国民同胞巻頭言

第611号

執筆者 題名
北濱 道 生きた言葉が交される学問の世界
- それは合宿終了で終るのでなく、これから始まる -
  合宿教室のあらまし
走り書きの感想文から(抄)(かな遣ひママ)
合宿詠草抄

 第57回全国学生青年合宿教室は8月16日から8月19日までの3泊4日間、熊本県阿蘇市の「国立阿蘇青少年交流の家」にて、152名の参加者を得て開催された。

 合宿導入講義「一度は考へておくべきこと」で白濱裕先生は、現今我が国に迫る近隣諸国の侮蔑と領土侵犯は、我が国民覚醒の契機たり得ることを指摘された。そしてそれを考へる手掛りとして明治維新に言及され、長谷川三千子埼玉大学名誉教授の言葉「明治維新は決してただ日本を変へたのではない。むしろ日本の本来の根をさぐりあて、その上に国家を築くことによって、維新は成就したのである」に触れて、「本来の根をさぐりあてる」ことの大切さを説かれ、その文章としての結実である「教育勅語」を、東日本大震災で身を以て示された「公」の精神を奉じた方々を偲びつつ、起草に関った井上毅の書簡に仰がれた。

 お招きした竹田恒泰先生の講義「日本はなぜ世界で一番人気があるのか -日本の歴史と皇室のありがたさ- 」では、先生は、大学での日本国憲法の御講義で第一章に時間を掛けて丁寧に教へてをられるとのことであったが、「主権とは国の政治のあり方を最終的に決める力である。戦後、国民主権と言はれるが、それは戦前重臣が持ってゐた権力を国民が引き継いだものに他ならず、現憲法下でも天皇の『裁可』を経ずして法律は公布されず効力を生じない。戦後も戦前も我が国の主権者は、天皇と国民が一体となった君民一体の姿そのものである」と喝破された。

 「短歌創作導入講義」では、小林国平先生は、明治天皇御製「おもふこと思ふがままにいひてみむ歌のしらべになりもならずも」を引き、心の動きを一首一文で、具体的にわかりやすい言葉で詠む、といふ作歌の基本を示された。

 「古典講義」では、今林賢郁先生によって、西郷隆盛の為人を、同時代の証言や『南洲翁遺訓』から、「圧倒的な存在感とこぼれるやうな愛情を持つ人でした」と偲ばれ、「節義」といふ言葉に室鳩巣の『名君家訓』を参照され、「ここに書かれてゐる訓への全ては無理としても、できる一つでも今すぐ実行して、“平成の節義の士”にならうではありませんか」と強く呼び掛けられた。

 講義「皇室と国民 -感応相称の世界- 」で小柳志乃夫先生は、「この国を本当に治めてゐるのは誰でせうか。おさむ、とは、あるべきものが、あるべきところにおさまることです。私達国民の心を治めることです。その意味で、治めてゐるのは、野田首相初め歴代首相とはとても思へない。私たちの心を治めてゐるのは天皇陛下ではないか」と問ひ掛けられた。そして先生は、孝明天皇から今上陛下に至る、歴代天皇の御製とそれにお応へする国民の姿を記した文章に、精神が相互に感応し合ふ“感応相称”の我が国の姿を偲ばれた。

 講義「先人の言葉に学ぶ」と題して奥冨修一先生は、「皆様自身がしきしまの道(心の鏡としての短歌)を学ぶ中で、我が国の文化伝統の継承者になって欲しい」と訴へられた。

 全体感想発表で、次の言葉が心に残った。「一律の、天皇はすばらしい、といふ空気に馴染めなかったが、班の先生の、疑問はそのまま温めていけばよい、といふ御発言で、一気に気持ちが楽になった」。思想は硬直化してはならず、私たちおのおのの自問自答によって、思想に内実を与へていかなければならない。

 閉会式で、廣木寧合宿運営委員長は、合宿期間の3泊4日を「他者」と共に過したことについて、「私たちは他者を意識することで大人になる。皆さんは稀有な体験をしたのです」「人に伝へずにをられない感動をしたのなら、伝へる責務が生れたことでもあるのです」と指摘された。

 本合宿で展開された「生きた言葉が交される学問の世界」、それは合宿終了で終るのでなく始まるのである。「責務」の重さを噛み締めつつ歩んでゆきたい。

(合宿運営副委員長、元(株)アルバック)

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     開会式(第1日目)

