国民同胞巻頭言

第574号

執筆者 題名
理事長 上村 和男 真の保守政党の出現を待望する
- 「国を守る」理念と政策を打ち出せ! -
濱口 和久 日本人よ、国を守る気概を取り戻せ
文責・北浜 道 第12期 第21回国民文化講座 4月25日(土)於・明治神宮参集殿
藤原正彦先生の御講演「祖国とは国語」
福岡市 鎹 信弘 歌だより
九州国立博物館(太宰府市)特別展「聖地チベット-ポタラ宮と天空の至宝-」を見る(5月10日)
岩越 豊雄 「譲」といふこと
  平成22年歌会始の詠進について

 7月21日、衆議院が解散され、今月18日の告示、30日の投票日に向けて各党は走り出してゐるが、現在のわが国を覆ふ閉塞感は何に起因してゐるのだらうか。

 「戦後レジームからの脱却」を掲げた安倍内閣は占領政策の見直しに目を向けた初の政権であったが、参院選の敗北と総理自身の体調不良で思ひ半ばで退陣した。継いだ福田内閣に至っては何らの方向性も示すことなく辞した。麻生現内閣は発足早々に見舞はれた世界同時不況への対応に追はれ「日本の進むべき道筋」を未だ提示し得てゐない。国会はと言へば、衆参のねぢれ現象もあって常に「政局」を意識した些末な政争的議論に終始するばかりであった。そして今、政策抜きの「政権交代」ムードが一人歩きするといふ奇異なことになってゐるが、国の安全保障をどう確保するかといふ根本問題が置き去りされてゐるところに閉塞感の根源があるのやうに思はれる。

 4月5日、北朝鮮が発射した長距離ミサイルは日本列島の上空を飛び越えて遙か太平洋上に落下した。5月25日、北朝鮮は二度目の核実験を行った。さらに核武装大国・中国は「台湾武力併合」を念頭に空母保有をも視野に入れて軍備増強に努めてゐる。どう見ても日本近海は波高しなのである。

 国の安全保障に直結する国防・外交に関しては、時には与野党の垣根を越えて対処策を練るのが通常と思ふが、時宜に適った論議が国会で展開されたやうにはとても見えない。例へば、今回の北朝鮮の核実験に対して各国は国連安保理決議を踏まへ、その船舶荷物の検査実施で足並み揃へつつあるが、北朝鮮の脅威を最も強く受け制裁措置を求めてゐた肝心の日本が国際的な包囲網の一角を崩してゐる。参院段階で「北朝鮮船舶の貨物検査特別措置法」案が国会解散の煽りから廃案になったのである。参院第一党・民主党の審議拒否は国益を大きく損ねるものだった(民主党の有力支持基盤が自治労や日教組といった「日本解体」を目論む左翼勢力であってみれば当然の対応だった。支持母体からくる民主党の左翼体質はもっと広く認識される必要がある)。

 一方で、長年の国家的懸案である領土(北方領土・竹島)回復の見通しは全く立ってゐない。尖閣諸島は中国国内法に中国領と明記されてゐる。その中国は、東シナ海のガス田ばかりか、長期的な外洋戦略から新たに「沖ノ鳥島」を狙ってゐる。

 さらに緊急を要しながら解決の目途が見えない最たるものが拉致問題である。北朝鮮による日本人同胞の拉致は許し難い犯罪行為であるが、外務省は救出に向けてどんな手を打ってゐるのか。外交交渉の裏に軍事力が見え隠れするのは昔からの常識である。しかしながら貨物検査特措法さへ党利党略から廃案になるやうでは足元を見られるばかりである。

 昨年10月、麻生首相は総理就任直後に、(日)郵政改革を含む市場原理主義による行き過ぎた規制緩和の再検討-安倍政権が目指した憲法改正路線の継承-改正教育基本法に基づく文化・伝統を尊重する教育改革の推進-集団的自衛権についての憲法解釈の見直し(木)日米同盟を基軸とする安全保障体制の強化等々を掲げて国民の信を問ふべきであった。経済対策に追はれて解散をなし得なかったところに、今の自民党の苦況があるるやうに思はれてならない。

 今やるべきは保守の理念と政策を明確に打ち出すことでる。政策以前に「政権交代」の可能性が云々される異常な事態になってゐるが、なぜ自民党は国民の信頼を失ったのか謙虚に反省すべきだ。一時的な票集めに奔ることなく、何よりも国の安全保障をどうするのか、現憲法のままで本当にいいのかを国民に強く訴へるべきである。国を守る理念政策がしっかりしてゐれば、国民の支持は得られるのである。麻生首相は今こそ靖国神社に参拝すべきだ。真の保守政党の出現を心から待望する。

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戦争は日本を放棄しない!

