国民同胞巻頭言

第594号

執筆者 題名
澤部 壽孫 非常時に現れた「真の日本人」
- この国難を契機に日本を立て直さう -
絹田 洋一 皇室に危難を救はれてきた我が国の歴史
- 「不遜」な民主党政権には怒りを禁じ得ない -
大岡 弘 祖国日本を守れ
中村 正和 八紘一宇の本当の精神(上)
- 「わが国の道」を求めて -
国文研福岡事務所 「六周年事業報告会」開かる
道徳の教科書
『日本人として生きる』を披露

 3月11日午後2時46分、突如発生したマグニチュード9・0の巨大地震は、巨大な津波となって東北から関東北部の太平洋沿岸の広域に壊滅的な打撃を与へ、多数の同胞の生命を奪った。日を追ふにつれ悲劇に満ちた地獄のやうな惨状が明らかになりつつある。発生より10日を経た現在(3月21日)、亡くなられた人は8千6百人を超え、死者・行方不明者は2万1千人以上となり、避難してゐる人は35万人を数へて、全容は未だに判明しない。余りの惨状に言ふべき言葉もない。

 救援は難航し、冬の寒空に今も孤立した地域や病院で食料、水、灯油、薬などを待ってゐる多くの人々がゐる。昨日になって漸く救援物資を積んだヘリが飛んだ所もあった。体力の限界を考へると胸の張り裂ける思ひである。昨日はまた80歳の祖母と16歳の孫が壊れた家の下から奇跡的に救助された。巨大津波は東京電力福島第一原子力発電所の冷却装置をも押し流し、原発は本日現在深刻な状況下にあり、多くの人々が避難中である。被災地や原発施設で生命を堵して不眠不休の救援活動に従事してゐる自衛隊、警察、消防隊および海上保安庁の方々を全国民が感謝の思ひで見守ってゐる。

 一方、被災者たちが悲痛な体験の中で心を一つにして助け合ふ姿は実に心強く胸を打たれる。

 国民もまたこの大震災に心から同情し、被災者の痛みを分ち合はうとしてゐる。大震災や原発の停止による電力不足の為に生じた停電や電車の運休等で不便を余儀なくされても、多くの国民が、「被災者のことを思へば我慢できる」とマスコミに答へてゐた。阪神・淡路大震災の時にもさうであったが、風評に惑はされず、整然と秩序を保ち協力し合ふ姿はこの度も外国人の称賛の的となってゐる。真の日本人の心は非常時に現れる。祖先から受け継いだ遺伝子は占領政策でも消し去ることは出来なかった。

 国民や自治体が自主的にさまざまの工夫をこらし同胞を助けてゐるのに対して、政府の打つ手は後手後手である。そればかりか、被災後の菅直人総理の言動によって国民は不安感を増し、事態は混迷して行くばかりである。速やかに「この非常事態に的確に対処し得る強力な挙国体制」を編成確立すべきなのに、東京電力本店に出向き幹部を怒鳴りつけてみたり、救援活動に自衛隊を投入しながら、その自衛隊を「暴力装置」呼ばはりした人物を官房副長官に任命してみたり、財務相時代、「円高」に誘引した人物を首相補佐官にしてみたり、さらには与党内の意見集約もないまま突然、野党自民党に大連立を申し込んでみたりで、その党利党略や政権延命の保身としか思へぬ所業は見るに耐へない。国家意識とリーダーシップと責任感の欠如した民主党政権下で、この大災害に見舞はれたことは、さらに二次的被害を増大させつつあると言っても過言ではない。

 1千年に一度と言はれる自然の猛威を目の当りにして国民は、国家の非常時とは如何なるものであるかを知り、対処方法を間違ふと命取りになりかねないことを学んでゐる。
翻って世界の中における「現在の日本」の立場を考へて見ると、この時期に譬へとしては適切ではないが、巨大津波が襲ひ掛かる前夜の市町村のやうなものではないかと思はれてならない。

 終戦以来死に物狂ひで国家経済の再建を目指し、その目標を見事に達成したまでは良かったが、その反面、国防と教育を疎かにしたまま経済最優先で進んで来た。この間、多く国政を担って来たのは自民党であった。気づいてみれば占領政策による自虐史観の毒は日本の各層、津々浦々にまで浸透し、国家意識は薄れ、占領軍使嗾の戦争アレルギーによって国を守る意志は脆弱化し、自己中心的な生き方が表面を覆ってゐる。しかし、この度の大災害に処する日本人の行動をみれば、「真の日本人」は健在である。むしろ要路に立つ指導者に国家を担ふ使命感と覚悟が欠如してゐるのではないか。それを国民は薄々感じとってゐるのではないか。民主党の失政にも関らず自民党の支持率が増えないのは当然である。

