国民同胞巻頭言

第598号

執筆者 題名
本会理事長
上村和男
「国家観」欠如の民主党政権
- 外交無策で安全保障は大丈夫か -
本田 格 「表現教育」への疑問(下)
- 「自己表現」とは何か -
後藤 二郎 宇宙と我々 - 近頃、思ふこと -
鈴木 利幸 村松 剛 先生の思ひ出
新刊紹介
三浦庵居士著『楓蔭書屋家集 鞆乃音』
近代出版社 本体 3,500円
  大震災犠牲者供養と自治体
政教関係を正す会「リサーチ&レポート」NO.293から
  平成24年 歌会始の詠進要領
  書籍紹介
岩越豊雄著 『親子で楽しむ短歌俳句塾』
致知出版社 税別1,400円

 3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震はマグニチュード9・0といふ世界最大級の地震であったが、その直後の大津波もあって死者・行方不明者合はせて2万1千人を超えるといふ大惨事となった。家屋や事業所などの建造物の流失損壊、地盤沈下による宅地や耕作地の冠水、農地への海水浸透(塩害)等々、5ヶ月近くが経っても、被害の大きさには胸の痛みを覚えるが、それに加へて津波対策の不備に起因する福島原発の事故である。かうした大災害に見舞はれながらも、平静さを失はず助け合ふ被災地の人達を「驚きだ」と外国メディアは報じた。非常の際にも秩序立って行動する日本人の姿に「ショックを受けた」と評したメディアもあった。自然災害が掠奪の横行の引き金となり暴動が起きる例は海外では珍しくないからである。

 思ふに、戦後の占領政策と日教組による「民主主義教育」は、「個人の尊重」を叫ぶばかりであった。そのため日本の良き伝統が見失はれたかの感がなくもなかったが、此度の震災によって共同体意識と日本の文化と伝統に根付いた「他を思ひやる美しい心」が広く国民の中に生き続けてゐることが確かめられた。事ある時に発露するこの日本人本来の心がある限り「日本は滅びない」「日本は必ず復興する」との思ひを強くした。

 しかしながら、国政の現状はどうであらうか。被災者の目にどのやうに写ってゐるのであらうか。菅首相だけでなく鳩山前総理を初め政権を担ふ民主党人士はパフォーマンスは上手だが、実務をこなす能力に欠けてゐるやうに思はれてならない。その典型が「政治主導」である。

 実務遂行に関しては「素人」にも等しい政務三役(大臣・副大臣・政務官、いづれも与党国会議員)が各省庁で幅を利かせて、官僚トップの事務次官がことさらに軽んじられ、官僚達の経験と知識が生かされてゐないのである。従って「政治主導」の掛け声ば聞こえてくるが、次々に生起する難題に対処し切れてゐない感じである。所謂オールジャパンで力を総結集しなければならいのに、政府自体が纏まってゐないのである。

 2年前の8月、総選挙で民主党政権の誕生が現実のものになった時、果して大丈夫かとの懸念を抱いたが、それでも政権運営に携はって実務を担当すれば…との期待はゼロではなかった。しかし今や期待値はゼロ以下であると言はざるを得ない。

 民主党にはそもそも公党としての綱領がなかった。旧社会党左派からアジ演説を得意とする市民運動家、そして旧自民党議員までの雑多な思想の持ち主が「小選挙区制」選挙を勝ち抜くために集まった政党であった。これでは一体となって動くための綱領をつくれるはずもない。政治家として最も大切な「正しい国家観」など民主党には望むべくもなかったのだ。綱領を持たない政党が政権に就くといふあらうはずもないことが、総選挙の結果とは言へなされたのは慚愧に堪へない。その意味で此度の大震災は「天の戒め」だった。

 国家観に関しては自民党政権時代にも多くの注文を付けてきたが、綱領なき民主党政権の危ふさはその比ではない。何よりも国の安全保障はどうなるのか。外交は大丈夫なのか。この点での不安を拭ひ去ることができない。普天間基地移設問題迷走の渦中に起きた昨年9月の中国漁船による尖閣沖巡視船体当り事件、そしてその国辱的な顛末。それを見透かすやうに11月、ロシア大統領は国後島を訪ねた。その後もロシア閣僚のわが北方領土への訪問が続き、つひには五月、韓国閣僚の竹島上陸を許してしまった。

 『西郷南洲遺訓』に「正道を踏み国を以て斃るゝの精神無くば、外国交際は全かる可からず。彼の強大に畏縮し、円滑を主として、曲げて彼の意に順従する時は、軽侮を招き、好親却て破れ、終に彼の制を受るに至らん」とあるが、まさに至言であって、国家観欠如の民主党政権が外交無策に陥るのは理の必然であった。

