枯山如す泣き枯らし、河海は悉 に泣き乾しき。是を以て悪神の音、狭蠅如す皆涌き、万物の妖悉 に発りき。故、伊邪那岐大御神、速須佐之男命に詔りたまはく、「何由とかも汝は、事依させる国を知さずて、哭きいさちる」とのりたまへば、答白したまはく、「僕は、妣の国、根之堅洲国に罷らむと欲ふが故に哭く」とまをしたまひき。爾に伊邪那岐大御神大く忿怒らして、「然らば汝、此の国には、な住みそ」と詔りたまひて、乃ち神やらひにやらひ賜ひき。(中略)
故、是に速須佐之男命の言したまはく、「然らば、天照大御神に請して罷りなむ」とまをしたまひて、乃ち天に参ゐ上ります時に、山川悉に動み、国土皆震りき。》

おことわり…著者は「改訂版の序」の中で、《著者としてはむしろ宣長(本居宣長)の訓みに拠りたいと思ってゐるのです。その理由は、初版にも本書にも記してあります通り、宣長の訓みは宣長の作品であると思ってゐるからです。(中略)しかしこの問題について私としてもまだはっきりと結論が出せませんので、しばらく前版通り、宣長訓とさう違ってゐない武田祐吉訓(角川文庫)のものに拠ることにしました》と書かれてゐることから、まことに僭越とは思はれたが、本稿に引用する『古事記』原文は、原則として拙編『朗読のための古訓古事記』の原文(宣長訓)を用ゐることとさせていただいた)。

(24・7・20記)(元富山県立高校教諭)

夜久正雄著(国文研叢書1)
『古事記のいのち』改訂版 w・G・ロビンソン訳
「THE KOJIKI IN THE LIFE OF JAPAN」の原著
頒価900円 送料240円

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1.はじめに
2.憲法改正の基本姿勢
3.憲法の文体について
4.天 皇    (以上8月号)

     5.安全保障

(1)現行法九条一項(戦争放棄規定)は不戦条約と同旨であるが、国際法の詳細を知らぬ一般国民には容易に理解され難く(教科書も同様)、自衛戦争まで否定する学者すらあった(吉田首相ですらさう答弁した)。從ってこの条文は削除すべきであり、我が国の平和努力は前文で謳へば十分である。また集団的自衛権を含む自衛権は国家固有の権利であるから敢て明記する必要はない(現行の政府解釈は誤りである)。

(2)軍の保有は当然であり、呼称は「国防軍」(自民)が「自衛軍」(たち日)よりすぐれてゐるが、單に「国軍」でよいのではないか。但し国際協力活動は念のため明記した方がよいであらう。

(3)軍の編制及び出動の要件は法 律で定めることとするが、本来軍の行動は禁止条項(ネガティブリスト)のみ法定すればよく、対外的活動は国際法に準拠すべきであ ることに留意すべきである。

(4)軍の最高指揮権(統帥権)は元首に帰属すべきである(世界の通例)。憲法上首相がこれを行使することとすればよい。

(5)何よりも国民の国防義務(又は責務)を明記しなければならない。それは国家存立の基本条件だからである(三党とも記述がない)。

(6)三党とも非常事態規定を置いたことは画期的なことである。国家緊急権の法理として当然憲法に明記されなければならない。

     6.国民の権利義務

(1)現行条文は占領軍の意図を反映して個人主義イデオロギーに基く説教的訓示規定が多く文体も冗長で我が国の憲法にふさはしくないし、伝統にそぐはない用語も少くない。例へば、「個人として尊重」、「侵すことのできない永久の権利」、「生命、自由、幸福追求の権利」、「奴隷的拘束」、「意に反する苦役」、「国籍離脱の自由」、「個人の尊嚴」、「健康で文化的な最低限の生活を営む権利」等々。なほ権利の詳細については、帝国憲法に準じ法律に委任すればよい。また、婚姻などは民法に規定すればよいし、刑事関係の細々とした規定も刑事訴訟法に規定すれば十分である。

(2)基本的人権の享有は当然で あるが、権利行使の制約原理とし て、「公共の福祉」といふ曖昧な概念に代へて「公益及び公の秩序」(自民)、「国の安全、公の秩序、国民の健康又は道徳その他の公共の利益」(たち日)を掲げたのは評価すべきである。個人間の権利調整のみが制約原理だとする学説が少くないからである。

