国民同胞巻頭言

第581号

執筆者 題名
大日方 学 「道徳教育」に命を吹き込むもの
- 教師一人一人の「生き方」こそが大事だ -

國武 忠彦

『万葉集』を読みつつ、国の現状に思ふ
- なさけなく悲しい「小沢発言」 -
亜細亜大学名誉教授
夜久正雄
- 『祖国と年』平成2年3月号所載 -
昭和天皇「晴」の御製を拝して

山内 健生

“広がる「直葬」”の背景に何があるのか
- 最近の「お葬式」事情について -
  憲法違反ではないのか!
永住外国人参政権付与で生ずる問題点について


 横浜市にある県立高校で昨年の4月1年生の担任となった。3年間の県教育委員会勤務もあって、7年ぶりの担任であった。クラスの目標を
 1、元気よく挨拶を交わす。
 2、基本的生活習慣を確立し、目標を高く掲げる。
 3、友達を思いやる心を抱く。
と定め、ホームルーム経営をスタートさせた。1年生は新しい環境での緊張感もあり、溌剌とした生活を送り、担任の指導にも素直に従った。学校行事においてもよく団結し、充実した活動を行ふことができた。

 状況が一変したのは、二年生に進級してからである。クラス替へをしたため大半の生徒が変ったのであるが、4月当初から遅刻や欠席をする者が多く、服装もだらしがなかった。授業中は学習意欲を示さず、他の生徒の迷惑を考へずに大きな声で私語をする。休み時間はトランプに興じ、ペットボトルや紙屑を平気で床に投げ捨てる。再三注意をし、個別に呼んで話をしたりしたが、改善が見られず、暗澹たる気持ちを抱くことがしばしばであった。

 そのやうな毎日の中で、ホームルーム中に生徒の取った態度に言ひやうのない怒りが込み上げ、烈火の如く怒ったことがあった。渾身の力を込めて怒鳴り、その非を正さむと叱った。生徒たちは驚き、静まり返った。職員室に戻り、冷静さを失ったと反省したが、それから生徒は指導に従ふやうになっていった。

       教 育
    いかならむときにあふとも人はみな誠の道をふめとをしへよ

 明治天皇が明治39年にお詠みになった御製である。教育の要諦は、人の心の陶冶にあることを教へていただくお歌である。生徒の心の姿勢を正すには、ありきたりの注意ではだめであり、教師の全人格の奥底から発する真剣な言葉が必要なのである。そのためには、教師自身が己が身を顧みて「誠の道」を踏む努力を日々重ねなければならないのだと、自戒してゐる。

 平成18年に改正された「教育基本法」は、教育の目標(第2条)に「豊かな情操と道徳心を培う」ことを掲げてをり、平成21年に告示された高等学校学習指導要領は、この教育の根本精神に基づいて、道徳性を養ふことを目標の一つとしてゐる。「道徳教育」が新たな学習指導要領の眼目に据ゑられたのである。勤務校においても来年度からの実施に向け、「道徳教育の全体計画」を作成し、県の教育委員会に提出した。高校では「道徳」の時間はないため、各教科や特別活動など学校の教育活動全体を通じて目標を達成することとなる。

 しかし、作成された我が校の「全体計画」を読むと、美しい言葉だけが並び、具体的な活動の方法がほとんど記述されてゐないのである。これではせっかくの「道徳教育」が骨抜きのものになってしまふ。道徳とは、「人のふみ行ふべき正しいすじみち」である以上、その教育に命を吹き込むものは教師一人一人の生き方に根ざした具体的な取り組みであるはずだ。

 いま2年生の現代文(国語科)の授業で「短歌・俳句」の単元に取り組んでゐる。優れた短歌・俳句を鑑賞した後、実際に創作させようと考へてゐる。折から二月には今年度最後の学校行事である「合唱祭」が実施され、どのクラスも金賞を目指し、朝夕に時間を惜しんで練習を重ね、素晴らしい合唱を披露した。クラスの纏りもより良くなったやうに思はれる。練習から本番までひたむきに取り組んだこの貴重な体験を短歌・俳句に表現し、そのときの感動を友達に伝へてほしいと願ってゐる。

 「自分の心を見つめ、感動を正しく表現する言葉を選び、歌の姿に整へて友達に伝へていく」。これこそ国語科の授業の中で実践できる道徳教育ではないだらうか。国民文化研究会の合宿教室で学んできた「短歌創作」と「創作短歌の相互批評」をこれからの国語教育に生かすべく努力と工夫を重ねていきたい。

(神奈川県立氷取沢高等学校教諭)

