国民同胞巻頭言

第585号

執筆者 題名
柴田 悌輔 取り戻したい「自立の精神」
- 「独立の丹心」「私立の本心」が国を救ふ -
濱田 實 第13期 第22回国民文化講座(5月22日 於・靖国会館)
遠藤浩一先生の「生存本能としての保守」
藤 寛明 英語教育に思ふ(下)
- 日本人全員が英語を使ひこなす必要はない -
小柳 雄平 「何の為に学問をするのか」
- 友とのメールの“遣り取り”から -

 「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言へり」とは、福澤諭吉著『学問のすすめ』冒頭の、あまりにも有名な一節である。だが人口に膾炙してゐる言葉だからといって、その意味が正しく理解されてゐるとは限らない。この一節は一般的には福澤が「平等思想」を適切に表現した名言とされてゐる。だが『學問のすすめ』を全編に渉ってよく読めば、福澤が説きたい真意は、「平等思想」などではなかった事が良く解る。『学問のすすめ』に溢れてゐる福澤の思想とは、「自立の精神のすすめ」なのである。

 福澤は「独立の丹心」とか「私立の本心」といった言葉を繰返し使ってゐる。これらは「自立の精神」に他ならない。私は今この福澤の「自立の精神」を、もう一度日本国民は取り戻さねばならないと切実に思ってゐる。

  「独立の気力なき者は、国を思ふこと深切ならず」(『学問のすすめ』第三篇)

 民主党が政権を担当した昨秋以來、私は福澤のこの言葉を思ひ出す事が多い。民主党の政治家たちは、政治とは国民に「恩恵を与へる事」と信じ込んでゐる樣だ。しかし、さういふ政権を選んだ責任が、私たち国民にあるのは間違ひない。日本人はいつからこんなにも「独立の気力」を失ってしまったのだらうか。「子ども手当の一律支給」、「高校授業料の実質無料化」、「農家の戸別所得保障」、「高速道路料金の無料化」等々、これらは「与へられ」ばらまかれるものだけに、眼が眩んで民主党に政権を託してしまったのは、他でもない私たち有権者だったのである。

   「士道」は「私立」の外を犯したが、「民主主義」は「私立」の内を腐らせる。
                                  (小林秀雄『考へるヒント』)

 民主主義といふ政治の有り様には、多くの欠点はあるものの、今のところこれに優る政治形態があるとは思へない。だがその政体が存続するには前提条件がある。それは国民一人ひとりが、自律的な内的規範を持つ事である。その内的規範こそが「独立の気力」であり「私立の本心」ではないだらうか。その内的規範が失はれれば、民主主義といふ政治のシステムは土台から「腐らざる」を得ない。民主党の小沢一郎幹事長は、民主党に投票する人には「アメ」を、投票しない人には「ムチ」を、といふ行動こそが政治と考へてゐる樣だ。まことに国民は、この一人の政治家に馬鹿にされ愚弄されてゐる。「天は自ら助くる者を助く」と言ふが、かうした自立の精神が失はれれば民主主義政治は成り立たない。小林秀雄は40年も前に、民主主義といふ政治システムの危うさを、懸念してゐたのだ。

 民主党政權の混迷の責任は、「私立の内を腐らせた」国民一人ひとりが負ふしかない。民主主義といふ政治の形態を建て直す為には一人ひとりの国民が「自立の精神」を取り戻す事が不可欠である。だがそれは容易ではない。自立の精神には倫理意識が伴ふ。倫理意識といふもの程、戦後ないがしろにされてきたものは無い。永い歳月をかけて崩壊させたものを、もう一度手に入れるには同じだけの歳月がかかるだらう。

 だが希望が無いわけではない。「内的規範」を何に求めたら良いのか。さうした模索の動きも垣間見られる。最近「論語」に関する著作が盛んに売れてゐるといふ。内的規範とは何かを考へるには、論語は最適な書物だと私は理解してゐる。かうした書物が売れるといふ事は、多くの人々が心の裡に、何らかの規範を持ちたいと願ってゐる「証し」と言へるだらう。だがこれも一過性の現象であってはならない。「倦まず弛まず」、かうした現象が繰り返されていかなければ、失はれたものは取り戻せない。自分の身辺にある筈の「自立の精神」と倫理観の芽を、大切に育んでいかうとする努力こそが、日本を救ふ道となると私は信じたい。又さうした努力を重ねるところにこそ、「国文研」が存在する意義があると思ふ。

