国民同胞巻頭言

第610号

執筆者 題名
本会理事長 上村和男 「平和ボケ」から脱して、強い誇りある日本を創らう
日本戦略研究フォーラム副会長
小田村四郎
(日本戦略研究フォーラム季報・第53号から)
三党の憲法草案、改正案を読み解く

- 自民党・たちあがれ日本・みんなの党 -

 3年前の総選挙で誕生した民主党政権は、大震災への対応だけでなく、外交においても失点続きで、多くの国民に「国家」とは何か、「政治」とは何かを考へさせることとなった。そもそも選挙で掲げたマニフェスト(政権公約)自体が、財源の裏付けを欠いた不誠実きはまりない作文であったことは、今や白日の下にさらされてゐる。

 ことに総選挙で党首が「国外、最低でも県外」と声高に叫んだ普天間基地移設問題にみられるやうに、外交・安全保障に関する無策は目を覆ふばかりである。そのため、以前にもまして中国は尖閣諸島を奪はんとする意図を露骨に示すやうになったし、北方領土に関しても、ロシアは不法占拠の正当化をはかる一方で、中韓の企業に進出を呼び掛けるなど、わが国を無視する態度を隠さうとしなくなった。竹島を占拠し続ける韓国もヘリポートの大規模改修や海洋基地建設に乗り出してゐる。

 これら領土についての懸念事項は自民党政権時代からのものであり、歴代の自民党内閣が適確な手を打ってきたとはとても言へないが、民主党政権になって、中露韓とも一層対日攻勢を強めてゐることは何人の目にも明らかである。普天間基地移設問題の停滞によって、日米同盟が揺らいでゐると見られてゐるからでもあらうし(むろん現行の日米安保体制は早晩、双務性に裏付けられた協力体制に改められなければならないが)、何よりも民主党政権が安全保障に関して真剣ではないと見なされてゐるとしか考へられない。

 政権交代で多くの国益を失ったが、今のままでは「強い日本」どころか、領土保全も危ふいとの認識が国民各層に広まったとすれば、妙な言ひ方になるが政権交代は無駄ではなかったことになる。

 4月16日、石原都知事が、尖閣諸島を地権者から購入して東京都で管理し、漁業資源の活用の途を開く計画を表明するや、全国から購入資金にと寄付が寄せられ、3ヶ月後の7月17日現在、その額は13億円を超えたといふ。民主党政権では領土は守れないと多くの国民が感じてゐることの証左である。これまで政府は「日中間に領土問題は存在しない、尖閣は日本固有の領土である」と言ひ、「尖閣諸島を平穏かつ安定的に維持管理する」として地主から借り上げてゐるが、むしろ実態は日本人を島に近づけさせない、上陸させないやうにと警戒して来た。尖閣諸島が属する石垣市が出した固定資産税の課税調査のための上陸要請さへ認めない徹底ぶりであった。本末転倒これに過ぐるものはない。

 むろん海上保安庁の巡視船が領海警備を続けてはゐるが、一昨年秋の中国漁船による巡視船体当り事件の顛末をみれば、民主党政府の姿勢は言語道断で心細い限りであった。いまだにビデオの公開を拒んでゐる。

 まもなく67回目の8月15日を迎へる。祖国の安泰を願って生命を捧げられた英霊は、昨今の日本の姿をどのやうに見つめてをられるだらうか。「侵略戦争だった」の一語で語る教科書の記述をどう感じてをられるだらうか。教科書には、被占領期(主権喪失期)に帝国憲法改正の擬態のもとに強要された「日本国憲法」を讃へる記述で溢れかへってゐる。教科書本文に「諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」(憲法前文の一節)を引用した上で、これは「徹底した平和主義の宣言」であると説いてゐる(『高校現代社会』実教出版)。一度の敗戦でこれほどまでに、自立意識を喪失して自己を見失ふとは、慨嘆に堪へないが、これを「平和ボケ」と言はずして何と言ふべきだらうか。

 世界情勢は日々厳しくなりつつある。現状のままでは日本の政治も教育も取り残され、日本丸は沈没しかねない。「強い日本」を創り、「誇りある日本」を取り戻すことに政治も教育も専心努力しなければならないと強く思ふものである。