 内政の失敗も許されないが外交上の失策は容易なことでは取り戻せない。わが国益を貫くべく「外国交際」を果敢に展開し得る政権の、速やかなる出現を待望するものである。

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       「書く」とはどういふことなのか

 表現するといふこと、とくに書くといふことはどのやうなことなのか、根本のところから始めなければならない。

 大人の場合においても、まる一日全く何も話さないでゐることは、ありえないことではないが、特別な事情でない限り珍しいだらう。だが何も書かないでゐるといふことはむしろふつうに違ひない。必要に迫られて何か書くことはあるかもしれないが、さうでなければ何も書かないのが常態であるといふべきである。書くといふことは、決してふつうのことではない。

 表現教育においても、そこから議論を出発すべきなのに、人は話したがるやうに書きたがるものだと、頭から決めてかかってはゐないだらうか。書くこと、あるいは書きたいことがたくさんあるといふ前提にたち、そこから何かを選り取り見取りに選び取って、書くことも容易にできるといふのは、決して通常なことではなく、ただ望ましい状態だといふにすぎない。また文章を書きたいとたとへ思ったとしても、実際に書くといふ行為に至るまでには距離があるといふべきである。

 ものを書かうとするには、書く目的がはっきりと必要になってくる。書かれたものが人に読まれ、受け取られるイメージがあって、初めて書かれるのではなからうか。話すことにくらべ、書くことはメッセージ性をより強くもつことが特徴だらう。書かずにすむなら、人はあへて書くことはしないはずである。読まれなければ、書くことはないのである。思ったとほりに、気軽に人はどんどん書くことはしない。またそのやうに書けるものでもない。自在に書くことは作家にしても容易なことではなく、長い修行が必要とされるのである。同じ表現でも、話すことと書くことには大きな隔たりがあるといっていい。

 前月号の(上)で取り上げた小学校国語の教科書の六年間をとほして、何のために書くのか、誰に向けて書くのかがはっきり示されてゐる個所はほとんどない。ただ三年生のものに「友だちに向けてつたえたいできごとを」書くといふことが記されてゐるくらゐだが、文中には、その「友人」に言及する部分はなく、手紙の形にもなってゐない。なぜ「友人」に向けて書くのか、示されてゐないのである。書くことの目的は結局示されないまま、小学校の表現学習は終ってしまふ。

 書く「表現」において重要なのは、それが「自己表現」かどうかといふことではなく、いかに表現するかと同時に、その表現がどのやうに受け取られるかといふことではなからうか。書かれたものの場合、それが読まれるものだといふことを無視することはできない。ただ書かれさへすればいいといふことにはならない。読まれることで、書いた「自己」自身が、いはばさらされることになる。実際にものを書くといふときには、そのやうな「自己」が想定されなければならない。

       「自己表現」を強調するだけでいいのか

 「書くこと」において「自己表現」を強調し、それを目標とするやうなあり方は、むしろ「書くこと」の本筋から離れてゐると思はれてならない。なぜなら、「書くこと」が「自己表現」と結びつくのは、高度な次元のことと考へられ、現実的なものとはいへないからである。「表現」といふことを指導するとき、「自己」がまだそれほど形成されてゐないと思はれる小学一年生から、いきなり「自己表現」しなさいとはならないのではなからうか。それが可能かどうかといふこともあるが、なぜ「自己表現」するのかといふことが、第一に問はれなければならないのである。

 「自己表現」といふ場合の「自己」は、「表現」にふさはしい「自己」として見なされてゐるのかもしれない。しかし「表現」にふさはしくない「自己」もありうるのではなからうか。「自己」にとらはれたり、「自己」がしっかり持てないといふことだってあるはずだ。つまらない、取るに足りない「自己」、さらに語るに落ちた「自己」だってあるだらう。場をわきまへず、ふざけたいといふ「自己」もあれば、他にやりたいことがあるから、興味のないことは全くやる気がしないといふ「自己」もあるだらう。それも可なのだらうか。自己が発露されてゐれば、何でもありといふことにはならないはずである。

 国語に限らず、教育理念の世界では、「自己表現」といふものが、それだけで高い価値を持つやうに見られてゐるが、そのことを大きな問題点として取り上げなければならない。「自己」が「個性」にもつながり、とにかく尊重されなければならないものといふ前提から出発してゐるのである。しかし、「自己表現」を聖域のやうに見る見方ははっきりいって疑問である。児童における「自己」が、一人前のものではとうていありえず、確立などされてゐないことは自明だからである。むしろ「自己表現」がやみくもな「自己肯定」につながることも考慮しなければならない。一般論として、「自己表現」や「個性尊重」といった概念はむしろ肯定されてしかるべきである。しかしそれを尊重するあまり、自己を肥大化させ、視野の狭い自己中心になっては本末転倒の結果になりかねない。日本人の美徳ともされる、慎み深さ、謙虚さといふものとの兼ね合ひも考へなければならないのは当然である。

