国民同胞巻頭言

第568号

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執筆者 題名
澤部壽孫 今こそ「日本」への回帰を
- 一人一人の胸に本来の日本人の心を取り戻さう -
小柳左門 平成21年年頭及び最近ご発表の御製、御歌を拝誦して
岸本 弘 竹本忠雄著(海竜社刊 税込1890円)『天皇 霊性の時代』を読む
- 御即位20年の記念すべき年に -
波多洋治 今こそ逞しい勇気、雄々しい闘志を

平成20年はまさに激震、激変の年であったが、これに対する日本の動きは実に憂慮すべき状況にある。

北京オリンピックを控へた1月の殺虫剤混入餃子事件、3月のチベット暴動、4月の聖火リレー(長野)での中国人留学生の傍若無人の振る舞ひ等々、中国に対してきちんと物を言へる機会が何回もあったのに、福田首相は「隣国の嫌がることはしない」と何も言はず、靖国神社にも参拝せず、独立国家とは思はれない醜態を見せた。

北京オリンピック開会の日にロシア軍のグルジア侵攻が勃発したが、米国も国連も何も出来ないまま現在に至り、米国の政治的、軍事的一極支配体制は終りを告げ、米国発の金融危機で市場原理主義やグローバリゼーションも過去のものとなった。

米国に初の黒人大統領が誕生し、より厳しい国際情勢に日本は直面してゐる。にも拘らず当の日本は、国内でせめぎ合ひ、党利党略に明け暮れてゐて、生命を懸けて日本を守らうとする気概が全く感じられない。

安倍政権は、目標とすべき国家像を示し、戦後教育が否定してきた愛国心、公共心の育成を盛り込んだ改正教育基本法、憲法改正に向けた国民投票法を成立させ、防衛庁を省に昇格させるといふ画期的な成果を挙げ、国家の抱へる問題と対処方向を明確にしたが、後を継いだ福田内閣は、この極めて重要な国家的事業を継続するどころか、骨抜きにする始末だった。

麻生内閣においても国家像的ビジョンは曖昧にされ、「村山談話」が大手を振ってまかり通り、田母神前航空幕僚長は更迭された。この状況ををかしいと思はない風潮にこそ事態の深刻さがある。

強大な核軍事力を背景にした中国と核保有を目論む北朝鮮の脅威に対して日本の安全保障の為には日米同盟関係は必要不可欠であり、民主党の小沢一郎党首の国連至上主義は論外であるが、それ以上に重要なことは、自虐史観を払拭し、明治時代の如く、健全な愛国心が国民一人一人に芽生えることだと思ふ。

今年は衆議院選挙の年であるが、外国に屈従する政治家、国民に媚びることばかりで祖国を自分の力で守らうとしない政治家には投票するべきではない。日本の文化伝統に基づいた国家像を明確に表示する政治家を選びたいものである。

仏教・儒教などの大陸文化が本格的に流入した聖徳太子の時代および西欧の文明が流入した明治時代を生き抜いた私達の祖先を偲びつつ、この混迷の時代を乗り越えるために3つの提言をしたい。

1 、皇室を敬愛する心を養ふ

御即位20年をお迎へになった慶賀すべき今年も、年頭に天皇・皇后両陛下の御製・御歌が発表された。御製・御歌には、美しい日本人の心が詠はれてゐて、日本の文化・伝統が正しく保持されてゐるのは皇室であると思はれてならない。そこには道義と礼節を重んじる慎み深い心が気高く表現されてゐるが、そのことをマスメディアは詳しく報道しない。それどころか、敬語を使ふことも止めた。美しいものを美しいと感じる本来の日本人の心を一人一人が取り戻さない限り、国を護る意識は生まれない。

天皇・皇后両陛下をはじめ奉り、皇室の弥栄を祈念申し上げ、大御心を偲びまつることを今年の私達の精神生活の起点としたい。

2 、憲法改正を掲げる候補者を選ぶ

日本人があるべき姿に立ち返るために先づ自主憲法を制定しなければならない。自虐史観に基いた戦後思想の根源にあるのが現憲法であり、その改正を政治目標に掲げる候補者を選ばうではないか。

3 、小学1年生から短歌を教へる

建国以来祖先がのこして呉れた和歌(短歌)を、小学1年生から教へれば、正しい日本語と日本の歴史を自づから学ぶことになる。また、私達の祖先がいかにしていのちを懸けて、国土と文化を守ってきたを知ることにもなり、「領土」への関心も高まる。

元日商岩井 副理事長 数へ69歳)