5月20日記 ((株)柴田 代表取締役)

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 昨年9月誕生した民主党政権は端なくも国家秩序破壊につながる左翼政権であることを露呈しつつあるが、講師に拓殖大学大学院教授遠藤浩一先生をお迎へした今次の国民文化講座は、民主党政権の本質を戦後政治史の中に位置づけつつ、いま一度“保守”の意味を考へるといふものであった(聴講者108名)。とくに民主党政権の前兆が「憲法改正」に口を閉ざして「経済」に奔った池田内閣(昭和35年7月発足)にあったことを指摘され、福田恆存氏の文章を引用しつつ「真の保守とは何か」について熱く説かれたのであった。

 演題は「生存本能としての保守-正念場に立つ日本政治-」。2時間余に及んだ講演であったがその一部なりと御報告したい。

     「いま、政界で何が起ってゐるか」

 昨年の衆議院選での民主党の「地すべり的勝利」は、得票を比較すれば明らかで自民党を支へてきた保守票の多くが一気に民主党に流れた結果であった。その要因として小泉首相時代に顕著になった地方切捨て及び公明党との連立によって古くからの自民党支持層に嫌はれて徐々に票が逃げて行ってゐたこと、さらに候補者の発掘を怠ったため若い有能な人材の多くが民主党へ流れたことなどが挙げられる。農民と地方の不満は民主党への追ひ風ともなった。

 その民主党は所謂「政治とカネ」の問題で躓いてゐる。秘書が逮捕されてゐる小沢一郎幹事長に何ら楯突くこともできない根性無しの政党であることがバレてしまった。民主党の伸長は平成15年の自由党との合併に始まり、その後民主党支持の基礎票は増加の一途を辿り昨夏の総選挙でピークに達したわけだが、8ヶ月後の現在、7月の参議院選では大幅に落込む可能性が指摘されてゐる。長く政権の座にあった自民党は「独立主権国家」の意識が稀薄なままバーチャルリアリティを生き抜き、戦後の冷戦構造といふ冷厳な事実を等閑にしながら結局は「護憲」でやって来た。民主党には自民党以上に「独立主権国家」の意識はない。

     「新党への期待と懸念」

 民主党の支持率低下によって、間近に迫った参議院選では民主・自民両党の基礎票の差の1千万票が浮動票となり、新党の獲得ターゲットになると思はれる。注目の渡辺喜美氏の率ゐる「みんなの党」の政策を見ると「世界平和」「アジア重視」に加へて、「子育て手当」の支給などのバラマキ政策などが看取される。「反民主党」を掲げながらも予算の組替へをすればバラマキもOKといふもので民主党のクローンそのものと言ってもいい。「たちあがれ日本」は、郵政改革反対を貫いた平沼赳夫氏と改革策を推進した与謝野馨氏が、このままでは国が危うくなるとの思ひから経済政策の相違を超えて自主憲法の制定や伝統文化の尊重といふ保守の理念で合致して発足した党である。杉並区長の山田宏氏ら首長経験者らによる「日本創新党」は国家主権を守るといふことを明確に打ち出してゐる。

 かうした新党が参院選でいくつ議席を獲得するかで日本の進路が決まる。民主党単独の過半数実現を阻むために、三党が矛盾を克服しつつ、とりわけ「たちあがれ日本」と「日本創新党」が選挙費用や候補者リクルート面などからも共に政策を擦り合はせることが必要と思ふ。

 四年前、戦後レジームからの脱却を掲げて発足しながら僅か1年で退陣した安倍晋三元首相は、保守陣営の失望感を拭ひ去るためにも、かつて昭和30年、容共政権の出現を回避せんと三木武吉が「保守合同」に動いた捨て身の行動に倣ひ、自民党をぶっ潰すぐらゐの覚悟で臨んでこそ浮ぶ瀬があるといふものである。

     「戦後政治の『生存本能』」

 戦後、チャーチルは「日本以上に邪悪なソ連・中国が存在することになった」と言ったが、米ソ冷戦下、米国はダレス特使(のち国務長官)を通じて、吉田茂首相に日本の再軍備を迫った。吉田はそれを拒否し、代りに「米軍の日本駐留」といふウルトラCを考へた。講和条約調印の前年、池田勇人蔵相を米国に派遣し、米国側が言ひ出しにくい「米軍駐留」を日本側からオファーした。これが今日に至る基地問題の発端である。

