国民同胞巻頭言

第600号

執筆者 題名
磯貝 保博 民主党政権は「あと二年」続くのか
- 「党内融和」内閣で、国難に立ち向へるのか -
中島 繁樹 憲法89条・公金支出制限条項の混迷
- 愛媛の仇を福岡で討つことができるか -
谷内正太郎先生(第23回国民文化講座)
「坂の上の雲よ、再び!- 戦略的外交のすすめ-」
報告・東京大学理学部3年 高木 悠
井原 稔 44年ぶりの「合宿教室」
- 今夏の第56回江田島合宿に参加して -

 日本経済は、平成20年秋のリーマン・ショック以降、ギリシャの財政危機に発する世界的な信用不安の影響もあって低迷が続いてゐる。この間の2年間は成長戦略なき民主党政権であり、加へて東日本大震災の発生とそれに続く福島原発事故、さらには円高が追ひ打ちを懸け、国の借金の膨張は止まず財政再建が喫緊の課題となってゐる。しかも、中国経済の擡頭によって世界第2位の経済大国の地位も返上してしまった。

 前理事長、故小田村寅二郎先生は、平成3年の本紙1月号に、将来、経済大国でなくなった時の日本を想定して次のやうに記されてゐる。

  「そこに在る日本国は、自国防衛は他国に委せっぱなし、戦争に行ったり、軍事行動に加はるのは一切お断り、歴史伝統を過去の遺物と教へ込まれたままのため、崇祖敬神の心を喪失し、あげくの果ては国旗・国歌に対する敬仰の念も教へない義務教育をしてゐる国、マスコミは相も変らず深みのない 論壇と報道にうつつをぬかし、政界は依然として低次元の論議で国費を浪費してゐる、こんな日本が想定されないであらうか。…」

 今日の国家観なき民主党政権の為体をお知りになるよしもない当時の理事長が、今のわが国の状況を的確に表現されてをり慄然とさせられる。

 此度、野田佳彦民主党新内閣が発足した。新首相の指導力が未知数であるにも関らず、愚直さうな面貌の所為か各メディアの調査では新内閣支持が軒並み六割を超えてゐる。前々任の鳩山由紀夫氏、前任の菅直人氏よりはマシであらうとの「醒めた期待」があるのだらうか。

 首相一人で政権を担へるはずもなく、与党役員や閣僚の協力が不可欠である。ところが、民主党内は直近の政権公約マニフェストに関する認識さへもバラバラで政権与党の体をなしてゐない。それ故に今般の党役員・新閣僚人事は国家公共的な見地よりも党を割らないこと(党利)を優先させるといふ正に本末転倒であった。なかでも輿石 東氏の幹事長就任は「党内融和」を示す最たるものであった。輿石氏は「教育に中立はありえない」などと日教組擁護を広言して憚らない左翼人士であり、「媚中媚韓」の小沢一郎元代表に近いといはれる。閣僚も組閣九日目に食言から辞任した経済産業相を初め、外相も法相も財務相も、さらには文部科学相も防衛相も心許なく、厚生労働相も治安を預かる国家公安委員長も危ふい。この「党内融和」内閣の陣容では遅かれ早かれ行き詰るだらう。新政権の行き詰りはそのままわが国威の失墜につながる。鳩山・菅両内閣2年間の国家観不在の内政外交でどれだけ国益が損はれたことか。震災復旧でも後手々々だ。

 信じられないことだが民主党には「綱領」がない。憲法・防衛・外交等の基本政策で意思統一が計れないからである。党内が纏まらないのは当然であるが、それを曖昧にしたまま続くのが民主党政権である。もともと民主党は政権担当の要件を欠いてゐた。民主党政権になってから、例へば露中韓とも、「国後・歯舞」「尖閣」「竹島」で足並みを揃へたかのやうに対日攻勢を強めてゐる。綱領を策定できない政党、それに立脚する政権が長計を立てられるはずもなく、足元を見透されてゐるのだ。新首相が就任会見で「国際関係等を考慮して靖国神社参拝を控へる」旨を語ったことも遺憾千万なことであった(首相からさうした言質を引出さうとするマス・メディアの手法も腹立しい)。

 民主党政権は遅くとも2年後の任期満了までに国民の審判を受けねばならない。「あと2年」、このまま「その日ぐらし」のやうな政権が続くのだらうか。その時日本はどうなってゐるのだらうか。小田村前理事長が想定された通り、現状でさへ慄然たるものがあるといふのに、さらに拍車がかかるのか、憂慮に耐へない。