 いまこそ冷厳な国際関係の中で日本が生き残るための国家戦略を確立しなければならない。日米関係を双務性に裏付けられた真の同盟関係に強化し、インドと同盟関係を結び、強烈な支配意欲で世界制覇を目論む中国に対峙する外交戦略を速やかに確立する必要がある。

 また、日本人の自立意志を否定する占領憲法を改め、自虐史観を克服して、祖先伝来の豊かな文化・伝統を尊んで美しい日本語を愛する子供たちを育てる教育施策に早急に着手し、さらに政治家と官僚に大きな権力権限をあたへてゐる現行のシステムの再構築も必要である。国民一人一人が国の将来を決めるのだといふ主体的な姿勢が不可欠である。

 来るべき選挙では、日本を守る意志を持った政治家による政界再編成を念頭に入れて、「私」よりも「公」を優先する政治家を我々は選ばなければならない。次の二つを公約に掲げる候補者が切望される。

   1、皇室を中心とした日本の文化伝統を守る。
   2、憲法改正をする。

 さらには、領土問題や外国人参政権問題、人権擁護問題、夫婦別姓問題等の法案について、民主党政権がどさくさに紛れて何をやるかわからないので、この点もしっかり注視しなければならない。

          ○

 混乱のさなか、3月16日、畏れ多くも天皇陛下はテレビを通じて国民に語りかけられた。まさに異例のことである(お言葉は上段に謹載)。この悲痛な現実に、陛下は誰よりもお心を痛めてをられるのである。短時間ではあったが悲しみと不安の中に緊張した時を過してゐた国民は、陛下の温かい眼差しに安堵し、被災者に寄せられる慈愛深いお言葉に泣き、救援活動や原発の事故処理に命がけで従事してゐる人達を励まされるお姿に大いに勇気付けられた。

 大震災発生の直後から陛下は御自ら節電をなさり、被災地の状況把握に日夜努めてをられると新聞は報道してゐる。雲仙普賢岳噴火、阪神・淡路大震災あるいは、新潟県中越地震など、毎年のやうに起る災害の度に、皇后様と被災地を行幸啓され、被災者の一人一人を励まされるお姿が浮んで来た。
国と国民のことを常に思はれ、慈しみのお心と揺るぎ無い信頼を国民にお寄せになってゐる天皇陛下に対して、我々国民は心を協せてこの国難に真向ひ、各々の務めを果たさなければならない。折に触れ時に触れて、陛下のお言葉を読み直したいと思ってゐる。

 (3月21日)(本会副理事長、元日商岩井)

 

天皇陛下のお言葉(3月16日)

 この度の東北地方太平洋沖地震は、マグニチュード9・0という例を見ない規模の巨大地震であり、被災地の悲惨な状況に深く心を痛めています。地震や津波による死者の数は日を追って増加し、犠牲者が何人になるのかも分かりません。一人でも多くの人の無事が確認されることを願っています。また、現在、原子力発電所の状況が予断を許さぬものであることを深く案じ、関係者の尽力により事態の更なる悪化が回避されることを切に願っています。

 現在、国を挙げての救援活動が進められていますが、厳しい寒さの中で、多くの人々が、食糧、飲料水、燃料などの不足により、極めて苦しい避難生活を余儀なくされています。その速やかな救済のために全力を挙げることにより、被災者の状況が少しでも好転し、人々の復興への希望につながっていくことを心から願わずにはいられません。そして、何にも増して、この大災害を生き抜き、被災者としての自らを励ましつつ、これからの日々を生きようとしている人々の雄々しさに深く胸を打たれています。

 自衛隊、警察、消防、海上保安庁を始めとする国や地方自治体の人々、諸外国から救援のために来日した人々、国内の様々な救援組織に属する人々が、余震の続く危険な状況の中で、日夜救援活動を進めている努力に感謝し、その労を深くねぎらいたく思います。

 今回、世界各国の元首から相次いでお見舞いの電報が届き、その多くに各国国民の気持ちが被災者と共にあるとの言葉が添えられていました。これを被災地の人々にお伝えします。
海外においては、この深い悲しみの中で、日本人が、取り乱すことなく助け合い、秩序ある対応を示していることに触れた論調も多いと聞いています。これからも皆が相携え、いたわり合って、この不幸な時期を乗り越えることを衷心より願っています。

 被災者のこれからの苦難の日々を、私たち皆が、様々な形で少しでも多く分かち合っていくことが大切であろうと思います。被災した人々が決して希望を捨てることなく、身体を大切に明日からの日々を生き抜いてくれるよう、また、国民一人びとりが、被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ、被災者と共にそれぞれの地域の復興の道のりを見守り続けていくことを心より願っています。 (宮内庁ホームページから)