(3)「信教の自由」の保証は当然であるが、政教分離原則はそのための手段に過ぎず、目的化してはならない(その種の判例が多過ぎる)。從って「社会的儀礼(当然国民的道徳儀礼も含まれると解する)又は習俗的行為の範囲内のもの」については国又は地方団体の関与を認めた(自民、たち日)点は大きな前進である。しかし本質的には、祖先祭祀や、自然崇拝、国や郷土の鎮守を祭る神宮・神社などの民族信仰は、特定の教義を有して個人の安心立命を目的とする個人宗教とは別のものであり、政教分離対象から除外すべきである(これを破壊することが神道指令以来の占領政策であった)。

(4)「家族」の尊重規定(自民、たち日)は当然の国策であり、本来規定する必要はないと思ふが、(マッカーサー草案にはあったが、当然の事理で規定の要なしと日本側で削除した。議会で挿入の修正案が出たが可決に至らなかった)戦後の社会状況を見ると家族解体を目的とするフェミニズムや個人中心イデオロギーが横行してをり(例へば公民教科書)、憲法に明記しておく必要があろう。

     7.その他

 (1)国会、内閣

 一院制(みんな)は、首相公選制と並んでポピュリズム或いは独裁的権力組織となる惧れがある。また国会と首相とが対立すればねぢれ現象を生じ意思決定が出来なくなる。それ故に依然議院内閣制の下で二院制を持続した方がよいと思ふ。但し参議院の構成は公選議員に限らず職能、地域、学識経験者等によることも検討した方がよい。

 ただ最近のねぢれ国会を防止するため、衆議院の優越規定を予算、条約に限らず法律にも及ぼすべきである(再可決の際の3分の2の条件を削除する)。この場合再可決の条件を当初の議決から60日後とする。

 なほ「国権の最高機関」の語は三権分立に反し、意味不明であるから削除した方がよい。また秘密会の条件は3分の2から過半数に緩和し、「政府の要求」も附加すべきである。

 (2)司法

 軍を保有する以上、軍事裁判所の設置(自民)は当然である。但し上級審における秘密保持は十分留意する必要がある。

 憲法裁判所の新設(たち日)は優秀な司法官の分散となり賛成できない。憲法規定を簡素化し、法律への委任を拡大すれば、違憲訴訟それ自体が減少すると思はれる。

 国民の司法参加規定(たち日)は、裁判員制度導入のためには必要である(現行制度は違憲であるから)が、裁判員制度それ自体不要かつ廃止すべきものと考へる。

 (3)財政、地方自治

 財政の健全化規定(自民、たち日)は現状から考へて必要と思ふ。

 道州制(みんな)は道州の権限が不明なので検討できないが、既に130年以上の歴史を有する道府県を廃止することは大きなロスであり、また国家(中央)の権限を縮小する懸念もある。昨年の震災も中央政府の責任と権限に於て為すべきことが如何に多いかを示した。安全保障、教育、エネルギー等の分野に於ても地方政府の権限が強すぎることがネックになってゐる場合が少くない。從って道州制を憲法に規定することは不適当である(必要ならば法律で定めればよい)。

 (4)憲法改正、国民投票制

 現憲法が改正を著しく困難にす る硬性憲法であることが、改正のネックとなってゐる。それ故に改正発議条件、成立要件を現行3分の2から過半数に改めること(自民、たち日)は早急に着手すべき事項である。また改正の提案権は政府にも与へるべきではないか。

 また改正要件である国民投票制度は廃止することが望ましい。国論を二分し、或いはマスコミ主導のポピュリズムに堕する惧れがある。国政はあくまでも間接民主主義に拠るべきで、直接民主制は極力排すべきである。最高裁裁判官の国民審査も同じく廃止すべきである。

(本会会長、元拓殖大学総長)

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   高校教科書の市販本、刊行!