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       『万葉集』から学ぶもの

 『万葉集』ブームは、続いてゐるといふ。私もそれに乗っかってゐる一人だと思ひますが、昨年1月からNHKの『日めくり万葉集』を見てゐます。わづか5分間。しかも、早朝五時なので、録画してあとでゆっくりと楽しんでゐます。さまざまな人が登場し、それぞれ自分の好きな歌を一首紹介する。壇ふみが詠みあげて語る。声は余韻を感じさせ、解釈はわかりやすいし、映像は美しい。

 それにしても、古典でありながら『万葉集』はなぜ親しまれるのか。自然や恋愛や人生を、感じたままに、飾らずに詠んでゐることに感動するからでせうか。心が素直で美しく、深い心、しみじみとした、繊細で豊かな感情に惹かれるからでせうか。それにしても、万葉人はあれほど燃えるやうな激しい感情をもちながら、なぜ歌になるときれいに抑制されて、やさしく美しい言葉になるのでせうか。

 そんなことを思ってゐるときに、「学生と『万葉集』を読みませんか」といふ嬉しい誘ひをうけ、昨年の暮れに喜んで出かけました。輪読本は、廣瀬誠先生の『萬葉集 その漲るいのち』(国民文化研究会刊)です。この御本は、先生のお人柄と体験からほとばしり出た、まさに「日本人の魂を呼びさまし、はぐくみ、培ひ、力づける」御本であります。

 私は、『万葉集』を読むと、その歌を詠んだ人に関心がいきます。どんな人が、どんな時に、どんな気持を詠んでゐるのか。さらに、当時の生活習慣や宗教、政治状況など、時代背景や歴史の理解が加はると、歌のいのちは一層甦ってきます。とくに、歴史の理解は欠かせないと思ひます。予想もしなかった歴史的事実を知って、目の覚めるやうな気持ちになることがあります。

 『万葉集』の時代は、飛鳥時代の舒明天皇(629年御即位)から奈良時代の淳仁天皇(758年御即位)までの130年間で、日本国家の基礎が確立された時代です。とくに『万葉集』初期の時代は大切で、なかでも聖徳太子、山背大兄王、推古・舒明・皇極(斉明)天皇、大化改新(乙巳の変)、白村江の戦ひ、天智天皇、壬申の乱、天武・持統天皇、そして柿本人麻呂と続きますが、この時代のことは日本の国のあり方を理解する上できはめて重要です。

 『万葉集』を、ただ文学作品としてばかり読むのではなく、日本の国家がいかに形成されてきたのか。その歴史と歴代天皇の精神の系譜を知ることは、これからのわが国のあり方を考へるときの中枢になるものです。天皇をはじめ、私たちの祖先が、数知れぬ苦悩や悲しみを乗り越えて、真の国家建設をめざして、奮闘努力してきた姿が甦ってくるからです。

 柿本人麻呂の歌の雄大さはどこからくるのでせうか。彼のそば近くには天皇がおいでになる、そして神も。人は死ねば神となる。神を体験しながら神を再現させる。死者の霊に呼びかければ、死者は甦ってくる。人を愛する気持ちの何と強いことでせうか。過去の時間はたちまち呼び戻されて、死者と一体になってゐます。

       ああ、これが「政治主導」なのか

 そんなことを考へてゐるとき、昨年の12月のことですが、例の「天皇陛下の政治利用」の問題が起りました。
12月15日、中国の習近平国家副首席が陛下に面会をしました。外国要人が陛下に面会するときは、一ヶ月前までに申請するといふルールがあった。それを知りながら、鳩山内閣はこのルールを破り、特例で面会を実現させた。1ヶ月ルールといふのは、陛下の行事の忙しさや御健康を配慮しての内規であり、当然政府も知ってゐた。宮内庁に、一度断はられてゐるのに、二度も要請して実現したのです。

 メディアの報道によると、11月26日、陛下との面会を中国政府が日本政府に要請。30日、外務省は官邸と協議し、中国政府に正式に不可能と回答する。しかし中国側は改めて面会を要請。そこで、小沢一郎幹事長は鳩山由紀夫総理と話し合ひ、12月7日、総理は平野博文官房長官を通じて宮内庁へ「面会」の実現を働きかける。羽毛田信吾長官は、不可能ですと返答。すると3日後の10日、官房長官は強い口調で再度「面会」の実現を要請したのです。この日は、民主党の訪中議員団143名の一人ひとりが胡錦涛国家主席と握手し「熱烈歓迎」を受け、小沢幹事長が胡錦涛国家主席と会談した日なのです。