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 チュニジアに端を発した長期独裁政権崩壊の嵐はエジプトに波及、さらに北アフリカ、中東諸国に拡大しつつある。独裁者に退陣を迫る国民の凄まじい怒りは、如何に非道な圧政が続き、不満が蓄積されてきたかを物語る。エジプトは独裁者排除に成功したが、諸勢力が対立し、今後の行方は不透明である。内戦が続くリビアはカダフィ排除に成功しても、部族間対立から新たな内戦に発展する事態も予想される。

 何れにしてもこれらの国々が新たな国作りを目指し、国民が一つに結束するのは極めて困難と思はれる。かうした状況を見てわが国の歴史と国柄について改めて考へさせられた。

 ペリー来航は明治元年(1868)から遡ること15年前のことであったが、既に18019世紀、欧米列強による植民地化の大波は南半球の大半を併呑し、幕末は国家存亡の危機であった。これに抗するには分権的な封建体制を脱し、近代的統一国家に生れ変る必要があった。しかし所謂「新旧両勢力」の全面対決に至れば大規模な内戦となり、その混乱に乗じて列強が介入し影響力を拡大する懸念がある。この時、15代将軍徳川慶喜は大政奉還を上表して、平和裡に政権委譲が成った。天皇のご存在を討幕派も幕府側も共に仰ぐことによって最初の難関を乗り越えたのである。薩長勢と、その強硬姿勢に反発した旧幕府軍との間で、鳥羽・伏見で戦端が開かれたものの、慶喜が天皇に恭順の意を示したことで江戸城無血開城が実現、江戸百万の民が救はれたのであった。その後もなほ旧幕府軍は抵抗を続けるが「帝に弓を引くに非ず、ただ薩長の仕打ちが許せぬ」の思ひであった。

 戊辰戦争を通じて多くの血が流れはしたが、しかしながら旧幕府勢を含む国民の中に、敵味方を越えた天皇といふ確かな心の拠り所が存在したことが、内戦の悲劇を最小限に抑へたと言へよう。明治四年の廃藩置県も内戦の危機を孕んでゐたが、参議大久保利通は郷里鹿児島に帰ってゐた西郷隆盛を呼び戻し、西郷は御親兵一万を準備して旧藩主の反乱に備へた。明治天皇もご憂慮になったが、旧藩主達は廃藩置県の詔に粛然と従った。ここに封建体制は完全に消滅し、真の近代的な統一国家が誕生したのである。

 駐日英国代理公使アダムズは「ヨーロッパでこのやうな大事業を起さうとすれば何年も争乱が続くであらう。一枚の詔書で一国の実権を回復するなど宇宙未曾有の出来事である。日本の皇帝は神の能力を持つ。人為の及ぶところではない」と語ってゐる。心底驚嘆したのである。

 この経緯は大化の改新(大化元年、645)を想起させる。この年、豪族が田地を兼併して私有地を拡大、田地を賃借する百姓が困窮したため土地兼并を禁ずる旨の孝徳天皇の詔が発せられた。「百姓、大きに悦ぶ」とある。翌年正月の改新の詔は私有地を廃し、民に班田するといふ大改革であったが、豪族は粛々と詔に従ひ、土地収公が実現してゐる。我が国の歴史ならではの「宇宙未曾有の出来事」と言っていいだらう。

 またポツダム宣言受諾後の昭和20年9月、昭和天皇はマッカーサーを訪問された際、「私は戦争遂行の全責任を負ふ者として私自身をあなた方諸国の裁決に委ねる」と述べられた。マッカーサーは「明らかに天皇に帰すべきでない責任を引き受けようとする勇気に満ちた態度は、私の骨の髄までも揺り動かした。…天皇は日本の精神的復興に大きな役割を演じ、占領の成功は天皇の誠実な協力と影響力に負ふ所が極めて大きかった」と回想してゐる。連合国軍による占領といふ、まさに未曾有の国難に際して全責任を一身に引き受け、命に替へて国民を守らうとされる昭和天皇のお姿はマッカーサーの心胆を震はせ、その後続く全国御巡幸は戦後復興に励む国民の心を奮ひ立たせたのである。

 かうして見てきた時、天皇のご存在によって国家的危難を乗り越えてきたのが我が国の歴史であったと改めて痛感させられる。然るに現在の民主党政権の皇室への姿勢はどうでであらうか。一昨年秋の政権獲得以降、国会開会式の「お言葉」への思慮なき物言ひ、御日程無視の中国要人との会見設定、宮様への不敬発言と見逃せないことが続く。安保・外交無策で失態を重ね、経済・社会政策でも無能を露呈し、内外で信頼を失って迷走を続けてゐるが、何よりも我が国安寧の礎である皇室をも害さんとする民主党政権の傲岸不遜な姿勢は、彼らの浅薄な歴史観と見識のなさを示すものであり、怒りを禁じ得ないのである。