◇平成20年にお詠みになったお歌から

御製(天皇陛下のお歌)
      皇居東御苑
  江戸の人味ひしならむ果物の苗木植ゑけり江戸城跡に

      日本ブラジル交流年・日本人ブラジル移住100周年にちなみ群馬県を訪問
  父祖の国に働くブラジルの人々の幸を願ひて群馬県訪ふ

      岩手・宮城内陸地震
  災害に行方不明者の増しゆくを心痛みつつ北秋田に聞く

      中越地震被災地を訪れて
  なゐにより避難せし牛もどり来て角突きの技見るはうれしき

      正倉院事務所修補室
  宝物の元の姿を求めむとちりを調ぶるいたづき思ふ

      ○第59回全国植樹祭(秋田県)
  さはやかに風渡り来る北秋田に人らとともに木々の苗植う

      ○第28回全国豊かな海づくり大会(新潟県)
  稚魚放つ河口のあなた大漁旗かかげし船の我らを迎ふ

      ○第63回国民体育大会(大分県)
  過ぎし日の国体の選手入り来たり火は受け継がる若人の手に

皇后陛下御歌

      北京オリンピック
  たはやすく勝利の言葉いでずして「なんもいへぬ」と言ふを肯ふ

      旧山古志村を訪ねて
  かの禍ゆ4年を経たる山古志に牛らは直く角を合はせる

      正倉院
  封じられまた開かれてみ宝の代代守られて来しが嬉しき

◇平成21年歌会始 お題「生」

      御製
  生きものの織りなして生くる様見つつ皇居に住みて15年経ぬ

      皇后陛下御歌
  生命あるもののかなしさ早春の光のなかに揺り蚊の舞ふ

(御製・御歌は宮内庁のホームページによる)

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天皇陛下の御即位20年の今年、両陛下は御成婚満 50 年をお迎へになる。この二重の御慶事を国民こぞってお祝ひ申し上げたい。昨年末には、天皇陛下の御病の報があって、国民はみなご心配申し上げたのであるが、このたびも、年末および年頭にあたって、御製および御歌が発表された。その幸ひを心から有難く思ふとともに、両陛下の末長いご聖寿をお祈りせずにはをられない。謹んで拝誦させていただきたい。

御製

      皇居東御苑
  江戸の人味ひしならむ果物の苗木植ゑけり江戸城跡に

江戸の人が味はったであらう果物、とはどんな果物だったのであらうと、尽きぬ興味が湧いてくる。宮内庁の広報によれば、お植ゑになったのは現在では栽培されることの少なくなった江戸の果樹古品種である梨や柑橘類の苗木であった。

また一般の人々も目にすることのできる皇居東御苑の江戸城本丸跡を選ばれたとのことで、これらは天皇陛下御自身のご発案によるものであったといふ。

御製には、単に「食べしならむ」ではなく、「味ひしならむ」と、江戸の人々の気持ちになって詠んでおいでになる。時は春であらうか。皇后さまも傍にをられたにちがひないと拝察しつつ、暖かい日差しを受けながら、苗木をお植ゑになる両陛下のにこやかな御眼差しが目に浮んでくる。

絶えていかうとしてゐる果物にも御目を注ぎたまひ、先人の苦心や喜びを、ともになされようとする陛下。これらの苗木が大きく育って美味しい実をつけ、命の受け継がれることを、それをいつか国民もまた味はふことのできることを、陛下は心待ちにしてをられるのであらう。

      日本ブラジル交流年・日本人ブラジル移住百周年にちなみ群馬県を訪問
  父祖の国に働くブラジルの人々の幸を願ひて群馬県訪ふ

昨年は、ブラジルへの最初の移民船である笠戸丸が明治41年に渡航して以来、百年を迎へた。移住した日本人は慣れない環境の中で、貧しさに耐へてコーヒー園で働き、山野を開墾して農園を経営するなど並々ならぬ努力を積み重ねてきた。その勤勉さからやがて現地の人々の信頼を得るやうになり、今やブラジルの様々な方面で活躍されてゐるとのことである。父祖たちのさうした努力が、現在の両国の信頼関係の基礎になったのである。

日系ブラジル人は今や150万人にもなり、日本でも30万人以上の人々が暮してゐる。天皇皇后両陛下は昨年4月、日系ブラジルの人々が多く働いてゐる群馬県大泉町をお訪ねになった。

御製は、父祖の国、日本で働く人々が、幸せに生きて行くことを願はれたものであるが、これらの人々は父祖の国に来たものの、生活や言葉の問題などで苦労も多いといふ。両陛下のご訪問は、日系ブラジルの人々にはかり知れない大きな勇気と慰めを与へたことであらう。