 今夏の江田島合宿教室で小堀桂一郎先生は、聖徳太子の17条憲法には「公」と「私」の関係といふ普遍的課題を考へる道筋が示されてゐる旨を語られた。各政党は謙虚に先人の思想に学ばなければならないが、取り分け与党民主党の責任は重い。党内融和(私)のみに時間を浪費することは許されない。党内融和は国政全般(公)と脈絡をもってこそ意味があるのだ。

- 9月20日 - (元講談社)

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     日本国内の朝鮮学校

 「2002年9月、朝日平壌宣言発表以後、日本当局は〈拉致問題〉を極大化し、反共和国、反総聯、反朝鮮人騒動を大々的に繰り広げることで、日本社会には極端な民族排他主義的雰囲気が作り出されていった」と今なほ公言し、日本人拉致に関係する金賢姫らの大韓機テロ事件について依然として「でっち上げ」であると説明してゐるのは、日本国内65か所にある朝鮮学校である。

 在日朝鮮人によって組織された在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総聯と略称される)は、日本国内の27の都道府県に、大学、高級、中級、初級のいはゆる朝鮮人学校を設けて、自国の民族教育を行ってゐる。

 そこで用ひられてゐる教科書のうち歴史教科書についてこのほど日本語訳が刊行されたが、その教科書を見ると、そこでは全面的に金日成、金正日を賛美する記述でうめられてをり、さらに前述のやうな政治的見解が詳細に述べられてゐるのであった。

     朝鮮学校に対する補助金

 日本政府は平成18年に〈拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害への対処に関する法律〉を施行し、この法律にもとづいて現在、北朝鮮船舶の日本入港がすべて禁止され、すべての品目について北朝鮮からの輸入と北朝鮮への輸出が禁止されてゐる。

 このやうな状況の下で、朝鮮学校高校課程の生徒の授業料を日本の高校生と同様に全額国庫の負担にすることが適当か、といふことが問題となった。

 その問題に関する新聞報道の中でわれわれが昨年秋に知らされたことは、全国27の都道府県でこの朝鮮学校に対して、これまでにも毎年合計約8億円の公的補助金が支出されて来たといふ事実であった。最も金額が大きかったのは大阪府で年額2億4440円、次いで兵庫県が1億8816万円である。

 私が住む福岡県では、学校法人福岡朝鮮学園が北九州市に九州朝鮮中高級学校と北九州朝鮮初級学校を設置し、福岡市に福岡朝鮮初級学校を設置してゐる。

 北朝鮮に拉致された日本人を救出することを目標として活動する福岡県内の有志の方々が福岡県に対する情報公開請求の方法で調査をしたところ、福岡県知事は平成18年から平成22年まで5年間にわたり、福岡朝鮮学園に対して教育振興のための補助金として毎年800万円を交付して来た、といふことであった。

     憲法89条の公金支出禁止

 ここで想起されるのは、昭和21年施行の現行憲法である。現行憲法は昭和21年わが国が連合国に占領されてゐたとき占領軍司令部の命ずるまま制定を強要されたものである。その内容は日本を弱体化しようとする占領政策のもとに定められてゐる。軍事力を全否定し、神道を敵視し、天皇の統治権総攬権限を極小化した。第89条が定めた公金支出禁止もその日本弱体化政策の一環である。

 その第89条は言ふ。「公金その他の公の財産は、(前段)宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は、(後段)公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し又はその利用に供してはならない。」

 この条項の前段の規定にもとづいて、最高裁判所は平成9年4月2日、あの決定的な反日的判断をくだすことを余儀なくされたのであった。すなはち、愛媛県知事が靖國神社及び県護國神社の春や秋の例大祭に際して、玉串料等の名目でそれぞれ数千円程度を県の公金から支出したことが、この憲法89条前段の公金支出禁止規定に抵触するとされた。わが国司法の最高機関が自国の国家的精神的価値を正面から貶めた許しがたい屈辱的判決であった。

     福岡朝鮮学校のアリラン夏祭り

 ところで、福岡県が毎年800万円を福岡朝鮮学園に補助金として支出して来た、その支出目的の一つに、実は同学校の課外活動であるアリラン夏祭りでの食材費数10万円についての援助が含まれてゐることが昨年末に判明したのである。

 このやうな援助は驚くべき倒錯である。愛媛県知事が靖國神社の春秋のお祭りに玉串料として数千円を交付することが憲法89条前段に抵触するのであれば、福岡県知事が朝鮮学校の課外の民族的夏祭りに食材費の援助として数10万円を交付することは、同じ憲法89条の後段に抵触するはづである。前者の玉串料が許容されず、後者の食材費援助が許容されるのは、まったく理屈に合はないことである。