3月7日記(大阪府立牧野高等学校教諭)

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   1、祖国日本成立の三要素

 若き日に読んだ、忘れ得ぬ論文がある。それは、小田村寅二郎前理事長の「日本- その不滅と展開」である(日本を守る会編『昭和史の天皇・日本』所収、日本教文社、昭和50年)。その論文で先生は、日本列島の四季折々の気候の中で日本人の心がどう形成されていったか、また、日本人の心がどのやうに日本の話し言葉 日本語 の早期完成をもたらせたかについて触れられた後、次のやうに述べてをられる。

  「日本といふ“国”は、“日本列島といふ具体的な国土”と、“そこに住む人々の「心」”と、そして“日本語といふ話し言葉”の三つの重要な要素、ならびにその三者の相互に切っても切れないかかはり合ひの中に成り立ってゐる」。

 そして、この日本の“国”には、“国”そのものの中に、目に見えない“国のいのち”が実在してきてゐること、また、“国”と“国のいのち”とは、共に“心”に“感じて”こそ、判るものであることを指摘された。さらに、先人が志半ばで斃れゆく時に遺した言葉を例に挙げられながら、次のやうに説かれた。

  「“国のいのち”なるものは、先人たちが、死して後までも、この“国”を正しく守らうとした“志”が永世に存続してゐることを指していふのである。そして、いま生きてある人々が、自らの心の中に、それをしっかりと受け継がうと“意志し”、あるいは“意志しようと心して生きていく人”であれば、その実在が確信できるもの、といふことができよう」と。

 現在の国内状況、並びに我が国を取り巻く国際情勢を見てゐると、先生が説かれた「祖国日本成立の重要な三要素」が、今や、危機に晒されてゐると思はれてくる。

   2、日本列島といふ国土

 来る6月、尖閣諸島の領有権を主張する香港や台湾などの民間の「保釣運動」グループが、船舶、ヘリコプター、熱気球などで尖閣諸島に押し寄せ、上陸し、国際社会に中国の領有権をアピールする計画であるといふ(10月2日付『桜新聞』号外)。もし、我が国政府が手を拱いてこれを黙過したならば、日本列島といふ具体的な我が国土は、近い将来、中国共産党に席巻されるだらう。

 この惨状は、国防費の推移に起因する。我が国の防衛関係費は、平成15年度から8年間、一方的に減らされ続けてきた。片や、世界の各国は、この9年間でロシア8,6倍、中国3,9倍、米国2,3倍、韓国2,0倍、EU主要国1,3倍と、当然のことながら増額してきてゐる(防衛省編『平成22年版 日本の防衛-防衛白書-』)。我が国の防衛支出は、米国中央情報局の『世界総覧』によると、「対GDP比0,8%、世界174ヵ国中148位」と紹介されてゐるといふ。正に軽侮と冷笑の対象になってゐる。中国の平成22年度発表の国防予算は、前年度比9,8%増の約7兆3千億円。片や、我が国は約4兆8千億円。これでは、中国共産党が強く出てくるのも、無理からぬことである。

 さて、サミュエル・P・ハンチントンは、海外における我が日本国民の特性を、次のやうに述べてゐる(鈴木主税訳『文明の衝突』、集英社、平成10年)。

  「日本人の海外移住者集団は、アメリカ、ブラジル、ペルー等いくつかの国に存在するが、いづれも少数で、移住先の社会に同化する傾向にある」。

 これは、相手を尊重する日本人の誠実さ、慎み深さ、順応性等、日本人の良き特性をよく表はしてゐる。しかし、これらのことは、日本国内にゐる中国人に、果たして期待できるであらうか。

 昨年の2月26日、中国では、日本の国会に当たる全国人民代表大会の常設代理機関・常務委員会において、「国防動員法」が賛成157、反対1、棄権1の圧倒的多数で採択され、7月1日に施行された(『WiLL』平成23年3月号の潮匡人氏の論文参照)。これは、昭和57年(1982)に公布された憲法、平成9年(1997)に制定された「国防法」の下位に位置する、中国初の体系的動員法である。

 この法律(第5条)によると、我が国にゐる数10万の中国人は、戦時の「国防動員任務の完遂」はもちろんのこと、平時から、「国防動員準備業務を完遂しなければならない」となってゐる。急増する中国人観光客や中国人留学生、一般永住者の在日中国人が、皆、平時においてすらも、日本人を敵視する活動の動員対象になってゐるのである。潮氏は、日本国内に中国人が存在すること自体の「重大な脅威」について、さう警鐘を鳴らす。そればかりではない。中国国内では、日本企業が中国に設立した工場も、中国に派遣された日本人ビジネスマンの個人財産も、全て徴用の対象にされてしまふといふ。平和ボケした日本国民には、驚くべき中国共産党の法律である。このやうな覇権主義に立つ共産党独裁の隣国には、我が国は、門戸を過度に開けてはならなかったのである。