 当時米軍駐留を巡る対日戦略には二つあった。国務省案は、米軍の日本進駐が長引くと反米感情が高まるから早く独立させて共産国の楯になってもらふといふもの。一方、国防省案は、憲法改正をしない日本は丸裸も同然だから、スターリンの餌食にさせないため占領を継続し米国が日本を守るといふもの。いづれにしても「米軍に大きく依存する」安全保障体制がこのときに出来た。

 米国は過般の戦争でソ連を甘く見て日本叩きに奔走したが、共産主義に対峙してきたのは日本であった。「その日本に敵対しながら、今さら日本に再軍備とは何だ!」といふのが吉田首相の率直な気持ちだったのだと思ふ。日本こそ共産主義の被害者であったからだ。アメリカは当時も今も「豪腕ではあるが、国際政治の判断力はからきしダメ」である。北朝鮮のテロ国家指定解除といひ、6ヶ国協議の行き詰まりといひ、今に至るもその残滓が濃厚である。

 戦後日本の経済発展は大きな「矛盾」を孕むもので「冷戦のおかげ」であった。日米安保体制の下、国防を考慮外のこととして、伸びる税収の分配にうつつをぬかし、ひたすら私的豊かさを追ひ求めてきた。これに慣れ切ったところに民主党の「子ども手当」に象徴されるバラマキ公約があった。「みんなの党」はさらにその上を行く。しかし、残念ながらバラマキ政治の醜悪さや人生観をも歪めてしまふ異常さに多くの有権者が気づかない。その反知性的感性には唖然とさせられる。

 日本の政治課題は「独立主権国家」の理念を掲げ、自主憲法制定、脱吉田体制による「普通国家」を指向すること以外にあり得ないのである。

     「福田恆存に見る『保守とは何か』」

 福田恆存は『私の國語教室』のなかで「手足は道具ではない」、「私の体は私のものであって私のものではない。私は私の体の外には出られない。私は私の体においてしか存在しえない」と言ってゐる。福田は日本語の言葉や文字をさういふ観点からとらへた。さらに「過去の文化の集積を引き受け、伝統を保持し、それを次代に引き渡す役割をなす者」を知識人と定義した(「日本の知識階級」)。続けて「私の生き方ないし考へ方の根本は保守的であるが、自分を保守主義者とは考へない。革新派が改革主義を掲げるようには、保守派は保守主義を奉じるべきではないと思ふからだ。私の言ひたいことはそれに尽きる」とも言ふ(「私の保守主義観」)。

 日本の国は福田が言ふやうに「歴史的国家」そのものである。これを思へば、私たちは如何に幸せな国民であるか計り知れないものがある。

 かつて菅直人氏(編註、現首相)にお会ひしたことがある。その折、氏は国家といふものはアプリオリ(自明)ではなく、多様であり自由に選べるものだといふ自説を語ってゐたが、強く違和感を覚えたものだった。国家とは福田が言ふやうに私たちを生かすものであり、その意味で日本人は誰もが保守的であるべきなのである。保守対革新などといふ対立軸で人を見るべきでもなく、日本人は全員がひとしく保守的でなければならないと思ふのである。

 さらに福田は言ふ、「進歩や改革にたいして、洋の東西を問はず保守派と革新派の差異は、前者はただそれを『希望』してゐるだけなのに反して、後者のそれは『義務』と心得たといふことにある。保守派にとって『私的欲望」にすぎないものが革新派にとっては『公的な正義』になる」、革新派は「それを最高の『価値』にまで祀り上げ、それこそ生存の『全体』であり「目的」であると考へる」と(「私の保守主義観」)。

 かうした視点で民主党政権の諸施策をみるならば、政権交代の字義以上の思想的な問題が孕まれてゐることが浮び上がって来るはずである。

     講座に参加して、改めて思ふこと

 以上が私のノートから認めた講演の要点である。福田恆存の理性の回路を知る立場からわが国の揺れ動く現実を見据ゑるのは辛い。

 講演の中で、昭和30年、即ち1955年から1960年に到る時期、昭和30年代前半は、社会の力、生存本能が漲ってゐて、知識人の知的レベルも高く、貧しいなりに人々の目は輝いてゐたとの指摘は特に印象的だった。それは戦前を知る人たちが巷に溢れてゐたことにもよるといふ。左右の思想の相違はあっても、まさに生死を傍で感じ困難な体験を共にしてきた人達だったからに他ならず、それは彼らの極めて現実的な人生体験そのものであった。