 「平和」は、いつの時代でも、またいづれの国や地域でも、多くの人々から念願されてきた。「平和とは何か」と尋ねられた時、人々は果して何と答へるであらうか。多分、「平和とは国家や大規模な人間の集団の間で、戦争やそれに準じる武力行使がない状態」と答へるのが一般的であらう。しかし戦争や武力行使の様式が時代の変化とともに変りつつある中で、平和のあり方も同じではない。戦争の防止はもとより、万一それが起った場合、それを早期にかつ小規模のうちに終らせる積極的な努力が必要となる。それらへの対策が、適時、適切になされなければ、いはゆる平和論議は単なる言葉の遊びに過ぎなくなってしまふ。

 日本では、「戦争の心配もなく、平和な生活を送ることができるのは、日本国憲法が平和主義をとっているからです」とか、「日本は、日本国憲法で平和主義をとっていたため、戦争に巻き込まれることなく安全で繁栄した日々を送ることができたのです」等々、これは中学校で現在使用されてゐる公民科教科書の記述の一部である。未だに日本は憲法によって戦争を放棄したから安心だと信じてゐる日本人が多いやうだが、戦争は日本を放棄してくれない。

 つまり日本人が忘れてならないのは、我が国の憲法が他国に及ぶはずもなく、我が国の憲法にも法律にも束縛されない国や人々を、我々は平時にせよ有事にせよ、常に相手とせざるを得ないといふことである。
日本が戦争に巻き込まれなかったのは日本国憲法のお蔭ではなく、日米同盟と自衛隊の存在により、他国からの直接・間接の侵攻が阻止されてきたのが実際の姿である。

 しかし我が国では「なまじ軍備を持つと戦争を引き起す原因になる」などといふ、夢想とも言ふべき独善的な平和論が長い間まかり通ってきた。北朝鮮による日本人の拉致、ミサイルの発射、核実験の実施等々の現実を前にしても、なほそれに近い空論を説く学者・文化人がマスコミに登場してゐる。

 これは国際的に見れば全く通用しない論理であり、永世中立を宣言してゐるスイスでは、いざといふ時には一週間で百万の軍隊を動員できる体制を平時から整へてゐる。さうしなければ中立が保てないからである。我が国の平和論者の多くは、現実から目を逸らし、理想(空想?)の視点から平和の希求を唱へて、「戦争は悲惨で忌はしいものであり、排除しなければならない」との論を強調する。戦争の悲惨さは誰もが認識するが、それは戦争の一面でしかなく、平和を叫ぶだけでは戦争を防ぐことは出来ないのである。

独立なきところに自由はない

 他国から攻められた場合、何ら抵抗をしなければ、一時的には人命の犠牲は少ないだらう。しかし、結果的には、多くの人々の自由と誇りを奪ひ屈辱を強いることは世界の歴史が証明してゐる。自由がなくてもよい、「牢獄の平和」、「屈辱の下での平和」でも生きてゐさへすればよいといふのであれば、それは「人間として生きてゐる」ことにはならないのである。

 国家の使命には教育の充実・国土の開発・産業の振興・福祉の実現など様々なものがあるが、国家の究極的使命は国家の安全・領土の保全と国民の生命・財産・人権・自由を守ることである。ロシア・韓国によって北方領土・竹島が占拠され、北朝鮮によって国民が拉致され人権と自由が奪はれたまま、その状態を放置してゐるに等しい日本は独立国家といへるのか。この究極の使命を軽んずる国家は国家の名に値せず、独立国家とはいへない。

 また世界各国では、国防を担ふ軍人が国民から尊敬され、名誉を与へられてゐる中で、我が国では国防の任に当ってゐる自衛隊に対して、憲法違反だとか、日陰者扱ひする時代が長く続いた。

 ノーベル文学賞を受賞した作家・大江健三郎氏が、かつて将来の幹部自衛官になる防衛大学校の学生を「現代青年の恥辱である」と評したことがあった。どちらが恥辱かは歴史が判定すると思ふが、日米同盟と自衛隊のもとで現在の我が国の自由と繁栄があり、大江氏もその恩恵に浴して生活し執筆活動を続けてきたはずである。残念ながら、大江氏のその後の言動からも防大生侮辱発言を反省してゐる素振りは見えない。広く海外に何度も出かけてゐる大江氏は、一体何を見てゐるのだらうか不思議でならない。