 合宿教室は九州工業大学4年脇勇貴君の開会宣言で幕を開けた。国歌斉唱に続いて、あまたの祖先の御霊に対して黙祷が捧げられた。主催者を代表して上村和男理事長は、合宿教室57年間の歩みを振り返りつつ、「戦後日本は国の歴史を正しく教へてこなかった。道を間違へたと気づいたら元へ戻れは登山の鉄則である。今こそ学問の道筋を正すために、自分の国をしっかりと見つめる学問を始めなければならない。領土が侵されようとしてゐる時に傍観してゐては日本が日本でなくなる。この合宿を学問の原点に戻つて考へ直す切っ掛けにして欲しい」と述べた。次いで東京大学四年の高木悠君は、過去の参加経験を踏へて、「講師の言葉、班員の言葉に耳を傾け理解するやうに努めたことは自分の力になった。他者の話を正確に聞くやうに努めて、心が通ふと自分の心の躍動を覚える。思ひを共有する喜びを感じる合宿にして行きませう」と訴へた。廣木寧合宿運営委員長は「一年の準備を経て開会に漕ぎ着けた。自分は学生時代、この合宿教室で日本の歴史の真髄を学んできた。そして日本の歴史の中を旅してきた。阿蘇の地まで足を運んで来られた参加者の皆さんには、ぜひ心を働かせて合宿に取り組んでもらひたい。自分の国の歴史の中の風景をよくよく見つめ味はってもらひたい」と述べた。

     合宿導入講義

   「一度は考へておくべきこと」元熊本県立大津高等学校長 白濱 裕先生

 冒頭、「今年は、昭和27年に講和条約が発効し、主権を回復してから60年目を迎へる。最近の尖閣や竹島などの領土問題への対応をみると、かつて三島由紀夫が予言したやうに、『無機質な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、ある経済的大国』と評しても良い状況にある。家族の絆の稀薄化、若者からは『学び続ける精神や教養への敬意』が失はれ、政治家は『よつて立つべき国家の根』を喪失したまま空疎な改革を叫ぶばかりだ。そこから抜け出すためには、『国家の根の喪失』の自覚とそれを取り戻す『意志の持続』が不可欠である」と、長谷川三千子先生の文章を引用して、訴へられた。

 そして、終戦直後の、教育基本法の制定や教育勅語の廃止などで精神的武装解除を企図したGHQの占領政策や、教育現場を支配した日教組の跳梁の実態に触れ、教育再生のために、いま一度「教育勅語」の精神を見直すべきであるとして、起草の経緯や、主に起草に当った井上毅の努力の跡を辿られた。

 最後に、東日本大震災の折、日夜救助に当った自衛隊や殉職した女性役場職員など「義勇公に奉じた」人々の中に、教育勅語の精神は今に生きてゐると締めくくられた。

     講義(第二日目)

   「日本はなぜ世界で一番人気があるのか -日本の歴史と皇室のありがたさ -」
     作家・慶應義塾大学講師 竹田恒泰先生

 先生は、現憲法第一章「天皇」を大学院で1年間かけて講義されてゐて、「憲法を語るといふことは、日本を語る、歴史を語ることに他ならない。そして天皇を語ることでもある」と述べ講義を始められた。そして、「大日本帝国憲法に於ける天皇の権能はポツダム宣言受諾と共に失はれ、現憲法ではあくまで象徴にすぎない」とする憲法学会の通説を批判された。そして、戦前は天皇主権であったが戦後は国民主権になったかのやうに書いてゐる高校教科書は間違ひだと述べられ、「我国の主権は天皇お一人にあるのでもなければ、国民一人一人にあるのでもない。天皇と国民が一体となった『君民一体』の姿こそがわが国の国柄である」とお述べになった。

 続いて「君民一体の日本の国の姿は、世界のどこの国にも見ることが出来ない独自の非常に美しい、理想的な国家統治の形である。日本はどんな国であるかを一言で言へば、日本は“和の国”であると言ふ他はない」と述べられた。「日本人はまづ調和を大切にし、家族があればその中の和を、そして近所・地域の人との和を大切にし、さらには会社の中でも外国との関係でも和も大事にし、つひには大自然との調和も大事にして来た」と、日本人の心の持ち方や気質について話された。

 次に先生は、日本が2千年以上続いてゐるのは何故かと問はれ、日本では武士同士の戦ひはあったが、一般人を巻き込んだ17世紀のドイツ30年戦争や近くは中東戦争に見られる他の 宗教を否定する宗教戦争のやうな「戦争らしい戦争」を経験して来なかったことを挙げられた。そして日本では何故、宗教戦争がなかったかについて、「日本はもともと8百万の神々がをられて、仏教が伝来した時もそれを受け入れ、むしろ仏教により国を守り安泰にしていくといふ鎮護国家を目指した」と述べられ、さらに「日本は世界最古の国家であり、中国やエジプトは日本より古い国のやうだが王朝はすでに亡び、現在の中国は63年前に共産党が創った新しい国家で、エジプトは今は共和国である。日本の次に古い国のデンマークでも千数十年、3番目がイギリスで940年である」と指摘された。