陛下は、ブラジル移民70周年記念の折にはブラジルをご訪問になり、「外国に血を分けし人と寄り集ひ共に顧みる70年の流れ」とお詠みになった。そこには、何代かにわたってブラジルの地に身を捧げてきた移民の人々と一つになって、長い年月の流れに思ひを寄せられる深い大御心がある。昨年6月、皇太子殿下はブラジルをご訪問になり、サンパウロで行はれた移住100周年記念式典にご臨席になり、両陛下からの御下賜金をお渡しになってをられる。

平成6年、遥かブラジルの地より歌会始に短歌を寄せた日本人移民の方があった。村岡虎雄氏のその歌は、「此の波のはてに祖国の美しと孫に語らひよはひかさねる」。日系ブラジルの人々が恋ひてやまぬ美しい日本の姿、それは残念ながら今失はれつつある。陛下の大御心に添ひまつりながら、日本の美しい姿を守っていかなくてはならぬと思ふ。

      岩手・宮城内陸地震
  災害に行方不明者の増しゆくを心痛みつつ北秋田に聞く

宮内庁の広報によれば、「平成20年6月、全国植樹祭のため秋田県にお発ちの朝、岩手・宮城内陸地震が発生した。秋田県の被災地は南部であり、県北の北秋田市で開催される植樹祭は予定通り行われるとの連絡で、両陛下は東京を発たれたが、災害対応を優先するようにとの思召しから秋田県知事・県議会議長・県警察本部長の空港お出迎えをお取りやめになり、現地では随従した警察庁長官から随時被災状況のご報告をお受けになった」とある。

御製では、行方不明者の「増しゆく」を「心痛みつつ」とお詠みになり、ご報告をお聞きになるごとに深まっていくご心痛をつぶさに表現された。自分の出迎へよりも、まづは被災者のことを思はれ、その対応をと思し召しになる陛下。国民の苦を、つねに御自らの苦としてお受け止めになる慈しみ深い大御心を拝するのである。

      中越地震被災地を訪れて
  なゐにより避難せし牛もどり来て角突きの技見るはうれしき

平成16年10月、新潟県中越地方を襲った激震によって、長岡市山古志地域(旧山古志村)は甚大な被害をかうむり、山古志の美しい風景ををりなす棚田も崩れてしまった。翌月、天皇皇后両陛下はヘリコプターでご視察になり、引き続き避難してゐた山古志村の人々をお見舞ひになった。この折に陛下は「地震により谷間の棚田荒れにしを痛みつつ見る山古志の里」とお詠みになってゐる。

この地震から4年を経て、避難してゐた人々が戻り、村人の努力によって山古志にも復活の兆しが見えてきた。両陛下は昨年9月8日山古志を再びご訪問になり、村人が日の丸を振って歓迎する中、その大地にお立ちになったのである。山古志は錦鯉や牛の角突きで有名であるが、両陛下は、地震のために避難してゐた牛が村に無事にもどり、再びはじまった牛の角突きの練習をご覧になって、ぶつかり合ふ闘牛や勢子の勇ましさに拍手を送られたといふ。

御製は、もどってきた牛の角突きをご覧になって「うれしき」と率直に、じつに平明に詠んでをられる。何のてらひもなく、堂々とまっすぐにお詠みになってゐるのである。

牛舎で両陛下をお迎へした27才の青年は、「山古志の牛飼ひの火を消さないやうに頑張っていきます」と両陛下に再建を誓ひ、また被災当時村長であった長島忠美氏は「今回のお見舞いで、新たに力をいただいた」とその喜びを語り、「両陛下にお越しいただいた9月8日を新たな起点に、さらに千年、日本人の誇りをもって住み続けられる地域にしていきたい」と述べてゐる(『祖国と青年』 10 月号)。両陛下の慈愛にふれて、民の苦しみは転じて、大きな喜びに生まれ変はっていったことを思ふのである。

      正倉院事務所修補室
  宝物の元の姿を求めむとちりを調ぶるいたづき思ふ

昨年10月、両陛下は奈良県に行幸啓され、正倉院をご訪問になった。奈良時代以後1200百有余年にわたり、幾多の危機を乗り越えて、正倉院の建物と 9000 点にものぼる御物は、古のままに現代まで伝へられてきた。宮内庁広報によれば、両陛下は、正倉院宝物の点検作業と調査の状況を視察され、修補室では塵埃のやうになった染織品の断片を丹念に修復し、今は形を止めなくなった宝物本来の姿を追ひ求める様をご覧になったといふ。御製は、「ちり」のやうになってしまった細かな糸くずを調べて復元に努めてゐる人々の「いたづき」、大変な労力に思ひを寄せて詠まれたものである。