拉致は主権侵害そのもの

 平成14年9月の小泉純一郎首相の平壌訪問で北朝鮮は日本人拉致を公に認めたが、翌年1月、奈良市で開催された日教組の第52次教育研究集会では、日本人拉致を「日本人の人権問題」として北朝鮮を非難するどころか、拉致は日本の責任であるかのごとき討論を行ってゐる(この頃の朝日新聞の論説も酷いものだった)。お得意の人権教育はどうしたのか。憲法擁護派の左翼イデオロギー偏重には開いた口がふさがらなかった。

 拉致事件こそまさに北朝鮮による我が国に対する主権の侵害であった。北の工作員は密入出国を常態としてゐたのだ。自衛隊を日陰者扱ひして国防を軽視したツケが、拉致被害者を生んだとも言へるが、拉致が人権侵害であることは言ふまでもないが、拉致事件は紛ふことなき主権侵害なのである。国家がしっかりしなければ国民の生命が危険にさらされる典型的な実例であった。

 かうした明白なる国家的テロに対してさへ、日本側に責任があるかのごとき認識の教師が少なからずゐるのである。「教育が国防と治安を左右する」といふ世界の諺があるが、敗戦後、我が国の公教育は、国家のために一命を捧げた英霊への感謝を教へず、世のため人のために尽すことの尊さを教へてこなかった。子供達に自分が生れた国家と社会に愛着を持つ教育をしなければ、国防の精神的基盤は弱まり規範意識も稀薄化するから治安は乱れ、誰も国を守らうとはしなくなるだらう。

「平和は勝ち取るものである」

 「平和は訪れるものではない、自ら勝ち取るものである」といふ言葉を残したのは、広島に原爆が投下された昭和20年8月6日、ちょうど同じ日に空襲によって愛媛の実家と母親を失った若き建築家丹下健三氏であった。彼は戦後、広島平和公園や平和記念資料館の施設を設計した。このやうな悲惨な状況をなんとしても避けるためには平和は念願するものではなく、勝ち取らなければならないといふことを強く訴へるために、平和記念資料館から原爆慰霊碑、平和の塔と原爆ドームを一直線で見通せるやうに設計したと言ふ。丹下氏のこの想ひがどれだけの日本人に認識されてゐるだらうか。

 平和を叫び戦争放棄の思想を宣伝するだけでは領土問題も拉致事件も解決しない。丹下氏が言ふやうに、自らが勝ち取らなければならないといふ意志を強く持って行動しなければ、絶対に解決はしないのである。

 冷戦終結後も絶え間なく戦争(紛争)が起るのはなぜなのか。ハーバード大学のサミュエル・ハンチントン教授は著書『文明の衝突』の中で、「世界は西欧キリスト教圏、東方正教圏(ロシア・ギリシャ)、イスラム圏、アフリカ圏、ラテンアメリカ圏、ヒンズー圏、仏教・儒教圏(中国)、日本圏の八つの文明圏に区分される中、今後ますます文明圏の中での衝突は増大する危険がある」と指摘してゐる。まさに国際社会は民族・宗教・地形・気象を源流としたこの文化圏の上に政治思想が絡み、衝突の様相は一層複雑なものになってゐることを、しっかりと我々日本人は認識しなければならない。

戦争と軍事の正しい認識を

 それに加へて、先の大戦(大東亜戦争)の敗戦の後遺症から、「戦争は悪、軍隊は不要」との短絡的な思考の下で、学校教育の中から戦争の実相を見ることを意図的に除外してきた。このやうな状態が半世紀余も続いたために、世界では常識となってゐる「戦争と軍事」の認識が日本人から欠落してしまった。「戦争と軍事」についての正しい認識を持たないと、世界のパワーポリティクスの概念や、それに基づく国家間の駆け引きが理解できなくなり、それが国際的な政治経済問題で日本人の判断を誤らせる原因ともなる。

 同時に自国の国旗・国歌を尊重する態度や、日本の歴史・伝統・文化を愛する教育も当然必要である。未だに国内には「愛国心を教育すればファシズムになる」などといふ議論がある。世界中、北朝鮮など一部の一党独裁共産主義国は論外として、アメリカを初め自由主義経済圏の国々は、国家に忠誠を誓ふ愛国心教育を初等教育段階から行ってゐるが、ファシズム化するどころかむしろ健全なる成熟した民主主義国家となってゐる。「国を愛する心」の醸成は世界の常識であり、普通の感覚なのである。それは国際社会で生きていくための基本的常識であり、国を守る上での心構へにも繋がる。

 戦後、我が国は冷戦下にあっても経済的な繁栄と平和を享受してきた。しかし、東シナ海のガス田開発に見られるやうに、現在は冷戦時代よりも数段複雑な脅威を周辺諸国から受けてゐる。今こそ、国を守る気概を取り戻す時である。