 これらの危惧に加へて、外国資本による我が国の土地、森林、水資源の買収問題がある。さらに、外資による国家乗っ取りを許しかねない「TPP」問題も浮上してきてゐる。

   3、日本民族の「心」

 小田村先生は、前記論文の御執筆に当たって、「国民の大多数は、万一にも日本が亡び去るなどとは、夢にも考へてゐないやうである」と前置きをされ、続けて、先生の亡国や国の実内容について、次のやうに述べてをられる。

  「古来から守り続けて来た伝統豊かな日本の国は滅びてしまひ、全然別個の国(引用者註・例へば「日本何々共和国」)が、この日本列島の上で、日本人の国といふ名のもとで営まれ出すことを指して、私は亡国といふのである」。
「この小稿で、以下私が書く所の国は、(中略)歴史的伝統的ないま在るこの日本、もっとはっきり言へば、(註・ここで改行)
天皇様をその中心に仰ぐ人々の国-この祖国日本-ただ一つについてのみ、国日本と名指すことを、ご了承いただきたいと思ふ」。  

 顧みると、習近平氏来日に際して皇室の慣例を踏み躙った民主党政府、並びに中国共産党の傲慢な態度は、我々の記憶に、なほ新しい。

 また、中国共産党は、我が国首相の靖國神社参拝に干渉し続けてゐる。これに屈して、あるいは、これに呼応するかのやうに、民主党政府の全閣僚は、昨年の8月15日に靖國神社参拝を見送った。

 本年2月24日、自民党衆議院議員の古賀誠氏は、氏が会長を務める「日本遺族会」の理事会・評議員会の席上で、これまた氏が会長を務める福岡県遺族連合会の意見だと断った上で、ある提案を行ったといふ。それは、「靖國神社への天皇皇后両陛下の行幸啓を仰ぐ」ためには、いはゆる「A級戦犯」の分祀も含めた議論を開始する必要があるといふ内容だった(2月25日付『産経新聞』)。その結果、「A級戦犯」の分祀を含めて議論することで合意したといふ。自民党議員の中には、意外にこの考へに毒された者が多い。しかし、我が国には、大東亜戦争をはじめ国策の決定と遂行に心血を注いで指導に当たり、法務死をされた「昭和殉難者」の方々はをられても、いはゆる「A級戦犯」なる者は一人としてゐない。なぜなら、国会自身が、独立回復1年後の昭和28年以降数年をかけて、「彼らは罪人ではない」といふ法的保証を幾度も議決してゐるからである。日本民族の「心」の中身が、いつの間にか、中国共産党の執拗な干渉に抗し切れず、あるいは利権に搦め捕られて、次第にをかしな方向に向き始めてゐる。「いはゆるA級戦犯の分祀実現」は、必ず「昭和天皇に対する戦争責任追及」に波及する。中国共産党は、それを狙ってゐるだらう。戦後の早い時期に既に決着済みの事柄を、何故今になって蒸し返す。筆者は、古賀氏の良識を疑ふ。

   4、日本語といふ話し言葉

 中国共産党は、昨年10月、支配下の青海省黄南チベット族自治州や海南チベット族自治州などで、学校の授業に中国語の使用を強制する新政策に打って出た(11月25日付『國民新聞』)。我が国が中国の軍門に降り、中国の日本族自治州になるといふことは、かういふことである。

 36年前、小田村先生が亡国を定義された時、さすがにそこまでは筆を運ばれなかった。しかし最近、都内の秋葉原駅前で、大音量の中国語アナウンスが耳を突くやうになった。「中国人客」呼び込み作戦の一環である。ふと頭をよぎるのは、政府並びに我が国経済界は日本列島を「諸民族共生国家」に改造する気なのか、といふ懸念である。もしさうであるなら、外交戦略に長けた中国共産党が、膨大な人口を意のままに動員して、あっといふ間に日本列島を席巻してしまふだらう。

 日本語といふ「話し言葉」にも「書き言葉」にも、日本民族の「心」と「国のいのち」がこもってゐる。これを失へば、我が国の「いのち」と全歴史が失はれる。「国語」(日本語)をしっかりと守らなければならない。

(元新潟工科大学教授)

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 拉致問題、普天間問題、北方領土、竹島、尖閣諸島問題、中国漁船衝突事件と映像流出事件。円高、デフレ、赤字財政、APEC、TPP、農業問題。これら山積する問題は何も解決されないままただ先送りされてゐる。世界に対して日本政府は、何も主張できず、決断もできないまま、混迷を深めるばかりである。このままでは、わが国は一体どうなってしまふのか。