 「自己表現」するならば、「自己」を、表現するにふさはしい「自己」に高めようとするところから出発しなければならないと思ふ。「表現」には「表現」の仕方といふものがあり、何でもただ「表現」すればいいといふものではない。「表現」にはそれなりの「自己」づくりが欠かせないはずである。まづ「自己」が目の前にあるのではなく、「表現」の方が最初にあって、それに合せた「自己」のあり方が追求されてしかるべきである。最初に「表現」があるといふのは、私たちが生れ落ちたときから、言葉といふ表現に囲まれてゐるといふことにほかならない。この言葉といふものは、私たちが選び取ったものではもちろんなく、いはば与へられたものだが、個々人の世界をはるかに超え、その国の文化伝統そのものだといっていいのである。言葉を血とし、肉として私たちは成長するのだが、言葉の表現の豊饒さの前に、私たちがいかに小さな存在かを知らなければならない。

       「定型表現」の習熟こそが大切

 「自己表現」と対照的な語は何だらうか。「他者表現」とでも仮に名づけてみよう。「自己表現」ではない、この「他者表現」といふものを、自分のものとして取り入れて、とにかく真似をすることから出発すべきではなからうか。そのやうにしていはば他者とのやりとりを繰り返すことによって、表現の仕方といふものをしだいに身につけてゆく。「表現」といふものが自分のものであって、しかも他者のものでもある。そのやうに交換可能のものでもある。さうした理解にたって、言葉を少しづつ自分のものとしてゆく。「他者」とは、今ここの、親や友人など周囲の人間ばかりでなく、日本語なら日本語の、同じ言語の担い手全体をさすといっていい。大げさではなく、そこには日本語の歴史が総体として立ち現はれてゐる。「他者表現」の典型は、定型の言ひ回し、常套の決まり文句がそれに当るだらう。とにかくまづそれらをよく知ることではなからうか。「定型表現」の習熟といふことが、学校で学ぶときに、第一に必要な目的になってくるはずである。

 また日本語の表現の問題として、書くことのむづかしさといふことがある。英語などにくらべるとその違ひは明瞭だが、英語には、もちろん会話特有の言ひ回しに事欠かないものの、書き言葉と話し言葉の差は日本語ほど見られない。私たちの使ふ日本語は、話し言葉がそのまま書き言葉にならない言語だといっていい。主語、述語、目的語、補語といったものを組み合せて成り立つ言語とは基本的に異なってゐる。よほど意識的にならないと、一人よがりにならない、誰にも通じる表現にはならないのである。

 同じ表現でも、書くことと話すこととは、決定的に違ふところがある。「自己表現」といふことを重要視し、話す「自己表現」と、書く「自己表現」とを区別することなく、同じ次元でとらへて、「自己表現」をやみくもに推奨することなどできないはずである。

 平均的な高校生の文章を書く力が、現在どうなってゐるかといふと、私が知りえた範囲では、無残な状態だといふのが実感である。書く意欲もなければ書く力もない。その原因は一体どこにあるのか。「ゆとり教育」のせゐばかりだとは決して思はれない。

 美化語といふ、誰を敬ふのでもない、ものごとを美化する、いはば自分ための語を敬語とよぶことが、すでに中学校でも教へられてゐる。その美化語を推進した文化審議会(かつての国語審議会の後身)の答申に、この「自己表現」の言葉があったことを、ここで改めて指摘しておきたい(美化語の問題点については本紙平成21年10月号・11月号で拙見を述べた)。現在の国語教育が、もしかして伝統破壊の先頭を切ってゐるかもしれない、さう考へてみるべきである。

(元北海道立高等学校教諭)

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 我が国には八紘一宇といふ言葉がある。神武天皇御東征の折の「掩八紘而宇」( 八紘 を掩ひて宇にせむこと)に由来する言葉で、世界の人々は一つ屋根の下に住み家族も同然であるといふ意味である。家族であればいさかふことなく仲良く暮さなければならない筈である。ところが世界の実情は承知の通り人種や民族、国家が対立し、その上信仰心に訴へるイスラム教、キリスト教、仏教等の宗教があって人々の生活や心を複雑にしてゐる。ことに唯一の造物主を奉じるキリスト教やイスラム教は、他宗教に対してだけでなく、その内部でも宗派間で抗争を繰返してきた。今でもイスラム教内部のシーア派とスンニ派の対立が報じられてゐる。