(國學院大学栃木短大講師 数へ42歳)

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 生憎の激しい降雨に見舞はれた当日230名余の聴講者が来場して開催された。講師はベストセラー『国家の品格』その他の数々の著書で、わが国が内包する様々な歪みを鋭く抉出されてゐる前お茶の水女子大学教授・数学者の藤原正彦先生。御著書に教へられ考へさせられてゐた私は、直接お話をお聴きして改めてわが国が抱へてゐる問題の深刻さを思ひ知らされた思ひである。質疑応答を含め2時間余に及んだ御講演の本旨を限られた紙面でどれだけお伝へできるか覚束ないが、私の聴講メモに依りながら今期講座の一端に報告させていただく。

小学校で英語に割く時間はない

 近年、わが国は政治・経済・教育の全てに亘り改革に次ぐ改革を重ねてきたが、それは改革の名の下で国柄を壊し続けてきたといってもいい。その改革が悉く裏目に出てゐる。例へば『生きる力』、『独創性を育てる』、『国際人の養成』などが教育改革で唱へられたが20年前と比べて学生の学力はどうかといふと、何一つ身についてゐないと言って良い位だ。誰が悪いのか、政治家でも官僚でもない。彼らの改革を支持してきた国民が悪い。この十年よくもまあ、これだけ国柄を壊してくれたものである。

 教育の蘇生に即効薬はない。初等教育の本丸である国語教育の質と量を徹底的に見直すことなくして教育の建て直しは考へられない。
平成23年度から小学校5、6年生に英語が導入されることになり、前倒しで既にこの4月から多くの学校で始まってゐるが、祖国滅亡の兆といへる。「英語を話せないと国際人になれない、経済競争でも負けてしまふ」といふのが小学校への英語導入の理由であるが、世界に出て尊敬される人を国際人といふのであれば、そのやうな人は英語国のアメリカやイギリスでも数パーセントしかゐない。世界で一番英語がうまいのはイギリス人だが、20世紀を通してずっとイギリス経済は斜陽だった。英語を話す話さないと国際的経済競争での勝ち負けは無関係だ。国民は他愛ない理由に騙されてゐる。

 そもそも小学校で英語をやっても喋れるやうにはならないし、1週間の授業が20数時間しかない小学校で英語教育に配当する時間は1秒たりともないはずである。

子供を駄目にした子供中心主義

 また中央教育審議会の委員として審議に臨んだ折、指導要領案に「基礎基本をきめ細かく指導する」とあったので、「きめ細かく、かつ厳しく指導する」とすべきだと発言したところ、間髪を入れず教育学会の大御所が立ち上り厳しく指導すれば子供が傷つく恐れがあると言ったのにはあきれてしまった。皆腰掛けて話し合ってゐたのだが、立ち上って反論してきた。かういふのを日本語で「付ける薬がない」といふ。子供に厳しくせずして躾ができるのか、教育ができるか、時には張り倒さなければならない場合だってある。

 子供が傷つく恐れがあるなどと子供中心主義に陥ってゐる限り、日本の教育は良くならない。しかし文部科学省も教育学者も日教組も、そして国民も子供中心主義を信じてゐるから、言ふべきことを言はない偽善的な国になってしまった。そしてその偽善的な態度がもろに現れたのが「ゆとり教育」であった。

 教科書が厚いと読み切れない子供が傷つくといふことで教科書の厚さが3分の1になった。算数で三桁と三桁の掛け算を教へない。難し過ぎて出来ない子供が傷つく恐れがある…。教壇があると先生の方が生徒より偉さうに見えるから良くない。これでは学力の低下は当然で結局「ゆとり教育」は失敗に帰した。

 子供にとって小学校、中学校時代は人生で非常に大事な時期であり、この大切な時期に教へられるべきものを教はってゐなければ取り返しがつかなくなる。

なぜ国語教育が重要か

 かねて初等教育では「1に国語、2に国語、3、4がなくて5に算数、あとは10以下」と繰り返し発言してきた。なぜ国語教育が重要かと言へば、4つほどの理由が挙げられる。@国語は全ての知的活動の基礎であり、思考、情緒の中心に母国語の語彙があることA白黒を明確につけにくく多くは灰色の一般の世の中を生きて行くための論理的思考や説得力を養ふものは算数や数学ではなく国語であることB国語によって情緒力が養はれること(Cは後述)。