 宮内庁は、重ねての「面会」要請にやむなく承知しましたと外務省に報告したのですが、宮内庁の羽毛田長官が記者会見で、「二度とあって欲しくない」といふ懸念を表明しました。このときメディアは、はじめて「特例面会」実現の経緯と小沢氏の動きを知り、「政治利用」だと非難の声を一斉にあげました。

 長官が、かうした懸念を表明したのは異例なことではないでせうか。このやうなことを長官が表明すれば、宮内庁は政治騒動に巻き込まれてしまふ可能性がありますし、当然陛下のお心を悩ませる事態にもなります。表明すべきかどうか、長官は随分悩まれたことと思ひます。しかし、長官は敢て表明された。これは余程のことだったらうと長官の苦しい心中を察したいと思ひます。

 ところが、民主党の小沢幹事長は、「(1ヶ月ルールを)宮内庁の役人がつくったから金科玉条絶対だなんて、そんなばかな話しがあるか」と激怒しました。「もし、どうしても反対なら辞表を提出した後に言ふべきだ」とまで言ひました。テレビで、この場面を見たとき、私は自分が面罵されたやうな気持になりました。そして、この言葉が鳩山政権の最大の実力者と言はれてゐる人の言葉だけに、なさけなくて悲しくなりました。ところが、鳩山総理は、小沢氏をたしなめるどころか、「何日間か足りなかったからといって、お役所仕事のやうにスパッと切るやうなことで、外交的な話がいいのかどうか」と言って、小沢氏をかばひ、小沢氏と同じやうに長官発言に不快感を示しました。ああ、これが「政治主導」なのか。役所の言ふことなど聞かない、といふことなのでせうか。

       憲法第1条に胸が苦しくなる

 この問題を考へてゐるとき、平成12年の「神の国発言」を思ひ出しました。当時の森喜朗首相が神道政治連盟の祝賀会の挨拶のなかで、「日本の国はまさに天皇を中心とした神の国である」と発言したのです。これに対し、メディアは、国民主権や政教の自由、政教分離に反するとして一斉に批判しました。内閣支持率は低下し、その後の総選挙で自民党は議席を減らしました。

 森首相は、「(「天皇を中心とした」とは)日本の悠久の歴史と伝統文化といふ意味で申し上げてをり、戦後の主権在民と何ら矛盾しない」と反論しましたが、当時の鳩山民主党代表(現首相)は、「天皇を中心とした神の国といふ考へを国民に徹底したいといふ発想は、大日本帝国憲法に近い。国民主権の現在の憲法を正面から否定する話だ」と森発言を批判したのです。

 このとき、私の思ったことは、鳩山氏には新憲法制定の際の、GHQに手足を縛られてゐた我が政府当局者の苦しみへの理解がないのか、といふ想ひでした。国民が、戦後どんな想ひを抱いて、新憲法を受諾せざるを得なかったのか。その胸の内の苦しみを感じとってゐるのだらうかと思ひました。森首相は、「神の国」発言を撤回せよといふ激しい攻撃を受けながらも、誤解を受けてゐることには陳謝しましたが、発言は撤回しませんでした。ほっとしました。

 私は、新憲法第1条の象徴天皇の条文を読むたびに、胸の内に苦しい想ひを感じるのです。これは、私だけの感情ではなくて、私たちのなかにある歴史的感情ではないのかと思ふのです。

 敗戦後、アメリカによって無理やり与へられた憲法によって、天皇と国民の絆は、一旦は遠のいたかに見えましたが、今やその不安はないと思ひます。しかし、今回の「天皇の政治利用」などの問題が起きてくると、また不安になって参ります。国民に天皇への敬愛と尊崇の念が絶えない限り不安はないのですが。政治家は、とにかく天皇に関しては、くれぐれも過剰と思へるほど慎重であってほしいと思ひます。慎みの気持ちを忘れてほしくないと強く願ひます。

       日本人の心を回復するために

 私たちは、『万葉集』を読めば、神にも天皇にも、いつでも親しく接することができます。日本人としての心を、いつでも回復することができるのです。

 天皇なんて昔のことだ、自分とはかかはりのないことだと思ってゐる若者は、是非とも『万葉集』を読んでほしい。特に、初期の歌人たちは、まさに天皇を中心にして、天皇とともに国家を形成し、発展させてきた人達です。そこには神も天皇も身近に存在してをりました。私は今、象徴天皇が、タテマエとして扱はれ、形骸化されていくのではないかと危惧するのですが、神と天皇を甦らせるには、古典を読むしかない。歴史に学ぶしかない。その緊張感のなかで、天皇の御心を憶ふしかないと考へてゐます。