 最後に「私たちはまづ、日本人として生れてきたことの有難さを認識し、日本が2千年もの歴史を持つ存在であることをじっくり噛みしめて、それを次の世代に手渡していかうと思へば、今の私たちの時代をどう生きて行くべきかが見えて来るのではないでせうか」と述べられた。

     短歌創作導入講義

   祐誠高等学校教諭 小林国平先生

 初めに、14年前の学生時代に阿蘇での合宿教室で初めて詠まれた歌を紹介され、短歌相互批評で班員と感動を共有した時の喜びの体験を語られた。「夕顔」の成長する様子を詠んだ祖父に当る小林國男先生の七首の歌を紹介しつつ「短歌に触れる」意味合ひを「カメラは景色を写すが、短歌はその時の気持ちを心に刻む作業である」と説明された。続いて、作歌の心構へとして『短歌のすすめ』の序文を引きながら、三十一文字の中に感動をありのままに詠むこと、「一首一文」「字余り」「連作」などを、昨夏の江田島合宿の折の参加者詠草を具体例に示しながら作歌上の留意点を懇切に説かれた。

 最後に、小林國男先生が学友、高瀬伸一さん(昭和20年7月戦死)の遺歌《荒れくるふ海のはたては丈夫の生命のすてどいさぎよくゆけ》に曲譜を付けられたが、それを独唱し、「終戦後50年以上の年月を経ても、高瀬さんの遺歌は、祖父にとっても同窓の小柳陽太郎先生にとっても一刻も忘れることのない歌であった」と述べられた。

     レクレーション(阿蘇火口登山・草千里散策)

 短歌創作を兼て、一同は4台のバスに分乗して、阿蘇火口から草千里を回った。火口では噴煙の濃度が上がったとのことで、急遽下山を命じられるといふハプニングがあった。

     古典講義 「西郷隆盛『南洲翁遺訓』」

   国民文化研究会副理事長 今林賢郁先生

 まづ最初に、坂本龍馬、増田宋太郎、内村鑑三の言葉を引用しながら、西隆盛の器量の大きさ、圧倒的な存在感と人望に思ひを馳せられた。

 西の語録を収めた『南洲翁遺訓』成立の由来について、「西南の役で逆臣となった西が帝国憲法発布(明治22年2月11日)を機に名誉回復されたことで、翌年旧庄内藩(山形)の人たちがその語録を編んで頒布したのが始りであるが、そもそもの発端は、明治維新の際、新政府軍に厳しく対峙して敗れた庄内藩に対する西(征討軍総参謀)の寛大な扱ひに、庄内藩の主従が感激したところにあった」と説かれた。庄内藩では維新後、藩士を鹿児島に派遣し西の下で学ばせてゐる。43箇条の語録の中から八箇条を取り上げて、西の「敬天愛人」の思想、文明観、軍事・外交のあるべき姿等々について講義を進められた。

 最後に「節義廉恥を失て、国を維持するの道決して有らず、西洋各国同然なり。上に立つ者下に臨で利を争ひ義を忘るゝ時は、下皆な之に倣ひ、人心忽ち財利に趨り、卑吝の情日々長じ、節義廉恥の志操を失ひ、父子兄弟の間も銭財を争ひ、相ひ讐視するに至る也。此の如く成り行かば、何を以って国家を維持する可きぞ」といふ『遺訓』の言葉に関連して、徳川吉宗に仕へた儒学者・室鳩巣の『明君家訓』にある「節義の士」を取り上げ、「節義の士」が守るべき行為 -私欲に走らず、諂はず侮らず、約束をたがへず、恥を知り、してはならないことはしない、人の悪口は言はない、生き甲斐を持ち、義と理を重んじる- 等々について説かれた。「これらの一つでも二つでも各人が自分のものにして『平成の節義の士』足らんと努めて欲しい。それが「国を維持する」ことに繋がる」と述べられた。