 そもそも第89条後段が「公の支配に属さない教育の事業に対し公金を支出してはならない」とする趣旨は、民間の教育事業の自主性を尊重して、政府がその事業に介入することを公金支出禁止といふ側面において保障しようとするものである。同条前段では一切の宗教団体に対する公金支出が禁止され、同条後段では公の支配に属さない教育事業等に対する公金支出が禁止される。

 靖國の英霊を慰霊する費用への支出が憲法違反とされるならば、そしてそれが不当とは言へ現行の憲法の解釈としてやむを得ないのであれば、朝鮮学校の納涼の夏祭りの飲み食ひの費用への支出はなほさらに憲法違反とされねばならない。反日憲法が愛媛県知事を違反者と断罪するならば、同憲法は福岡県知事も違反者とするがよからう。

 私は弁護士である。私は裁判所の法廷において、愛媛の仇を福岡で討つこととした。

     福岡県知事に対する提訴

 私は今年の5月20日、福岡県と福岡県知事小川洋氏を被告として福岡地方裁判所に提訴した。私は原告である福岡県民19名の訴訟代理人である。

 訴への請求の趣旨は「第1に、被告福岡県が学校法人福岡朝鮮学園に対して平成22年3月31日にした800万円の支出負担行為を裁判所において取消すこと、第二に、被告福岡県知事小川洋は学校法人福岡朝鮮学園に対し(未返還の)678万3千円の返還請求をするやう裁判所が同被告に命じること」を求める、といふものである。

 その訴への理由として掲げたことは、被告がした800万円の支出の政治的非中立性、反日性、違憲性である。福岡朝鮮学校は私立の各種学校としてのいはゆる外国人学校であって、日本政府や福岡県の支配を受けず、北朝鮮政府ないし朝鮮労働党と同一の見解をもって政治教育をしてゐる。朝鮮学校は、朝鮮労働党工作機関統一戦線部の支配下にある朝鮮総聯が設立運営してゐる。福岡県の同学校に対する補助金支出は、公権力と政治教育との結びつきを禁じた教育基本法の理念に違反し、また北朝鮮国家による日本人拉致の問題を最大限の努力で解決しようしてゐる日本の国家的利益と相反する。この補助金支出は憲法八十九条後段に違反する。

 都道府県が朝鮮学校に対して支出した教育振興補助金について、住民がその地方自治体を被告としてその補助金支出そのものの取消しを求める訴訟として、全国初であった。

     朝鮮労働党の反応

 この提訴に対して、朝鮮労働党の機関紙・労働新聞は右の提訴から10日を経た6月1日、「悪辣な対朝鮮敵対意識の発露」と題する署名入り論評を掲載した。それは次のやうな内容であった。

 「日本の救う会福岡という極右保守団体が、汚らわしい訴訟騒動を起こした。これは対朝鮮敵対意識に染まってゐる連中の無分別な妄動であり、わが共和国と朝鮮総聯に対する重大な挑発である。われわれは彼らの毒気を含んでゐる反共和国、反総聯騒動を絶対に看過できず、容認できない。

 日本は在日朝鮮人の民主主義的民族権利を保護し、在日朝鮮学校の民族教育を誠実に支援すべき道徳的、法律的責任と義務を担ってゐる。在日朝鮮人学生は過去、日帝によって日本に強制連行された人たちの子孫であるからである。

 にもかかはらず、日本極右保守勢力が在日朝鮮学校の民族教育に政治教育といふとんでもないレッテルを張り付けて当局の補助金支出を阻まうとするのは、極度に至ってゐる対朝鮮敵対意識、民族排外主義思想の発露である。」

     訴訟の展望

 われわれの訴へに対して福岡県と同知事は全面的に争う姿勢を示してゐる。福岡朝鮮学校は福岡県の監督を受けるので公の支配に属する、といふのである。

 この訴訟はいづれ最高裁判所にまで行くことになるであらう。決着まで数年を要すると思はれる。

 いづれ示されるはずの最高裁判所の判断があの愛媛玉串料事件の判決と同様のものであれば、福岡県の本件支出は取り消されることになる。さうではなく、仮に最高裁判所の判断が愛媛玉串料事件の判決と別異のものになるのであれば、それは憲法89条の非合理性が白日のもとに晒されることを意味する。それはそれで構はないことではある。われわれの最終目標は憲法の改正だからである。

(中島法律事務所 弁護士)

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 第14期(23回)を迎へた国民文化講座は、元外務事務次官の谷内正太郎先生をお迎へして、5月15日午後、靖国神社境内の靖国会館で開催された。当日は晴天にも恵まれ、190余名もの聴講者が参会した。御講演は質疑応答を含めて2時間余に及んだが、私の聴講メモに基いて、御講演の一部をご報告したい。