(昭和音楽大学名誉教授)

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 昨年(平成元年)の2月24日、昭和天皇の御大葬に際して、宮内庁は四首のお歌を公表した。それは、東宮さまの国事御代行に対する御感謝のお歌からはじまって、国民ならびに外国の人々のお見舞に対する御感謝のお歌、医師と看護婦の人々への御感謝のお歌で終る、四首のお歌であった。

 昭和天皇さまは、御重篤の折に、お亡くなりになった後で、これらのお歌を公表することを、どなたかに御遺言になってをられるのではなからうか、-私は、さう思って、昭和天皇さまの、高僧の大往生にもまさる辞世のお心を、この四首のお歌に拝して感涙にむせんだのである。死にも勝る生の苦痛にたへて敗戦の国と民とをお導きくださった御苦労の御生涯を、ねんごろの感謝のお歌で終はられたお心は、いま思っても感涙を催すのである。

       「歌会始」に寄せられる昭和天皇の御心

 この四首の御製の公表に際して、東京新聞は、次の記事をかかげた。
昭和天皇は昨年(昭和63年)11月初め、吹上御所二階の寝室で闘病中、体調の良い時は64年(平成元年)の「歌会始」のお題「晴れ」のお歌作りをされていた。ある時、徳川前侍従長に探すように命じていた作りかけのお歌がみつからず「(自分が)下へ行って捜してくる」と言われた、という。

 この記事は、昭和天皇さまが「歌会始」に出すお歌について実に御熱心なお心づかひをなさったことを語るのである。

 11月といへば、既に御重篤であられて、国事については東宮さまが御代行になってをられたのであるが、「歌会始」の御歌についての御責任を最後までおとりにならうと、御病床で御苦闘なさったのである。
「下へ行って捜してくる」とまで仰っしゃられた歌によせるお心づかひ - 御病中の御苦労をお偲びしては、何と申しあげてよいか、とても言葉にあらはしがたい思ひである。
しかしこの記事は、果してそのお歌の草稿がみつかったのかどうか、お歌が決まったのかどうか、を語ってはゐない。

 昭和天皇は1月7日にお亡くなりになったので、1月10日以後に行はれる予定であったと思はれる平成元年の「歌会始」は、今上天皇喪中のため行はれないことになった。また「歌会始」で翌年の歌会始の御題が発表されるため、翌年-つまり今年、平成2年-の「歌会始」も行はれない。恒例からしてかういふことになってゐるので、昭和64年(平成元年)に行はれることになってゐた「晴」の御題の歌会始は無期延期のやうな形になってゐたのである。

 そのため、さきの東京新聞の記事にある、昭和天皇さまが最後の御病中で御苦心になったお歌の発表については、私などは、どうなるのか、全くわからなかった。

 ところが、今年の2月になってからだと思ふが、2月6日に「昭和天皇を偲ぶ歌会」が開催されるといふことが新聞記事に出た。その際に、「晴」の御題で用意された「歌会始」の入選作等が公表される、といふことであった。今上天皇御主催のはじめての「歌会」である。
私は当日のテレビの放映を予期して、その日の新聞を見たが、テレビの番組には載ってゐない。

 昭和時代-といへば少しおほげさだが、-「歌会始」のテレビ放映は、昭和37年に始まって、毎年恒例となってゐた。これは昭和天皇の思召しから始められた、実にありがたいことであって、私は、毎年この放映を観るのが楽しみであった。それで、今年は無いのが驚きでもあったのである(あとで考へてみたら、それは「歌会」であって「歌会始」でなかったからであらう。来年からはまた放映が再開されるのであらう)。
テレビの放映がないとすると、どうなるのだらう、と思ひながら見たNHKの正午のニュースで、始めて、「歌会」のテレビ放映を見た。

 「昭和天皇御製」 といふ字幕とともにあらはれた「空晴れてふりさけ見れば…」と読みあげられる朗詠の声を聞いた時、私は、瞬間、からだがのびた。何といふ雄大なお歌だらうかと、と思って、老いかがまった身がのび上がるのを覚えたのである。

 テレビはたちまち消えて、一首全体をおぼえるまでは続かなかった。しかしその一瞬の思ひは忘れがたい。

 昭和天皇の最後のお歌として、昭和64年元日の新聞紙上で、われわれは、次のお歌を拝した、のである。

       あかげらの叩く音する朝まだき音 たえてさびしうつりしならむ
                             (昭和63年「那須の秋の庭」)