     講義(第3日目)「皇室と国民 -感応相称の世界- 」

   興銀リース執行役員 小柳志乃夫先生

 冒頭、遠藤周作著『深い河』の「生活では多くの人と交ったが、人生で出会ったものは母と妻の二人であった」との一節を引きつつ、天皇は生活ではなく人生に関はるご存在だと感想を述べられた。次いで加納祐五先生の「日本の国柄の真髄は…国民の上を思はせられる天皇の御心に感応して、これにお応へしようとする国民との間の君民感応相称の精神世界にある」とのお言葉を引いて、まづ天皇の御心を御歴代の御製に辿られた。孝明天皇の御製「澄ましえぬ水にわが身は沈むともにごしはせじなよろづ国民」について、わが身を顧みず国民を護らうと神に誓はれた御製であり、その神は国民を慈しんで来られた天皇の御祖先であって、神への祈りと国民への思ひは一つであられたと話された。同様の捨身の御製として昭和天皇の終戦時の御製を紹介され、さらに、かうした国民への深い思ひは今上陛下にも受け継がれてゐると、震災時の御製を解説された。

 君民の感応相称の史実として明治天皇と昭和天皇のご巡幸をとりあげて、それぞれの御製と国民の歌や文章を紹介され、幼子が親に出会った折のやうな国民の感激と、そこから国づくりに尽くす現実的な力が生れた様子を偲んでゆかれた。さらに昭和天皇の「鹿児島湾上の聖なる夜景」の逸話とその場にゐて天皇をお送りした子どもの詩を紹介され、「感応相称のまごころがここに生きてゐる、御巡幸を政治的パフォーマンスと捉へる現代の学者には、この内的感激を伴った皇室と国民の関係は理解できまい」と指摘された。最後に夜久正雄先生の「国をおもふことが天皇陛下のお心をしのぶことと一致するのが日本の国の国がらではないでせうか」とのご文章を引用して御製を拝誦する意義について語られた。

     会員発表

   福岡労働局総務部 古川広治氏

 学んでゐることが現実の生活に活かされてゐるのか、何のために学んでゐるのか、時折不安に思ふことがあるが、そんな疑問にも応へてくれるのが、合宿教室に参加された先輩方の文章を収載した『戦後世代からの発言 -真正なる日本人を目指して- 』(国文研叢書No.28・29)であると、読後の所感を語り、2人の言葉を紹介した。「自分が本当に美しいと感ずることを自らの日々の生活に一つ一つ実現していくこと」「日本人としての本当の生き方を自分自身の心に問ひつつ求めていきたい」。最後に「人生とは何なのか」を問ふ学問があることを知った喜びを語った。

   日本ユニシス北海道支店 大町憲朗氏

 初めて、この合宿教室に参加したのは39年前で、天皇陛下のことが解らず「国に命を捧げる」といふことが理解できないままで合宿を終へた。その後の春の小合宿で、北島照明先輩から「御製を100回読みなさい。君は理屈だけで物を考へてゐる」と、一喝されて目が醒める思ひで御製を読んだことが転機となったと、思い出を語った。その後、しばらく合宿参加が途絶へてゐたが、ある先輩から、「今回来なかったら、君は精神的に死ぬよ」と電話をもらひ奮起したのが3年前で、それが昨年秋の札幌合宿の開催に繋がった。今後も、北の地にも友を求め学びを広げたいと述べた。

     短歌全体批評

   国民文化研究会副理事長 澤部孫壽先生

 2日目午後の、短歌創作を兼たレクレーションの後、参加者全員から短歌が提出され、その中から選別された220首を収めた「歌稿」をもとに全体批評が行はれた。

 各班から数首づつ取り上げて、表現上の問題点を丁寧に具体的に指摘しながら正していかれた。作者の見たまま、感じたままの素直な心に立ち返って、その感動を正確に言葉にしていくことの大切さを、実作を通して示された。時には笑ひ声もおきる中、正確な表現に直されることで、作者の思ひが伝はる歌に変貌していく「短歌の世界」の表現の深さを実感していく時間となった。また日本の歴史や文化における短歌の素晴らしさについても言及され、「豊かな心が経験を豊かにする。短歌創作は豊かな心を育む上で大きな力を持ってゐる。合宿が終ってからも、是非ふだんの生活の中で短歌に親しんでほしい」と結ばれた。

     慰霊祭

 慰霊祭に先立って、山口県立熊毛南高等学校教諭の寶邊矢太郎先生が慰霊祭についての説明をされた。「この慰霊祭は、戦時平時を問はず祖国日本の国のために尊い命を捧げられた全ての祖先のみ霊をお慰め申し上げることを目的としてゐる。慰霊祭に参加する者は、自らの心を整へ、今に生きる者として先人の思ひを受け継ぐといふ気持ちで臨んで欲しい」と説かれた。次いで参列の際の実際の作法(低頭、最敬礼、二拝二拍手一拝)を示された。最後に、祭儀で奉唱する『海ゆかば』の練習を行った。