     日本は「責任ある大国」たるべきだ

 近年、多くの日本人が日本は閉塞状況にあると感じ、何か坂道をずり落ちていくやうな嫌な感覚を持ってゐた。そのやうな中で起きたのが、東日本大震災であった。現在、地震・津波・原発事故の三重苦とも言はれる厳しい状況下にあるが、しかし、被災地の人達は、自身のことよりも、家族や地域の人たちのことを先づ思ひ遣って生きるといふことを身をもって示されてゐる。このやうな立派な人達がたくさんゐるといふことが震災で改めて明らかになり、心強く思ったのは私だけではないだらう。世界の多くの国々も同情を寄せ、支援をしてくれてゐる。しかし、国際政治はさういふこととはまた別次元であり、震災で日本を取り巻く国際環境が改善された訳ではない。三重苦の厳しい状況であるからこそ、日本の外交や安全保障の方向性を基本的に考へなければならない。

 その中で、日本は国際社会全体の動きを常に念頭に置きつつ自らの力を高めていくといふ発想を持たなければならない。日本は国際社会全体の平和や発展に寄与をなす大国を目指すべきだ。さうでなくては、現在の生活を維持することも覚束ないであらう。「現状でいい」と思ふやうな姿勢では現状を維持することすらできない。

     戦略的外交の展開ための視点

 満州事変直後、アメリカのウィルソン大統領の外交顧問だったエドワード・ハウス大佐は当時外務省にゐた吉田茂に対して「ディプロマティック・センスのない国民は必ず滅びる」と言った。このディプロマティック・センス(外交感覚)には、目的意識・現実感覚・バランス感覚・反射神経等々が含まれるが、これらの中で「反射神経」が最も重要ではなからうか。反射神経とは、物事の落しどころを弁へるといふことだが、昨秋の尖閣諸島の問題では、ビデオを見れば中国の漁船がぶつかって来たことは明らかだった。この時にどう対応するかは、ほとんど反射神経の問題であった。会議を開いてどうかうするといふ問題ではなかった。政治家が覚悟を決めて対処しなければならなかったが、日本側の対応には、優れた反射神経が全く見られなかった。

 外交とは、国際社会の中で、国益を追求することである。それは、目先の利益だけを考へるやうな近視眼的なことではなく、国際社会全体の利益、平和、安全、繁栄を考へなければならない。そして、国家といふのは安全保障のために存在するものであり、その中核をなすのが国民の生命と財産を守ることだ。国家は国民の生命・財産について第一義的な責任を負はなければならない。拉致問題の本質はまさにこの国家のあり方の根幹が脅かされてゐるところにあるのであって、絶対に風化させてはならない。執拗に追及していくべきだ。

 国民の生命と財産を守るためには戦略的に思考する必要がある。そのためには目的と手段を明確にするとともに、中長期的思考を持つ必要がある。さらに、戦略的思考のためのアプローチとして、「タテ軸」と「ヨコ軸」といふ二視点が重要である。

 「タテ軸」で考へるといふのは、歴史の流れ、特に幕末維新以降の歩みをしっかりと見ることである。幕末のペリー来航以来、日本の課題は自主独立を守ることにあった。その実現には国力の涵養が必要であった。そのため、文明開化、殖産興業、富国強兵と西欧の文物を取入れて来た。日清戦争の直後には国力が足りないばかりに「三国干渉」に屈しざるを得ないといふ屈辱も経験した。

 国力といふのは国際政治の中で欠くことができないものであり、戦後の日本も当然のことながら国力をつけようと努めて来た。その中で、「自立」は一種の衝動のやうなものであった。具体的には、アメリカとの距離をどう取るかといふことである。アメリカに従属することは左右どちらの側にとっても不愉快なことであった。私は日米同盟は極めて重要であり、少なくとも今後30年間は維持すべきだと考へる。しかし、それには諸条件を考慮した上で、日米同盟を我々の「選択」として考へる必要がある。その上で、対等性双務性を伴ふやうに集団的自衛権の行使も含めて努力しなければならない。

 自立への衝動はこれからも存在するはずだが、エネルギー・食糧・安全保障等のあらゆる問題は、他国に依存しなければやっていけない事柄である。だから、相互依存関係にあるといふことを自覚しつつ「自立」を目指していく必要がある。