 御重病の予感、あるいは御天命に対する予感さへ感ぜしめられる、「さびし」とのらすこの大御歌を、国の行く末についての憂ひをこめて、私などは、1年間、拝誦しつづけて来たのである。その悲しみと憂ひのつづく思ひに、この日の「晴」のお歌は、あっと思ふばかりに、大きくををしいさはやかなお歌であった。

       古代天皇の国見の伝統をひく御製
 夕刊で、お歌をはっきり終りまで知ることができた。

       空晴れてふりさけみれば那須岳はさやけくそびゆ高原のうへ

「ふりさけみれば」は「振り放け見れば」で、“遠くはるかにながめる”意味である。「天の原ふりさけ見れば」は、阿部仲麻呂の望郷の歌「天の原ふりさけみれば春日なる 三笠の山に出でし月かも」で、人口に膾炙してゐる。この場合は、空をふり仰ぎながめるのであらう。単に「ふりさけ見れば」の場合は“ふりあおぐ”意味は、強くあるまい。そこで、「空晴れて」「ふりさけみれば」の続きが、この場合にまことにふさはしい。何でもない、どこにもある慣用句のやうに見えるが、おそらくかういふ用例はないのではなからうか。あっても少ないにちがひない。

 この「ふりさけみれば」がまた、大きいのである。昭和天皇の御製には、「見わたせば」(また「ながむれば」)で始まるお歌が10首近くもある。

       みわたせばしづかなる朝をちかたに白き煙のたつ桜島
                         (昭和59年「鹿児島にて」)

       みわたせば春の夜の海うつくしくいかつり舟のひかりかゞやく
                         (昭和63年「伊豆の須崎の春」)

 「ふりさけみれば」の句は、「見わたせば」と同じやうに、作者の視野の大きさを感じさせる句である。「見渡せば」は同一平面上に「見渡す」のに対して、「ふりさけ見れば」は、上の方を遠くまで見る意味である。

 天皇の国土展望のお心は、古代天皇の国見の伝統をおひきになると思はれるが、かういふお歌になってあらはれるのであらう。「見わたせば」の一語は、天皇の政治についてのお考へをも示すかと思はれる。-いづれにしろ、部分的なところに執着しないで全体をひろく大きく眺められるのである。自然についてのお歌がさういふお心持をお示しになるのだと思ふ。

       御製によっていのちを与へられた那須岳

 次の「那須岳はさやけくそびゆ」。「那須岳は」と地名をお詠みこみになるのも、御製の特色である、と言ってよいであらう。昭和天皇ほど日本各地の地名、山河名をお詠みこみになった天皇さまはいらっしゃらないであらう。それは、昭和天皇さまのやうに日本の各地をおまはりになった天皇さまがいらっしゃらなかったからであらう。ともあれ日本各地が、御製の中に、天皇さまのお心の中に生きてゐるのである。「那須岳は」御製の中でいのちを与へられてゐる。

 「さやけく」は、sさやかなすがたでtといふ意味であるが、「さやかに」といふより言葉が生きてゐる、と、私には思はれる。「そびゆ」で文は切れるから、このお歌は、四句切れで、第五句の「高原のうへ」は倒置法の趣きである。「空晴れてふりさけみれば、那須岳はさやけくそびゆ、高原のうへ」となる。57・57・7の四句切一首一文の調子である。一気呵成のお歌で、万葉調の正調でもある。

 「あかげら」の御製が、「那須の秋の庭」と題せられて、9月の御病気再発前後のお歌であるのに対して、「晴」のお歌は、御再発前の8月、戦歿者追悼式にご臨席になった前後の御作とされてゐる。御製の多くがさうであるやうに、一首一文で、よどみなく詠みあげられる御調子に、威風堂々として那須岳を大観されるお姿が想像されるのは、御健康そのものの御気力の充実があるからであらう。「さやけくそび」える「那須岳」は、さながら陛下のお姿である。

       一千何百年生き続ける永久の歌

 ちょうどその頃私は、『万葉集』の講義をしてゐて、天智天皇の御重篤の折に、倭姫皇后さまの奉ったお歌といふ

       天の原ふりさけ見れば大王のみいのちは長く天たらしたり
                                  (『万葉集』巻2)
の御歌を読んだ。その折、前にあげた阿倍仲麻呂の歌をもあげて、「ふりさけみれば」について解説したのであるが、さらにこの昭和天皇のお歌をあげて、かういふ話をした。