陛下は、平成十四年に正倉院をご訪問になった折にも、「千歳越えあまたなる品守り来し人らしのびて校倉あふぐ」と詠まれ、これらの御物を守ってきた人々を偲びつつ、御物を長い歳月収納し保ってきた校倉造りの正倉院を仰がれたのであった。

        第59回全国植樹祭(北海道)
  さはやかに風渡り来る北秋田に人らとともに木々の苗植う

第59回全国植樹祭は、秋田県では40年ぶりに昨年6月15日、北秋田市の県立北欧の森公園において、天皇皇后両陛下のご臨席のもとに開催された。前述したやうに、当日の朝に岩手・宮城内陸地震が起り、不安の中での植樹祭となったが、「手をつなごう 森と水とわたしたち」をテーマにおよそ 15,000人の人々が集ひ、新緑に包まれた会場ではブナ、秋田杉など24種類、一万二千本の苗木が植ゑられたといふ。

天皇陛下は、ブナ、トチノキ、秋田スギの苗木を、皇后陛下はカツラ、ミヅキ、ヤマモミジをお手植ゑ、お手播きされた。御製は、多くの人々と木々の苗をお植ゑになるお喜びをお詠みになったが、会場に渡ってくるさはやかな風そのままに、清々しい御製である。

      第28回全国豊かな海づくり大会(新潟県)
  稚魚放つ河口のあなた大漁旗かかげし船の我らを迎ふ

第28回全国豊かな海づくり大会は、両陛下をお迎へして、新潟市の朱鷺メッセを中心に9月6日・ 7 日に開催された。式典では天皇陛下からお言葉があり、サケの養殖のための努力を重ねて、サケの遡る川を豊かに、また川の注ぐ海を豊かにしてきた人々を称へられ、「2度にわたる震災を乗り越え、新潟県で開催されるこの大会が、海や漁業への関心と理解を深め、人々が協力して豊かな海をつくっていくための契機となることを願います」と述べられた。

式典の後、信濃河口において、第1回御放流では両陛下によってヒラメが放流され、第2回御放流では、天皇陛下はモクズガニを、皇后陛下はクロダイを放流された。この時、河口には、新潟漁業協同組合の板びき網漁業者が、地元新潟市管内の漁業者と共に10数艘の「板びき網船」に大漁旗を掲げて奉迎した。御製はその様子をお詠みになったが、陛下の御まなざしは、「稚魚」から「河口」の「あなた」へ広がっていき、彩りもはなやかな大漁旗をかかげる船へと注がれる。お歓びに満ちた御製であるが、日焼けした漁師の嬉しさうな顔までも見えるやうである。君民の心の通ひあふ一時である。

      第63回国民体育大会(大分県)
  過ぎし日の国体の選手入り来たり火は受け継がる若人の手に

さはやかな秋晴れとなった 9月27日、大分スポーツ公園九州石油ドームにおいて、天皇皇后両陛下のご臨席のもと、42年ぶりとなる大分国体の開会式が開催された。炬火のリレーでは、前回の大分国体選手代表宣誓者である今村満氏、およびボクシング男子団体優勝者の中村哲明氏から、今回の大分代表国体選手である村上仁紀氏(フェンシング)、および安部歩美さん(なぎなた)へと、炬火は受け継がれた。

御製は、42年の時をこえて、過ぎし日の大分国体で活躍した選手から今回の若い選手へと受け継がれる炬火に、思ひをこめてお詠みになった。炬火を通じて、先輩の手と後輩の手はしっかりと結ばれ、力と技と、健全なる精神とが受け継がれてゆく。国体をこえて、日本の将来を担ふ若人たちに対する陛下の願ひがこもった御製と拝するのである。

皇后陛下御歌

      北京オリンピック
  たはやすく勝利の言葉いでずして「なんともいへぬ」と言ふを肯ふ

8 月に開催された北京オリンピックでは、日本は金 9 、銀 6 、銅 10 の計 25 個のメダルを獲得した。中でも競泳男子平泳ぎでは、北島康介選手が 2 大会連続 2 冠を達成する偉業を達成し、とくに 100 メートル決勝では、世界新記録での金メダルであった。掲示板に表示が出た時、北島選手は喜びの雄たけびをあげたが、インタビューでは感動のあまり声につまり、「すいません。なんにも言えねー」と言ったまま、タオルで顔を覆った。