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   1.はじめに

 去る四月、たちあがれ日本(以下「たち日」)、自由民主党(以下「自民」)、みんなの党(以下「みんな」)の三党が憲法改正草案を発表した。概観して「たち日」案が最も優れてゐるやうであるが、天皇を「元首」と明記し(三党)、国旗・国歌規定を新設し(三党)、軍の保持を明確にし(自民、たち日)非常事態規定を新設し(三党)、「公共の利益及び公の秩序」「家族の尊重」を明記し、政教分離規定を緩和した(いづれも自民、たち日)点などは高く評価される。いづれにせよ、各党が憲法改正を現実の課題として取り上げる第一歩を踏み出したことは喜ばしい。しかし内容的には、なほ多くの問題点があるし、更に検討すべき課題も少くないので、逐条的に改正案を固めた自民案を主たる対象として以下に検討したい。但し紙数の関係で箇条書き的、或いは舌足らずの点は宥恕されたい。

   2.憲法改正の基本姿勢

 およそ人間が社会生活を営むに当っては、必ず一定の秩序とそれを支へる規範が必要であり、それが「法」である。從ってそれは道徳、慣習等と不可分に結び付いて生成して来た。

 国家にあっても同じである。特に憲法は国家の統治組織を定める根本規範であるから、国家在るところ必ず憲法がある。それは成文たると不文たるとを問はない(現に英国は不文憲法である)。我が国に於ても帝国憲法制定前に嚴とした不文憲法があった。勿論、他国の法律を継受することはあるが(律令制度、明治以来の立法)、その内容は我が国の国柄に即して取捨されてゐた。

 それ故に憲法は必ずその国の歴史、文化に根ざしたものでなければならない。明治九年の憲法起草の勅語に、「我カ建国ノ体ニ基キ廣ク海外諸国ノ成法ヲ斟酌シ以テ国憲ヲ定メントス」と仰せられ、帝国憲法発布の御告文に「此レ皆祖宗ノ後裔ニ貽シ給ヘル統治ノ洪範ヲ紹述スルニ外ナラズ」と宣はせられたのはこのことを示してゐる。從って帝国憲法の起草者達の苦心は並大抵ではなかった。岩倉具視は憲法起草のため招聘したロエスレルに我が国の歴史、慣習を理解させるために「大政紀要」を編纂してこれを示し、伊藤博文はウイーンに赴いてシュタインに学び、井上毅は国学者に即いて寸暇を惜しんで記紀の古典を熟読した。

 これに対し現「日本国憲法」は、敗戦により有史以来初めて敵国軍の占領下に置かれた我が国に於て(当然国家主権は停止されてゐる)、占領軍スタッフ二十二人により僅か一週間で起草、日本政府に強制した文書である。彼等は日本の歴史や文化に対する知識は皆無で(逆にラテイモアやロスなどの反日文献に洗脳されてゐた)、「日本ヲシテ再ビ米国及ビ世界ノ脅威タラシメザル」といふ占領方針に從って日本を徹底的に弱体化することを目的としてゐた。その標的は何よりも天皇および皇室、神社、軍備、家族、教育等であり、要するに国家存立の基本を徹底的に破壊し、バラバラの個人に分解することにあった。

 それは手続的には帝国憲法改正の外観を装ってゐたが、国際法に違反し、憲法改正の条件を充足せずその限界を逸脱した本来違法無効な国家解体文書に過ぎない。從ってこれに代るべき我が国の自主憲法は、正統な憲法である帝国憲法を基礎としたものであるべきである。新しい憲法が日本国憲法改正の手続を探るのは、あくまでも政治的安定性を確保するための手段であるにすぎないことを忘れてはならない。

 今回の三党の改正案は、依然として余りにも現憲法に捉はれすぎ、「自主憲法」には程遠い感がある。一刻も早く占領遺制の残滓を一掃して欲しいと思ふ。

   3.憲法の文体について

 現憲法は議会提出直前になって山本有三氏等の提案を容れて口語体平仮名を使用することとなった。その上、原文が英文だから冗長な文章が続き到底伝統ある日本の憲法とは言へない。

 古来、我が国の国語として格調高く、暗誦に耐へるリズムを伝へて来たものは漢文であり文語文であった。我が国本来の自主憲法を起草するとすれば、格調高く簡潔な表現が可能な文語体を使用すべきであらう。但し当面は個別条文の部分改正から始まるであらうから文語体使用は難しいかも知れないが、少くとも文語調の簡潔な表現が必要である。

 戦後占領軍の追放や峻烈な検閲によって正統派国語学者や評論家の言論が封殺されてゐた間に、多年にわたり蠢動して来た国語破壊論者達が占領軍に便乗して宿願の国語改悪を実現させた。「当用漢字」と「現代仮名遣い」である。これによって日本文化は断絶され、国民は古典の読解力を奪はれてしまった。しかし幸ひに「日本国憲法」は、この改革実施前に公布されたため、正漢字、正仮名遣ひで書かれてゐる(これが現憲法の唯一の取柄であるが、今では六法全書でも略字体漢字を使用してゐる)。