 昭和天皇の「晴」のお歌を、「天の原ふりさけ見れば」と詠んだ万葉時代の歌人たちに示したら、彼らはこの歌を直ちに理解し、すばらしいお歌とたたへるにちがひない、と。

 万葉時代の歌人たちは、東の国に那須岳のあることは知らなかったかも知れないが、そんなことは問題でない。「ふりさけ見れば」も「さやけく」もみな万葉集の歌にある言葉である。それが今日そのまま使はれてゐて何の不思議もない。

 千何百年前の万葉の歌人に直ぐに理解され共鳴される歌は、千何百年後の歌人にも直ちに通ずる歌である。かういふ歌を永久の歌といふ。

 「晴」のお歌の発表を見てから、私は、折にふれてはこのお歌を拝誦して、昭和天皇のお心を仰ぎ、老いかがまりたる背すぢを正し、心をををしくもつやうにつとめてゐる。

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       今から思へば「直葬」だった!

 10年程前、担任クラス(高校)の女生徒の父親が亡くなり、その告別式に出向いて驚いたことがあった。
開始の時刻に10分余り遅れたのだが、読経の最中だらうと斎場(3階建ての葬祭会館の2階)のドアをソッと開けたところ無人だったのだ。入り口には「○○家告別式」とあったから、1階に降りて窓口で尋ねたところ、既に式は終り、今さっき出棺したとのこと。遅れたのは失敗だったと反省しつつ、タクシーで追ひ掛けて再び驚いた。火葬場では今まさに棺を炉に入れて扉を閉めようとするところだったが、そこにゐたのは女生徒と母親、中学生の弟さん、そして焼き場の職員の計四名だったからである。僧侶の姿もなかった。

 いろんな事情があるはずだから、他人様のことをあれこれ詮索するのは慎むべきことではあるが、「寂しい葬式だなあ」と感じたものだった。今にして思へば、近年耳にする〈火葬のみで済ませる「直葬」〉だったのかも知れないと時折思ひ返してゐる。それにしても寂しい光景だった。

 日本消費者協会のアンケート調査(平成19年2月発表)によれば、かつて(平成14年)葬儀の95%を占めてゐた仏教式が9割を下回り89・5%(首都圏では82・8%)になったといふ。その他神道式が2%から3.2%に、キリスト教式が1%から1.7%に、無宗教式が1%から3.4%に。仏教式の漸減に対して数値はまだ低いが「無宗教式」が漸増(首都圏では7.8%)してゐるとのことだ。

       家族葬、そして直葬

 「葬式仏教」といふ語があるやうに日本では葬式と仏教は深く結びついてゐる。それは形骸化した宗教の典型として今日では専ら揶揄批判の対象となってゐる。しかし、後述のやうに私はむしろ「葬式仏教」に意義を見出したいのである。

 もともと日本人が仏教行事と思ひ込んでゐる「お盆」「お彼岸」「年忌法要」等々は実は仏教経典からは説明し難いほどに「仏教が日本化した」結果のものである。おしなべて死者をホトケ(仏。本来は「覚者」のこと)と呼ぶなどといふことは仏典を遙かに超越した物言ひなのであって、日本には仏教伝来以前の古層が現在も息づいてをり、その古層の上に「日本化した仏教」「葬式仏教」が載かってゐるのだが、ここでは葬儀と聞けばほとんどの日本人が寺僧による読経やお焼香を連想する「葬式仏教」を思ひ浮かべて頂ければ有難い。

 ところで、最近、「密葬で済ませましたのでお知らせ申し上げます」といった趣旨の葉書を重ねて受け取った。家族身内だけで営む「密葬」は後日改めて本葬を行ふことを前提にしたもので従前からの送葬のあり方だったが、近年耳にする「密葬」はそれとやや趣が違って所謂「家族葬」を指す場合が多いやうだ。

 新しい葬儀の形として「家族葬」や「直葬」がマス・メディアでも取り上げられてゐる。家族葬は文字通り家族または家族に準じた者によるもので、参会者が限られる他は従来の方式だから、通夜も行はれるしお寺さんの読経もある。故人は高齢で退職後年月も経ってゐるから、家族親族とごく親しい方々だけには連絡して…といふのは分らなくはない。しかし「直葬」となると様変りする。

       葬儀をせず、火葬のみの「直葬」

 〈葬儀をせず、身内だけで故人を送る「直葬」〉、死亡届の提出、火葬・埋葬許可書の受取りなど〈法律で定められた最小限のことだけを行うのが直葬〉(産経新聞、平成20年9月22日「ライフプラン」欄)。「一人娘とはいえ、私は嫁いだ身。…誰を呼ぶかなど、段取りを考えると煩しくなった。『葬儀はしなくていい』という父の言葉を思い出し…」といふのが直葬の心象風景だとしたら、諸般の事情があるにせよ、ちょっと寂しいことではないだらうか。