皇后様はテレビをご覧になったのであらう、北島選手の飾らない姿に、ほほ笑みと拍手をお送りになられたと思ふ。「なんともいへぬ」と品格をもって表現されたが、「うべなふ」とのお言葉には、「それでいいんですよ」とあたたかく包みこまれる母のやうなまなざしを感じるのである。

      旧山古志村を訪ねて
  かの禍ゆ四年を経たる山古志に牛らは直く角を合はせる

「かの禍」とはもちろん中越地震をさす。陛下とともに昨年9月、旧山古志村をお訪ねになった皇后さまは、闘牛といふ男性的な格闘をご覧になりながら、ここに「直く角を合はせる」と、闘ひの始めに牛と牛が勢子によって素直に角を合はせる様に目をとどめられた。その柔らかな表現に、牛に対しても微笑むごとく思ひを寄せられる、皇后さまの優しいお心が伝はってくる。

      正倉院
  封じられまた開かれてみ宝の代代守られて来しが嬉しき

昨年10月、陛下にご同行されて正倉院に歩をすすめられた折の御歌である。正倉院御物は、勅許がないと開封されないままに長い間守られてきた。明治になっても変らず、毎年秋季の宝庫開閉は勅使(侍従)の立ち会ひのもとで行はれてゐる。

曝涼(虫干し)の意味を含んだ秋季定例開封は古都奈良の年中行事となってをり、国民はこれを拝観することができる。御歌は、かうして1200有余年もの間、代代に御宝が守られてきたことへの喜びを歌ってをられる。皇后様は、皇居内の紅葉山御養蚕所で日本純粋種の蚕(小石丸種)を飼育なさってゐるが、その生糸によって正倉院宝物の復元もなされてゐる。伝統文化保存に寄せられる両陛下の並々ならぬお気持ちを、改めて有難く思ふのである。

歌会始 お題「生」

      御製
  生きものの織りなして生くる様見つつ皇居に住みて15年経ぬ

かつての武蔵野の面影を残す皇居の杜には、様々な木や草花が生ひ、様々な鳥や虫がともに暮してゐるといふ。「織りなして生くる」とのお言葉にことに心惹かれるが、単に多くの生き物が生存するのではなく、それらが互ひに命を育みあひながらともに生を織りなしてゐる。それこそが、生命あるものの生を営む姿とお示しになったと拝察する。

陛下は平成5年12月に赤坂離宮を離れて、皇居内の御所にお移りになられた。御父君である昭和天皇、御母君である香淳皇后は、かつて皇居の内にお住ひになってその自然をこよなく愛し、多くの御製御歌を残された。皇居にお住ひになって15年といふ月日が過ぎて行った、とお詠みになるとき、お言葉にこそ出されないが、慈しみ深かった先の天皇、皇后様を懐かしくお偲びになる御心を拝するのである。

      皇后陛下御歌
  生命あるもののかなしさ早春の光のなかに揺り蚊の舞ふ

なんといふたをやかな御歌であらう。「いのちあるもののかなしさ」といふお言葉の響きがかなでるいとほしさ。「かなしさ」は「悲しさ」であり、「愛しさ」でもある。「ゆすりか」といふ虫の名も、命のかそけさを感じさせる。揺り蚊は蚊よりも小さく、より軟弱で、産卵後1、2日でその生命を終へるといふ。

生きてゐるわずかの間をいとしむやうに、揺り蚊はまるで揺れるやうに、早春の光の中に消え入るごとく舞ふのであらうか。皇后さまの御歌も、天皇陛下の御製と対をなしつつ、生きとし生くるものへの、限りない慈しみのお心をお示しになられるのである。

(独立行政法人国立病院機構・都城病院長 数へ62歳)

         

 

お題「生」に寄せて(抄)賀状から

                        北九州市 中村 束
  時を超え処をこえてはろばろと生きこしいのちかしこみて継ぐ(九十一歳)