 野田内閣による尖閣諸島国有化の発表以来、中国での反日デモは拡大激化し、暴徒化した中国人による日系企業やデパートなどの破壊・略奪行為など信じられない光景が、連日テレビで報道されてゐる。身の危険を避けるため、日本語を話すことさへ控へてゐると語る現地の邦人たちはどれほど不安な気持ちでゐるだらうか。これでは中国はとても法治国家とは呼べない。一方、李明博大統領の竹島上陸に端を発した日韓の対立の溝は深まるばかりである。

 この中韓両国の反日感情の高まりの背景には、両国のでたらめな反日教育があることを見逃してはならない。洗脳され、日本に対する憎悪を抱いた若者達が次々と生み出されてゐると思ふと暗澹たる気持ちに襲はれる。教育といふものの大切さに改めて気付かされる。

 ひるがへって日本の教育はどうであらうか。平成18年、安倍内閣で教育基本法が改正されたことで、それまでの自虐的な教科書記述が少しは改善されることを期待してゐたのだが、事態は変らず、自虐的表現が文部科学省の検定をほとんどフリーパスで通過してゐるのが現状である。しかし、新たな動きも始まってゐる。今、大きく争点になってゐる領土問題について、北方領土、竹島、尖閣諸島が日本固有の領土であることを歴史的経緯を踏まへて明確に記述した高校歴史教科書『最新日本史』(明成社、代表小田村四郎氏)の存在である。その市販本がこのたび刊行された。教育改革の地道で確かな一歩であると、意を強くした次第である。

   なぜ自虐的教科書が続出したか

 この教科書の前身である『新編日本史』(原書房)が誕生したのは今から26年前の昭和61年である。昭和57年の「教科書検定誤報事件」を想起していただきたい。日本軍の華北への「侵略」といふ当初の記述が、文部省の検定によって「進出」と書き換へさせられたと新聞が一斉に報道したことに端を発した事件であったが、これが全くの誤報であったことが明らかになったにも拘らず、当時の宮澤喜一官房長官(鈴木善幸内閣)が中国・韓国の批難に屈して談話を発表した。すなはち教科書の検定基準に、「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること」との一項を書き加へたのであった。これがいはゆる「近隣諸国条項」で、要するに「国際理解と国際協調の見地」から歴史教科書を検定するとしたのである。これによって中韓両国のわが国教科書への不当な介入を招き、この後、自虐的教科書が続出することになったのである。

 これに対し、村尾次郎氏、小堀桂一郎氏、朝比奈正幸氏らが著作者となって日本人の誇りを取り戻すためにつくられたのが『新編日本史』であった。ところが、朝日新聞が復古調の教科書だと騒ぎ立てて、中韓両国の外圧を呼び込んだ。中韓両国の外圧に屈した日本政府は、すでに検定に合格してゐたにも拘らず、記述の修正を強要するといふ前代未聞の行動をとったのである。当時の新聞はこの官邸の介入を「超法規検定」などと報道するばかりで、教科書への露骨な政治介入を正面から指弾する声は小さかった(主要メディアの偏向と自虐的教科書の存在は深く関連してゐる。前述の「教科書検定誤報事件」でも、きちんと誤りを認めたのは産経新聞だけだった)。

   新教育基本法を念頭に…

 『新編日本史』はこのやうに前途多難な船出ではあったが、その後二度の検定を経たのであった。発行元も原書房から国書刊行会に移り、名称も『最新日本史』となって内容の充実が図られてきた。そして、平成15年からは、明成社に引き継がれてゐる。

 平成18年、「豊かな情操と道徳心」を育み、「伝統と文化」の尊重、「わが国と郷土を愛する」態度の涵養などを明記した新教育基本法が公布され、平成21年に高等学校の学習指導要領も改訂(平成25年度実施)された。これに対応して、本会参与の國武忠彦氏が編集長となり、さらに言論界で広くご活躍の渡部昇一氏、櫻井よしこ氏、中西輝政氏らが新たに著作者に加はって、『最新日本史』は内容に一層の精選充実が図られたのである。そして、ことし平成24年3月、検定に合格して、この九月に市販本の刊行の運びとなったのである。