 「ヨコ軸」といふのは地政学のことである。ここで「大陸国家」と「海洋国家」といふ視点が重要になる。海洋国家は「海洋の自由」「通商の自由」といふ観点から、海洋においては一つの秩序が成り立ってゐなければならないと考へる。一方、大陸国家は海に進出して来た時に、「面」的な捉へ方をする。即ち、「この海は自分のものだ」と考へる。中国はかういふ考へ方をする所がある。「南シナ海には核心的利益がある」との一方的な主張もその現れで、日本は気をつけないと、東シナ海についても核心的利益があると言ひ出しかねない。

     日本外交の課題

 近年の世界状況を俯瞰してみると、まづ「無極ないし多極」といふこと指摘されるだらう。米ソ二極の冷戦終結後、アメリカによる「一極構造」であったが、アフガニスタンやイラクの問題、サブプライムローンの破綻等があって、アメリカの国際的地位の低下は否めない。その一方で、ブラジル・ロシア・インド・中国のBRICsが擡頭し、EUも全体として団結を強めてゐる。

 また、核の拡散、環境、国際テロ、感染症等の問題が、国際社会全体の課題として深刻化してゐる。

 このやうな状況の中で、日本は自国の国益を追求し得る国際環境、即ち平和で、安全、繁栄した国際環境と、秩序を確保していかなければならない。そのために、日本は世界的視野を持ちつつ、知恵を絞った戦略的な外交を展開しなければならない。特に重要となるのが、我々の住む東アジアである。

 この時の柱としては、米中露印及び、豪州、韓国、ASEAN諸国に対して、それぞれが担ふべき責任を果すやう強く求めると同時に、自らも政策を発信していくことだ。そのためには力をつけてゐなければならないが、日米同盟はその前提となる。

 まう一つはかつて麻生外務大臣が提唱した「自由と繁栄の弧」といふ考へ方だ。北欧から、バルト、東中欧、中東、中央アジア、南アジア、東南アジア、朝鮮半島、そしてモンゴルに至る弧に属する国々は自由と繁栄を求めて努力してゐる。日本はマラソンレースの伴走者のやうに、これらの国々の情熱、努力を経済協力や人材育成等の活動を通じて助けて行かうといふものである。

 他方、戦略的外交を行ふための仕組み作りも必要だ。安全保障や集団自衛権の問題、あるいは核、ミサイル、拉致等の朝鮮半島に関する問題、これらは国家戦略本部を設置して、24時間政府全体として考へていくべき事柄である。原発問題も然りで、1日中原発政策を考へる人がゐなければならない。問題が起ってから慌てて人を集めても長期的な対策は立てられない。

 さらに大切なことは「情報」に関する仕組みの充実である。情報機関が複数必要であることは言ふまでもないが、これらをどう連携させ、トップに情報を上げるか。防諜のための法整備も不可欠である。情報は漠然と集めても無意味であって、トップがどういふ情報を収集すべきかを指示しなければならない。

 さらに、人材の育成が急務である。特に、トップになる政治家を我々はしっかりと選ばなければならない。「一度くらゐ任せてみよう」といふやうな次元の話ではない。

     お話をお聴きして

 谷内正太郎先生は具体的な政策面も含めて語られたが、お話の根底には「日本は国際社会を牽引するやうな責任ある大国であるべきだ」との強い御意志があるやうに感じられた。さらにまた、現在の最優先課題は大震災からの復興ではあらうが、その際に国内のことに拘泥しすぎずに、「世界の中で日本のあり方を考へる」との視点が大事であることにも気づかされた。

 先生は最後に古代ギリシャの哲学者ヘラクレイトスの「上り坂も下り坂も一つの坂である」といふ言葉に触れて、次のやう述べられた。そのことを紹介して報告を終りたい。

  「我々は坂道をずり落ちてゐるかもしれないが、それはかつて登ってゐた坂と同じ坂である。だから、登るか下るかは我々の決意の問題である。いくら決意が固くとも客観情勢に恵まれないとずり落ちていくかもしれない。だから、この坂を登るための工夫、知恵を巡らさなければならない」

     平成23年 慰霊祭厳修さる

 秋の気配が日ごとに深まる9月24日、東京・飯田橋の東京大神宮において、日本学生協会・精神科学研究所及び興風会・国民文化研究会の道統に連なる物故師友の御霊をお祀りする恒例の慰霊祭が、厳粛に執り行はれた。祭儀には御遺族を初め会員・今夏の江田島合宿参加の社会人・学生など51名が参列した。

 御神前に未曾有の東北地方太平洋沖地震に見舞はれながらも第56回全国学生青年合宿教室が予定通り終了したことが奉告され、参列者一同は先人の御跡を仰ぎつつさらなる精進を期した。