       ○

 ところで我々が住む地球は太陽系に属し、宇宙のほんの一部に過ぎない。広大な宇宙には多くの星雲が無数に存在しその数を極めることは出来ない。この広大な宇宙とは如何なる存在なのか、その成り立ちやその広さを極めようとするが手が届かない状態にある。最近我が国が打ち上げた小惑星探査機「はやぶさ」が遥か彼方の「イトカワ」の微粒子を持ち帰って来て話題になった。

 宇宙に地球が存在するやうになったのは四十六億年前のことで、地球に生物が存在するやうになったのは38042億年前、人類が誕生したのは460万年前と言はれてゐる。その人類が文化生活をするやうになったのは、エジプトにビラミットが作られるやうになった紀元前3,000年頃と言はれてゐる。

       ○

 地球上には様々な動植物が存在してゐるが、その生存期間には限りがある。樹木のやうに長く生存するものもあるが、多くは短命である。我々人類は承知の通り百歳まで生きれば良しとしなければならない。生れてこの世に居る間に思はぬ事が起きるからである。肉体を蝕む病気や伝染病、風水害、地震、津波、火山の爆発等の自然災害、また人為的な戦争、政治革命、部族衝突、傷害等々。そして自らの命を絶つ人さへゐる。

 人類は、有限な肉体と予期せざる落命に心の動揺を抑へられず、自らを超えたものに心を向けるやうになった。それが神であり仏であり、キリストでありマホメットである。そして形ある物を造り、それを信仰の対象とした。それが神社(もともとは神々が憑依する大木や奇岩であったが)であり、寺であり、教会である。人智を超えた不可思議不可測の世界である。

       ○

 人の命は鴻毛より軽いと言はれてきてゐる。また生と死は隣り合せと言はれる程人間の寿命ははかないものである。にも拘らず人類は地球上に多くのものを造り残してきた。その第一は命を支へ生活の糧となる食物を自給することにあった。その後、人智が開発され乗り物によって地上地下、そして空中を自在に移動するやうになった。地上には高層建造物が至る所に建てられ生活を一変させた。しかし人類の果しない欲望は其の生活が進化することによって、地球の生態系に悪い影響を及ぼし始めた。CO2の増加による温暖化現象、それに伴ふ気象変動である。

 暖かい地域が寒くなり、降雨が少ない地域が多雨になるといふ異常気象があらはれて、その対応に追はれるやうになった。人類は未だ天空に漂ふ雲とか雨、そして暑さ寒さと言った気象状況を思ふままに変へる科学的能力は持ってゐない。それでも人類は地球を飛び立ち宇宙に向ふし、人工衛星を打ち上げ宇宙ステーションを構築し、既に月への着陸も行った。さらに遠方にある火星への探査を目指してゐる。宇宙の中に生物が存在する星が地球以外にあるのか、生物が存在する星は目に見える輝く星ではなく、地球のやうに目に見えない星ではないかといふことで新しい研究が始まりつつある。

       ○

 わが国は少子化で人口減に向ってゐるが、地球上の人口は現在69億人で増加が続いてゐる。今後人口はどうなるか、食料は確保出来るのか、地球の将来に就いては未知な点が多い。総ては今後の研究に委ねられることだが、地球上で我々の生活が変る時は地異天変の折であり、人類内部での抗争であり戦争である。宇宙に存在する人類の星として地球内の平和を切に願ふ者であるが、しかしこの地球上に住む人類は190余の国家に分れてゐる。その国家は面積人口はそれぞれ様々である。その上、宗教に限らず言語・思想・歴史、また生活様式を異にしてゐる。

 広大な領土を所有するロシアは戦後わが北方の島々を占領して返さうとしない。中国は尖閣諸島を窺ってゐる。これらの事態を注視しつつ、神武天皇が掲げた「八紘一宇」の理想を肝に銘じて、世界が一つの家で平和であるやうに念じながら、他国の侵略と脅威には毅然と対処し国家の独立と安寧を維持して行きたい。これが地球上に生を享けてゐるわが日本国の進むべき道である。

(元原理日本社同人、数へ92歳)

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 昭和51年、京都産業大学経営学部の学生だった私は、一般教養で「死の日本文学史」といふ魅力的な講義題目と、著名な先生だといふ理由で村松剛先生の講義を聴きに行った。外国語学部の二階の小さな30人ぐらゐしか入らない講義室だった。

 意外であった。著名な先生なのに学生が少ないのだ。しかしその理由は最初の授業ですぐに分った。お話が難し過ぎたのだ。

 先生は、われわれ学生が理解できようができまいが関係なく、普段考へ巡らしてをられたことを率直に語られたのだと思ふ。それは端的に言って「日本人の死生観」だったのではないか。従ってお話は繊細かつ深淵で、私を含めて殆どの学生には理解不能だったと言っていい。それでも私は必死になってノートに書き留めた。