 慰霊祭は、講義室裏手の小高い草原に設へた祭壇の前に全員が整列して、星が瞬く音さへ聞えて来さうな静寂の中、厳粛に執り行はれた。初めに山口秀範常務理事(寺子屋モデル代表世話役)が三井甲之詠の「ますらをの悲しきいのちつみかさねつみかさねまもる大和島根を」の歌を朗詠、山の幸、海の幸が献進され、次いで県立熊本高等学校教諭の久保田真氏が御製を拝誦し、大岡弘理事(元新潟工科大学教授)が祭文を奏上した。そして、一同による「海ゆかば」の奏唱、玉串拝礼、撤饌の儀と続いた。

     講義(第4日目)「先人の言葉に学ぶ -しきしまの道について- 」

   元東急建設常務取締役 奥冨修一先生

 「合宿教室は日程の3分の1以上が短歌に割かれてゐるところに特徴があって、参加者の方にも『短歌が心の鏡』となるやうな道(しきしまの道)を歩んでいただきたい、それがこの合宿の願ひである」と言はれた。続けて、万葉集の山上憶良「好去好来の歌」を引用し、「皇神の厳しき国言霊の幸はふ国」(わが国は天皇様が統治されることによって永遠に栄へる国であり、和歌によって人の心の通ひあふ国である)と歌はれた国柄は、一筋に伝へられて千年の後、明治天皇様が、この道を「しきしまの道」として強く認識されたのである、と説明された。さらに、和歌(短歌)の原理は「まこと」にあり、この伝統を受継いだのが明治維新の志士、中でも吉田松陰の『留魂録』の歌は群を抜いてゐる、として辞世の句を詠みあげられた。また夜久正雄先生の「しきしまの道はいまも日本文化の中核であり、日本人の心のバックボーンである…気づく人が少ないのである」のお言葉に触れて、「合宿教室の『願ひ』もここにある。皆さんには是非気づいて欲しい」と強く述べられた。最後に先生は「敗戦によって失はれた貴重な文化を取り戻す道は、我々自身が『しきしまの道』を歩む、といふ身近なところにある」と結ばれた。

     全体感想自由発表

 次々に登壇した参加者は率直に胸の裡を語った。「学問には実感や感動を伴って分るといふこと、つまり頭だけではなく心が必要だといふことが初めて分った」「昭和天皇の終戦時の御製に触れて涙がこぼれた」「短歌創作を通じて、自分の感情を表現することの難しさが分り、明治天皇の御製の凄さを感じた」「平和な国に生れて良かったと思ってゐたが、日本に生れて良かったといふ考へになった」「先人が書物に残された思ひを、まづは真摯に受け止め、その上で自分の意見を形成していきたい」「西郷さんの話を聞いて、自然に涙が出た。日本の素晴しさを知り、もっと本を読みたくなった」「短歌を通して自分に向き合ふことができた」「自分の人生を立派に生きて子や孫に見せていきたい」「心の深い次元で物事を知ることが出来、有難かった」「客観的に歴史を見ると、本来自分につながりのあったはずの歴史が自分から離れたものになつてしまふといふことが分った」「合宿が終ってしまふのは寂しいが、むしろこれがスタートだと思ふ。ここで得た良き友との縁を大切にし、これからもつながりながら勉強していきたい」…。

     閉会式

 力強い国歌斉唱に続いて、磯貝保博副理事長は主催者を代表して「日本は和の精神を持つ国であり、世界最古の連続する歴史を持つ国であることや、御製を通じて天皇の御存在、天皇と国民との感応相称の精神世界の実在を実感されたと思ふ。大学や職場に戻っても、折々ここで学んだこと感じたことを思ひ起して精進して欲しい」と述べた。学生代表挨拶で九州工業大学2年小林達郎君は「戦後教育によって本来の日本の精神が歪められ、歴史観や文化教育の伝承に危機感を覚えた。日本の伝統を正しく学んでいきたい」と、今後の意気込みを語った。次いで廣木寧合宿運営委員長は、自身の学生生活や寮での体験を振り返って「仲間との日常の勉強会や共同生活が学生を成長させる。合宿の講義内容を日々、紡ぐことが日本の歴史を旅することと同義であり、今後の日本や後世のために合宿後も学問を続けていくことが我々の責務である」と熱く呼び掛けた。最後に立命館大学1年藤新朋大君が閉会を宣言して、合宿教室の幕は閉ぢられた。

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 もっと短歌を創ってみたい
          法政大学 法一 本多光雄

 今回初めて合宿に参加して最初は不安で緊張しましたが、非常に有意義なものとなりました。今回の合宿を通して改めて日本の歴史や天皇について何も知っていないなと感じました。また、短歌を初めて作りました。初めてなので五七五七七に組み込むというのは難しかった。しかし班員のアドバイスもあり完成させることができました。もっと短歌を創ってみたいと思いました。