 無宗教式の葬儀が増えた背景には「直葬」の広がりがあると見ていい。高齢化の進展や葬儀の費用がかさむことがその大きな理由となってゐるやうだが、それだけではない。葬祭業者によれば、仲介した葬儀に占める直葬の割合は7年前は1割だったが、3割近くに増えてゐるといふ。その理由として「葬儀に費用をかけたくない、あるいはかけられない人や、家族関係が稀薄になり、手っ取り早く遺体を処理したいと考える人、儀式より故人との別れを重視する人が増えていることなどがある」といふ(同前)。

 それぞれ重い指摘であるが、私が最も気になるのは「儀式より故人との別れを重視する」ことが直葬の理由に挙げられてゐることである。別れを重視するから火葬のみでセレモニーはしないといふのだが、形を伴はない「故人との別れ」とは何だらうかとつい考へてしまふ。派手派手しく見えるだけの葬儀がないとは言はないが、だからといって「火葬のみ」となるものだらうか。形があって初めて心の実質が伴ふのではないのか。形と中味は二者択一ではない。何よりも、送る側の心が揺いでゐるやうに思はれてならないのである。

 かうした理由を聞かされると伝統的な形を崩すことが人間の幸福につながるといった軽薄な進歩信仰がつひに葬儀にまで及んできたのかの思ひがする。「儀式より故人との別れを重視する人」と「手っ取り早く遺体を処理したいと考える人」とは実は同じ人ではないかと言ひたいのである。別れを重くみる者はそれなりの手順を践むはずだからである。それが人間の文化といふものだらう。

       ハレの実質を備へた葬式仏教

 儀式儀礼は歴史的所産であるから、「別れを重視する」ために葬儀は必要ないと考へる者が、もし多数派になったとしたらその社会は崩壊したに等しい。先人への礼節といふ人間教育の側面からも直葬の広がりには懸念を覚えるが、もし送葬といふ最大の非日常的な場面で火葬のみで良いとなったら、日常との落差は著しく縮まる。それは人間にとって果して幸せなことなのか、人間らしいことなのか。人間しか葬儀をしないのだ(年忌法要はどうなるのか)。

 ハレ(晴-普段日常と異なって心身が改まってゐること)とケ(褻-心身が日常平生の普段通りのこと)の落差がどれほどのものかで、その共同体の健康度が推しはかれると考へる者だが、その意味で「葬式仏教」はハレの実質を備へてゐる。言葉をあらため衣服をあらため、場もあらたまる。その日の顔ぶれも日常と一変する。全てが一変する。葬儀の形は一朝一夕に生れるものではない。事情があるとは言へ、さうした形を執り行ふ心理的負担から免れるかのやうに、〈死亡届の提出、火葬・埋葬許可書の受取りなど法律で定められた最小限のことだけを行う〉直葬の広がりは大いに問題である。直葬と言ひながらも火葬の前に、僧侶に読経をお願ひするケースも時にはあると聞くと、私などは少しホッとする。

 言ひたいのは、非日常的な葬儀には俗人とは別の聖職者が不可欠だといふことである。その意味で葬式仏教は意味があるのだ。仏僧でなくとも俗人ならざる宗教者によって営まれるものだといふことである。

       意識せざる傲慢

 直葬は、以前は生活困窮者や身寄りのない人が大半だったといふことだが、2000年以降、「資産の有無にかかわらず、都市部を中心に広がり、今では東京で全体の2、3割、地方で5〜10%に達する」(同前)といふ。従って、費用がかさむ云々は直葬が広がる直接的理由ではないと見ていい。やはり形の継承を忌避したがる時代思潮が根底にあるのではないか。むろんそこに稀薄化した家族親族関係といふ現代的病理があるのは確かだらうが、さうした病理が何に萌すかと思ひ巡らせば、伝統的な形の継承よりも「今現在生きる個々人のその時々の利便性」に重きを置く時代思潮に還ってくる。

 直葬は送る者の心理的負担を著しく軽減してくれるから、現代人は前述のやうに尤もらしい理由をつけて合理化したがる。しかし、そこに見え隠れするのは伝統軽視の利己的な人生姿勢である。一見寂しくも慎しく見える直葬ではあるが、その広がりの背後には意識せざる傲慢が「資産の有無にかかわらず」深まってゐると思ふのである。