                         東京都 坂東一男
  生き抜くぞ決意新たに迎へたる七度巡りし丑年吾は

                        佐世保市 朝永清之
  いかにあれ生きて祖国に還らむとひたすらに生きし日々の懐かし

                        小田原市 岩越豊雄
  吾が庭に生ひし実生の百日紅枝先に一輪赤き花つく

                        鎌ヶ谷市 向後廣道
  御垣守り四十一年吾が生の証しと書架に歌集一冊

                         川越市 奥冨修一
  若き日に生命たぎらせレガッタに挑みし友らと端艇を漕ぐ

                         福岡市 山口秀範
       ミュンヘン日本人学校にて
  外国に生ひ立つ子らはゐ並びて祖国の偉人の物語聴く

                         都城市 小柳左門
  新しき母子センターにひびくなり生まれしばかりの赤んぼの声

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1、天皇陛下のお誕生日に

平成20年12月23日(天長節)の朝、いつもより早く目が覚めて二階の自室に行くと、やうやく夜は明そめようとしてゐた。明るさの増してきた東天に、立山連峰は寒気を衝いて峻厳な姿を見せ始めた。大伴池主が、家持の「立山賦」に和して〈朝日さし そがひ(背・逆光に)に見ゆる 神ながら…〉と詠じたその立山である。

天長節の朝、その風光を見つめながら脳裏に去来するものは、『天皇 霊性の時代』に読んだ、歳旦祭(元旦の夜のまだ明け切らぬ寒気厳しき早暁に、宮中で行はれる祭事)に臨まれる天皇陛下のお姿であった。

《年の初めのそれは最も森厳をきわめたものと伝えられています。中央の賢所、左の皇霊殿、右の神殿と、三殿を構成する中の賢所構内の綾綺殿で黄櫨染御袍をお召しになった天皇が、まず、三殿に神饌を奉るのは、庭火に照らされた、未明もまだ4時30分という真冬の暗さと寒気のなかです。

そして一時間後に、四方拝をなさるのですが、驚くべきは、その厳しい場のしつらえです。神嘉殿南庭の白砂の上、屏風4枚をもって囲まれたなかに坐し、五穀豊穣と国民の安寧を祈られるのです。

「庭上下御」と、これをお呼びします。/なんぴとも、そのお姿を見ることあたわず。/殿上にも昇らず、地上におん身を低めて、ただひとり。

/万一、お具合が悪かろうと、代行なし。/これが、天皇の祈りなのです。》(/は原文の改行を示す)。

そして歳旦祭のことを陛下が御自らお詠みになられたお歌に、次の一首がある(平成17年)。

      明け初むる賢所の庭の面は雪積む中にかがり火赤し

年の暮れ近いこの頃であるが故に、一層、厳冬の暁闇に行はれる祭事のご様子がしのばれるのである。併せて、陛下が皇太子であられた昭和54年に、皇后陛下(当時の皇太子妃殿下)がお詠みになられた次のお歌が思ひ起される。

      新嘗のみ祭果てて還ります君のみ衣夜気冷えびえし

新嘗祭は11月23日深夜の祭事であるから、歳旦祭ほど寒気は厳しくはないであらうが、「夜気」は「冷えびえ」として迫ることがしのばれるお歌である。

2、『天皇 霊性の時代』に込められた思ひ

さて、僕がこれまでに著者の書かれたもので拝読したものは失礼ながら、『マルローとの対話』(平成8年)と『皇后宮美智子さま 祈りの御歌』(本年5月刊)の2冊に過ぎないが、今回の『天皇 霊性の時代』は、前記二著の底流に一貫して流れてゐた霊性を前面に掲げ、真正面から天皇の御存在の意義を考へようとされる、いはば著者の全霊を傾けられた一書にも思はれてくる。

マルローをはじめとして、内外の宗教界、思想界、文学界、芸術界等の多岐にわたる分野で交流を深められる著者であるだけに、本書で展開される霊性なるものも、超古代から現代に至る、洋の東西の宗教事情、歴史事情に関する知識なくしては容易に理解し難いものがある。

また神武紀元(西暦紀元前660年)についても、シナの讖緯説を超えて、旧約聖書や新約聖書に示される数字が引かれ、さらには「歳差運動」なる天文学的現象が引かれるのであるから、自分などには到底容易に理解し得るものではない。しかし、著者がそこまでして、天皇-その本質としての霊性なるもの-を語らうとされる熱意は痛いほどに伝ってくる。

著者は言葉にこそ出してをられないが、今、日本を守らなければ、-今、天皇の御存在の意義に気付かなければ-、ついに日本は滅びるであらうといふ痛切な思ひに駆られてのことであらう。著者が歴史教科書問題、拉致問題、慰安婦問題、村山談話等々の事例を挙げて論及されることも、かうした著作を通しては多分初めてのことであらう。

ことここに及んで、日本が救はれる道はもはや天皇の御存在にしかない。それは狭隘なる民族主義なるが故ではなく、キリスト教文明もまた死に瀕してゐると観察される著者は、天皇-霊性の時代の復活こそ、日本のみならず、世界を救ふ鍵であると指摘されるのである。