 その年の講義の初めは仏教についてであった。「日本独特の死生観は、人間の命はまことに儚い、朝顔のやうに儚い。まさに槿花一朝の夢のやうになる。その無常観が仏教と結びついた」“人生 槿花一朝の夢”といふ含蓄ある表現に当時の私は驚愕せざるを得なかった。また「人生の儚さを徹底的に突き詰めて考へるなら、次の段階として美的な精神的な生き方は何かを求めるのは必然で、それは死ぬ時は執着を残さず美しく死ぬ、それが取りも直さず美的で精神的な生き方そのもので、後の武家の根本精神となり、日本人全体の死生観になった…」と説かれて、三島由紀夫の切腹や熊谷次郎直実に潔く首を刎ねられた平敦盛について語られるのだった。

 先生には、講義の度に繰り返されるある仕草があった。それは赤色の新潮文庫の夏目漱石著『こころ』を背広のポケットから取り出し、教卓の上に置いてから御講義を始められることであった。漱石について話される話されないには無関係だった。

 講義は一方的で情け容赦なく行はれ、聞く方は辛かった。だから半年を過ぎた頃には聴講する学生は20名を切ってゐた(同じ年の福田恆存先生の御講義は五百人前後が入る大教室で行はれてゐた)。

 例へば、ある日の授業で「来月から漱石の『こころ』を掘り下げるから、今月中に良く読んでおくやうに、最低限、時代背景も含めて理解だけはしておくやうに」と仰った。そして翌月になると、いきなり「友人K」の話になり、Kの墓の場所と漱石自身の墓の場所が何故同じなのか、「先生」の奥さんの名前と乃木大将の奥さんの名前が何故似てゐるのか、『こころ』の本当の主人公は誰なのか、乃木さん(先生は「さん」付けされることが多かった)の殉死の意味はどういふことになるのか、乃木さんはどんな辛い思ひで戦ってゐたのか、などと次々に問はれるのだった。

 さらに、西南戦争で軍旗を奪はれた乃木さんは、それがために死に場所を絶えず考へてゐたことを嘲笑気味に軽く捉へてゐた司馬遼太郎の考へを君たちはどう思ふか、乃木さんの殉死を嘲笑った芥川龍之介をどう思ふか、『こころ』は単なる私小説ではないとはどういふことか、などと質問されても答へようがなかった。すると、先生はまた「日本海海戦の勝利の裏には、乃木さんの献身的な戦ひがあったが、何故それほど評価されないのだらう」と別のことを話された。また「当時、日本は朝鮮半島と大陸に進出してゐたが、それは侵略戦争でも何でもないが、その理由を言へるか」と問ひかけられたが、これまた誰も答へられない。そして「半分答へを出してゐるやうな問ひについても答へられなければ、教育などできない。教養が身につくやう君たちも一度は自分の頭で考へてみてはどうか」とも言はれた。

 私は何か釈然としないものがあったので、ある日、講義が終ったところで恐る恐る先生の所に行って、私はどうしても『こころ』が分りませんと正直に申し上げると、意外にもやさしい口調で、何回も読んでご覧。『こころ』の「私」がいつの間にか消えて「先生」自身は孤独だが君に親しく語り掛けるやうになってくる。さういふ体験を得て初めて『こころ』を読んだと言へるのですよ、分らないことがあれば大学が用意してくれてゐる京都駅近くの某ホテルに19時以降、いつでも来るといい…、と仰った。そのお姿は30年以上経っても忘れられない。

 『こころ』の最後のところで、「先生」が「乃木大将の殉死」について触れるが、それを踏まへて講義では、次のやうに説かれたことが私のノートに記されてゐる。

 「乃木さんの殉死の意味が分らなければ、日本人の“死生観”だけでなく、日本の歴史そものが分ってゐないことになる。

 言ふまでもなく、漱石は『こころ』に深い思ひ入れがあったことを皆さんは心に留めて欲しい。漱石は『こころ』を通して、明治の精神つまり日本の歴史の根本を知って欲しいがために書いた。そして明治の精神を、それは取りも直さず自分本来の心を、多くの日本人が忘れかけようとしてゐるのが残念だったのではないか」

(センコー(株))