 「死」そのものは価値中立的な事実であるが、「葬送のあり方」は歴史的文化的な事柄である。直葬が「東京で全体の2、3割、地方で5〜10%」とは相当の数値だ。家族関係の稀薄化からきたはずの「直葬の広がり」が、人間的な紐帯を一層弱め、その空洞化を促すやうに思はれてならない。

(拓殖大学日本文化研究所客員教授)

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 鳩山民主党連立政権は現在、一般永住、特別永住(韓国・中国など)に「国民固有の権利」である地方参政権を付与する法改正を検討してゐる。しかし、地方公共団体は安全保障や教育などの国家の存立にかかはる事柄に深く関与してをり、我が国への忠誠義務のない外国人に、地方政治に対する発言権を与へることについては慎重に検討されるべきである。特に外国人の人口比の高い地方公共団体では、首長選を左右することになる。

 そこで次のやうな課題をもつ法案については慎重に対応すべきである。

   1、偏向教育が強まる恐れがある

 中国政府や韓国政府、そして在日韓国人グループの民団はこれまで我が国の歴史教科書に対して公然と記述改編の要請を繰り返し、歴史教科書の採択にまで干渉してきてゐる。このやうな中で、定住中国人・韓国人に地方参政権を付与すれば、特定の外国人の意向を受けた首長や地方議員が現れ。学校や教育委員会に対する内政干渉が強まる恐れがある。

   2、領土・安全保障問題が危惧される

 我が国と中韓両国の間では、竹島、尖閣列島、対馬、与那国島などの国境離島をめぐって対立が生じてゐる。このやうな中で、領土問題を抱える地方公共団体において、日本への帰化を拒む在日韓国人や中国人たちの影響を受けた地方議員や首長が誕生すると、我が国の安全保障を脅かす危険性が高まる恐れがある。

   3、地方参政権は世界の潮流ではない

 賛成論者の中には、地方参政権付与は世界の流れなどといった主張も見られるが、外国人に地方参政権を付与してゐる国は、北欧諸国やEU諸国内などの同じ文化圏に属してゐる地域内に限定されてゐる。しかも、このうちドイツ、フランスなどでは、外国人に地方参政権を与へるために、国民的論議を経て憲法改正を実施してゐる(編註・韓国は五年前に永住外国人に地方参政権を認めたが、在韓永住日本人が50数人に対して、在日永住韓国人は42万人で相互主義は成り立たない)。

   4、中国人をはじめ一般外国人への参政権付与は容認できない

 これまで外国人の地方参政権問題については、在日韓国人を主とする特別永住者だけを対象としてきた。しかし今回突如として中国人などにも参政権を付与すべきでとの案が浮上してゐる。(編註・昨年2月、韓国では選挙法が改正され、在日の韓国籍者は再来年から本国で国政参政権を行使できるやうになった)。中国政府が日本人に地方参政権を付与してゐない以上、相互主義の原則からも中国人らに参政権を付与する必要はない。

   5、外国人参政権は憲法違反の疑ひがある

 最高裁は平成7年2月28日、「公務員を選定罷免する権利を保障した憲法15条1項の規定は、権利の性質上日本国民のみをその対象とし、右規定による権利の保障は、わが国に在留する外国人には及ばないと解するのが相当である」として、参政権は国民固有の権利であり、在留外国人には付与されないとの判決を下してゐる。一方、「地方参政権を付与することは憲法上禁止されていない」としてゐるこの判決の傍論は、判例として効力はない。

 外国人地方参政権付与法案に反対する全国地方自治体首長・議員集 会(1月25日、東京・憲政記念会館)の案内から(標題の一部変更)

- 原文は現代カナ・横書き -

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FAX 03(5431)0759

 

訂正 2月号の誤記を訂正します。
3頁3段20行目「染みる」→「染むる」
7頁3段11行目「濡」トル
7頁4段29行目「喝望」→「渇望」

 

編集後記

 昨夏の総選挙に、在日韓国人組織(民団)は参政権付与に賛成の民主党候補らを組織をあげて応援した。都内の某選挙区では公示日だけで30人以上が動員され、ビラ2万枚に証紙を貼り、演説会場では声を嗄らして声援を送った(産経)。政治資金規正法は外国籍者からの献金を禁じてゐる。況んや得票をや。民団の選挙支援行為も違法ではないのか。マニフェスト(政権公約)が大事と言ひながら、有権者の反撥を恐れてかマニフェストに載せなかった参政権付与に民主党政権は意欲的だ。夫婦別姓また然り。旧社会党書記局からの移籍組を内に抱へた民主党によって、社会党無き社会党路線が現実化するのか。冗談ではない。
ことしもはや3月、夜久正雄先生の3回忌に当り御論を掲げました。
(山内)

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