 ところが1960年、安保騒動で退陣した岸内閣の後の池田内閣以降、政治が経済発展一辺倒になって根本的に変質してしまったのだ。歴史教科書や総理の靖国神社参拝、竹島・尖閣諸島等々で一時しのぎに終始して国益を損ね続けた自民党政治を目の当りにした者の一人として、その国威喪失に何度歯噛みしたことか。

 かうした政治の歪みをチェックするべき学者、ジャーナリストは、今また民主党政権の本質を不問にして「万死に値する不作為の大罪」を犯しつつあることを指摘して筆を置く。

(元 富士通(株))

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     問題は英語学習の時期と方法

 私が英語教育に携はるやうになってから何度か、英語教育に大きな波が押し寄せてきた。

 昭和60年(1985)頃、日本は歴史上空前の経済的繁栄を極め、米国を脅かすほどになった。当時は中曽根首相の時代で、外国人留学生の10万人招致計画が打ち出され、ALT(外国語指導助手)の採用も始まった。そして小渕内閣時代の平成12年には、首相の私的諮問機関が「日本人全員が実用英語を使いこなせる」英語第二公用語論を打ち出した。マスコミでも「英語公用語化論」が話題となり、英語によるコミュニケーション能力を高めるべきだとの声が聞かれた。平成15年には、文部科学省(小泉内閣)から「『英語が使える日本人』の育成のための戦略構想」の発表となった。さらに平成19年、福田内閣では「留学生30万人計画」や「英語の早期必修化」が提示された。平成23年度から始まる小学校での英語必修化には、このやうな経緯と前史がある。

 誤解のないやうに述べておきたいが、『英語が使える日本人』の育成に反対してゐるわけではない。さうした人材の育成は英語教師の大事な使命である。問題は育成の時期や方法にある。一人の子供が一人前の社会人になる過程において、どの時期にどのやうな知識や教養を身につけさせるかについて、その順序を間違ってはならない。どうもその点に乱れが生じてゐるやうに思はれる。

     事の軽重を見誤った小学校英語

 英会話(実用英語)学習重視への傾斜から、つひには小学校での英語学習となったのだが、英語はそれほど早い時期から教へるべき科目だらうか。他の科目の授業時間を犠牲にしてまでも、小学校段階で時間を割く必要があるのだらうか。

 平成15年に発表された「『英語が使える日本人』の育成のための戦略構想」にあるやうに、英語は全国民が読み書きのみならず聞いたり話したりできるまでの高いコミュニケーション能力を学校教育の場で身につけなくてはならない科目だらうか。かうした「戦略構想」を押し進める人達は、教育全体の中に占める部分を見極めて事の軽重を正しく判断する平衡感覚を欠いてゐるのではないかと思ふ。

 英語を習得したいなら、幼い頃から学んだ方が習得が早いのは確かである。海外勤務になった家族の子供達は、年齢が幼いほどその居住国の言葉をよく覚えるといふ例を私たちは幾つも聞いてゐる。早い時期から英語の音声に慣れておくと、例へば「R」や「L」等の発音の違ひが分るやうになり、発音やイントネーションが良くなるといふのは、確かにその通りであって、英語の早期教育には理由がある。しかしながら私は、個人的に家庭や塾で早期教育を試みるのは自由だが、公教育の場に導入することには反対である。

 「小学校英語」が話題になり始めた頃から、その効果と弊害を漠然と考へてゐたが、『小学校に英語は必要ない』といふ本を読んだとき、その主張に賛同した。特に印象的だったのは、海外で英語の会話能力を身につけて帰国した子供が、日本でもその能力を維持しようとして、週1回2時間程度英語能力の保持教室に通ったけれども、2、3ヶ月の間に加速度的な速さで英語を忘れて行ったといふ例である。特に小学校2年生位までに帰国した者は3ヶ月後には全く英語を失ったといふ。

 身についてゐた英語を週2時間では維持できないならば、週1時間(45分)で学んで身に付くことなど僅かしかないであらう。しかも、必修化が始まると、その弊害が予測される。学ぶ意欲のある児童は学校で習ふ以外にも学習塾などに通ふであらう。一方、英語にあまり興味を覚えない児童は教室で習ったことなどほとんど忘れてしまふだらうし、英語が嫌いになるかもしれない。その結果「できる児童」と「できない児童」との二極化が進むに違ひない。