 この度は新御祭神として香川亮二命、稲田健二命が合祀された。

 また全国の知友から170首の献詠が寄せられ御神前に奉げられた。
全献詠者のお名前とそのお歌の一部を本号と次号に分けて掲載する。


会 友

       東京都 伊澤甲子麿
 忠孝の道一すぢに貫きし君らの心忘るることなし

御遺族

       (青砥宏一命御令息)松江市 青砥誠一
 禍事のいや次ぎ起る日の本を見守り給へと祈るみ霊に
 稲の穂の黄金色づきいつしかに秋酣となりにけるかな

       (島田好衛命御女婿)府中市 青山直幸
   義母の死を悼みて
 天がける岳父のみたまを追ひたまひともに空ゆく母のみたまよ

       (長内良平命御令兄、加藤信克命御義弟)青森市 長内俊平
 みまつりにつかふる思ひに“進めこの道”をはるかに稱へ合せまつらむ

       (小田村寅二郎命・小田村泰彦命御令弟)東京都 小田村四郎
 大きなゐのわざはひうけしこの年も秋の半ばとなりにけるかも
 新しきおとど決まれど靖国の宮に詣でずといふ憤ろしも
 國のためいのち捧げしみおやらも憂ひますらむ國のゆくすゑ

       (鹿毛義弘命御尊父)久留米市 鹿毛義之
 靖国の社に詣で英霊にただ祈るなり国の栄えを

       (宮脇昌三命御息女)伊那市 酒井由里
 六十余り六年を経りて見つかりぬ父の抑留日記暗き土蔵に

       (高橋鴻助命御令息)佐賀市 高橋和彦
 なつかしき日本学生協会の古き雑誌に見る友の顔

       (宮脇昌三命御令息)さいたま市 宮脇新太郎
   父帰幽十年に寄せて
 故郷の山に鎮もる奥津城に十年の幣を奉りけり

       (山内恭子命御夫君)横浜市 山内健生
   香川亮二先生  月ごとに『国民同胞』の校正をお願ひせし九年の月日かりそめならず    小田村寅二郎先生  我が歩みおぼつかなきも『同胞』を編みて十とせと告げまつらなむ

会 員

       奈良市 安納俊紘
 各々のなすべき役目果しつつ国の姿を正してゆかむ

       さいたま市 飯島隆史
 江田島の慰霊祭にて「海ゆかば」を友らと共に唱ひまつりぬ

       府中市 磯貝保博
 未曾有なる地震の禍事み霊らに伝ふは悲し今日の祭りに

       香川亮二先生  神奈川県 稲津利比古
 戦前ゆひとすぢの道統に連なりて求道し給ひぬ師の一生は

       北九州市 池松伸典
 海棠を詠み給ひたる師の君も祀らるる日のちかづきにけり

       東京都 伊藤俊介
 天災のあまた起れるこの年もはやみ祭りの秋を迎ふる

       東京都 伊藤哲朗
 我が道を示し給ひし師の君のみ言葉思ひつつ道進みゆく

       さいたま市 井原 稔
 ひとすぢに誠の道を守り給ふ大人の御教へ尊かりける

       清瀬市 今林賢郁
 この年は鳴く虫の音もなにとなく少なくなりぬと思ふ夜半かな

       横浜市 今村宏明
   昭和三十八年二月、福島宏之先輩の明倫舘での早稲田大学小合宿  生きる意味見出す日までお互ひに励みてゆかむと先輩と誓ひし

       小田原市 岩越豊雄
 幾年も変らぬ波の音聞きつ逝きにし人のこと思ひ出す

       香川亮二先生  東京都 打越孝明
 夜久正雄大人の導き懐かしく語りますみ姿思ひ出さるる

       山根清君を想ふ  宇部市 内田巌彦
 江田島の合宿の宿の懐かしき亡き友と撮りし写真あれば

       千葉県 内海勝彦
 さ庭べに虫の音すだく秋となりみ霊を祀る日は近づきぬ

       守谷市 大岡 弘
 池の辺に蝉のぬけがら一つあり御国の脱皮もかくぞあれかし

       病床に江田島合宿を偲ぶ  京都 大内保治
 江田島に友ら集ひて日の本の悠久の歴史を学びまししか

       香川亮二さんのみ霊のみ前に  町田市 大島啓子
 手づくりの版の楽しき年賀状のみ歌はいつもやさしさにじみぬ
 さ庭辺に咲ける草木を詠みたまふみ歌を賜びしこと多かりき

(以下 次号)