 今、最も心配なのは、わが国の子どもたちの行く末である。いじめと自殺、虐待とDV(家庭内暴力)、未婚率と離婚率の上昇、家族の崩壊。超氷河期といはれる就職難、若者の失業率の高さ、ニート、引きこもり。少子高齢化、年金、介護保険、赤字国債の増発等々。今日、わが国の子どもたちは、将来への夢を奪はれ、自信や誇りを喪失し、実存的な不安と孤独に曝されて生きてゐる。

 では、この子供たちに、どうやって自信と希望を与へるのか。どうやって彼らに生きる勇気を与へるのか。それには、まず、この日本が自立した国になることである。そして、子どもたちに理想と使命と、大いなる志を抱かせることである。私は、最近、「わが国の道」の大切さといふものを実感するやうになった。そして、日本の使命といふものを考へるやうになった。

 筆禅道(山岡鉄舟の流れを継承して、剣と書と禅を一体的に体得して、筆で禅を行ずることによって、自己本来の面目を「書」で表現しようとする自己観照の道、寺山旦中先生によって唱導された。私が共鳴して加はるやうになって20年なる)の今日的な意義は、明日を担ふ若者たちに「わが国の道」と、これに基づく日本の使命を指し示すことではないのか。筆禅道の源に位置される大森曹玄老師・横山天啓先生・山田研斎先生の三師が、敗戦とGHQによる占領統治といふ未曾有の体験の中でやらうとしたのは、「わが国の道」を守り、日本の再起を期すことではなかっただらうか。昭和40年代初め、寺山旦中先生(書家、二松学舎大学教授)が改めて「筆禅道」を提唱された背後には、さうした三師の大いなる志があったのだと思ふ。

   1、八紘一宇の本当の精神

 戦後、大森曹玄老師(剣道に通じ、禅にも参じてゐた。昭和21年僧籍に入る。のち花園大学学長)は、禅の師である関精拙禅師から「八紘一宇の精神」によって日本の再起を期せ、といふ遺言を託された。大森老師は、終戦の詔勅が下されてもなほ諦めきれずに徹底抗戦を唱へ、その主張の貫徹を策し続けた。しかし、その計画は悉く挫折し、9月の半ば失意の大森老師は京都に下り、先師精拙禅師(臨済宗天竜寺派第七代管長、天龍寺240世住持)の門を叩いたのである。そこで大森老師が会したのは、面会謝絶の重病で死期の迫ってゐた精拙禅師であった。

 東京からの来訪に「ぜひ会ひたい」と入室を許した精拙禅師は、小さな机を持ちだし、体を凭せかけて老師を待ってゐた。老師の顔を見るや、「世界はこれからどうなると思うか、日本はどうすればいいか、軍備はもう再びもたさないと思うが無防備でどうやってゆくか等々矢つぎ早に質問された」。そして最後に、次のやうに言はれた。

 「『わたしは大臣にも大将にも随分沢山会ったが、一人として八紘一宇ということを正しく理解したものが居らなかった。これではいかんと思った。そこでこれから半歳の間に、全国民に八紘一宇の本当の精神を叩き込んでおく必要がある。それが日本再起の根源をなすものだ。君は国士だ。今は安閑として座禅などをしている時ではない。是非それをやってくれ。わしも病気が癒ったら必ず君と一緒にやる。それまでの間是非やっていてくれ!』そう言いながら、私の手を固く握られた。私は黙ってコックリ肯いただけだった。涙が滂沱として何も言えなかったのである」(『八紘一宇の禅0精拙元浄禅師のこと』鉄舟誌)。そして、その年の10月2日に精拙禅師は遷化されたのである。

 この先師の謎めいた「最後の言葉」は、禅問答の如く、大森曹玄老師の終生の課題となった。さて、精拙禅師が大森老師に託された「八紘一宇の精神」とは、一体、何であったのだらうか。

 この「八紘一宇」といふ言葉は、戦後のGHQ占領政策によって、侵略主義の象徴と曲解され、検閲の対象とされた。さらにこの言葉は、「教科書検閲基準」(1946年2月発令)によって教科書から徹底的に排斥されて今日に至ってゐる。われわれは、そろそろGHQの洗脳政策から覚醒しなければならない。

 「八紘一宇」といふ言葉は、『日本書記』巻第三神武天皇の条にある「掩八紘而宇」(八紘を掩ひて宇にせむこと)に由来し、大東亜戦争の理想を表現するスローガンの一つとされた。しかし、その本来の意味は、「八つの方位」(つまり世界)を一つの「家」のごとくにするといふ「和の精神」であり、わが国の「平和への祈願」を神話的に表現したものである。それは、侵略主義でも、自民族中心主義でも決してない。わが国の建国以来の悲願であり、祈りである。