 自分に引きつけて考えることができていなかった
          明治大学 法四 岡部訓亮

 最終日のご講義での「日本思想や歴史を考えるときにまず客観的にみようというのか」という言葉にはっとさせられました。今まで自分の中で、客観的に物事を見て、分析・判断するということに価値を置いてきたので、自分の側に引きつけて考えることができていなかったと思います。今思えば、勉強に対してどこか他人事で、緊迫感、切実感、勉強の意味というものが見いだせていなかったことも多かったと感じています。この合宿では意見を求められます。こういう考え方もあるよね。こっちはこういうメリット、デメリットがあるよねと言うだけで自分の意見を持とうとしないことは逃げの姿勢であると気づかされました。

 和歌の真の意味に気づいた
          一橋大学 大学院商一 中村紘右

 今回の合宿で初めて挑んだ本格的な短歌創作を通じて、3点を気づかされました。1点目は、歌を詠む難しさです。日本で生を受け、日本語を使って生きてきましたが、自ら言葉の乏しさを痛感させられました。そのために創作に時間がかかりましたが、班員の力のおかげで完成した時の喜びは阿蘇の雄大な青空に似た清々しいものでした。2点目は班員の真剣な眼です。社会人経験のある私と10歳近い年の差のある彼らの短歌に取り組む眼は、私の濁った眼にも輝いて見えました。澄みきった眼が曇ることのない社会に日本を戻さねばと思うに至りました。3点目は、和歌の真の意味です。私は日本の伝統的な歌だから和歌だと安易に考えていました。しかし、この歌とは先人からの愛に満ちた贈物であり、先人と私たちの縦糸と私たちの横の心を和するものであると知ることができました。

 深く心に残った言葉
          東京大学 理四 高木 悠

 奥冨修一先生の御講義で紹介された一文「諸君が生き生きとした人生体験を積み重ねていけば、きっとそれがそのまま日本思想である」といふ言葉が深く心に残った。自分の生き方が直接日本思想になり得るとは考へもしなかった。かう思ってゐる時、小柳志乃夫先生が御講義で紹介された栃木県の農民の歌「ありがたきみゆきをろがみ立ち帰り稲を作りて御世につかへむ」がより切実に感じられた。この農夫は「日本思想」といふ言葉を考へた事があるかは分らない。しかし自らの仕事に誇りを持ち生き生きと生き、確かに日本に連なってゐたのだと思ふ。「自らの生き生きとした人生体験がそのまま日本思想である」との言葉には、これから物を考へるヒントを貰ったやうに思ふし、同時に生きる事に対する勇気を得たやうに思ふ。

 本当に大事なことを教えられた
          大阪大学 経三 岩井中 健

 合宿に参加して、初めて日本のこと、天皇陛下のことを考える機会を得ました。先生方のお話や班別研修で班員や班長のお話を聞いたとき、言わんとすることが、頭では理解できても共感することはできませんでした。「日本は良いよね、天皇陛下はありがたいね」。このような言葉を何度も聞いているうちに疑いの気持ちがあらわれたからです。すなわち、何かだまされているような気分になったのです。班別研修でこの疑問をぶっつけてみました。私は、そこで、本当に大事なことを教えられました。それは、「その疑問を忘れないでほしい。そうすれば自ずと今度は自分の目で見て耳で聞いて、主体的に学ぶ意欲が湧いてくるはずだ。御歌を味わい、時には実際に天皇陛下のお姿を見てみる、その中で、必ず自分の心が動く瞬間があるはずだ。実感や感動を伴なったとき、はじめて君は本当の意味で日本のこと、天皇陛下のことを理解し共感するのだ」というお言葉でした。ここで私は、「知る」ということの真の姿をみたと思います。真っ向からぶっつかり合える環境、友人に出会えて良かったです。

 深い次元で日本のことを考えた
          立命館大学 文一 藤新朋大

 今、「本当に深い心を知る」といふ機会が失はれてゐると思ひます。皇室とは何か、天皇とは何かといった非常に難しいテーマを皆が避け、あるいは表面的にのみ扱ふといふものが多い中、この合宿に於いては、「本当に深い次元で皇室のこと、天皇のこと、そして我が国日本のことを学ぶ」ことが出来ました。仲間たちと様々な「言葉」に触れ、また自分の心を「短歌」に映すことで、先人たちの伝へて来られた日本の文化の神髄に迫ることが出来ました。