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 著者、三庵居士は小堀桂一郎先生の雅号と聞く。本歌集には、平成5年の秋から平成21年に至る17年間の作品千数百首が収められてゐる。「後記」によると「予が作歌の履は昭和19年に始まりしものなるを明瞭に記憶す」とあるから数へ12歳より歌作を始められた。歌はほぼ独学で長塚節、会津八一などに学ばれた由。自ら素人を任じられてゐるが、風格のある、味はひ深い歌集であり、碩学の語彙の豊かで洗練されてゐること、驚くばかりである。

       ○

 歌集巻頭の連作『三輪山秋日・長谷寺』は「伊勢宮式年宮の重儀に奉仕・列のにまれたるを幸便に、專攷課程の學生・同僚十數人を案内して」大三輪神社参拝、三輪山登拝された折の詠作であるが、冒頭の一首

   うれしくも見え來しものか朝霧のれゆく方の三輪の山

にまづ心惹かれた。朝霧が晴れ、作者の行く手にこれから登拝する清明な神域が現はれる。詠者はそのわきあがる心の動きのままに「うれしくも見え來しものか」とうたひあげられた。眼前に神域の開けゆくイメージは、昭和天皇御製集冒頭の

   とりがねに夜はほのぼのとあけそめて代々木の宮の森ぞ見えゆく

の御製にも通ふものがあり、巻頭をかざるに相応しい歌と拝した。

 同じ連作の中の

   ゆく秋の三輪の檜原の手折路を語らひゆけば雲はるかなり

の歌も、学生らと睦まじく語らひつつ歩む作者の身体と心のリズムが自づと乗り移ったやうなしらべである。

 続く『式年宮臨時出仕記』では、森厳な夜のしじまの中での内宮新宮への遷御の神事斎行の様子を詠まれてゐる。その詠作中に印象的なのは御垣内を照らす月影である。

   大杉の下枝のひまゆ月しろの光一すぢさし出づるはや
   月しろの光さやけき小夜ふけをにひみやに入りたまひける
   遷りの祭は果てぬかがり火を落せばいよよ冴ゆる月かげ

 月の光とともに、何か無窮の世界に誘はれる感がある。

 歌集には多くの旅の歌とともに、著者の草庵「楓蔭書屋」の四季を彩る様々な草花などが数多く描かれてゐる。その一部を引いてみよう。

   ほろくと馬醉木の花のこぼるるを涙の珠の如く思ひき
   あら草のおどろが中ゆのびいでて撫子白き夏は來むかふ
   片白草一ひら白き下蔭に蚊柱立ちてたそがれにけり
   長き雨漸くはれし朝の庭に山茶花くと妹が聲する
   いねがてにきく蟋蟀のほそぼそとやがて絶ゆべき命の思ほゆ
   望の夜の月は冴えつつ天心のきにありぬ冬深みかも

 日本の美しい四季が、時々の彩りや香りを載せて、作者の感懐を呼び起しつつ、草庵の狭庭を巡ってゆく。

       ○

 ところでこの歌集の題『鞆乃音』はそのまま著者の御祖父(日本画家)の「鞆音」の御名に通ずるが、著者は「後記」でこの題が万葉集の元明天皇の御製歌「ますらをの とものおとすなり もののふの おほまへつきみ 楯立つらしも」に由来することを認めつつ、「題の所以は唯集中の作の全て時流に乘るべくもなく、世人の耳にも々しき古態拙の調にぎざることの比喩として、今はうつつに聞くことのなき物の音の稱を用ゐしまでなり」と記してをられる。

 「鞆乃音」はますらをの音である。学問の正統を歩んで時流に阿らない先生の慎ましやかながら強靭な精神が響かせる音である。その音は時に深い慨世の歎きの声となって響く。

 平成17年暮れの歌を引く。詞書きに「末世の相を深く憂ふる所ありて、本意に非ざれども秘かに詠じおきたり」とある。皇位継承論議の渦中、有識者会議の報告書が出た後のことである。

   勝ちさびに傲る黨の 津日を祓はん術を人は持つべし
   天皇の世繼いかしき御法すら蔑する人の出づる世となる
   禍々しあたのたくらむ皇國の亡びのしるし消たで止まめや

 亡びのしるしはまだ消えてゐない。禍津日をはん術を先生の論考にまだまだご教示いただきたいものである。

(興銀リース(株) 小柳志乃夫)

―季刊『新日本学』第21号「図書室」欄所載―
(文中の○印及び筆者肩書は編集部)

(季刊『新日本学』、拓殖大学日本文化研究所刊、展転社発売、購読料(税送料込み・年間)4,000円)

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 (略)今回も東日本大震災に関することですが、震災から2か月余りたった去る5月14日に共同通信が配信した記事は、被災地で身元不明の犠牲者の供養にどこまで関与すべきか、自治体が苦慮していると報じています。