 昭和天皇は、昭和16年9月6日、日米開戦三ヶ月前の御前会議で、戦争に至ることを深く憂慮され、何とか戦争を避けたいとお考へになって、懐中から明治天皇の御製を取りだされて声高らかに御詠みになった。

     四方の海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさはぐらん

 この明治天皇の御製は、まさに「八紘一宇」の精神を表明した御歌である。「八紘一宇」の本当の精神とは、世界平和への祈りである。覇権主義を嫌ひ、権力なき権威として君臨してきたわが国の皇室は、「民安かれ、国安かれ」と祈り、さらに、世界の平和を理想とされてきたのである。

   2、わが国の文化的使命  〜「尚武のこころ」〜

 私は、今のわが国に最も必要なものは、「尚武のこころ」であると思ふ。「武」の本来の使命は、「戈を止む」、すなはち争ひを治めることにある。「尚武のこころ」とは、戦ひを止めさせ、世に平和を実現せんとする「武」の使命を尚ぶこころである。それこそが、わが国の武士道が求めるものである。そして、わが国には、世界を「和」に導く精神文化がある。「八紘一宇」の精神とは、世界平和の実現に寄与するわが国の文化的使命を表現したものではなからうか。

 現代の世界情勢の中で、日本は平和への積極的な国際貢献が求められてゐる。わが国が世界で果すべき文化的使命は、まさにそこにあると思ふ。この日本には、対立する国々を和合させる文化的な力がある。子どもたちに、わが国の文化的な力とその使命を教へなければならない。それは子どもたちに理想と志を抱かせ、必ず彼らの自信と誇りと勇気になるはずである。

 わが国がこの文化的使命を発揮するためには、日本が真に独立し、自立する必要がある。もうそろそろ日本は、「一国平和主義」の幻想から解放されなければならない。戦後の日本の平和主義は、その理想とは裏腹に、自分さへよければいいといふ卑怯な「一国平和主義」であった。他国のことには一切目をつぶり、自国の平和だけを確保しようとする自己中心的独善がそこにはあった。

 戦争の放棄を掲げながら「戦力」を保持してゐる矛盾。アメリカの「核の傘」に入りながら非核三原則を唱へる綺麗ごと。しかもアメリカの軍事力に依存しながら、経済的繁栄だけは盗み取る狡猾さ。そして、自国に危害が及ばない限り、たとへ同盟国が攻撃されても決して集団的自衛権を行使せず、同盟国を見捨てる卑劣さ。こんな身勝手で、何の決意も覚悟もない日本の「平和主義」に誰が耳を傾けるだらうか。そのどこに真実の使命があるといふのか。

 憲法9条の呪縛からも抜け出さなければならない。現在の日本国憲法は、日本が主権を奪はれた占領下で、国際法に反してGHQに強制された憲法(「条約」と言ってもいい)である。そして、その条文のほとんどは、米人が作成した英文の翻訳であることは周知のことである。

 特に、第九条の原案となったマッカーサー・ノートには、次のやうな衝撃的なことが記されてゐた。「国家主権の発動としての戦争は、廃止される。日本は、紛争解決の手段としての戦争のみならず、自国の安全を維持する手段としての戦争をも放棄する。(中略)日本が陸海空軍を維持する権能は、将来ともに許可されることがなく、日本国に交戦権が与えられることもない。」(『1946年憲法 その拘束』江藤淳著)

 戦後のGHQの占領政策の意図と憲法九条出生の秘密を知ることで、戦後に唱へられた「平和主義」の欺瞞が明らかとなる。第九条の平和主義とは、日本が二度と再びアメリカの脅威とならないために、GHQが日本の牙を抜き、アメリカが戦争を放棄させたのである。さらに、6年8ヶ月の占領期間中、GHQが極秘に行った検閲による洗脳政策で、わが武士道の精神的基盤は傷つけられ、精神的武装解除が徹底されたのである。

 戦後、65年を経過した今、わが国はアメリカから自立し、対等な同盟国とならなければ主体的な外交など不可能である。我が民族の「尚武のこころ」を取り戻さなければ、国民精神はつひに独立することなく滅び去るであらう。われわれは、子どもたちのこころを育てるためにも、わが国の文化的使命を明らかにしなければならない。そして、自立した民族の信念と覚悟をもった平和主義で、世界に貢献しなければならないと思ふ。それがわが国の目ざすべき「道」である。(以下次号)

(『筆禅』第32号所載、一部改稿)(神奈川県立大船高等学校教諭)