   市販本冒頭の〔特別鼎談〕  「歴史とは誇りである」を読む

     - 検定の驚くべき実態 -

 さて、市販本には冒頭に、渡部昇一氏、國武忠彦氏、水谷真逸氏による〔特別鼎談〕「歴史とは誇りである」が綴ぢ込まれてゐる。それを読むと、検定の驚くべき実態がわかる。平成5年、いはゆる従軍慰安婦問題がおきた際に、日本軍による強制連行を裏付ける事実が証明されなかったにもかかはらず、強制連行を事実上認める「河野談話」(宮沢喜一内閣の河野洋平官房長談話)が発表された。それ以後、ほとんどの教科書に堂々と従軍慰安婦の記述が載るやうになった。今回の検定においても、「多数の女性が慰安婦にかりだされた」(A社)、「朝鮮人を中心に、中国人・インドネシア人・フィリピン人・オランダ人など、多数の女性を日本軍の兵士の性の相手である慰安婦として動員した」(B社)などの、あたかも強制連行をほのめかすやうな曖昧な記述が、検定意見が何ら付くこともなく合格してゐるといふのである。

 『最新日本史』では、学説の分れる問題には、慎重な記述に努めるといふ方針のもと、慰安婦の強制連行は事実に反することであり、青少年への教育的配慮のもとに記述してゐない。しかし政治家がその場しのぎで安易に妥協して発した「談話」が日本の教科書検定の上に、日本国の将来に大きな黒雲となって垂れ込めてゐるのである。

 〔特別鼎談〕では、その他にも、戦後の昭和26年、アメリカの上院において、日本が戦争を行ったのは自衛のためであったとの「マッカーサー証言」の記述を、検定意見が付いて掲載をあきらめたことなどにも触れてゐる。これでは日本の国を貶めるために検定をしてゐるのかと思ひたくなる。

   日本国民の立場に立って記述されてゐる

 本書の特色として挙げられてゐることは、新教育基本法及び新学習指導要領の精神を最も重んじてゐること。日本の歴史を誇りと愛情を持って学べること。歴史への興味と関心を喚起させるため65の楽しいコラムを設けたこと。歴史上の人物を多く取り上げて(1665名)記述を充実させたこと。近現代史を大幅に充実させたこと。B5版の大型サイズを用ひ、本文を読みやすい縦書きとしたことなどがある。記述も他の教科書に比べて詳しくわかりやすい。

 日本国民の立場に立って記述されてゐる唯一の高校歴史教科書といってよいと思ふ。ぜひ一冊ご家庭に備へていただき日本歴史の学びのテキストとしてご利用されることをお薦めしたい。

(元神奈川県立高校教諭)

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 秋風の中にも夏の暑さが猶感じられた9月29日、夕刻午後5時から、東京・飯田橋の東京大神宮において、日本学生協会・精神科学研究所及び興風会・国民文化研究会の道統に連なる物故師友の御霊をお祀りする恒例の慰霊祭が厳かに営まれた。祭儀には御遺族を初め会員、今夏の阿蘇合宿教室参加の学生・社会人のなど44名が参列した。

 御神前に、今夏の第57回合宿教室が、北海道から九州・鹿児島の全国各地からの参加者152名によって、実施されたことが奉告され、参列者一同は亡き師友の御跡を仰ぎつつ日々の精励をお誓ひ申し上げた。この度は新御祭神として、北島照明命が合祀された。

 今秋の慰霊祭には全国各地の知友から148首の献詠歌が寄せられて御神前に奉呈された。紙面の都合で、その一部を左に掲げる。

献詠抄

 御遺族

          (青砥宏一命御令息)松江市 青砥誠一
       領土危うし
   祖先らがいのちを賭して守り来し領土を術なく盗られむとす
   軍隊を持ち得ず他国に庇護さるる国を独立国とは言へず

          (島田好衛命御女婿)府中市 青山直幸
       岳父と義母を偲びて
   義母と共に雄々しく熱く生きたまふ岳父の姿の胸に浮びく

          (長内良平命御令兄、加藤信克命御義弟) 青森市 長内俊平
   はるかにも祈りを合せまつりなむみちのくのはたて外ケ浜より

          (小田村寅二郎命・小田村泰彦命御令弟) 東京都 小田村四郎
   くだちゆく世を見るにつけももとせの昔の御代を仰ぎみるかな
   国民の一つ心に大君につかへまつりし明治の御代はも