     中学校・高校の英語教育が基礎

 帰国子女の研究調査が記されてゐる『バイリンガルの科学』(小野博著ブルーバックス出版 1994年)には、次の2点が挙げられてゐる。

 

1、子供の知的な発達が自然に 行われるためには、少なくとも小学生の時代には一つの言語で教育を受けることが望ましい。

2、将来使えるバイリンガルになるには、中学・高校まで日本語で教育を受けた後、海外で必要に応じて外国語学習を実践した人の方が、到達しやすい。すなはち、ほとんど全ての日本人はバイリンガルになれる。

 これは渡部昇一氏の自らの経験に基づく英語教育論とほぼ同じ結論である。

 ささやかな経験だが、英語の教員になって間もない頃、語学研修で一ヶ月間イギリスに滞在した事がある。初めのうちは相手が何を言ってゐるのかよく分らず、会話も少ししかできなかったが、帰国直前のころには、ホームステイの家族とはかなり話ができるやうになった。その時、もし1、2年間滞在することができたら、普通の会話には不自由しないやうになるだらうとの感触を持った。だから、中学高校での英語教育は従来通りの方法で大筋よいのではないか。英文法の知識を基礎に英文読解ができるほどの潜在能力をつけておけば、1、2年間の海外留学期間に会話能力を顕在化できるといふ基本的な考へ方は変へる必要はないと思ふ。

     高い英語力は誰に必要か

 米国は現在でも軍事、政治、経済、金融、科学などの諸分野で大きな影響力を持ってをり、国際社会の中では英語が共通語の役割を果たしてゐるので、英語の役割は今もなほ重要である。だから、世界で多用されてゐる英語を運用できる語学力を持つことは望ましい。しかし、英語の高い運用能力を全ての国民が身につけるべきかとなると、さうは思はない。

 英語は、高校までの課程を終へたら、次の段階で各自が必要に応じて学習し、精一杯奮闘努力してその語学力を身につければよい。高校レベルの英語力しかなくても、国内にゐて困るやうなことはほとんどない。外国人に出会っても日本語で話せばいいし、海外旅行はパック・ツアーで行けば言葉の問題は添乗員が解決してくれる。それで不十分だと思ふ者は自分で独学すれば済むことである。日本人全体が高度な英語を使はなければならない必然性はない。

 日本は植民地支配を受けたことは一度もなく、多民族多言語国家でもない。英語を使用しなければ高等教育ができない国でもない。明治の先達が大変な苦心をして翻訳した近代の思想や学問用語のおかげで、高等教育を自国語でできる独立国である。

 問題は高度の英語を本当に必要とするのは誰か、といふことである。それは、普通の暮らしをしてゐる日本人ではなく、国際的に重要な仕事に携ってゐる人々である。外交交渉をしたり、学問上の研究発表をしたり、共同の仕事をしたりする政治家、官僚、学者、実業家などである。彼らにこそ高度の英語運用能力が求められてゐる。だから、これらの要職につく人材を求める場合、その採用条件に、英語圏の国に留学して学位を取っておくべきである等々と課しておきさへすれば(渡部昇一氏の案)よいのであって、国民全体に大きな負担を強いる必要はない。

     文法力を頼りに辞書を引きつつ…

 近年の英語教育環境は昔に比べてずいぶんよくなってゐる。ALT(外国語指導助手)がほとんどすべての高校に配置され、コンピュータやCDプレーヤーなどの教育機器も整ひ、さうした環境の下で教師は音声も重視しながら英語を教へてゐる。しかし、高校の現場には大学入試とクラス人数40名といふ枠組みがある。この動かすことの出来ない枠組みの中では、知的好奇心を満たす良質の文章を、文法力を頼りに辞書を引きつつ読解していくことによって、生徒の潜在的語学力を引き出すことが、いまも変らぬ高校英語教育の重要な部分であると思ふ。

(福岡県立玄洋高等学校教諭)