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 「(株)寺子屋モデル」、「NPO法人教育オンブズマン」と併せた三位一体の事業を展開して六年を経た活動の実践報告会が、3月2日(水)、福岡市博多区の「八仙閣」で開催された。報告会は日頃から事業にご理解を頂いてゐる企業・法人の関係者や個人支援者など、百余名が出席して開かれたが、当日の模様の一端を報告したい。

 会は小林国平会員(祐誠高校教諭)の司会で進められ、まづ全員が起立して国歌君が代を斉唱したあと、「国民文化研究会」の古川広治会員(昨夏の「阿蘇合宿教室」運営委員長、福岡中央職業安定所勤務)、「教育オンブズマン」の日下部晃志事務局長、「寺子屋モデル」の横畑雄基講師(国文研会員)の3名から順次、映像を交へながらそれぞれ事業の報告がなされた。次いで主催者挨拶に立った国民文化研究会福岡事務所長・山口秀範常務理事(NPO法人教育オンブズマン理事長、(株)寺子屋モデル代表世話役)から、「日本人の誇りを取り戻し、生命溢れる言葉を次代に伝へて行かう」との初一念で始まった事業が広がりつつあることへの感謝と今後の抱負が述べられたが、その中で、特筆すべきは地元の博多高校との連携で「道徳の教科書」が上梓に至ったとの報告であった。『日本人として生きる』と題する冊子(B5判、127頁)が出席者に配布され披露されたのである。

          ○

 左記は山口常務理事(寺子屋モデル代表世話役)の筆になる『日本人として生きる』の「あとがき」の一節であるが、ここからだけでも現下の公教育を何とかしたいとの強い思ひが伝はって来る。

 この本は、博多学園理事長(博多高等学校校長を兼任)の八尋太郎氏との出会いから生まれました。4年前に産業界から教育の現場へ転身された八尋氏と、海外で長期間生活して来た私は、世の中に求められる高校生像、世界に通用する若者育成について度々語り合いました。その結果、人として必須不可欠でありながら、現行の教育現場で蔑にされている『道徳教育』に本気で取り組もうと意気投合して、教科書作りをお引き受けすることになったのです。

 編集に当たっては、抽象的な徳目や安易なハウツウはどちらも極力避け、我が日本に生きた古今の偉人紹介に紙面の大半を割きました。この中から生徒諸君が、生き方のお手本とする偉人に一人でも出会えるならば、さらに諸君が日本人として生まれたことに少しでも喜びと誇りを抱けるようになれば、本書を世に出す甲斐があったと嬉しく思います。

          ○

 報告会に続く懇親会では、まず来賓の九州旅客鉄道(株)代表取締役会長石原進様から「基本的なことを忘れてゐる今の教育環境の中で、むしろ若者はそれを欲してゐるはずで、偉人に倣はうとする姿勢に大いに共鳴してゐる」旨の御祝辞を頂戴した。次いで石村悟理事((株)石村萬盛堂代表取締役社長)の音頭で、六周年を祝って杯を挙げた。

 しばし懇談の後、(株)東京精密国際業務室長小泉公人様(元ミュンヘン日本人学校理事長)から、一昨年秋、ミュンヘン日本人学校で寺子屋モデルの「偉人伝講座」授業を実施した経緯に触れながら、日本人としての生き方を先人の歩みに辿らうする取り組みへの賛意が述べられた。

 懇談の輪があちこちで広がる中、この日の事業報告会の手伝ひをした九州工業大・福岡大・西南学院大・福岡県立大の五人の学生が紹介された。そして恒例の唱歌斉唱ではヴォーカリスト・小柳有美さんの指揮で「うれしいひな祭り」(サトウハチロー作詞)と「日の丸の旗」(高野辰之作詞)を一同で声高らかに歌った。

 最後に藤新成信理事(日章工業(株)代表取締役社長)が、事業へのご理解ご支援に謝意を表しつつ、自身これからも学生達の勉強会に参加して共に学んで行きたいとの思ひを披瀝して、六周年事業報告会は盛会裡に終了した。  (3月6日記)山内健生

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編集後記

 東北地方太平洋沖地震による津波の猛威に、只々驚くのみ。高さ10メートルの防潮堤も突破された。地震自体が国内観測史上未曾有の規模といふ。落命された方々に言葉もない。3/30現在全容がめてゐない。また多くの人達が家財を失った。避難先が学校の体育館では天井が高く朝夕の冷え込みは半端ではないはずだ。さらに原発事故も重なった。「政治主導」の語を弄び「官僚」を腐らせてきた民主党政権は、その錯誤に気づいたのだらうか。「政治主導」の擬態からくる「二次被害」はないのだらうか。

 日本人の協心協力の底力を見せる秋だ。苦難を分ち合はう。日本人の真価を示さう。「よき日本」を甦らせよう。(山内)

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