          (鹿毛義弘命御令姉)久留米市 鹿毛祥子
   笑み浮べガンジス川を語りたる君は彼の時何思ひけむ

          (近藤正人命御令弟)東京都 近藤正二
       遺骨は紙切れ一枚
   土赤きマニラゆさかる山峡に草むす屍とはてし君はも

          (高橋鴻助命御令息)佐賀市 高橋和彦
   日の本の行く末思ふ亡き友の声の聞ゆる御霊祭に

          (中島淳子命御尊父)岐阜市 中島吾郎
   わが娘月日を止めて十八年今朝も変らぬ笑顔のままに

          (宮脇昌三命御令息)さいたま市 宮脇新太郎
       内憂外患の世界情勢に鑑みて
   虚しくも失ひし版図の延々と母国に遠き英霊の墓標
   四方の海窺ふがごとき外つ国に防人の心ゆめな忘れそ

          (山内恭子命御夫君)横浜市 山内健生
       北島照明兄を偲ぶ
   国の乱れ言葉の乱れを正すべきは「日本的情緒」と言ひし君はも
   中学生の詠みし歌には瑞々しき心あふるると君は記せり

   会員

          奈良市 安納俊紘
   靖国の英霊いかに思し召す国の守りのこのていたらく

          高崎市 安藤奏一朗
   すめらぎの大御心に応へむとまこと尽せし御魂讃へん

          府中市 磯貝保博
       「反日」許さじ
   略奪や破壊を許す彼の国に心ひとつに立ち向ふべし

          神奈川県 稲津利比古
       北島照明兄を偲びて
   思ふことうちつけに語る親友の面輪と声は今もうつつに

          奈良県 生駒 聰
   遠き日の合宿なりき導かれしことを想へば胸高鳴りぬ

          高知市 井上佳彦
   合宿に教へたまひし先師らの説かれし道は日に新たなり

          清瀬市 今林賢郁
   この道の極まるところよみがへるみ国のありと思ひてゆかむ

          横浜市 今村宏明
       五十年振りの夏合宿
   熱き胸の思ひ語り合ふ班別討論にふと亡き先輩の笑顔浮び来

          千葉県 内海勝彦
   ことなしとゆるぶ心は仇よりもあやふしの大御歌今ぞ仰がむ

          鹿児島市 江口正弘
       急逝せし同志を偲ぶ
   日の丸に棺覆はれ君らしく逝きにけるかな憂国の士よ

          守谷市 大岡 弘
       北島照明命のみ前に
   いただきにたどりつく道さまざまにありとふみ言葉今も忘れず

          札幌市 大町憲朗
       北島照明先輩を偲びて
   前島の合宿の思ひ出よみがへり身のひきしまる思ひするかも

          熊本県 折田豊生
       北島照明大兄の御霊の御前に
   折々に真顔笑顔の浮び来て見守り給ふ親しき我が兄
   父君と居並び静かに笑み給ふ眼差しを覚ゆ偲びまつれば

          横浜市 椛島有三
   御魂偲び上陸されし尖閣を守る戦ひ思ひめぐらす

          千葉市 上村和男
       師の君偲ぶ
   訪ふ人もなきみ社の木立のみ大きくなりて昔偲ばゆ
   詣でつつ師の君偲び晩年の淋しき日々を思ひ浮びぬ

          小矢部市 岸本 弘
       北島照明命を
   ほがらかにみそなはしませたまゆらのいのちの限りと生くる我らを

          茅ケ崎市 北浜 道
   危ふきを危ふきと感ずる心をば養ひ生きむ友らと共に

          久留米市 合原俊光
   かくり世にいますみたまら偲びつつ萩咲きそめし野辺を歩みぬ

          鹿児島市 小原芳久
   先輩らと川井修二先生のお墓を訪ねし折に
   師の君のあまたの教へ偲びつつ時を忘れて語り合ひけり

          東京都 小柳志乃夫
       広瀬誠先生の遺文を読みて
   遺されしみ文を読めば師の君のみなぎる気迫のせまりくるがに

          柏市 澤部壽孫
       野間口行正兄
   逝きまして十余り七年経つれどもいよよ恋しき友の面輪よ
       夜久正雄先生
   若きらに語る折しも師の君の思ひ出されて胸つまりくる