 なぜ情緒力が大切かと言へば、論理的思考の出発点そのものは論理からは導かれ得ないからである。その人がどんな親の下で育ってきたか、どんな先生や友達に出会ってきたか、どんな抒情小説に涙を流してきたか、どんな恋愛・失恋・片思ひを経験してきたか、どんな悲しい別れに出会ってきたか等々、これら諸々の全てが合はさってその人の情緒力が形成され、論理的思考の出発点を瞬時に判断する力が養はれる。

 日本の国は素晴らしく治安の良い国で、これは今の警察の功績といふより日本人の個性であり、国柄だ。例へば江戸時代、人口100万の江戸を300人ほどの同心で守ってゐた。日本人が罪を犯さないのは、別に法律違反を恐れるからではない。犯罪に手を染めると親を泣かせてしまふ、先祖の顔に泥を塗ることになる、或はお天道様が見てゐるから…、かういふ発想が行き渡ってゐたからである。このやうな情緒とも言ふべきものを徹底的に読書により感動の涙と共に子供たちの胸に吹き込むことが大切なのである。

読書で情緒と大局観が身につく

 本を読むことによって家族愛、郷土愛、祖国愛が身につくやうになるはずだ。小中学生向けの素晴しい本が山ほどあるから、それらを徹底して読ませる。これは一生の宝になる。

 例へば私は小学校の頃『クオレ』といふ本を一所懸命読んだ。作者はイタリアのエドモンド・デ・アミーチス。その中の「難破船」の話では、船が難破するときにボートが一隻しかない。男の子と女の子のどっちが乗るか。男の子は女の子に乗れと言ふ。女の子は男の子に譲らうとする。しかし男の子は女の子に、「僕の家族はもうゐない。だからだれも悲しむ人はゐない。君には家族がゐるから乗れ」と言って、そのボートに突き落し無理やり乗せて、自分は船と共に死ぬ。或は「ガルローネ」といふ少年が、力が非常に強く弱いものをいつも力づくで守って、卑怯の行為だけは絶対に許さなかった話。また「母をたづねて三千里」では、どこまで行ってもなかなか母親に巡り会へない。私は涙を流しながら読んだ。これらは終生私の宝物になってゐる。

 『クオレ』といふイタリアの本を挙げたが、日本にもさういふものはいくらでもある。初等段階で行ふ国語教育の目標は、自ら進んで本に手を伸ばす子供を育てるところにある。中学校、高校においては、明治・大正・昭和の近代文学、漱石、鴎外、谷崎、川端などをきちんと読めるやうにする。これが目標にならなければならない。それによって素晴しい情緒力が身につく。

 人間は、私も偉さうなことを言ってゐるが、九割は利害得失を考へてゐる。しかし残りの一割でもいいから、惻隠の情、卑怯を憎む心、懐かしさ、自然に跪く心、もののあはれ、かういふ素晴しい情緒で埋める。それによってものの見方が全く違ってくる。大局観が身についてくる。論理は大切でそれを否定したらどうしようもないが、論理だけで進む人と情緒を身につけた人とでは人間としてのスケールが全く違ってくる。さういふ意味で、豊かな情緒を育てる国語教育は重要なのである。

 新自由主義の考へでは「国民は消費者である」から、消費者のための施策を実施することは国民のためになる。しかし国民=消費者といふのは経済的側面に過ぎない。給料は低くても治安の良い田舎に住むといふ人もゐれば、芸術や文化に魅かれる人もゐる。人間は多面的である。ところが一面だけに焦点を当てて論理を展開するから他の面に悪影響が出る。今社会が非常に荒廃してゐるのはそのためである。大局を見る眼を養ふ平生からの読書が肝要となる。

「私たちは国語に住むのだ」

 国語教育が重要である理由の四番目は、演題に掲げた「祖国とは国語」といふことである。これはフランスの詩人エミール・シオランの言葉であるが、祖国とは「国語」であって「国土」ではない。「私たちは、ある国に住むのではない。ある国語に住むのだ。祖国とは国語だ」といふことである。

 ユダヤ人は2000年前に国を無くしずっと放浪を重ねてきたが、イディッシュ語やヘブライ語といふ言語、ユダヤ教といふ宗教を大事にすることによって、後にイスラエルを建国し再生できた。これは国語が、その国の文化、伝統、情緒を全て含んでゐるといふことを示してゐる。国語を潰してはどうしようもない。特に最近世界は「英語」による一様化が進む中、どうしても守らなければならないものが民族のアイデンティティであり、その筆頭が言語だ。

 フランスの作家アルフォンス・ドーデが描く『最後の授業』は、普仏戦争に敗れてプロシャ領となったフランスのアルザス・ロレーヌ地方でフランス語学校が閉鎖されることになり、かつて老先生に教った村人達が最後授業を聞きに集まってくる。老先生は「君達、国土はどこの国に占領されても、その民族は滅びる訳ではない。世界中で最も美しく、力強く、はっきりしてゐるフランス語を守れば国は滅びない」と述べ黒板の方を向き「皆家にお帰りなさい」と言って授業を終へる。この物語からもわかるやうに、まさに「祖国とは国語」である。