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 去る4月3日、関東地区の学生を中心とした春合宿が開かれた。その合宿に国文研合宿で出会った同年配の友人達を誘ったのだが多くの友は都合がつかず不参加であった。社会人生活が六年となる私自身も仕事と重なって参加できなかった。しかし単に不参加では勿体ないと思って、春合宿のテーマであった「何の為に学問をするのか」について、合宿前に友人達にメールで問を発した。左記のやうな応答の便りが届いて有難かったが、この遣り取りを通して、「学問」のこともさることながら「友との付き合ひ方」についても考へさせられるものがあった。そこで読者の皆様に友との遣り取りの内容を(歴史かな遣ひに改めさせてもらったが)お知らせすることで、今後の糧にしたいと考へ筆を執った次第である。

   藤崎洋平兄-27歳、(株)JALカーゴサービス-からの便り

 (前略)現在の日本が歴史から切り離された存在であることに気付いてからは『日本人とはなにか』を求めるやうになりました。もし古今東西の日本人とばったり出会っても共通の意識の持てる人間になりたい。誰よりも日本人でありたい。そのために日本といふものを「知りたい」と思ったのです。しかし「知る」といふのは対外的な行動で目的物が自己に備はってゐないからこそする行為です。長内俊平先生の言はれた知解の段階です。真の日本人となる(心解の段階)為に、知識を蓄へ実践する。それが今の私にとっての学問です。

 道元は正法眼蔵で「仏道をならふといふは自己をならふなり、自己をならふといふは自己をわするるなり、自己をわするるといふは万法に証せらるるなり」と言ってゐます。さらに引用すると法句経では「己こそ己の拠る辺、己に拠らず誰に拠る辺ぞよく調へし己にこそ まこと得難き己をぞ得ん」と説きます。私といふ自己を育んだ日本とは何なのか。それを学ぶ事こそ己を調へる事なのだと思ってゐます。

   藤崎洋平兄への返信

 (前略)心解が真の日本人になることとは、なるほどと思ひました。解するものはそれこそ歴史なのか、はたまた日本文化なのか。己を調へる、己の心を偽りなく整へ調べをつけることかな。

 すなはち和歌ですね。(後略)

   佐野宜志兄-26歳、(株)東宝スタジオサービス-からの便り

 正大寮に入寮したのは、20歳の春でした。(中略)「学問とは」といふ問ひに拙くとも答へを出すには、日々の些細なことに心を動かし、寮生と歌や文章に触れて感動するといふことが不可欠でした。
春になる。暖かくなって、桜のつぼみが毎日徐々に膨らんでいく。埼玉の実家ではふきのとうが土から頭を出してゐるのだらうなぁ-過ぎゆく季節を具体的に感じ、それだけで胸にこみあげるものを感じられた時、僕はとても幸せな気分になりました。

 また、知識を開陳するのではなく、自分の心を素直に言葉で述べる。それがいかに難しいかを僕は痛感しました。
輪読を終へ、腹が空いてゐるのをそっちのけで、窓辺で寮生と語り合ふ。僕が不器用ながらも正直に述べた感想が伝はった時、僕は共に苦悩して学び合ふ仲間と生活してゐることに貴さを覚えました。
僕は寮で学んだ御製の中でも、特に忘れられない御歌があります。

     いかならむことある時もうつせみの人の心よゆたかならなむ

といふ明治天皇御製です。
僕は、日常を送る上で心が乾いた時、いつもこの御歌を思ひ出します。

ここで明治天皇が使はれた「ゆたか」といふのには、「些細なことに感動する」だけでなく「他人の心に寄り添ふ」といふ心の豊かさもあるのだらうと思ひます。そして、心を豊かにするには、言葉を学ばなければなりません。

僕の好きな歌手である、さだまさしさんがある番組でこんなことを述べてゐました。「うろこ雲、茜雲、いわし雲、雲にも色々な名前があります」。雲の名前を知ってゐるだけでは単なる知識ですが、夕刻の空を見て「茜雲が美しいな」と感じられる。それは「空がきれいだな」といふ語感よりも深みのある感動だと思ひます。深く感動するために、学問をすることが大切なのだと、僕は最近になって身に染みて分るやうになりました。(後略)

     佐野宜志兄への返信

 (前略)他人の心に寄り添ふことが「ゆたか」な心とは具体的に考へてゐなかった。そして、寄り添ふだけでなく、人の心に気付く。正しいこと、間違ってゐることに気付くことも「ゆたか」なのでせう。
更には、他人は勿論、文章、故人、歴史に寄り添ふこともさうなんでせうね。明治天皇は「いかならむ」と詠まれてゐます。悪いときだけではなく、良いときも常に、そのやうな心を持ってほしいものだ、との大御心はとても優しく、おほらかに、そして厳しく我々国民の心の在り方を示されてゐます。