 折に触れて短歌を詠んでみたい
          大阪大学 経三 青野 遼

 「和歌を詠めば日本の心が解る」と聞き合宿に半信半疑で参加し、その実を確かめてみむと思って参加しました。講義内容は非常に興味深く、面白いものでしたが、いかんせん勉強不足で、班別研修では言葉の出ない歯がゆさを感じました。更に、日程が厳しい中、班員ともコミュニケーションも十分にとれず、なかなかに息苦しい時間でした。しかし、三日目に、和歌を完成さる段に至り、あれやこれやと語り合ううちに、和歌から人柄が見え、話もはずみ、とても仲良くなりました。和歌の「心通ずる力」を感じさせられました。願わくば、もっと早い段階で和歌を詠ませてほしかったということです。そして、これからも折に触れて短歌を詠みたいと思いました。

 二つの課題を見つけた
          早稲田大学 商一 小柳誠志郎

 合宿に参加して、特に思うことが2つあります。1つは伝統文化と新興文化、そしてそれを担う私たち日本人についてです。現在、世界には情報が溢れ返っていますが、その多くは取るに足らないものの中で、伝統文化はいささか肩身のせまい思いをしているように思います。講義の中でアメリカの学生の中に平家物語に詳しい人達がいるというのを聞き、とても自分を恥ずかしく思いました。それは日本の伝統文化の担い手は他ならぬ日本人であるべきなのに、当の自分は平家物語に学校の教科書程度でしか触れていないということがふと頭に浮かんだからです。合宿から帰った後の一つ目の課題を見つけたような気がします。2つ目は人を尊敬するということについてです。私のまわりに尊敬すべき人物がいます。しかし私は、その人を自分とは次元というか、レベルの違う人間だと思うにとどまっていたのです。私に足りなかったこと、それは尊敬すべき人の生き方を見習い、自分がその人に近づこうとすることだと気づきました。それが本当の意味で尊敬することなのだと気づかされたのです。この二つのことを心に留めて今後の勉強に努めていきたい。

 短歌の難しさと面白さを知った
          熊本大学 法一 石田 惇

 私は、今まで短歌というものにふれたことがありませんでした。しかし天皇の御歌に触れるなどして、自分の気持ちを五七五七七という短い言葉につめ込む難しさや素直に述べることを学びました。班員の皆さんに自分の短歌を批評して頂きました。「阿蘇の旅友と語らうバスの中知らぬ間に親友となる」といふ短歌を先生や班員が直してくれて「バスの中語らひ弾みて知らぬ間に親友を得し心地するなり」という今まで詠んだことのない良い短歌をよむことができました。今まで、大学生活で達成感というものを感じたことはありませんでしたが、久々に達成感を感じることができました。これからも短歌の面白さにふれて行きたい。

 人生にとって大きな一歩だった
          西南学院大学 人間科学四 川原優一

 私の所属する5班では、皆が調和を持っており、初日から居心地のよい班だったのですが、班別研修では本心で語り合えていないような気持ちがしていました。しかし3日目の小柳志乃夫先生の素晴らしいご講義によって、湧きあがったそれぞれの感想を述べ合い、自己の短所や他者の良い点を本心で述べ合うことが出来、ここで班員の心の距離はグッと近付いたと思います。私はこれまで自己の感情に素直に反応しておらず、理論武装で周囲に自分をひた隠しにしていたと思います。この日僕は自己の感情に素直に反応し本心で語れたことは、人生にとって大きな一歩だと思います。人生を豊かにするのに「歴史を学ぶこと」と「人との出会いとその後のつながり」があると考えていますが、合宿教室を終えて来年に向けて学び続けていきます。

 印象に残った竹田恒泰先生のご講義
          福岡大学 経四 山下和成

 阿蘇に来て3泊4日を過し、感想文を書いているのですが、今、心の底からこの合宿に来て良かった!」と言いたいです。班別で輪読することによって、各人の理解を深めることができました。特に印象に残ったのが、竹田恒泰先生のご講義でした。日本の皇室の偉大さや日本史の深さなどを面白くそしてテンポ良く私たちに語りかけてくださって、日本史について勉強しなおそうと思わされる講義でした。また短歌をつくり班別短歌相互批評を通じて一つの短歌を作り上げたことは新鮮な体験でした。

 この合宿を日常のものとしたい
          東京工業大学 大学院二 安藤和則

 阿蘇に登り雄大な牧草の風景に囲まれ、自然の豊かさを素直に感じながら友らと語らふことは本居宣長が古事記を通して言った、日本人が古来から大事にして来た自然な感情である「真心」に通ずると思ひます。ただこのすばらしい合宿が私にとって非日常であるのは残念です。何故ならそれだけ私の日常は古き良き日本人の日常とかけ離れてしまってゐるからです。簡単なことではありませんが、私はこの合宿を自分の日常にしてゆけるやうに努力して参りたいと思ひます。