 国語を中心に授業の量を増やし質を向上させて初等中等教育を飛躍発展させる。これが教育改革の全てに繋がるものと信じてゐる。

〈質疑応答〉から

【問】情緒力を養ふのに大切な役目があると思ひ、現在童謡を広めるためあるグループを連れ幼稚園に行ってゐます。大正、昭和、戦後初めの童謡について如何がお考へですか。

【答】今、音楽教育で、童謡とか文部省唱歌が殆どなくなってしまひました。童謡、文部省唱歌を皆で声を合せて歌ふことは豊かな情緒を育むことになります。一流の詩人が作詞をして、素晴らしい作曲家が曲を付けてゐます。明治時代に来日し徳島に住み、昭和の初めに亡くなったモラエスといふポルトガル人が日本人は始終歌ばかり歌ってゐると記してゐます。お母さんは洗濯をしながら、大工はとんかちをしながら…。子供達は歌を歌ひながら学校の行き帰りをする。皆歌を歌ってゐる、何といふ国民だ、と。かういふ国民性だったのですね。それを今、学校の行き帰りに歌を歌ってゐる子供は見かけませんね。これは非常に寂しい。それは一つの日本の国柄でもあったわけです。従って、是非童謡、唱歌を各学校で歌ふやうに運動を盛り上げたいと私も思ってゐます。

【問】先生が仰る日本の国柄の歴史的中心であり、情緒の中心でもあるのが皇室の御存在かと思ふのですが、当会でも歴代天皇の和歌を大事にしてをりますが、先生の皇室についてのお考へをお聞かせください。

【答】父もさうでしたけれども、私も皇室に対してはただ崇め奉るだけです。私は日本中が崇め奉ってゐればよいといふ気持ちです。例へば明治天皇は、日露戦争の時、毎日100も200も歌を作ってをられます。従って明治天皇の御製を勉強すれば、惻隠の情、他人の不幸に対する敏感さ、或は家族愛、郷土愛、祖国愛、それらが全部含まれてゐますから、素晴しい情緒を育むことにもなります。

((株)アルバック 数ヘ48歳)

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凄まじき 中共軍の 砲撃に 六千超えし 寺々の 打ち砕かれて 今はただ 八寺ばかりが 残るとふ 十五万余の 僧たちも 千人余りになりしとふ 「民主解放」 掲げたる 解放軍の 改革に 言葉も文化も 奪はれて ポタラ宮殿 主無く 五十余年は 過ぎにけり 富の力に勢ひを 更に増し来る 中国の 観光のため 開かれし チベット展を太宰府に 訪ねて今日は 金色の 御仏たちの その謂はれ 読み学びつつ 大国に 占領がれたる この国の 立ち直る日の ひたに祈らる

  反歌
幾たびも生れ変りてチベットを守りましますダライ・ラマはも
祭祀王ダライ・ラマはも観音の化身にありて国を守れり
観世音生れ変られましませる王を仰げりチベットの民は
現身の王逝きまさばその王の生れ変りの幼子探すとふ
民の子と生れ変りし幼子を王と育つる仏教文化よ
民の苦しみ身をもて知れる人の子が御教へ学び王と成るとふ
御仏の教へと国の在り様の一つになりし尊き文化よ
「ダライ」とは「大海」なる意味といふ深き御教へ偲ばるるかも
「大海」の広さ窮り無き如く「菩薩」は衆生を抱きますとふ
御仏の教へになれるこの国の独り立つ日の唯に祈らる

(『短歌通信』第六十七号所載)

(編注)
詠者によれば、特別展(4月11日〜6月14日)のパンフレットには次のやうに記されてゐた。
「中国は古くから統一された多民族国家であり、各民族の独特な文化が集まって形成されたものです。チベット族は独特で深遠なチベット民族の文化と芸術を創造してきた。それらは、中華の多元的な文化を構成する不可欠で重要な成分となっている」
この特別展には、九州国立博物館・福岡県らと並んで中華文物交流協会・中国チベット文化保護発展協会が名を連ね、中国国家文物局や中国大使館、中国駐福岡総領事館も関ってをり、自らの「チベット支配」を巧みに広報するものだったやうだ。

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 論語「述而第七」には孔子が自ら謙遜した言葉や、行為が多く記されてゐます。そこでこの篇の主意をへりくだる心「譲」と捉へました。