3、マルローから三島由紀夫まで

さうした著者の霊性の世界に登場するのは、著者と長い親交を持ったアンドレ・マルローをはじめとして、ヨハネ・パウロ二世、ダライ・ラマ、聖徳太子、鈴木大拙、三島由紀夫など実に多彩である。

「恐れるなかれ!希望に入れ!」と世界にメッセージを発信したパウロ二世は、ソ連をしてペレストロイカを実現せしめ、最後まで親日家であったマルローは、著者との最後の対話で、「日本では、人は乖離することができる」との暗示的な言葉を残してゐる。また、マルローにとっても著者にとっても、象徴的な日本人の一人が三島由紀夫であったやうである。著者は三島について、

《「神格化否定」嫌な言葉ですが仮に使っておきます。詔書のときも、即、これを民主化促進といって浮かれ騒ぐ人々から最も遠い地点に立っていた人が、少なくとも一人ありました。三島由紀夫です》とも、《感性の天才、三島は、感性の切り啓く空想世界が、行為なくしてそこに在る霊性に遥かに及ばざることを知っていました》とも言及されるのである。

ここから僕らは、トインビーが伊勢神宮で発した《ここ、この聖地において、私は、すべての宗教の根底をなすところのユニティを感ずる》といふ言葉に回帰し得るであらうかと、自らに反問してゐる。

4、皇后様の御述懐

また霊性について考へ続けてきた著者の心に、深く息づいてゐる今一つの挿話がある。そのことを著者は次のやうに語られる。

《皇后陛下美智子様の御歌翻訳者として、私は、平成18年4月に御所で拝謁の栄に浴しましたさい、ある思いがけない御述懐を承り、この西洋の光と闇ということを考えました。若き日の美智子様は、周囲のカトリックの御環境のなかにありながら、御自身はついに洗礼をお受けになられなかったのですが、それは悪の存在をめぐる疑義のゆえであったようにおっしゃられたのです。

…神が至高の愛であるとすれば、神は予知しながら誤つ人祖を創造し、その人祖の自由意志を与えて「悪」の選択を許されたのであろうか…

と仰せになったのです。以後、このお言葉は、私のなかで木霊のように鳴り続けています》と。

5、昭和天皇と今上陛下を結ぶところに

また著者が、明治天皇をはじめとして、昭和天皇、今上天皇、そして皇后陛下のことを語られるとき、そこに、かけがへもなく尊いもののあることを僕は感ぜずにはをられない。自分をしてかけがへもなく尊いものと感じさせるもの、それが、著者の言はれる霊性と重なるものであるのかも知れない。

ここに心を打たれた1、2の箇所をご紹介しておきたい。

著者は第4章「千古の皇統が支える日本的霊性」において、今の皇后陛下の御歌をたどりながら、戦後を5期に画してゆかれる。その第3期の終りに掲げられてゐるのが、昭和天皇の《事実上の辞世の句とも拝される》次の御製である。

      やすらけき世を祈りしもいまだならずくやしくもあるかきざしみゆれど

そして次の解説を続けられる。《まさに万人の肺腑をつく御心情を吐露され-「歴代天皇の御製に前例がない」と明治神宮の常任顧問・副島廣之翁が『御製に仰ぐ昭和天皇』に書かれたとおり-翌年1月7日にお隠れになったことをもって、戦後日本苦難史の[第3期]は終わったのでした。

昭和天皇のこの大御歌ほど深い嘆きの歌を、戦後、私どもは他に知りません。と同時に、「…きざしみゆれど」の、この「兆し」とは何であろうか、我らはそのために何を為しうるであろうかとの問いが、このとき、国民の胸にくっきりと刻みつけられるに至ったことが想起されます。》

かうした御父君・昭和天皇のお気持ちを片時もお忘れになることなく、歩み続けられたのが、今上天皇と皇后陛下の20年であったに違ひない。

6、天皇皇后両陛下の慰霊の旅

『天皇 霊性の時代』のエピローグ(結び)は、「《海深くして青く澄みたり》-霊性の時代ここに始まる」の標題のもとに、サイパン島での御製(平成17年)で結ばれてゐる。

      あまたなる命の失せし崖の下海深くして青く澄みたり

《海面まで、無限の遠さが感じられます。/花束がそこに舞う間に、日本の霊性は啓かれていったのです》-天皇・皇后両陛下の祈りは、南溟の海に眠るあまたの霊と呼び交はしつつ…。

(12月25日)
元富山県立高校教諭 数へ65歳)