 また、「貴兄は心を豊かにするためには言葉を学ばなければ」ならぬと論じてゐる。同感であります。言葉、殊に、母国語を学ぶことは、祖国の先人の心を学ぶことであり、その歴史に結ばれて生きてゐる我々の心を繋ぐことでせう。(中略)国文研叢書『続 いのちささげて』の中で、近藤正人さん(編註・昭和19年戦死、享年30歳)は、

 「意識の体験とは、即ちその対象が自然たると人生たると、又自分そのものたると外存者たるとを問はず、すべてそれらが対象として意識される事であるが、重要な点は意識の成立は必ず表象即ち『コトバ』となつてはじめて吾々の意識体験と云ひうるといふことである。故に意識の体験とはコトバの体験である。…人間生活が本質的に精神生活といはれる点は、不断にコトバの新しき体験をかさねると共に自ら新しきコトバを生んで行く点にある。故に人間生活とは不断に生成する表現の生活である」と述べてをられます。

また「真の人生の過程が芸術的でなくてはならぬといはるゝ所以は、人生の真の体験は…胸奥よりのまことの詞をうみ出し行くべき悲喜動乱のそれであるが故である」とも論じてをられます。

 生きるといふことは、命を結ぶこと、命を結ぶとは、歴史に繋がること、歴史に繋がることは、祖先の心と子孫の心とを結ぶこと、心を結ぶとは言葉を継承すること、そして、言葉を継承するためには学問をする。どんな学問でもさうなんでせう。(中略)その為に自分の感動したことを真心にしたがひ、すなほに表現する。「何の為に学問をするのか」とはつまり命、心の繋がりを織り成すためなんでせう。(中略)

   ゆたかなる言の葉草にみちみちし心をもちて生きてゆかまし
   真心をこめて摘みたる言の葉を紡ぎて綾なす敷島の道
   うかららと友とみたまと我が心結ぶはまことのことばなりけり
   いにしへゆ繁りさかりし言の葉の道を友らと歩みゆきたし

   庭本秀一郎先輩-35歳、東洋紡績(株)-からの便り

 私にもメールを送っていただき嬉しく思ひます。

 偶然かもしれませんが、最近家内が『添うこころ』(木田恵子著)といふ本を読んでゐるのが目にとまり、借りて読んでみました。「添う」といふことは、相手の気持ちを肯定も否定もせず、ただあるがままを受け止めるといふことなのでした。また、ビジネス書ではありますが『七つの習慣』(スティーブン・R・コヴィー著)といふ本も読んでゐます。それによれば、「先に」相手の心を理解しようとしてはじめて、自分の気持ちも理解してもらへるといふことが書いてありました。ここに言ふ理解とは、自分の心の中で理解することではなく、自分の理解が「本当に」正しいかどうか言葉を尽くして相手に問ひかけることを意味してゐるとのことです。自分のことばかり考へてゐては、出来ないことだと思ひました。

 雄平君は「良い時も常に」と書いてくれましたが、良い時こそ「相手のことを考へず、傲慢になってゐないか」自分に問ふことが必要なのだと気付かされました。(中略)
人の心に寄り添ふことがゆたかなる心なりとふ友ありがたし

   庭本秀一郎先輩への返信

     3月30日、夜道にて

   冷たくも吹く風やみて望月の天つ夜空に冴え照りわたる
   さや照りし月のみかげをあふぎつつゆたけく歩む夜の道かな
   街灯の明かりにさらに白く映ゆ桜の花の美しきかな
   先輩ゆ賜びし便りに思ひをば寄せつつあふぐ望月の影
   くもりなくさやに照りたる月読をあふげばおのづと涙こみあぐ

   穴井宏明兄-28歳、(株)テレビ西日本-からの便り

 何の為に学問をするのか?といふことに関してですが僕は今、『正しく感じる心』を養ふ為のやうに思ひます。

 素晴らしいものに触れたときに、それを素晴らしいとどれだけ正しく感じられるか。人が言葉を発した時に、その言葉に込められた思ひをどれだけ正しく感じられるか。友達と語りあったり、本を読んだり、短歌を詠んだりしてゐた学生時代を振り返ってみて、さう感じてゐます。