 子曰く、述べて作らず。信じて古を好む。竊かに我を老彭に比す。(述而7-1)

 先生がおっしゃった。私は先人の説を受け継いで述べるだけで、自分から新しい説を立てたことはない。私は古からの道をこころから好み信じてゐる。昔、老彭といふ人が、さう生きてきたといはれてゐるが、私もその人をひそかに見習ってゐる。

 「述」とは古を述べることです。「祖述」といひ、先人の学問を受け継ぎ進めることをいひます。「作」とは自ら創作することです。「老彭」とは、中国の殷の時代の賢人のことです。及ばずながら私も心ひそかに見習ってゐるといふ、自分を立てない、孔子の謙虚さがうかがはれることばです。

 ところで、今の教育では、個性や創造性が尊重され、小学校の教育目標にも「創造性を養ふ」などといふことが、こともなげに掲げられてゐます。しかし、学問の初めは、先人が積み重ねてきた成果を謙虚に学ぶことから始まります。それは先人の残した言葉によって伝へられてゐるのです。ですから、初めから創造性などと言はず、まづ、先人の残した優れた言葉を読み書きしながら、その基礎基本をしっかり身につけることが大切です。つまり、先人が受け継いできた古典をもっと尊重して学ばなければいけないと思ひます。

 子曰く、黙して之を識し、学びて厭はず、人を誨へて倦まず。何か我に有らんや。(述而7-2)

 先生がおしゃった。わかったと思っても、黙って心に止め、身につくまで繰り返し学び、厭はない。身についたことを人に教へるのが楽しくて仕方がない。この他に自分には取り柄はないのだ。

 「学びつつある者こそ人に教へることができる」といふ言葉があります。大切なのは、自分はまだまだといふ謙虚さを失ってゐないといふことです。教育者としての最大の責務は、「学びて厭はず」といふ姿勢です。そして、理解したこと、身についたことをもとに子供を教へ導き、子供が「わかった」、「できた」、「やり遂げた」と喜ぶことが、教師の最大の喜びであることはいふまでもありません。
「何か我に有らんや」といふ言葉に孔子の心の高鳴りを見る思ひです。
(「『論語』百章」正篇-現代かな-から)(本会理事、元小学校長、「石塾」主宰)

岩越豊雄著
子供と声を出して読みたい  『論語』百章
正・人の品格を磨くために
続・より良い人生をおくるために
  各1400円税別 致知出版社

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お題 「光」

「光」の文字を使用してゐれば「月光」のやうに熟語にしても、また「光る」のやうに訓読しても差し支へない。
(参考)お題「光」について
お題「光」は、50年年前の昭和35年の歌会始のお題にも選ばれてゐます。昭和35年の歌会始は、天皇皇后両陛下(当時皇太子同妃両殿下)が昭和34年4月10日にご結婚されてから最初に行はれ、初めてお二方でお歌を詠進された歌会始です。同じお題が二度選ばれることは、戦後の歌会始では初めてのこととなります。

詠進歌の詠進要領
1、詠進歌は、お題を詠み込んだ自作の短歌で一人一首とし、未発表のものに限る。
2、書式は、半紙(習字用の半紙)を横長に用ひ、右半分にお題と短歌、左半分に郵便番号、住所、電話番号、氏名(本名、ふりがなつき)、生年月日及び職業(なるべく具体的に)を縦書きで書く。無職の場合は、「無職」と書く(以前に職業に就いたことがある場合には、なるべく元の職業を書く)。主婦の場合は、単に「主婦」と書いても差し支へない。
3、用紙は、半紙とし、記載事項は全て毛筆で自書する。

詠進の期間 
9月30日まで(9月30日の消印有効)。
宛先 
「〒100-8111 宮内庁」とし、封筒に「詠進歌」と書き添へる。詠進歌は、小さく折って封入して差し支へない。
お問ひ合せ
宮内庁式部職あてに、郵便番号・住所・氏名を書き、返信用切手をはった封筒を添へて、9月20日までに。(参照・宮内庁ホームページ)


新刊紹介

山口秀範著『殉職・宮本警部が伝えたかったこと』
税別1300円 中経出版

 「偉人伝講座」を中心に教育の再生に向けて諸活動を展開してゐる畏友山口秀範氏((株)寺子屋モデル代表世話役)が先頃、『殉職・宮本警部が伝えたかったこと』と題する著書を上梓した。宮本邦彦警部といふ「現代の偉人」を語る中で、教育再生への著者の強い決意が行間からも感じられて、読後心洗はれる思ひがしてゐる。また著者の思想形成の原風景ともいふべき生ひ立ちも回顧されてゐるが、それ自体が現代教育への批判的提言ともなってゐる。著者の縦横な筆致は我国の歴史、伝統、文化と今日に生きる私達の生き方との内面的つながりについても見事に説き明かしてゐる。
紙数の関係で二点についてのみ具体的な感想を書いてみたい。