          熊本市 白濱 裕
       北島照明先輩初盆
   亡き先輩の導きありて斯の道につながり得しとをろがみまつる

          宇治市 柴田義治
   蛮国のおもひのままなる侵攻に我が国民は何をなすらん

          清瀬市 島村善子
   ますらをのいのちささげし日の本をまもりつぐべく心つくさむ

          本荘市 須田清文
       小田村寅二郎先生の「学び方」を読みて
   まごころを尽し生きたる先人をひたすら偲びて今に生かさむ

          岡山市 砂川芳毅
   国難のときに己れが出来ること尽して生きむ仕事場家庭に

          下関市 寶邉正久
   「み魂よ今よみがへれ」とふ詩語一片百年のいまよみまつるかも(三井甲之先生九月十三日)
   「もだし立つわかものよ」とふ列に立つ思ひするかも遠きみまつり
   棚に置く師のうつしゑのおん目をばなつかしみ見るけふの夕は(小田村寅二郎先輩)

          下関市 寶邉幸盛
   み祭りの案内くるたび師の君のおもかげうかびて師の書ひもとく

          東京都 武田有朋
   吾子たちの生くる日本を思ひつつ親たる我は日々に励まむ

          霧島市 七夕照正
       第一回合宿開催地の霧島神宮に参拝して
   この地にて立ち上がりましし大人達の雄々しきみ姿目に浮び来る

          佐久市 中澤榮二
   政治乱れ果てなし靖国の英霊をまつる心忘れて

          東京都 坂東一男
   皇国の周辺諸島波高し羆(ロシア)と虎(中国)と狐(韓国)狙ひて

          埼玉県 藤井 貢
   長らくの太平の世は終らんか海の彼方のありさま見れば

          福岡市 藤新成信
   折々に友らとともに大人の書を輪読すれば心晴れゆく(「太子の御本」)

          厚木市 福田忠之
       小田村寅二郎先生
   朝ごとに灯火つける神棚に師のみ姿とみ声偲びぬ

          横須賀市 古川 修
       北島照明兄をしのびて
   若き日の共に学びし友の声よみがへりきぬ祭り迎へて

          筑紫野市 松浦良雄
   剪定の鋏の音は軽やかに松の形を整へてゆく

          横浜市 松岡篤志
       白梅の塔にて
   沖縄の友らとともに白梅の学徒(県立第二高女)遺せしみ文よみあぐ

          北九州市 松田 隆
       早朝の散歩道にて
   朝霧に濡れし稲穂は輝きて秋空青く心澄みゆく

          倉敷市 三宅将之
   国守る気概のかけらさへ見えぬ政権を有つ国たみあはれ

          東京都 宮田良将
   「神州不滅」口ずさみては斎庭にて共に歌ひししらべをぞ思ふ

          大阪市 薬丸保樹
   中国の理に反したる暴論を打ち負かすべき気概ひ持ちたし

          福岡市 山口秀範
   彼岸花咲けばみ祭り近まりて大人らの写し絵しきりに浮び来

          八千代市 山本博資
   大神宮に還りきませるみ魂らを偲びまつらむ秋の佳き日に

          熊本市 渡邊五十二
       鹿児島枕崎を旅して
   日の神のみちびきありて旅ゆけば楽しき思ひさらに深まる

   一般・学生(合宿教室参加者)

          東京都 難波江紀子
   先達の御国を思ふあつき心を我れ如何にして伝ふべきやは

          國學院大學大学院一年 相澤 守
   先人のみ心を継ぎ皇国を守りて生きむ禍払ひつつ

          東京工業大学大学院二年 安藤和則
   命かけ豊かな国を残したる御霊に誇れる姿見せたし

          東京大学理学部四年 高木 悠
   この夏も合宿教室に新たなる友を得たるは有難きかな

 

 編集後記

 尖閣奪取の意図を臆面もなく露にする中国に対処するに、政府は「閣僚会議」「事務次官級会議」から防衛相・次官を外している(9/20産経)。中国への配慮と言ふが甘く見られるだけだ。自らの手足を縛ることを善しとする自己不信である。領土守護になぜ全力を注がないのか。自ら尖閣危機を深めてゐる。正視に耐へない。
(山内)

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