 たとえば、仙台市青葉区の市営葛岡墓園には送られてきた身元不明の24人の遺骨が安置されていますが、何の慰霊の営みもなされていません。それどころか、市の仏教会から読経の申し込みがあったにもかかわらず、市側は政教分離を理由に「市職員と宗教者が同席することはできない」と断りました。四十九日の合同供養も「仏教の概念だから」として見送ったとのこと。

 宮城県多賀城市は市営の納骨堂がないため、遺骨は無償で提供された寺院の本堂に仮安置されていますが、仙台市と同様に「宗教色の強い行事はしない」と言明して、職員の焼香も香炉の設置も自粛しています。

 一方、同じ宮城県でも港町として古くから栄えてきた塩釜市は「海で引き揚げた遺体を受け入れた歴史があり、昔からお盆には無縁仏の合同供養を行ってきた」と説明、「分け隔てするわけにはいかない。今回も同様にやる」と明確な姿勢を示しました。

 もっとも、厳格に対処している仙台市のような自治体でも「本来なら手厚く送られるべきなのに、心が痛む」と内心では葛藤しているようですが、そこには憲法の定める政教分離原則に対する何か過剰な対応が垣間見られます。

 周知のように、憲法20条は国や自治体が特定の宗教団体に特権を与えたり、また自ら「宗教的活動」を行うことを禁じていますが、国や自治体が宗教的色彩のある事象に一切関わってはならないということではありません。

 この点について大石真京大教授(憲法)は「『宗教的活動』に当たるのは、宗教的意義を持ち、特定の宗教に対する援助や助長になる行為。職員による焼香も自治体主催による合同供養も、憲法が禁じている『宗教的活』に当たらず、焼香まで自粛するのは一種の過剰反応ともいえる」と的確に指摘しています。

 その最大の論拠なるのが平成5年10月28日に言い渡された「千葉県八街町仏式町民葬」最高裁判決でしょう。

 この訴訟は、現町長を葬儀委員長として営まれた元町長二人の仏式町民葬に町費から補助金が出されたことや、町役場の職員が葬儀の事務を手伝ったことなどは憲法の政教分離規定に違反するとして、一町民が町長らを相手に補助金などの返還を求めたものですが、地裁・高裁に続き最高裁も原告の主張を全面的に却けたのです(略)。

 たしかに、事案は若干異なるものの、本判決は津地鎮祭訴訟最奥裁判決にいう「目的効果基準」にのっとって仏式公葬を合憲と判断したのですから、この法理を本件に応用すれば、憲法問題など起こりようがありません。

(仮名遣ひママ)

 7月号に続き「政教関係を正す会」(会長・大原康男國學院大學教授)のレポートを掲載させて貰った。前月号に引用の際、付記した拙文に、所謂政教問題につき、憲法20条(信教の自由、政教分離)の非歴史的な教条的解釈から、政府・自治体等の公的機関が「宗教」との関りに極めて及び腰になってゐる現実…云々と記したが、右の記事中にある「仙台市」と「多賀城市」の対応にまさにその悲しむべき適例を見る。

 身元不明の遺骨を収めたまま何もなされない市営墓園で読経をと仏教会が申し出ても断られ、寺の本堂に仮安置された遺骨の前には香炉も置かれず職員は焼香もしないとは、尋常ではない。これを役所の事勿れ主義だとの常套語で済ますには余りにことは深刻である。「政教分離」がいくら気になるとは言へ、遺骨を目の前にして、かくもよそよそしく振る舞へるものだらうか。「内心では葛藤しているようですが」とあるが、当然だらう。それでも「憲法」の方を優先させて「心の痛み」に蓋をする。七月号の拙文でも触れたが、歴史的に培はれてきた日本人の「自づからなる心の動き」がGHQ製“外来”憲法によって抑制抑圧されてゐるのだ。心寒いことだ。さうした中で「塩釜市」の「明確な姿勢」を知らされるとホッとして救はれる思ひがする。

 「多賀城市」に関する記事に「市営の納骨堂がないため、遺骨は無償で提供された寺院の本堂に…」とあるが、常識的には後日、市として何らかの「御礼」をしなければなるまい。しかし、職員の焼香をも自粛してゐる市にとって、それは特定の宗教に対する援助とはならないだらうか(いづれ市長の「交際費」かどこかから謝意がなされるのだらうが)。「無償で提供された」となったのは、寺の奉仕の気持ちとともに、過剰反応しがちの市当局に寺側が気を利かせた故ではなからうか……などとつい想像を逞しくしてしまふのである。

 憲法に則って物事をなさうとすると、「心が痛み」伝統的習俗が損はれてしまふ。まさに本末転倒であるが、「見えない鎖」に敢へて縛られてゐるとしか思はれない自治体が現実に存在するのである。