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 学生時代、私はラグビー部の先輩でもある岸本弘さんのお誘ひを受け、富山大学信和会の活動に参加させて頂きました。当時は何処の大学でも左翼学生運動の嵐が吹き荒れてをり、富山大学の構内にも各セクトの無機質でおどろおどろしい立看板が乱立する殺伐とした光景が展開してをりました。そのやうな中で「学園に心の交流の場を求めて 富山大学信和会合宿」と墨痕鮮やかな看板が大学の正門に掲げられたことが今更のやうに思ひ出されます。

       心の交流の場を求めて

 信和会での研修では主に当時富山県立図書館長であられた廣瀬誠先生に御指導を仰ぎました。のちに先生は国文研叢書『萬葉集 その漲るいのち』及び『和歌と日本文化』を著されます。また、昭和41年の小合宿では東京から長内俊平先生にお越し頂き、聖徳太子様の教へについて自らの御体験を通したお話を伺ひました。その折の感動は今も鮮明です。これらの活動はいづれも岸本さんの献身的な御努力によって実現したものでした。

 このやうな経過を経て、私が全国学生青年合宿教室に初めて参加したのは昭和42年8月の阿蘇合宿でした。夜行列車を乗り継いではるばる参加したことが思ひ出されますが、多くの先生方に御指導を頂きながら私の記憶に微かに残ってゐるのは作家の林房雄先生による御講義の演題「日本民族の中核性格」だけで、その内容も定かではありません。誠に恥かしい限りですが、それもこれも私の不勉強さに伴ふ受け皿の欠如と感性の乏しさに起因するものです。しかし、学問や人生そして祖国とは何か、日本のこころとは如何なるものかを考へる契機を授けて頂いたのではと思ってをります。

       遠き日に阿蘇で学びし思ひ出は埋み火となりて今も残れり

       切掛けは長内先生の「文化と文明」

 大学卒業後は、出身地の浦和市役所(現さいたま市役所)に奉職しましたが、残念ながら国文研との関りはほとんどなくなり、岸本さんとの年賀状の遣り取りだけが唯一の接点となってをりました。ただ「自分とは何か」「日本の文化及び歴史の特性は何か」「日本人として如何に生きるべきか」といふ問題意識は絶えず持ち続けてゐました。一昨年の6月のことでせうか、長内先生が地元月刊誌『春秋東奥』に22回に亘って連載された御文章「文化と文明」のコピーが岸本さんから送られて来ました。懐かしさの余り一気呵成に読み終へて、直ぐに感想を認めて岸本さんにお送りしました。(恐らくそれを御転送下さったのでせう)すると思ひもかけず、長内先生から大変お心の籠ったお手紙を頂戴し、しかも朱熹の偶成詩「少年老い易く學成り難し 一寸の光陰輕んず可からず 未だ覺めず池塘春草の夢 階前の梧葉已に秋聲」の書が同封されてをりました。

 その後、昨年3月、冊子の形に再編集された『文化と文明』が岸本さんから改めて送られて来ました。その奥書を見ましたら何と浦和高校時代の同級生である奥冨修一君(東工大OB、国文研理事)の名前が編集協力者として記載されてゐるではありませんか。誠に人生の不可思議をこの時ほど感じたことはありません。今回の江田島合宿への参加はこのやうな御縁で実現したものです。

 私が初めて合宿教室に参加したのは昭和42年でしたから、実に44年ぶりの参加といふことになります。初日は久方ぶりなのでちょっと硬くなりましたが、2日目以降は緊張しつつも充実した日々を送ることが出来ました。そして学生時代の熱い血潮が蘇って来ると共に、「日本への回帰」の第一歩を果たせたやうな感慨に満たされてをります。

       四十年の時を隔ててわれはまたこの合宿に帰り来れり

       江田島合宿で学んだこと

 合宿教室では諸先生方より心の糧となるお言葉や人としての生き方について数々の御教授を頂きました。また、班別研修等を通じて班員の方々と十分な意見交換や心の通ひ合ひをすることが出来ました。今回の合宿で学んだ中で特に感銘を受けた「言葉」を以下に記してみます。

●「身の死するを恐れずただ心の死するを恐れるなり」(大塩平八郎)

●死をまぬがれるためには、何でもやるというような、そういう工夫は、なすべきものではない。人々のやり方をして生きているよりも、いまのやり方で弁明を行なって、その結果死ぬようなことになったとしても、むしろそのほうがずっとましだと思っている」(ソクラテス)

●「孟子の「至誠にして動かざる者は未だ之れ有らざるなり」の一句を書し吾が志を表するなり。吾れ素より生を謀らず、又死を必せず。唯だ誠の通塞を以て天命の自然に委したるなり」(吉田松陰)