 日本のあるべき姿を考えたい
          (株)はせがわ 永迫信哉

 特に印象的だった人は、たった1回の敗戦で占領政策や弱体化政策により、日本の神話や歴史が伝承されなかったり、変えられたりしているということだった。もし本当にこのようなことが行われているとしたら、自分の仕事も伝統文化を伝えていく仕事なので、将来への危機感を抱いた。日本のあるべき姿は何なのか、もっと考えていく必要性を感じた。その方法の一つが和歌だと思った。和歌は「まこと」を原理とする。「まこと」とは言うこと、書くこと、行うことが一致することをいうことから、先人の言葉から学ぶべきことが沢山あると感じた。天皇についても、この研修に参加する前は、何の関心もなかったが、研修後は天皇は国の象徴と憲法で定められている所以が理解できた気がした。

 短歌相互批評が印象に残った
          福岡県中経協連合会 上島 格

 この合宿の一番の印象は、短歌相互批評であり、私の下手な短歌を、思いを正確に表現する言葉を皆で探して、それなりの短歌に仕上げようと真剣に考えて頂いた事です。この姿こそ、本来日本人が持っている全員一丸となって同じ方向に進む、助け合う精神だと改めて感じました。

 短歌のすごさを知った
          華泉書道会 坂本和代

 今回は短歌のすごさを知りました。魂のこもった歌は何十年何百年経っても人の心を動かす、ものすごい力があることを知りました。ただ聞いているだけで涙がとまりません。この感動を娑婆世界へ戻って、どう維持し、どのように伝えるかが、私にかせられた課題だと思っています。自分の生活の糧である書道を生かし、歴史や偉人の話を読み聞かせたり、短歌をしっかり勉強して、言葉の美しさ、慈愛、情緒を伝え育てたいと思っています。

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     福岡大学 経1 高久保良和
さよならと別れを告ぐる友達と再び会はむと心に誓ふ

     長崎大学 教1 富本伊織
班友と仲良くなりし合宿の終らむとして寂しさ覚ゆ

     九州工業大学 情報工3 堀川祥平
学びたる時短かくも班友と過せし日々は忘れ難きも

     明星大学 情報2 岡松 優
友達と共に学びて過したるこのひとときを我は忘れじ

     九州産業大学 経2 緒方雄樹
我が国の真の歴史を知らざりし愚かなる我をただに恥ぢ入る

     慶應義塾大学 大学院法2 杠泰介
阿蘇山のみ空は青く澄みわたり我の心もかくあれと思ふ

     九州大学 文1 中村允紀
大阿蘇の青き御空に立つ雲の笑ひて我に語るがごとし

     追手門学院大学 社1 絹田 暁
あたたかき先輩方に囲まれて日本の真価を心底思へり

     福岡大学 人文2 岩永 啓
眼前に開けし阿蘇の国原の景色美しく歓声を上ぐ

     國學院大学 大学院文1 相澤 守
山肌のところどころに緑消え豪雨の爪痕痛ましきかな

     専修大学 法3 奈良崎恵祐
間近まで登り来つれど突然に白きけむり噴煙の我らを阻む

     早稲田大学 政経1 岡田あかり
山の端に今沈みゆく夕陽影窓にうつりぬ絵画のごとく

     折尾愛真短期大学 経2 古賀良希
突然の霧につつまれ前を行く友らの姿見えずなりけり

     (社)九州建設弘済会 佐竹芳郎
喜々として乗馬を楽しむ幼子を見守る親の顔も輝く

     スクィラチォティのり子
去年会ひし友とふたたび語らへば昨日のつづきを語る心地す

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 編集後記

 韓国大統領の竹島上陸と、それに続く「陛下への謝罪要求」発言。政権末期の支持率浮揚を意図した言動だと言はれるが、実際に支持率が上ったらしい。なぜ大統領の反日言動が受けるのか。許しがたい非礼だが、そこには歪んだ権威主義の匂ひがする。「日本国家の権威」を認めるが故に、それに楯突けば自分を「大きく」見せられる…。言ふべきを言はずに事なかれ主義を積み重ねてきた対韓外交のツケと言ふべきだが、昨秋の野田首相訪韓でも「朝鮮王室儀軌」の一部をわざわざ持参して大統領に手渡すといふ「友好」ぶりだったが、その答へが8月10日の大統領の竹島上陸であった。

 阿蘇合宿で展開された「生きた言葉が交される学問の世界」、それは合宿終了で終るのでなく、まさにこれから始まると、巻頭言は呼び掛ける。
(山内)

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