(7月1日記、山内健生)

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○お題「岸」

お題は「岸(きし)」ですが、歌によむ場合は「岸」の文字が詠み込まれてゐればよく、「海岸」「川岸」のやうな熟語を使用しても差し支へありません。

○詠進歌の詠進要領

 詠進歌は、お題を詠み込んだ自作の短歌で一人一首とし、未発表のものに限ります。

 書式は、半紙(習字用の半紙)を横長に用ひ、右半分にお題と短歌、左半分に郵便番号、住所、電話番号、氏名(本名、ふりがなつき)、生年月日及び職業(なるべく具体的に)を縦書きで書いてください。

〈書式図〉
(横長)

 お題 岸
○○○○○○○○○○
○○○○○○○○○○
(山 折 り)
〒住 所
電話番号  ふりがな
氏   名
生年月日
職 業

 無職の場合は、「無職」と書いてください(以前に職業に就いたことがある場合には、なるべく元の職業を書いてください)。なほ、主婦の場合は、単に「主婦」と書いても差し支へありません。

 用紙は、半紙とし、記載事項は全て毛筆で自書してください。ただし、海外から詠進する場合は、用紙は随意(但、半紙サイズ24センチ×33センチの横長)とし、毛筆でなくても差し支へありません。

 病気又は身体障害のため毛筆にて自書することができない場合は左記によることができます。
@代筆(墨書)による。代筆の理由、代筆者の住所及び氏名を別紙に書いて詠進歌に添へてください。A本人がワープロやパソコンなどを使用して印字する。この場合、これらの機器を使用した理由を別紙に書いて詠進歌に添へてください。B視覚障害の方は、点字で詠進しても差し支へありません。

○詠進の期間

 9月30日までとし、郵送の場合は、消印が9月30日までのものを有効とします。

○郵便のあて先

 「〒100-8111 宮内庁」とし、封筒に「詠進歌」と書き添へてください。詠進歌は、小さく折って封入して差し支へありません。

○お問ひ合はせ

 疑問がある場合には、直接、宮内庁式部職あてに、郵便番号、住所、氏名を書き、返信用切手をはった封筒を添へて、9月20日までに問ひ合せてください。

(参照・宮内庁ホームページ)

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 “子供のイメージ力が高まる 万葉集、古今和歌集、松尾芭蕉、小林一茶、明治天皇、正岡子規、与謝野晶子…豊かな心を育てる名歌・名句100選”と本書の帯にあるが、著者が日頃、主宰する塾(寺子屋「石塾)での実践をまとめたものである。

 石塾では、まづ『論語』を素読し、ついで習字を行ひ、最後に俳句・短歌を教はる。「論語と俳句・短歌」を教材とするところに著者の見識が窺はれるが、従来は俳句と短歌はその季節に合ったもの別々にを選んで取り上げてゐたが、「ある時、面白いことに気づきました。それは、似たような対象を詠んだ俳句と短歌を並べて教えると、より理解が深まるということです」(はじめに)。

 例へば加賀千代の「朝顔に釣瓶とられてもらひ水」と、橘曙覧の「たのしみは朝おきいでて昨日まで無かりし花の咲ける見る時」が対になって取り上げられてゐて、それぞれの用語の説明がなされたあと、両者の「共通するところは」「違いは」「学ぶところは」と懇切な解説が続く。

 長年に渉り小学校教育に携ってきた著者ならではの経験に裏付けられた識見が随所に感じられる新刊であり、「豊かな心」をどう育むかに寄せる著者の真摯な思ひが本書に横溢してゐる。

 本書では、暦のやうに月毎に季節的に対応する俳句と短歌が組合はされて掲げられ、読者に配慮された構成となってゐる。「親子で楽しむ」ことはもとより、小学校新学習要領(国語)に「伝統的な言語文化に関する事項」が加はり、「やさしい文語調の短歌や俳句について情景を思い浮かべたり、リズムを感じ取りながら音読や暗唱をしたりすること」(3、4学年)と記されたが、新学習要領に「魂」を入れるためにも、さらに小学校に限らず(国語科担当に限らず)、教壇に立つ者の多くが座右に置いて折に触れて繙いて欲しい好著である。

 

編集後記

 震災被災の私費留学生に緊急措置として支給の国の奨学金に台湾留学生は申請できず。台湾とは国交がないから…(7/9、産経)。かつて共産中国の思惑のまま五輪から台湾を締め出さうと世界を動き廻ったJOC(日本五輪委)の盲動を思ひ出した。その後北京は台湾追放を言はなくなった。飛んだピエロだった。共産中国の靖国非難や尖閣主張の根は深いのだ。
(山内)