●「聖徳太子の17条憲法が鎌倉時代に至って北条泰時の御成敗式目に継承され、さらにこの基本的精神は江戸時代にも維持され、明治時代に至って教育勅語に受継がれてゐる。このやうな歴史の縦軸をしっかり認識することが重要である」(小堀桂一郎先生の御講義)

●「あの本が立派なのは、はじめて彼が古事記の立派な考証をしたといふ処だけにあるのではない。今日の学者にもあれより正確な考証は可能であります。然しあの考証に表れた宣長の古典に対する驚くべき、愛情は無比なものである。彼には古事記の美しい形といふものが、全身で感じられてゐたのです。さかしらな批判解釈を絶した美しい形といふものをしつかりと感じてゐた」(小林秀雄)

●「国家は現在生活する国民のみを以て構成するとは云ひ難し、死し去りたる我々の祖先も国民なり、其希望も容れざるべからず、又国家は永遠のものなれば、将来生れ出づべき我々の子孫も国民なり、其利益も保護せざるべからず」(柳田國男)

 このほか私にとりまして国武忠彦先生、山内健生先生、折田豊生先生を初め国文研の皆様と親しくお話をさせて頂く機会を得ましたことは望外の喜びでありました。

       桑木先生の御本に認識を新たにす

 合宿を終へて数日後、私は講義資料として配付された桑木崇秀先生の『自虐史観を払拭して本来の日本へ』を拝読しました。「日本の国情も靖國神社の状況もまことに憂うべき状況であり、このままでは、日本が世界に冠たる素晴らしい国になることを信じて散華された英霊に申し訳ない」といふ先生の熱情がひしひしと伝はってくる御本です。

 いはゆる西安事件を契機とする国共合作、大東亜戦争直前の近衛内閣やハル国務長官周辺で暗躍するソ聯スパイなど、コミンテルンの謀略や情報戦略が跳梁跋扈してゐた凄絶な歴史的現実を改めて認識させられました。特に感銘を受けたのはオランダを訪問した日本傷痍軍人会代表団に対するアムステルダム市長の挨拶や印度のパール博士の論説で、これらは戦後日本人の認識を暗雲のやうに支配してきた東京裁判史観(GHQ史観)を根本から覆すもので心底から感動しました。

 日本の文化・伝統そして歴史に対して自信と誇りを取り戻すことが正しく祖国再生への道に繋がることを確信させて頂いた合宿教室でした。

   江田島は若きもののふ國思ひいのち燃やして励みし島か

   國のためいのち捧げし若人の猛き心を偲びまつらむ

   松蔭がこの世に留めし魂は時代を導く曙光なりけり

   愛をもて古事記を説きたまふ熱き思ひに心震へり

(元地方公務員)

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夜久正雄著(国文研叢書1)
『古事記のいのち』改訂版  = W・G・ロビンソン訳
「THE KOJIKI IN THE LIFE OF JAPAN」の原著=
     頒価900円  送料290円

廣瀬 誠著(国文研叢書30)
『萬葉集 その漲るいのち』 頒価900円 送料290円

廣瀬 誠著(国文研叢書32)
『和歌と日本文化』 頒価800円 送料290円

近日刊行 『国民同胞』合本 第12巻 第551号〜600号
予価2400円 送料450円

古代のコトバそのままに語りかけてくる「古事記」は、日本人の心のふるさとです。
『朗読のための 古訓古事記』

  出版ご案内
此の度、本居宣長の訓による標記の書を10月10日付で発行することとなりました(編集/発行者・岸本弘、A5版・和綴ぢ・250頁)。

総ふりがなになってゐますので、どなたでも読んでいただけると思ひます。頒価は岸本宛に直接お申込みいただく場合は、一般2000円・学生1000円(いづれも送料込)とさせていただきます。ご希望がございましたら、メールまたは葉書でご一報ください。

(代金のお支払ひは郵便振替用紙を同封いたします。学生さんは学生である旨、付記してください)。平成23年9月

932-0836 富山県小矢部市埴生2036−3 岸本 弘  yamataoroti@nifty.com

 編集後記

 野田新首相が国連本部での原子力安全首脳会議で大震災への「世界中から」の支援に「全国民を代表し、深く感謝の意」を表明した 日本時間9月22日の夜 その数時間前、都内で講演の程永華駐日中国大使は「魚釣島(尖閣諸島)は中国の領土なので(尖閣近海で)中国の関係機関がいろいろと活動してゐる」旨を語ってゐた。「謝意の表明」も大事だが、例へば「中国漁船の体当りビデオの公開」「船長の身柄引渡しの要求」と相俟ってこそ意味がある。
(山内)

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