 一点目。宮本警部の殉職(一昨年2月、東武東上線「ときわ台駅」駅前交番勤務の宮本警部は線路に入った女性を助けようとして落命)については、その「死」のみに目が注がれがちだが、著者は「はじめに」の中で「ほんとうに驚き敬うべきは、その死の瞬間だけではなく、むしろその生なのではないか。住民や子供たちに来る日も来る日も誠実に手を差しのべ続けた地道な生の中に、彼が最後に示した勇気がすでに用意されていたのではなかったか。彼の死と生、非常時と平時を一本の棒のようにまっすぐに貫いているものがあったに違いありません」と記してゐる。ここにこそ、「世界一つまらなそうな顔をした」今の日本の子供達に生き方のお手本を示すことによってその瞳に輝きを取り戻させたいと願ふ著者の一念を強く揺さぶるものがあったと思はれる。そして著者が自分の活動の中で、宮本警部の殉職の意味するものを問ひ質さうと決意した動機があったのに違ひないと確信させられた。

 二点目。著者は宮本警部の「生」を浮き彫りにすべく鍵となるいくつかの言葉を「第三章 三つの誠」で取り上げてゐる。そのいづれもが時流ではやや疎んじられてゐるものでありながら、しかしやはりそこに戻っていくことこそ真っ当な人としての生き方なのだと思ひ知らされることばかりであった。「誠実・誠心・誠意」「希望は駐在所勤務」「自分に厳しく、他人にやさしく」「人知れず」等々。さういふ中で、著者は前著(絵本『伏してぞ止まん ぼく、宮本警部です』高木書房)のタイトルともなった「伏してぞ止まん」といふ珠玉の言葉を奥様と息子さんへの取材から掬ひ上げてきた。何気なく、しかも三代にわたり宮本家で語り継がれてきた「伏してぞ止まん」の言葉こそ、著者が人生を賭けて展開中の寺子屋活動を力強く後押しするものだったらうと思はれる。何故なら著者が実践の中で提唱してゐる「わが家の家訓づくり」が宮本家で既に実現されてゐたからである。

 またこの言葉は『古事記』」中巻の神武天皇御東征記事にちなむ「久米歌」の一節「撃ちてし止まん」に命脈を通じるものであるが、著者は「思えばわが国は息子への励ましひとつに神武建国の息吹を伝えることができる世界にもまれな神の幸深い国といわなくてはなりません」と述べてゐる。著者の我国の歴史と文化に寄せる「信」の唯ならぬものを示す箇所だらう。

 それにしてもよくぞここまで「宮本警部の死と生」に迫ったものである。「宮本さんの声なき声に耳を澄まそうと努め」、つひに「何かしら宮本さんに書かせてもらっているような不思議な感触を覚えることですらすらと筆が進みはじめました」と回顧してゐるが、著者の奥行きの深い「憶念の情」から生れた本書を多くの方にお奨めしたい。不思議と読む者を力づけてくれる本である。

(石村萬盛堂代表取締役社長 石村 悟)


編集後記

 「民主党の基本は市民、個人だ。自民党の基本は家族だ…」とは政治記者と政治学者の座談会での某政治学者の言(7月3日付朝日)。さすがに真相を衝いてゐるなどと感心してはをられない。民主党の政策に旧社会党的左翼色が濃厚だ。旧社会党書記局からの移籍組が関与してゐるからであらう。一貫して歴史伝統と国威国益を軽視し、それ故に支持を失ひ小選挙区制で没落した旧社会党の左翼イデオロギーが「民主党」の看板の下で甦ってゐる。外交では現実路線を掲げ出したが、内政面での左翼志向は明白である。曰く「靖国神社に代はる国立追悼施設の建立」「夫婦別姓の早期実現」「人権救済機関の創設」「永住外国人への参政権付与」等々(民主党『政策集INDEX2009』)。「学校単位の教科書採択」も謳ってゐるが、これは教育現場支配をめざす日教組の方針。既に参院第一党の民主党であるが、衆院選の結果如何では、保守理念喪失で弛緩した自民党政治への「頂門の一針」どころではない事態を招きかねない!。

 混迷するわが国を嘲笑ふかのやうに6月、中国海軍艦艇五隻が沖ノ鳥島近辺で演習、昨秋には四隻が津軽海峡を通過。空論を弄ぶ暇は無い筈だ。(山内)

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