   穴井宏明兄への返信

 (前略)「正しく感じる」とは何なのかが難しい。ここでは、「(何に感動したのかといふ)自分の心を正確に見つめる」といふやうに解釈しました。
感動した自分の心をより見つめなほすとなれば、感動の対象をより見つめなければならなくなる。(中略)自分の心を見つめ、相手の心を見つめる。そこで、共感が生まれたり、議論が生まれたりする。(中略)まさに寮生活や輪読、短歌相互批評ですね。

 3月29日付けの産経新聞に山口秀範さんの文章が載ってゐました。そこに「感動することが学問のはじまり」といふやうなことが書いてありました。(後略)

   濱崎史嘉兄-28歳、中外鉱業(株)-からの便り

 何の為に学問するか考へたけど、よくわかんないよ。目的(試験とか研究とかかなり身近なわかりやすい議題)のために勉強する人が多いと思ふけど、自分が興味あることは勝手に勉強するからなー。(中略)そこで久しぶりに短歌を作ってみました。

   仕事終り帰路にて

 公園に咲く満開の桜花街灯に映え疲れも和らぐ
 やっぱ何か上手くできません。じゃ、また。

   濱崎史嘉兄への返信

 (前略)短歌ありがたう。
 我が友の咲き満つ桜の歌を詠み送りくれにきあな嬉しかも
 何故に学問するのか判らぬとふ友のすなほなる便りともしき
 東京に来たら連絡ください。(後略)

   石川辰典兄-28歳、日生(株)-からの便り

 なんのために勉強するのかを今日まで考へてゐましたが結局わかりませんでした。
 自分のため?ぐらゐにしか思ひませんでした。

   石川辰典兄への返信

 (前略)自分の為とのこと、確かにさうかも知れません。自分の為とは何なのか。(中略)自分とは自分を取り巻くあらゆる事象から形成されるものですので、自分の親をはじめ祖先、友、地域、国、歴史、そして未来などの為と思はれませんか。私はさう思ひます。(中略)吉田松陰の引用した「修身、斉家、治国、平天下」とは、そのやうなことなのかと、貴兄の文章を読んで思ひました。
ありがたう。

   真剣に素直に、また楽しく…

 会へば酒を飲み、思ひ出を語り笑い話に花を咲かせることはしばしばある。しかし、それだけに過してしまっては悲しい限りである。友とはだらしない付き合ひをしてはいけない。久しぶりに会ふ友人は勿論、始終よく会ふ友人であっても、一度一度の出会ひを大事にしながら、友が今何を思ってゐるのかを敏感に気付く付き合ひをしていきたい。

 頑張ってゐるであらう友を思ひ、「負けるもんか」と頑張ることが出来る付き合ひをしていきたい。

 私が幼い頃に、剣道を教へてくださった先生から、次のやうなことを言はれたことがある。「久しぶりに会った友人とは竹刀を交へ、数分ぢっと本気で構へ合ってゐれば、一緒でなかった時間、どのやうに生きてきたかが解るもんだ」と。

 友と会ったら、または便りをもらったら、僅かな時間であってもグッと友の心を見つめるやうに心掛けよう。
この度の友とのメールの遣り取りは思ひがけず私にとても元気をくれたやうに思ふ。

 私が日々考へてゐた学問と実生活の関係を、一所懸命に考へて具体的に答へてくれた友、また考へたうへで解らないと素直に表現してくれた友を心から有り難く思ふ。わが友と真剣に素直に語り合ひ、また楽しく酒を酌み交はしながら、実生活をいきいきと過ごしていきたい。

(28歳、伊佐ホームズ(株))

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編集後記

「菅氏には鳩山氏のどこか明るい無重力的な軽躁さとは別の、湿った感じの『軽さ』がうかがえる。それが吉と出るか凶と出るか、今は見守るしかない」(産経6/5付、阿比留記者)。「湿った」軽さとはまさに適評。変り身の早さは新首相の身上といふが、その言説はいつも他者を貶す毒を含んでゐたやうに思ふ。出自が市民運動の菅氏は何を願ひ何を仰いで来たのだらうかとふと思った。

 「何の為に学問をするのか」。友の問ひ掛けに自問して答へる友。勤務に勤しむ中での遣り取りをご精読下さい。(山内)

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