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★平成21年の年頭に当り、ご挨拶を申し上げます…昨年末、我が国は未曾有の厳しい経済状況にありました。政治や経済への不信や不安の錯綜する中、ご健勝にてご活躍のことであったと拝察申し上げます。

★さて、今日本は、誠に残念な、恥かしい国になってしまひました。国会は政治が機能せず、官僚は国民大衆に胡座をかき、無責任極まりない行政が横行してをります。政党は国家観を失ひ、ただただ権力の争奪に明け暮れてをります。

国政といふ舞台にある政権与党は信念を失ひ、ネヂレ現象を理由に、野党の顔色を窺ひ、互ひに足を引っ張りながら動揺してゐます。野党はただ政権党を困らせ、解散に向けて追ひつめてをります。

100年に一度の大不況だと声高に叫びながら、その解決のための対策は、常に後手に回ってをります。ことは、経済問題です。それは金融政策であり、税制であり、雇用であり、貿易であります。この問題の解決に当っては、国家の内にも、外にも敵がゐる訳ではありません。

政治家も政党も国家と国民のために在ることを忘れてはなりません。政治権力といふものは、そのために与へられた力であり、時に神の手となり、仏の手となるものであります。国民の目線に合はすならば、日本国が一致結束して、今こそ大不況に当るべきであります。

★日本の経済を支へてゐるのは内需であって、輸出ではありません。輸出はGDPにおいて16パーセントの割合を占めてゐるに過ぎません。今は総需要を喚起するために、思ひ切った財政出動をするときであります。内需を拡大すれば我が国経済が拡大活性化するのです。

しかし、政策で全てが救へるのか? 政治が打ち出す政策は、万全でもなければ、完璧でもありません。衣食足っても礼節を知らないさもしい日本人に成り下がり、ごね得が罷り通り、欺瞞と詐欺が蔓延り、欲望が充満し、正直者がバカを見るやうな世の中になってしまひました。戦後の日本を復興させた原動力は何か。

敗戦直後の悔しさと怒り、そして歯を食ひしばった粘り強さと勤勉、更には希望といふ力がありました。あの戦後の暗闇を勤勉と努力と忍耐でくぐり抜けてきた闘魂はあるのか。今問はれてゐるのは、戦後教育によって荒廃し、活力を失った日本人の生き様そのものではないだらうか?

★2000年前、ギリシャの哲人・アリストテレスは、民主主義政治を三悪政治と評しました。

 その第1は、愚民政治→愚かなる民が、全体の大半を占めるから多数決となれば、政治の大勢は愚民の意志によって決定する。その第2は堕落政治→愚民の欲望に迎合することが、多数を得る早道となる。愚民より選ばれたいものは、対立候補よりも更に大きく民衆に迎合し、接待合戦や甘言の争ひとなる。その第3は、暴力政治→多数決こそ、全ての民衆の意志と認める。その中身や質を論じても、それは二の次である。

 正に今日の世界と日本の政治を予言してゐたかのやうであります。

 しかし、たとへさうであっても民主主義といふものが採用され、実施される背景には、全体主義や独裁政権と違って、権力者が民意に反すれば、よりよい政治を期待して代表を交代させることが出来る、救ひと希望の制度であり、また衆愚政治になっても、一体誰が選んだのか、選んだ責任は自分に在ることになります。

故に民主主義は我慢の政治でもあり、納得の政治でもあります。もともと自由社会はすべてが自己判断自己決定であり、自己責任であり、頼りにするのは自分自身であります。今こそ厳しさに立ち向ふ逞しい勇気、雄々しい闘志を持たうではありませんか。   -後略-

「平成21年の新春となりて年頭挨拶」から-原文は現代カナ、標題は編集部で付けた-

(岡山県議会議員文化振興・環境対策特別委員会委員長 自由民主党公認 数へ67歳)

 

第54回全国学生青年合宿教室

今夏 厚木(神奈川県)にて開催!
長谷川三千子先生、ペマ・ギャルポ先生をお迎へして

期日  8月20日(木)〜 23日(日)
場所 市立七沢自然ふれあいセンター

 

御即位 20 年奉祝記念出版
  『 平成の大みうたを仰ぐ
   国民文化研究会編 展転社刊

●好評発売中 読者特別価格 2000 円 (送料 290 円)事務局まで

 

編集後記

巻頭文も巻末の所論も「今こそ…」と訴へる。「日本はこのままでいいのか」「誇りと気概を取戻せ」と。 2 月 11 日は「建国をしのび、国を愛する心を養う」(祝日法)神武創業を仰ぐ日である。御製御歌謹解をご精読ください。 (山内)

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