 今回の自民案は、略字体を使用するのみならず、仮名遣ひまでも現代仮名遣ひに改めるといふ愚挙を犯してゐる。戦後の日本文化破壊策がいかに根深いかを痛感するが、このやうな愚行だけは何とか阻止したいと思ふ。

   4.天皇

(1)国際法上、国家には必ずこれを代表する特定の個人が存在する。これを元首といふ。しかし現憲法ではそのことが曖昧なため、元首は首相であるとか、甚だしきは元首は内閣だといふ珍説まで現れた。かつて今上陛下御訪中の際、中国が元首に対する礼を執ったのに対しNHKが一旦その旨を報道しながら後刻訂正するといふ醜態を演じたことがあった。三党が天皇を元首と明記したことは、これらの邪論を排除するためにも当然である。

(2)三党とも現憲法と同様に「国民主権」を謳ってゐる。しかしこの用語ほど国民思想を混乱させたものはない。「天皇主権から国民主権に変った」といふ教科書記述に教育されて国民の多くがさう信じ込まされてゐる(しかし天皇が主権者であるなどとは帝国憲法のどこにも書いてゐない)。もともと主権とは国家の属性で独立性を意味し、それ故に最高、絶対、無制限などの性質を附与されて来た。しかしこのやうな概念は国際関係のものであって、これを内政に使用するときは独裁政治の根拠ともなり得るし、特に天皇統治の理念とは全く異質の概念である。また「国民」の意義も多義であって、本来は「観念的統一体」(小嶋和司教授)を指すが、国民個々人が主権者であるとの誤解すら与へてゐる(選挙権の行使を国民主権の行使と称するが如き)。いかやうにでも解釈されるかかる多義的な概念を憲法上使用してはならない。

 最大の難点は「国民主権」が「君主制」の対立概念として革命の根拠とされることである(この点は憲法改正議会に於て芦田均小委員長が最も戒めたところであった)。それ故に当時の政府当局者は、当時これを「国民の意思が至高であること」、「国民の至高の総意」と翻訳して「主権」の語を排した。ところが、これに対しケーディスはかう反論した。「至高と主権とは異なる」、「天皇を除去せよとの要求(注:極東委員会のこと)を斥ける唯一の方法は国民が何時でも欲するならば天皇を除去する道を拓いておくことである。…(その)基礎はあくまで憲法になければならない。それは国民の意思が主権であるといふことである。」(昭和二十一年七 月十七 日、ケーディス・金森会談)。斯くして衆議院修正によって「国民主権」の明記を強要されたのである。このやうな経緯から見ても「国民主権」は廃さなければならない。

 なほ天皇の地位は現存する国民の総意だけに基いてゐるのではない。「皇室の歴史及び伝統ならびに国民の歴史的総意に基く」とする「たち日」案が正確な表現と言へよう。しかし敢て皇位の根拠を記述する必要もないやうに思はれる。

(3)皇室の永続性を示す「萬世一系」の用語が三党案のいづれにもない。我が国の最重要の特質であるから(少くとも前文には)明記しなければならない。また象徴規定は存置して差支へないが「日本国の象徴」は「日本国の永続性の象徴」とすべきであらう。

(4)皇室典範及びそれに基く宮務法は、本来皇室の家法であるから、皇族会議及び皇室会議(現行人選は要検討)の審議に委ねるべきで、国会が関与すべきではない。

(5)帝国憲法の天皇の「神聖不可侵」(第三条)条項(これは天皇無答責も意味してゐた)に相当する皇位(又は天皇)の尊嚴を守る規定が必要である。(占領軍が廃止を強制した不敬罪も当然復活されなければならない。)

(6)「認証」の概念は不適当であり、当該行為自体(国務大臣の任免、信任状の発給、条約の批准等)とすべきである。また「進言」は 「補佐」でよいし、公的行為も当然補佐の対象となる。

 また皇室の祭祀は天皇の最重要義務であり(美濃部博士は祭祀大権と称した)、「たち日」案の如く明記すべきである。

(7)占領軍が現憲法に強制挿入した反皇室規定(「天皇は国政に関する権能を有しない」「皇室への財産譲渡の制限」等)は削除すべきである。

(以下、続く)

   5.安全保障

   6.国民の権利義務

   7.その他(国会・内閣・司法ほか)

(本会会長、元拓殖大学総長)

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